第29話 願いのかたち

 ティルが熱を出した。

 大地の御遣いの加護が薄い場所で強引に法儀を使ったため、体内の魔力が限界を超えて消耗。極端に体力が落ち、風邪にかかったということらしい。

 重篤な感染症の類ではないとのことだったので、体力が戻るまでしっかり食べてしっかり寝かせるということになった。

「あー……」

 和貴はあけぼしの艦内にある簡易工房で造花を調達して、ザッフェルバル総督府に見舞いに来ていた。

 来ていたのだが、どうもバツが悪くて顔を合わせづらかった。

 ……進歩ないな、僕も。

 はじめは明里や柚歩に頼んで済ませるつもりだった。だが、当の彼女たち――特に明里がなぜか頑強に和貴に見舞いを勧めるのだ。

「いやお兄が行かなきゃダメじゃない?」

 そんな調子で淡々と押してくるのでそれ以上めんどくさいことになる前に白旗をあげ、和貴は今ここにいた。

 ティルには外交部の小細工のせいで負担をかけてばかりだ。会って詫びの一つでも言わなければ――と思えば足は自然と鈍る。

 けれど、ぐるぐると悩んでいるうちに、和貴の足はティルの私室の前に着いてしまっていた。

 気の重さに勝てずにぼんやり扉の前で立っていると、不審に思った警備の法官が話しかけてきた。

「失礼。イデアの方とお見受けしますが、総督代行閣下に何用でございましょうか」

「外交部のフシハラカズキです。閣下の見舞いのため訪問すると、事前に申し伝えていたと思いますが」

 問いに反射的に答えてしまうと、警備の法官はさっと見事な敬礼を返した。

「はっ、これは大変ご無礼を。確かに申しつかっております。フシハラ様」

 あー、と和貴は思うがもはや遅い。

 法官が鳴らしたドアベルの音に応えるように豪奢で大きな扉が開かれ、顔をのぞかせたのはレファ。

 和貴の顔を見るなり複雑そうな表情をするも「こちらへ」と部屋へ案内してくれた。

 総督の居室であるが、とにかく装飾が多くだだっ広い空間。

 その中央、天蓋付きベッドの上に、彼女はいた。

「あ、カズキさん!」

 葛藤もどこ吹くかのように、総督代行の朗らかな声が和貴の耳を打った。



 和貴が側に歩み寄れば、ティルはベッドの上で半身を起こしていた。先ほど目覚めたところだという。

「こんにちは、ティル様。……どうぞ、お見舞いの品です」

 持ってきた造花を差し出すと、すかさずレファが受け取る。

 高度に訓練されたのであろう無駄のない動きに謎の感慨を覚えつつ、和貴はベッド脇に用意された椅子に座った。

 ティルはレファの手にした造花に興味津々なようだ。

「わあ……! 素敵なお花ですね。見ない品種ですが、チキュウ産のものですか?」

「ええ。と言っても、花を模した工芸品ですが」

「工芸品……? 自然のお花ではなく、ですか?」

「ええ、すみません。領都の花屋だと、花束を作るのに数日単位で時間がかかるそうで……。今回はこれで失礼します」

「いえ、そんな! ……でも、綺麗ですね。元となったお花などはあるのでしょうか?」

「ガーベラ、ラベンダー、モモ……と聞いています。僕も実物を見たことはないのですが」

 軌道上の“ゆりかご”艦内の自然公園の中のどこかには咲いているかもしれない。

 そこで和貴も見ていたかもしれなかったが、そこまで花に興味のない和貴の記憶には残っていなかった。

 とりあえず出来合いのものの中で花言葉が当たり障りないことを確認して持ってきただけなのだ。

 花言葉を確認するために一応でも名前に目を通しておいてよかった、と和貴はホッと胸をなでおろす。

「ガーベラ、ラベンダー、モモ……」

 聞き慣れない音韻にひたるように、ティルは名前をつぶやきながら造花を見る。どこか儚げな笑み。

 和貴は、自分が知らずティルの顔に見入っていたことに気づき、「ところで」と、強引に話を振った。

「体調はいかがですか。……その、大分と無理をさせてしまったようですが」

「大丈夫です。といいますか、もうほとんど治ってるんです。それがレファったら、まだ安静にしてないと駄目だって、聞いてくれなくって」

「お医者様からは今日までは安静にと申しつかっていますでしょう」

 レファの小言に「むー」と頬を膨らませてみせるティル。

 あけぼしではなかなか見ることのできなかった顔。おそらく素顔に近いそれに、和貴は思わず笑みをこぼす。

 やはりレファを総督府に連れてこれたのは正解だった。彼女の側でならティルもリラックスできるのだろう。

 和貴の表情に気づいたのか、ティルは慌てて両手で顔を隠した。

「あう……」

 居心地悪そうに顔を赤らめたティルに和貴は愛想笑いを浮かべながら

 ……やっぱり、僕は来なくても大丈夫だったかな。

 余計な気遣いだったようだ。彼女にはやはりレファがいればいい。

 そのことに一抹の寂しさと、それ以上に安心を得て、

「聞いていたよりも元気そうで、安心しました。では、ティル様。僕はこれで――」

「えっ……あっ……」

 途端に、ティルが驚いた顔をする。まるで突然おもちゃを取り上げられた子供のような、驚きと悲しみがない混ぜになった顔。

 その声と表情に和貴も逆に驚いてしまい、思わず固まってしまった。

 …………あれ?

 また僕は何か間違ったか、と和貴は慌てて思考を巡らす。だが、まっとうな答えを導く前にティルが慌てて取り繕ったような声を出した。

「え、っと、……お、お忙しいですもんね! カズキさん、大変だと聞いています。どうぞ、お気になさらず。はい」

「ああ、えっと……」

 ティルの声を聞きながら、和貴はようやく自分が“何を間違えたか”に気づいた。凡ミスもいいところだった。

 ……ああ、もう。

 気づいたところで、ひっくり返したちゃぶ台は元に戻らない。ティルにここまで言わせてしまったら和貴も帰らないわけにはいかなかった。

 仕方ない、と観念して腰を浮かし、別れの言葉を告げようとした時だった。

「カズキ様。失礼ですが、この後のご予定は?」

 レファが、ひときわ強い口調で割って入った。その目がギロリ、と和貴を睨む。

「あー……今日は、これが最後の予定になりますが……」

 今は現地時間で午後四時を回ったところ。

 昨日と今日のうちで必要な事務仕事を特急で片付けてもぎ取った出張業務だ。この後は自室への直帰が許可されている。

「では、十分にお時間はありますね。ティル様はここのところ少々退屈なさっておられます。私めは外に出ていますので、しばらくお相手を願えますか」

 強引に押し切るように出された提案は、恐らく助け舟。そうと悟った和貴は即座に乗った。

「あ……はい。もちろんです」

 ……ごめんなさい、レファさん。

 それは和貴のためではない。おそらくはティルのため。

 けれど、和貴も助かったのは間違いない。心のなかで謝罪と感謝を唱えこっそりと腰を下ろした。

「では、もうしばらく、失礼しますね」

「はい。どうぞごゆるりと。――ティル様、くれぐれもはしゃぎすぎて無理はなさらぬよう」

「は、はしゃいでなんてないですよっ!」

「カズキ様も。よろしく、おねがい、します、ね?」

「……わかりました」

 レファの鋭い眼光に射すくめられ、カズキはもはや何も言えなかった。

 ……今度なにかお礼しなきゃなぁ。

 和貴は引きつった笑みで、レファが一礼し退室するのを見届けた。

 しばらく、二人の間でぎこちない沈黙が落ちる。

 なにか話さなければ、と和貴が話題を探していると、ティルがおずおずと口を開いた。

「カズキさん。その、本当によろしかったんですか?」

「ええ、ごめんなさい。全然大丈夫です。お気になさらず」

 取り繕った笑みが不自然でないといいのだけれど、あまり自信はなかった。

「そう、ですか」

 ティルも少しばかり固い笑み。けれど、すぐに彼女の表情は変わる。

「その、実は、少し聞いて欲しいことがあるんです。私が――これからどうすればいいのかを」

 意思を秘めた瞳が、言葉とともにまっすぐ和貴に向けられた。



 和貴は聞く。ぽつり、ぽつりと語られるティルの言葉を。

「今回の戦いで、私の力不足ゆえに多くの臣下を失いました。臣下の話を聞かず、ゆえに私の言葉も彼らに届かなかった。……総督失格です」

「…………」

 それは自分たちも――自分たちこそが背負うべき罪だ、と和貴は思う。

 多くの法官を犠牲にして得た勝利。それは、小煩い老人どもを一掃しようという、和貴たちの怠惰が起こした結末だ。

 一ヶ月間に及ぶ説得工作がことごとく不調続きで、ティルだけでなく、和貴達もすっかり参っていた。その結果が招いた悲劇。

 彼女はそれすらも背負い、

「でも……まだ私はここで退くわけにはいかない。彼らは、ザッフェルバルは、帝国はこのままではダメだと――それを変えたいと願う自分もいます」

 なお、その意思は折れずに在った。

「私は、総督失格の私は、まだ……代行としてこの場所に立つことは許されるでしょうか」

 答えは出ている。おそらくはそういう目だった。

 ただ、自分のわがままが叶うかどうか。言葉はただそれだけを不安だと告げていた。

 だから和貴は答えた。

「その問いに、意味はないですよ」

「え……?」

「僕はとっくに、あなたを支えると決めています。あなたが意思を持って進み続ける限り、僕はあなたの背を押し続けます。いかなる時、いかなる場所であっても」

 彼女を総督代行にすると決めたあの日から、和貴はそう覚悟していた。

 自身の力が及ばない点は数多くある。けれど、手の届く範囲では全力で守ると。

 だから、

「僕らがあなたをそこへ導いたのです。ならば、その責は僕らにこそある。……今回のこと、本当に申し訳なかったと思います」

「……で、でしたら、私は、まだここにいても、いいのですよね……」

 よかった、とティルの顔が少し綻ぶ。

 噛みしめるような間を置いて、彼女は改めて次を問うた。

「――では、次はどうしたらよいでしょうか。今できることは、何かありますか?」

「今はまだ休むべきでは……」

「申し上げたじゃないですか。もうすっかり元気ですよう。医者やレファが心配性なだけです」

 茶目っ気のある表情。

 幼少の頃、熱が下がった明里が勝手に布団を抜け出して遊び始めたことを思い出して、思わず和貴は笑みをこぼした。



 和貴はティルにお遊び程度の議論を投げかけてみた。

 あけぼしで議論されている施政方針のうち、思考実験としてこの場で話せそうな内容を選び、ティルに語ってみせたのだ。

 現在こういう案があるが、ティルならどうする、と。

 もちろん現実的な討議というほどのものでなく、あくまで思考遊び程度のものだ。

 けれど彼女は熱心に頷き、質問し、時には対案も出した。

 確かに彼女は為政者として成長しつつある。そんな感触があった。

 そんな中で、特にティルが関心を持ったのは、やはり国境の防衛についてだった。

「やはり、問題は……」

「征伐軍の再建。そこは避けては通れないでしょう」

 ザッフェルバル総督府の所掌から外れる難問。

 けれど、今回の事件を鑑みれば、喫緊の課題だ。

「建設中の警戒システムが万全に機能しても、迎撃が適切にできなければ意味がありません」

 和貴が言えば、ティルも即座に返す。

「あけぼしの戦力を、今後もお借りすることはできないのですか?」

「可能な限り援助はします。けれども今回のような正面戦闘を何度も繰り返すだけの余裕は、さすがにありません」

 今回の戦闘はあくまで実験の意味合いが強かった。その結果得られたのは、正面からの殴り合いは難しいという結論だ。

 歩兵火器はことごとくが通用せず、エネルギー系兵器は艦砲ですら防ぐ。そんな中でようやく通用したのが、大口径レールガン。そんな相手と正面切っての殴り合いはそう頻繁に繰り返せるものではない。

 もちろん、今日明日にどうこうなるわけではないが……安請け合いができる類の話でないことは確かだ。

「現状はまだ優勢に事を運べますが、この調子で戦闘を続ければいずれ補給が追いつかなくなります。それに、こちらの手の内を知られればそれもどうなるかわかりません。なるべく早期に征伐軍の防衛線を復旧できなければ、今回の勝利も無意味なものとなるでしょう」

「ですが……法官の数が足りません。帝都の聖導騎士団も定数を大きく割り込んでいると聞きます。補充の見込みは……」

「ザッフェルバルで独自に育成はできないのですか?」

「総督が認められた権限では、皇帝陛下に代わって、国法に許可された――法官の血族への“授典”を行えるのみです。それ以外の人間への授典は明文で固く禁じられています」

 授典。直訳すれば“法の授けウレアス・ヘム・クァジオ”となるそれは、帝国でもごく限られた上位の者でしか扱うことの許されない秘奥術。

 国法の法儀まほうを用いる才能のない人間を、強制的に法官まほうつかいにしてしまう術だ。

 法官は世襲であるが、遺伝ではない。

 この世界の法官の大半は、十代前半までの幼少期に“授典”を受け、才能を植え付けられる。それから本格的な儀式やら訓練やら学問やらを経て、家柄相応の位を叙階され、法官となる。

 その禁止規定は、暗に現行の支配体制の維持を意図したものだろう。

 つまりは、

「禁止されているということは、技術的には可能だということですね……」

「っ、カズキさん!」

 途端にティルの顔がさっと青ざめたので、どうやら禁句だったらしいと和貴は口をつぐむ。

 だが、それでは足りなかったのか、慌てたようにティルは和貴の肩を両手でつかみ、顔を近づける。

 驚きに和貴が思わず固まると、ティルは耳元に顔を近づけてきて、

「……法儀典の条文は皇帝陛下ですら拘束するものです。改訂がなされないかぎり帝国では絶対の摂理であり、それを破ろうとすること自体が帝国への反逆とみなされるんですよ……」

 ひそひそ声での耳打ちに、うわぁこれ耳元が幸せでなんかいい匂いがうわぁ、と余計な雑念が和貴の頭を占めるが、どうにか残ったの理性で真剣に伝えられた内容は理解した。

「……すみません。少し認識が足りませんでした。反省します」

「お願いしますカズキさん。こればっかりは本当に、お願いしますね……?」

 皇帝は、驚異的な能力で全土まで魔法感覚を持つがゆえ、法官全ての位置や行動を把握できるのだという。

 たとえば、いち法官の妖しげな心の動きも察知できるのだとか。

 そんな授典のシステムは、帝国成立前半期にあった法官たちの大規模な反乱の教訓から造られたものなのだという。

「そもそも、授典という儀式自体、皇帝陛下と法官を師弟関係として確立するためのものでもあってですね――」

 授典以降は法官は皇帝と魔力の糸のようなもので繋がるため、悪事の一つまで徹底して筒抜けになるのだとティルはいう。

 和貴にはその真偽の判断はできないが、ティルが事実だと判断するならばそれを信じるほかない。

「そうなれば、今ある法官を活用するほかない、ですか。なら……」

 つぶやきながら和貴は考える。最も手っ取り早い方法を、しかしこの頑固なザッフェルバルの法官たちが聞き入れるか、と考えると……

「なら……何か案があるのですか? カズキさん」

「いえ、かなり乱暴な案が浮かんだだけです。もう少し穏当な手を……」

「聞かせていただけますか?」

「ただの案ですよ。実際にどう行うかは置いておいて――」

 あくまで、都合のいい想像に過ぎない想定を、和貴は促されるままに口にした。

 思いついたばかりの現実味のないそれを聞いて、ティルはそれでもはっきりと頷いた。

「やってみたいと思います。確かに難しいとは思いますが……」

 それでも、とティルは和貴をまっすぐ見て言う。

「今はそれしかないと思いましたから。なんとかやってみます」



 早くなった日の入りをあっという間に迎え、ティルは名残を惜しみながらカズキを見送った。

 カズキの姿が扉の向こうに消え、レファが戻ってきて、ようやくティルは自分の胸が激しく脈打っていたことに気づいた。

「は……ぁ」

 ……楽しかった、な。

 領国の運命を左右するような話をしていたというのに。妙に高揚していた自分がいた。

 それは、大きなものを動かす楽しさというのもあったかもしれないが、

 ……カズキさん。

 どうしてか、彼と話すのが楽しかった。

 わだかまりも不安も、彼と話せばどこかへ行ってしまう。

 また一つ大きなものを背負ったはずだったのに、今はすっかりその重みが減じていた。

 ……あの言葉。

 支えると、いかなる時も背を押すと言った、彼の言葉。それにすっかり乗せられてしまっている自分も随分と子供っぽいと思う。

 けれど、どうしてかそれでティルの胸のつかえはほとんど取れてしまっていた。

 ……不謹慎、でしょうか。

 死者を悼む心を失くしたわけではない。けれど、負うべきものは罪悪感でなく、責任だと、ティルは考えるようになっていた。

 次の死者を出さない。そのためにも。

 言い訳じみているかもしれないが、ここでも立ち止まるわけにはいかない。

 行くべき場所は、ぼんやりと見えてきているのだから。

「ティル様、なにかいいことでもありましたか?」

 レファの問いかけられてはじめて、ティルは自分がどうにもだらしない笑みを浮かべていたことに気付かされた。

「いいいいい、いえなんでもっ!?」

 恥ずかしさをごまかそうとしたらあからさまな動揺が表に出て、さらにティルの顔は真っ赤に茹で上がった。

「…………そうですか。ふぅん。そうですか」

 ものすごく見透かされたような目で見られているのは気のせいです気のせい。そう念じながらティルはレファの目から逃れるようにベッドに潜り込む。

 さらに間の悪いことに、お腹の虫がぐぅ、と間抜けな音を立てた。

 もうすぐ夕食の時間だった。



「ふ、ぅ……」

 宵の口の総督府を出て、和貴は一人天を仰ぐ。

 そろそろ慣れてきた乾いた冷たい風。温度管理のなされていない、“本物”の晩秋の空気だ。

 ゆりかご艦内ではめったに着ることのなかったコートを羽織り、息を吐く。映像の中か冷蔵保管庫ぐらいでしかお目にかかれなかった“白い息”に、いまだ新鮮な感動を覚えながら、思い出すのは先のお見舞いのことだ。

「ティル様も頑張るなぁ……」

 毎度のことだが、奥ゆかしいようで実は無茶で無謀で熱血な総督代行は、熱を出した程度ではその性格を変えられないらしい。

 先の戦闘のこと、へこんでいるかと思えば立ち直りも早かった。

 その目はもう先を見据えていて、

「どうにかしてあげられないかな……」

 だからこそ、道行きを整えたいと思う。

 懸命なあの目に、報いてやりたいと思う。

 入れ込みすぎかもしれない。冷静にそう思う自分もいたが、それ以上に。

 ……あの子を大事に思ってる、んだろうな。

 “大地に降りる”という夢のために全力を傾けていた和貴にとって、今は曲がりなりにも一つの夢が叶った状態だ。ある意味ここでいきなり刺殺されても成仏できる自信がある。それが帝国人ならわりと願ったりかなったり。

 だから和貴にとっては、未だ夢半ばで、なお必死で走る彼女がどうにも眩しく感じるのだろう。

 あの日の輝きを見ているようで。あるいはそれ以上に真っ直ぐな彼女の思いに手を引いてやりたくなるのだ。

 けれど、同時に葛藤もある。

 ……僕らは、どこまで関わるべきなのだろう。

 あけぼしはなお、“大地の御遣い”なる超自然的存在に帝国領域外への離脱を封じられている。

 重力制御型の艦艇はもちろん、化学燃料ロケットも、反応プラズマロケットも、大気圏外への道を断たれている。それだけでなく、小型艦で試みた西方大陸への脱出も失敗したらしい。

 軌道上への人員帰還は未だ成らず、それゆえにうかつな増援も呼べない。

 御遣い様がたの説得は進まず、彼らは未だ僕らに『この地に在れ』という。

 そうしてズルズルとこの地に引きこまれ、あけぼしの誰もが、この地に根を下ろしかけている。

 ザッフェルバルの風景は少しづつ、異なるものが混ざり合って変質しつつあった。

 領都の各所には形ばかりの偽装が施された無線通信アンテナが立ち、水道、電気通信ネットワークの敷設のため、工事に従事する無人工作機たちは絶えず大通りを掘り返す。

 遠く眺めれば、多くの畑を犠牲にした馬鹿でかい区画に、万能降下母艦“あけぼし”が、大きくその威容を横たえていた。

「……僕らは、この風景に馴染んでしまってもいいのかな」

 総督府を見上げてつぶやいた言葉に、答えはない。

 夕日の残光は消え、その上には二つの月と星々の光がその姿を現していた。

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