ひるめも
言無人夢
1-1
何だか悲しい夢を見た気がした。
「ううぅ……」
ヒルメは少しだけ涙が浮かんだまぶたを弱く両手で擦った。
あくびをひとつ。
それだけでもう、その涙が夢のものだったのか眠気によるものだったのかわからなくなる。これで良し。
もぞもぞと布団を蹴飛ばしながら伸びをする。
ベッドの大きさに彼女の身長は足りなくて、手足を伸ばしてすら端まで届かず、当然ながら落ちるはずもない。
「学校……行きたくないです」
だからヒルメは安心しきって、欲望のままに。ベッドの上でゴロゴロと悶始める。興が乗ってきて、スプリング性能を最大限に活かして魚のように飛び跳ね始めながら、タイミングに合わせて叫ぶ。
「学校!!行きたく!!な――っつわああああ!!!」
方向感覚見境なく暴れれば、当然のことながら落ちた。
ベッドの横に。
「痛いです!!痛いです!!」
かなり大きな音がしたけれど、気絶もせずに悲しみ任せに吐き出された声が響き渡る。ヒルメはそこそこ丈夫に作られた頭の硬さに自信を新たにした。そんな前向きさでも捏造しないと自分のバカさ加減に涙が溢れそうだった。というより、すでに半泣きだったのだけど。
やがて、声に出すほどの痛みでもなくなってくる。
「痛いっ……です!」
程よく騒ぎ切った所で掛け声とともに起き上がる。どうせ騒いでも家族の者は誰も来ないから。
「ふんふふんふん、いったいなぁ~。じょーだんじゃなく、いったいなぁ」
鼻歌混じりに階下に降り始める。居間には朝食がすでに用意されているはずだ。それをお腹に詰めて、登校する。あれだけ打ち付けた割りに、惜しくもこれからの予定はばっちり頭のなかに残っている。
「めんどくさいな~いったいなぁ」
そのでたらめなメロディに思ったことがどんどん混ざっていく。
級友をして可愛くて変な子というより不気味で頭の弱い子と称させるヒルメのことだ。本人としては不満なその評はいかがだろう。今ここに十人いれば九人くらいは首肯するのではないだろうか。
「いただきます」
誰もいない空間に向けて食への感謝を唱えながら、特に何かの考えがあったわけでもないけど、少しだけ思ってしまった。
そういえば痛いの飛んでけって、昔はやってもらったな。
※
「ヒルメちゃんっ!ただいま登校です」
「一応授業中だから静かにね」
起きた時点で目覚ましを確認してなかったヒルメは盛大に遅刻した。最もその時点で時計を確認していたとしても、彼女の遅刻は確定的だっただろう。彼女の道草が莫大に時間を浪費するわけでもなく、家から学校までの距離が馬鹿げてるくらい遠いわけでもなく。
単純に、遅刻したかったから。したのだ。
ヒルメはその次の休み時間、供述を取る委員長にそれらのことをありのままに少しの誇らしさをにじませながら話した。
「寝坊っと」
「委員長、私の話聞いてました?」
ヒルメの級友であるところの彼女は、グーグル翻訳機もかくやという精度で建前を捏造してくれた。しかしヒルメとしては大いにご不満な様子。
「せめて寝坊はやめてくださいですよ、ワイルディさに欠けるですよ」
「その低身長で何言ってんだか」
書き終えた出席簿で頭をぽんぽんする。ぽんぽんされたヒルメはあうあうとワイルディさの欠片もない悲鳴で抗議をした。
「それから授業中に騒ぐのやめなよね」
「うぅ、すいません」
半泣きで縮こまる。
「ついでだし、今からヒルメだけ補習ね」
「ついで感覚で、私の休み時間が蒸発しましたっ?!」
「はい、教科書出して」
「うぅ……横暴です」
不満露わに机に突っ伏して、ヒルメは無駄とわかっている抵抗を試みる。
「委員長権限よ」
眼鏡を上げる仕草で気取ってみせた。
「じゃあ拒否しますぅ」
「……担任権限」
「もう一声っ。です」
「……校長、権限」
委員長は心底嫌そうにその言葉を口にした。
「うん、まぁそれならいいとしましょうか」
何故か教えられる方が偉そうに、ヒルメは机から取り出した教科書を適当なページで開く。
「起立は省略してっ!お願いします、校長!」
「う……」
頭を下げられた委員長はその呼称を気に入っていないようで、されど事実だから仕方ないと自らを納得させながら、黒板の前に立った。
「とりあえずやるのは数学だから、古語の教科書は仕舞いなさい」
「えー……やですよ、あんな西洋被れ」
「アラビア数字はたぶんオリエントじゃないかしら」
冷静な返しに不満を呻きつつ、言われたとおりに教科書を変える。ヒルメは権力に弱いのだ。
「積分の続きからね」
委員長は自分の教科書を一目見たきり、黒板に数式を連ねていく。
あくまで休み時間。である。
二人だけで始まった補習に文句や疑問を口にするものは誰もいなかった。文字通り。誰もいなかった。
もっと正確に言うなら、その教室にはヒルメと委員長の二人しかいなかったし、校舎全体にも二人だけだった。
だから委員長は、委員長にして担任にして校長にして理事長にして。他にもヒルメの思いついた役職はすべて欲しいままにしてしまっている。
チャイムの鳴らない校舎で、二人きりの授業がつつがなく進行した。
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