第36話 盾を構えよ

“光の盾”作戦。

 その名でI.D.E.A.統合会議の承認を受けた作戦計画は、現地時間で十二月三日に発令された。

 I.D.E.A.降下軍と帝国征伐軍。その現有戦力のほとんどを投入するという大規模作戦。

 そして、いくつかの点において、この惑星における人類史上に刻まれる戦いになることを誰もが確信し――事実その通りとなる歴史的な一戦が、間もなく始まろうとしていた。



 はるか上空、ごく薄い大気があるだけの、空と宇宙の境目。

 そこを低軌道ステーション“かきつばた”が、ゆるりと慣性に流されながら周回していた。

 リング状の簡易重力ブロックと地上への物資投下用マスドライバーが目を引く宇宙ステーション。その中央管制室では、惑星の低軌道・高軌道を周回し続ける百を越す通信・観測人工衛星群の制御を一手に束ねている。

 全天を支配する目。軌道上の降下支援基地。それが“かきつばた”である。


かきつばたアイリス11よりビークス2。まもなく所定のポイントだ。投下準備いいか」


 現在、かきつばたの管制官が通信を行っている相手は、あけぼしの艦載機。合金製の翼とエンジンを軸に構成される、ジェット戦闘機。

 地球から積んできた設計データに、西方大陸での改良を加えて完成した戦闘攻撃機“隼風”たちだ。



「ビークス2了解。快調すぎて不気味だよ。“郵便受け”までが待ち遠しいぜ」

 かきつばたからの通信に応答したのは男性の声。隼風のうちの一機。一〇二飛行隊レッドビークスに所属する二番機に搭乗するパイロットだ。

 ビークス2のコールサインを割り当てられたその機は、同型の無人機を僚機につけ、山脈の上空を越えようとしていた。

 男がコックピットから見る光景は、訓練シミュレーターよりも遥かに鮮やかだった。雲海と、その合間から見える雪化粧をされた山並み。

 初めての実戦の空と言うには、いささか拍子抜けするほどのどかな光景だった。

《もうすぐだ。針路はそのまま……》

 そこでかきつばたの管制官の声が途切れた。

 やああって、次がれた言葉は、

《ビークス2、方位0-9-8、高度五百に飛行物体。視認できるか》

 進行方向、右斜め前方? しかも五百メートルなど、そんな低空。何かの見間違いではないか?

 いぶかしみながらパイロットは視線を下へ向ける。遠くの影。確かに空を飛ぶそれに、機に積んだカメラの一つを向ける。

「……確認した。あれは……竜騎士か? こちらを見つけた様子はない」

 カメラが捉え、多目的パネルに映された画像には、確かにそう表現したくなるような姿が映っていた。

 細長い蛇のような胴体に、コウモリ風の膜翼を一対生やしたような生物。その背中に、鎧らしきものを着た、尾の付いた人影が乗っていた。

《了解。おそらくは敵軍の航空戦力だろう。交戦は禁ずる。可能な範囲で映像を収集せよ》

「ビークス2了解」

 男としては、挨拶がわりにミサイルの一本でもお見舞いしたかったが、そうはいかないらしい。大人しく観測にとどめる。

 いつかアレと空戦をする日が来るのだろうか。そんなことを考えていると、

「……っと、そろそろ予定ポイントか」

 気づけば機は投下予定ポイントに侵入しつつあった。

 懸架したブツは誘導機能の付いた賢い奴だという。投下場所は多少大雑把でもきっちり目標までは届くという話だ。

「こちらビークス2。目標空域に侵入。マスターアームオン。アイリス11、投下許可願う」

《許可する。投下せよ》

「了解。ビークス2、“オベリスク”投下」

 トリガーを引き、隼風の武装保持アームが作動。ここまで懸架してきた長い“石の柱”を手放した。

 石の柱は重力に吸い込まれるように落下。後端に付けられた四枚の補助翼を広げ、目標ポイントまで空力で流れていく。

《投下確認。“オベリスク02”よりビーコンを正常に受信。終端誘導開始。後は帰って寝るだけだな》

「こっちは飯が美味いからな。いい夢が見れそうだ。――針路を2-6-5へ。あけぼしへ帰艦する」



 あけぼし、戦闘艦橋。

 そこに隼風、かきつばたからの報告が相次いで届く。

「オベリスク、01、03も地上に到達。予定エリア内、投下成功です!」

「かきつばたより、観測データ来ました。全エリアにおいて敵がオベリスクを発見したもよう。おそらくは解読を開始したとのこと」

「……手紙は届いたか」

 村瀬は腕を組みながらうなずいた。

 帝城の古株魔法使いたちに直々に刻ませ、一級の魔力を込めさせた文書だ。

 文字自体は解らずとも、その文字に込められた“意思”は読み取れるはず。彼らによればそういうものらしい。

「どう、反応するのでしょうか」

 村瀬の側に立ち、問いかけてきたのは、降下支局、支局長の三條。

 普段はここには居ないはずの客人。だが、今日ばかりは居てもらわなければ困る重要人物だ。

「その場で見てみたいものですが、首を刎ねられるのがオチでしょうね」

 半分本気の冗談を交えながら、村瀬は肩をすくめる。

 今はまだ、村瀬たちは待つ他ない。

 すべてを決するであろう――そして、とっくに決まっているのであろう、彼らの回答を。



 進軍を控えた昼食会の折に、その柱は落ちてきた。

 天鱗同盟、クメル軍司とその近しい者たちが、極上の食事――生きたまま捌いたばかりの、新鮮な魔力を帯びた若牡の血と肉に舌鼓を打っていたときだった。


『この石の柱のようなものが、空から降ってきたのです……!』


 狼狽する竜人の兵士に促されるまま仮兵舎の天幕を出て、クメルが見たそれは確かに石の柱だった。

 上の方に奇妙な四枚の板がせり出していたが、先端が尖っていたのか、綺麗に地面に突き立っている。

 その異様の中でも、さらに目を引くのは、

『これは……』

 その柱の一面に、装飾と文字が彫られていた。

 狩猟地に住む人間どものものと思しき文字。

 クメルが魔術で読み取ればそこには全く穏当ではない意思が込められていた。


『魔の者ども――山脈付近に集まる不法武力集団の指揮官に告げる。

 正当な理由、および通告なしに、武装した人員を境界線付近に集結させる行為は、アルフ・ルドラッド帝国、ひいては人類共同体への敵対的行為とみなす。

 明朝の日の出までに、集結させた全軍を速やかに撤収させよ。

 この要求が達成されない場合、もしくは境界侵犯の意志が明確に認められる動きが見られた場合、先制攻撃も辞さない。

 なお、これは最後通告である。

 アルフ・ルドラッド帝国征伐軍 大神将 ガイタス・グルム・ゲッファナス』


 明らかに、警告の体を取った宣戦布告であると、誰もが解る文面。

『ふざけた真似を』

 羽蛇隊の隊長が吐き捨てる。自らの立場もわきまえぬ、翼と鱗の民への敬意のかけらもない一方的な言葉だ。

 やはり、狩猟地の人間は、クメルたちが飼っている品種よりも野蛮らしい。

『しかしまさか、奴らがこんな手を使ってきたこようとはな』

 旧世の山脈の断絶以降、狩猟地の人間とは、翼人、竜人の側はもとより、人間の側からも交渉に類する接触が行われた記録はない。

 そもそも、翼人は導きの翼龍の予言に従い、かの山々より向こうは原則として禁足地と定めてきた。

 辺境軍として竜人たちを半ば野放しにすることで、越境をもくろむ人間側の武力を削ぎ、けれども決定的な打撃は与えず平和の中で増えさせる。

 そうして年月は過ぎ、ついに予言の時が訪れようという段に至って、この騒ぎだ。

『戦争のまねごとに仕立てようというのだろう。だが、答える必要はない』

 これも“空船”の連中の入れ知恵なのだろうか。よくも妙な真似ばかりを思いつく。

 クメルは訝しく思いながらも、その程度で翼竜会議の決定を曲げるつもりも、伺いを立てるために進軍を待つつもりもなかった。

『予定通り進軍する。だが、十分留意せよ。近年の人間どもは特に不意打ちを得意とするようだ。足元をすくわれぬようにな』

『は!』

 そうして、クメルたちはめったにありつけぬ、特上の食事へと戻っていった。



 そして、“オベリスク”――事実上の宣戦布告通知の投下から二時間弱が経過した頃。

 あけぼしにその一報が飛び込んできた。

「敵、動き始めました! 主力、および副兵力全四軍とも、ほぼ同時に進軍を開始!」

「そう、簡単にはいかんか……」

 報告に三條支局長が諦め交じりにつぶやく。

 村瀬も同意見だ。これで済めばいいという希望は裏切られ、おそらくこうなってしまうだろうという予想通りに動き始めた。

 それに、四軍が同時に進軍、という点も改めて脅威と感じる。

 軍の指揮官が存在するとおぼしき中央集団から、両端の副兵力は百キロメートル以上離れている。その距離での意思伝達にほぼタイムラグがないというのは厄介だ。通信、伝達については近代軍と変わらぬ相手ということなのだから。

 相手はそういう軍勢。だからこそ。

「予定通りだ。“光の盾”作戦はただちに第二フェイズへ移行。総員第一種戦闘配備」



 作戦は第二フェイズへ移行。

 その命令は、直ちに作戦中の全部隊に伝わった。

 かげつの戦術管制室に詰めていた、ティルの下にも。

「始まります。ティル様」

 隣に控えていたカズキの声。気遣わしげな色に、有り難さを感じながらも。

「……ええ、大丈夫です」

 ティルは小さく頷き返す。笑みを浮かべて見せたが、少しばかりこわばっていたかもしれない。

「今回も、きっと大丈夫」

 カズキに気づかれないように、ティルは小さく自らの手を握りしめた。



「やはり、こうなりますか」

「残念だがやむを得まい」

 三條は手にしていた黒いアタッシュケースを机上へ置き、開いた。

 中身には機械が詰まっていて、いくつかのランプと、鍵穴が二つ並ぶ。

 三條と村瀬はそれぞれ鍵穴に対面し、懐から鍵を取り出た。

 チタン製の、鈍い銀色の鍵。どちらもデザインは似通ったもの。

 それを三條と村瀬は互いに確認し、

「よろしいかな、艦長」

「ええ、支局長」

 二人揃って、キーをアタッシュケースの鍵穴に差し込む。

 奥まできっちり差し入れたことを確認し、二人は視線を交わす。

「では」と三條が言い、一拍おいてカウントを始める。

「三」

 もう後戻りはできない。

「二」

 わずかな迷いを片隅に抱えながら、

「一」

 けれどもそれを塗りつぶすだけの決意を持って。

 二人とも、わずかにも表情を変えず。

 ――かちり。

 静まり返ったあけぼしの艦橋に、同時にバネの跳ねる軽い音が響いた。

「――対消滅反応弾、使用承認シグナルを受信!」

 砲術長の報告。

 安全装置は正しく外された。あとは命じるだけだ。

 だから村瀬は、努めていつも通りの調子で命じた。

「対軍・対拠点戦闘用意。目標、敵アルファ群」

 対軍・対拠点戦闘よーい、と砲術長からの復唱が来る。

「全天リンク目標設定。敵アルファ群、グリッドB二三一-D五四九。敵針二­-六-〇、速度十五。誘導準備よし」

 兵装システム員からの報告。改めて照準を付ける。巨大な軍団、動きも遅い。惑星の全天に張り巡らせた衛星の支援を受けたミサイルなら外しようもない目標。

 村瀬は小さく頷いて指示を飛ばす。

「対軍・対拠点戦闘、目標、敵アルファ群――」

 これまで通り、ただ為すべき言葉を。

「ロングアーチ・ガンマ。攻撃はじめ!」

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