第11話 その輪の中へ2
歩き始めてしばらくしてティルは、“広い”という言葉の意味を実感することになった。
「け、結構歩きますね……」
艦長室でカズキたちと揃ってムラセ艦長に挨拶を済ませると、ティルは思わずそうつぶやいた。
医療区画から、艦長室にたどり着くために、自然に上へと運ばれる
確かにこの距離では儀式用の装束では重くて疲れてしまっていたのかもしれない、とティルは思い返す。
それに何度か足元を引っ掛けることもあり、「だから長いスカートはダメなんですよね」とアカリに苦笑いで支え起こされた事もあった。
「この“あけぼし”は、帝城の五倍以上の広さですからね。船……と言うより、小さな街のようなものだと思ってください」
カズキがさらっと告げた大きさに、ティルはまたもぎょっとさせられる。
……あのお城の五倍だなんて……
ティルが暮らしていたヴィルマニカ城は、帝都の中枢にそびえる、威信そのものとも言える巨大な城だ。
端から端まで歩いたこともない広大な城。その五倍、と言うのだから、
……一体どれほどの大きさなのでしょうか。
甲板に降り立った時は夜だったので、いまいち想像がつかない。“あの巨人”がすっぽり収まる広さを持つという、とてつもない大きさだったことは覚えているが――
「そんなに広いのですか……」
「縦長だったり、高さは十分に取れない部分もあるので、こういう通路なんかは狭苦しい感じもしますけどね」
「ほぇ~……」
帝国でそんな船を造ろうとしたらどんなことになるだろうか。ティルはそんなことを思いながらカズキの先導で長い長い廊下を歩いて行く。
その中で、ティル達は乗組員らしき人たちと何度かすれ違う。
笑顔で小さく礼をする人、不思議そうな目でじっと見つめる人、手を振ってくる人、知らない言葉でなにか話しかけてくる人……
その誰もが、緑や深い青、黒など、色は異なるが同じような服装だった。
……普通、なんですよね。
男性はもちろん、女性もそこまで豪奢に着飾ることはなく、活動的で機能的な服装。それを見て、ティルはようやく自身の羞恥心が和らいでいくのを感じた。
そうして連れられるまま歩くと、ふとカズキが立ち止まった。腕で一つの扉を指すと、
「着きました。ここがティルヴィシェーナ様のお部屋になります」
「はい。ここですね、ここ……」
言われて目の前の扉を見て、左右を見回す。それから、自分がいったい船のどのあたりに立っているのか、皆目見当がつかないことに気がついた。
……ここは一体どこなんでしょうか?
とにかく後ろをついて歩いていただけなので、ティルは自分の現在位置がさっぱり解らなかった。
急すぎる階段や不思議な小部屋に運ばれ、上下左右に移動した結果今まで自分がいた場所からどれだけ離れたのかも判然としない。
そんなティルの不安げな顔を見て取ったのか、カズキは優しげに、
「大丈夫です。あとで地図もお渡ししますし、案内役がいますから」
「案内役……?」
……カズキ様のことでしょうか?
などと首を傾げていると、続いて扉の鍵の仕組みの説明を受ける。
十の記号の組み合わせと指の文様を組み合わせて鍵とするという、どこか儀式めいた鍵。それを開けると、
「お待ちしておりました、ティルヴィシェーナ様」
「ルコ……?」
顔も声も、寸分たがわぬルコがそこにいた。
ただ、服装だけが異なっていて、白い看護服でなく、カズキたちと同じ黒い制服だ。
「先にこちらに来ていたのですか?」
「正確には異なりますが、そういうことで。ティルヴィシェーナ様のお世話はこれからも引き続き私が担当いたしますね」
「……よかったです。私一人だときっと迷ってしまうところでした」
見知った顔にティルは心から胸をなでおろした。
帝城にいたころですら、日常の些細な事は一人ですべてをこなしたことはないティルにとって、そのような相手がいない生活は考えられなかった。
そんなティルを後ろで見守りながらアカリはふと思い出したように日本語でつぶやいた。
「……あれ? あそこで“ルコ”に使ってた素体ってオーバーホール入るんじゃなかったっけ、お兄?」
「同型機を出向扱いで医療防疫部から
「うわ大盤振る舞い……お客様特例は気持ちいいほど効くねぇ。水戸黄門にでもなった気分でしょ」
「向こうさんの頬がヒクついてたのを見なけりゃね」
「たはは……」
なんてやりとりが後ろであった事にティルは気づくこともなく。
安心感に少しばかりテンションが上ったまま、ティルは部屋の使い方のレクチャーを受けるのだった。
*
渡された地図を見ながら、次の場所へと歩くティル。
いつ曲がってもいいようにと、風景を見つつ地図にらめっこしていたが、アカリの「次は一回も曲がらないから大丈夫だよ」という言葉にティルはがっくり肩を落とした。
「ともあれ次は食堂です。……食べ物はもう一通り大丈夫なんでしたっけ」
「はい。ルコからは大丈夫だと言われています……もしかして、食事ですかっ?」
カズキの問いにティルは思わず声が弾んでしまった。
「あはは、すごいティルヴィシェーナ様。目がキラキラしてる」
「え、あう……でも、ここのお食事っておいしくって……」
エスキマ味の謎の流動食から、ちゃんとした食事に変わって以来、ティルはすっかりその味に虜になってしまっていた。
塩味と果汁類の甘味がせいぜいだったティルにとって、異星の調味料というものは新鮮な感動を覚えるものだったのだ。
「お気に召して光栄です。お食事が美味しいのは何よりも幸せですからね」
丁寧な言葉の中にカズキも心なしかイタズラっぽいニュアンスを感じ、ティルは思わず顔を赤くした。
「……ではお待ちかねの食堂に到着です。艦首に近い場所になりますが、騎士用?……の食堂です」
カズキがそう言って指差すのは、周りの無骨な扉よりも少しばかり装飾を施された小洒落た扉。ティルには読めないが“第二士官食堂”との文字がある。
訳文が変だったのかアカリは口を抑えて「騎士……」とひとしきり悶絶してから付け加えるように、
「“騎士”よりも“貴賓”のほうがまだ解りやすいと思うな。この艦の中では一番格式高い食堂だよ」
……とりあえず偉い人のための食堂なんですね、とティルは納得。
後ろを振り返ると、歩いてきた廊下が果てしなくまっすぐ見える。
丁度廊下の突き当たりにあるので、部屋から迷うことはなさそうだとティルは少し胸を撫で下ろした。
その扉を開けて入ると、先客がいた。
「あ、ミツバちゃんだ。ちわっす!」
手を上げてティルたちに向かって声をかけてきたのは、カズキたちとは違う濃緑の制服を着た女性。
ミツバと同年代のように見える彼女は、長い髪を伸ばす他に、その両サイドにしっぽのように髪の房をまとめていた。
「おお、やっちか。どうした、こんなところで」
「ご飯食べに来たんだけど、ちょうどこの子の巡回ルートだったみたいで」
ミツバの知り合いらしいその女性は、隣に立っていた濃緑色を基調にした奇妙な色合いの大男を指さした。
顔は硬質な黒い素材で覆われており、どことなくティルを乗せた“巨人”に雰囲気が似ている。
「あの、この方々は……」
明朗快活そうだが、ティルには彼女の言葉がわからない。少し不安を覚えカズキに彼女のことを問うと、
「おお! その子が噂の銀髪碧眼の美少女宇宙人だね!?」
そう言うと身をかがめ女性はティルの方へ向き直って、
「はじめまして! 私は神田八智って言います。“かんだ・やち”ね。日本語わかる? わかんないかー たはは」
異言語――カズキたちの母語らしい言葉でまくし立てる女性。言葉がわからないティルは少し驚いてしまい、
「あ、あわあわ……カズキさぁん……」
とっさに助けを求めるようにカズキの後ろに隠れてしまった。
「わっと……神田先輩、ちょっとテンション抑え気味でお願いします」
「うわ裾掴んで和貴くんの後ろに隠れたよ天然で女子力高いなこの子! ……こういうのダメ?」
「すみません。この子、まだちょっと日本語わかんないんで……」
「うぬぬ……じゃあ言語マスター明里くん。人生の先輩に現地語の自己紹介方法をレクチャーしたまえ。三十秒で」
「イエス・マム……ごにょごにょ……」
カズキやアカリと何事かのやりとりが続けられるが、ティルには全く解っていない。
恐る恐る表情を見ながらそれらの会話を見守っていると、また唐突に濃緑の服の女性がティルに向き直り、
「『我が名はカンダ・ヤチなる武勇のもの。我が主がため、騎士たる我が身命を賭してその首頂戴つかまつる』」
突然、古風な言い回しで決闘の申し込みをされてしまった。しかも、すこぶる素敵な笑顔で。
「ぴっ!?」
……なななな、何ですかこの人ッ!?
驚きで変な悲鳴が漏れたが、そんなことにも気づかないぐらい動揺してしまうティル。
「なんか余計怯えちゃったんだけど……おいこら何笑ってるの明里」
「いえ、何も……ぶふっ」
そんなやりとりも解らずティルが怯えていると「ああ、あれ冗談だからね? 大丈夫だから」とカズキが優しく頭をなでてくれたので、ようやくティルは落ち着きを取り戻した。
そしてカズキは女性の方にも、
「先輩。明里が吹き込んだそれ、古典レベルの決闘の申し込み定型文です」
その言葉に女性はなにか気づいたような表情になり、アカリに向き直り、
「……あ~か~りん?」
「勉強しないやっちー先輩が悪いんですよもー 自分の無知の責任を他人に転嫁しないで頂けますかぁ」
「うっわ酷い返しが来たよ! 相ッ変わらずこの子性格悪いな!」
きゃいのきゃいのと騒ぎ始めた二人に、カズキは苦笑いを一つ浮かべると、
「……なんか、収拾つきそうにないから僕から紹介してしまいますね、ティルヴィシェーナ様」
そう言うと、カズキは手で改めてその女性を示す。アカリとじゃれあうように言い合いをしている彼女は、
「カンダ・ヤチさん。仕事は――帝国風で言うと“兵隊たちの指揮官”ってところですね」
「指揮官さん……騎士のようなものですか?」
「騎士のように自分で戦ったりはしませんが……概ねそういうものかと」
それから長身の大男を指さしてカズキは言う。
「隣に立つあれは、ヤチさんたちが指揮する“兵士”です。人間に代わって前線で戦う、歩兵を模した戦闘機械なんですよ」
これまでの騒ぎを一顧だにせず、無言でヤチの側に控えている濃緑の大男。
異様な雰囲気もたたえていたそれは、ルコと同じく機械でできた人造人間であるという紹介だった。
「機械……」
ルコの時もだったが、その“機械”と呼ばれる種別の多様さ多彩さにティルは驚いてしまう。
機械という概念自体はティルの世界にもある。ごく豊かな、一部の農耕や鉱山で用いられる、魔法に頼らない大型の絡繰仕掛けのことをそう言うのだと教わった。
だが、こと“あけぼし”においてはその枠を大幅に飛び越えて見える。
ひとりでに開くドアから、光で様々なものを映し出す機械、かと思えば、ルコのような世話や給仕の仕事や兵士そのもののような機械も存在するとは。
……まるで、“機械”という言葉でごまかされているような。
それはティルの知る言葉を使いながら、全く別の概念に昇華された“何か”であるように感じる。
魔力は一切感じないけれども、それは魔法すらはるかに飛び越えた奇跡の産物のよう。
「カズキさんたちの機械は、何でもできるんですね」
「できる範囲で、できることをさせているだけですよ。……人間のできない部分、人手の足りない部分で、機械ができることを」
「…………できる範囲で、機械のできることを――」
その言葉にティルはふと魔族との戦で腕を欠損した英雄と対面したことを思い出す。
『失くなった腕が痛むのだ』と訴える彼に大地の御遣いの祝福を与えながら、ティルはえも言われぬ痛みを胸に抱いたことを思い出す。
……機械が代わりに戦える世界なら、彼のような人が現れずに済むのでしょうか。
ティルは硬質なその兵士を見つめながら、すこしばかりそんな夢想に心を巡らせていると、
「時に、ティルヴィシェーナ様」
不意に呼びかけたのはミツバだ。
「は、はい。何でしょうか」
その声に、ティルは少しだけ声をうわずらせてしまう。
真剣な瞳に強めの声は、少しティルの苦手な相手だ。
「ティルヴィシェーナ様は先日、魔竜との対話に成功したとお聞きしました」
「は、はい」
「魔法では、異なる種族の、言語を超える対話が可能……なのですね」
その言葉から、ティルはミツバの真意を悟った。
「し、しかしあれは――急場で叶った奇跡のようなもので……」
「ええ。存じております。ですからすぐにはお願いせず、こちらで少し探しものをしていたのですが……」
そう言ってミツバは懐から何かを取り出した。
白い棒のようなもの。差し出されたそれがパッと光ると、
「この文献は……読めますか?」
光が長方形の像を結んだ。
ティルも何度か見た“像を映す機械”その小型のもののようだった。
そこに映しだされたのは、
「わ……これは、聖堂の……」
羊皮紙の地の上に記述された術式の使用方法だ。
「ご存知で?」
「いえ、でも似たような書物は多く紐解いたことがあります」
見間違えようもない。帝国の一部の人間が術を伝えるために用いる様式。ティルも巫女としてその記述を読み解くための教育を受けていた。
「情報部が研究資料として複製してきたものですが……解読の結果、おそらくこの辺りが翻訳魔法の記載であるはず……なんですが」
「間違いありません。そのように注釈があります」
読み、理解した。
表示された部分だけで基礎は揃っている。難しい術ではない。念話の応用のようなものだ。
明確に翻訳に用いると注釈があり、外交交渉に赴くものは必ずこの術を習得すべし、ともある。用法もかなりシンプルにまとめられている。
「どうでしょうか。もしこれが使えるのなら、ヤチと会話することも可能になるのでは、と」
それは魅力的な提案だった。
言葉の壁の高さ――それは、カズキたちが意図的に取り除いていてくれたのだと、ヤチと触れてみて改めて思い出した。
それを自分の努力で取り払えるのなら。
「やってみます。やらせてください」
期待と怖さが入り混じった思いで――けれどもティルは決然とミツバにそう告げた。
*
和貴は、息を飲んで二人の女性を見つめていた。
食堂の丸テーブルを前に相対するのは、ティルヴィシェーナと八智。
和貴の隣では明里と満葉が同様に固唾を呑んで二人を見つめていた。
食堂の他の利用者も、遠巻きに興味深そうに和貴たちを見ている。
――食堂の席に座る際、満葉が言い出した〝実験〟。それが今、目の前で行われているのだ。
ティルヴィシェーナは、真剣な目つきで満葉の携帯端末を見つめている。
彼女が見つめるホログラフィックモニタには、古びた書籍の画像データが映されていた。
帝国語の正字とはまた違う書式で、ミミズがのたうちまわったような記述。
古語をベースにした儀式用の言語なのだろう。それらを反芻するようにティルヴィシェーナはブツブツと読み上げていたが、やがて、
「……行きます!」
覚悟を決めたように顔を上げて、ティルヴィシェーナは儀式を開始した。
小さく机を叩き、床を靴で小さく二度叩く。
そして読み上げるのは、呪文のような言葉。
「我、異なる音を持つもの。届かぬ言葉を繰りしもの。されど、なお届かんことを欲し祈るもの――」
古語のようで、和貴には聞き取りづらい。
だが、ティルヴィシェーナは慣れたようにスラスラと詠み上げ、
「
締めの文節を読み終え、平手で軽く二回叩き、音を立てる。
すると、
……光。
魔竜をなだめた時と同様の光。
反射でも、人工照明でもない蒼翠の光がわずかにティルの身体から発せられたように見え、そしてすぐに消える。
そしてティルヴィシェーナは、和貴たちの方を向き、こくりと小さく頷いた。
準備ができた、という合図だ。
それに、満葉がうなずきを返し、
「よし。八智、準備が出来たそうだ。何か喋ってみてくれないか」
満葉が促すと、八智は途端に緊張したような面持ちでティルヴィシェーナに向き合い、
「ん……あ、あー、あー……」
何故か声の出方を確かめるように喉に手を当て、
「ワレワレハ、ウチュウジ……」
しぱーん!!
瞬間、満葉のハリセン(携帯型)が八智の後頭部にクリーンヒット。まるで予期していたかのような早業だった。
「真面目にやってくれ」
「だ、だって! 宇宙人とのファーストコンタクトなんて、緊張しちゃって……!」
「緊張したからってネタに走るな。ほらもう一度――」
「…………解ります」
「ほへ?」
「ヤチさんの、ミツバさんの言葉……解ります!」
喜色に満ちたティルの声は、確かに帝国語で発された言葉。
だが、聞こえてくる“音”とは別に、和貴の思考には正確に意味が上乗せされて、直接届いてきた。
……これは――?
戸惑い、八智を見ると、
「え……ホント!?ティルヴィシェーナ様も聞こえてるの?」
ティルと同様に喜び身を乗り出していた。
「はい!言葉と一緒に意味が流れ込んできて……」
それは確かに和貴の感覚に近い表現。ということは、
……これが翻訳魔法の効果、ってことか。
「うん、そうだ。アタシもそう……やった、成功したよ、満葉!」
「ひとまず成功か。……確認するが、私は今日本語で話している。わかるか?」
「はい。問題なく理解できます」
「……驚いたな。しかし八智。魔法を使っていないお前にも、意味が流れ込んでくるような感覚があるのか?」
「おや? 満葉は違うの?」
「残念ながら、私には普通に帝国語の発音が聞こえるだけだ」
そう言って満葉は首を振り、
「言葉を理解できる人間には無効なのか?」
「違うと思います」
自問する満葉の声を否定するように和貴は声を上げる。
「僕も帝国語はある程度理解できますが……明確に同時通訳を聞くようにダブって流れ込んでくる感覚があります。……明里はどう?」
「私もそうかも。鼓膜じゃないけど頭の中に直接響くような……ハッキリしないんだけど、言葉の大雑把な意味が頭に流れ込んできてる気がする」
明里の回答も和貴や八智とは少し違うもののようだ。
「双方向性には、個人差があるのか……」
そう言って考え込んでしまう満葉。
魔法のことは和貴たちにはまだまだわからないことが多すぎる。
科学的な観測では全くその仕組みがわからない、属人的な技術だ。
帝国の中でも一部の貴族階級の人間が独占しており、一般市民が使用することはできていない。
先日の魔竜の呼びかけも、環境科学研究所が行った全艦調査によれば、聞こえ方におおきな差があったという。
和貴はぼんやりと意味を把握できる程度には聞こえたが、明里はなんらかの声が聞こえるとしか認識しなかった。聞こえなかった者も多いという。
「ちなみにルコはどうなんですか?」
ティルヴィシェーナは側に控えていたルコに聞く。
「残念ですが、私のセンサーではそのような情報は捉えられていません」
「そうなんですか……でも、ルコはお話できますから、まだ良かったです」
アンドロイドでは魔法を使用できない。これは事前調査で明らかになっていたことだ。
降下し、魔法技術の調査にあたった人間型アンドロイドのいずれもが、結局魔法の習得に至らなかった。
全く同じように儀式をなぞっても、“魔法を使えるようになる儀式”とやらを経ても使用できなかったのである。
だからここまでは予想できたこと。だが、和貴は一つ思いつきを二人に問うてみた。
「じゃあ、ルコが日本語を話してみたらどう?」
「はい。――いかがでしょうか。私はいま日本語で話しています。理解できますか?」
その言葉に、しかしティルヴィシェーナは戸惑いの表情を浮かべ、
「え……あれ? 解らない……わからないです……」
少し泣きそうにそう言った。
「やっぱりそうか……いや、すみませんティルヴィシェーナ様。怖い思いをさせてしまって」
「いえ……あの、ルコ? ……わたしの言葉はわかりますか?」
「問題ありません。今までどおり日常会話は可能です。ご心配なく」
「よかったぁ……」
「ともあれ今回の例も、機械では魔法は扱えない、という結果の延長だね。あとで科研に一報をあげとこう」
「お兄は律儀だね……」
「少しばかり好奇心旺盛なんだ。魔法のことは気になるしね」
……そう。おそらく、僕にはある程度の魔法の適性がある。
今回のことで和貴は確信した。
魔竜とティルヴィシェーナの会話を聞くことができ、今回も翻訳魔法が効果をあらわした。それは魔法の適性を匂わせるものだ。
最終的にどのようなレベルのものかはまだ解らないが、先行して情報を集めておくことは自身のために必要だと直感していた。
……そして、魔法の習得は今後の活動の中でアドバンテージになりうる。
そんな打算を内に隠し、和貴は変わらない笑顔を浮かべる。
「僕らにとって、魔法はまだまだ謎だらけですから」
和貴のその言葉に小さく頷くのは満葉だ。
「全くだ。謎はまだまだ山積で頭が痛いよ……」
すっかり参ったような声の満葉。それを励ますように八智は言う。
「でも、ティルヴィシェーナ様が日本語をほぼ聞き取れるようになっただけでも大きな進歩だね」
「……確かにそうだな。彼女の船での行動も多少楽になるはず」
「うむうむ。何よりわたしとは完璧にやりとりできるようになったし……これで晴れて友達になれるね! よろしくルヴィっち!」
そう言って手を差し出す八智に、ティルヴィシェーナはしばらくぽかん、としてから、
「? ……“ルヴィっち”って私のことですかっ!?」
前衛的過ぎる呼び名に、
……っち、って向こうの音感的にどうなんだろうな。
などと和貴はひとり思うが、八智はマイペースにどんどんまくし立てる。
「そそ。英語とかだと、こうやって中を抜く愛称なのかなって。ティルヴィシェーナって私達の言葉だと舌噛みそうでさー。どうかな? あ、“ルヴィちゃん”でもいいよ!」
「や、あの……」
強引に勧める八智に、ティルヴィシェーナはどう返していいのか解らずに戸惑っていると、横から明里が茶々を入れた。
「あー、やっちー先輩ずるい! 愛称の呼び合いは私でもまだなのに!」
「ははは恐れ入ったか後輩ちゃんめ。これが先輩の威厳というものだよ」
「威厳って、無神経なだけでしょー!」
「げふぁ!? き、君はまた痛いところをついてくるじゃないか……」
そんな調子でまた明里と八智は二人できゃいきゃい始めるのを見て、和貴はティルヴィシェーナに向き直る。
「あんな事言ってますが、ティルヴィシェーナ様は愛称などお使いになりますか? もし嫌でしたら――」
「いえ、嫌ではないです…………むしろ、あの、そうできれば、って……」
少しうつむき加減に言うティルヴィシェーナ。
照れているのだろうか。その可愛らしい仕草に少し心がぐらつく感覚を覚えた和貴は慌てて笑顔を取り繕い、事務的に続ける。
「そうですか。では、希望などはありますか? それとも僕らで考えてしまいましょうか」
その言葉にティルは少し考えこむような仕草を見せる。
しかしすぐに結論は出たのか、
「ティル……と。親しいものは、そう呼びます」
彼女が伝えたのは、シンプルな頭の三音。
「解りました。……僕もそう呼んでも?」
「は、はい! どうぞ」
「では……」
こほん、と和貴は小さく咳払い。
ティルの上目遣いに何故か妙な緊張を覚えながら、
「ティル様。――改めてよろしくお願いします」
「はい……っ」
和貴が呼び、ティルが笑顔で答えた。
……うん。これでまた一歩前進。
彼女との交流を深めるのは外交官としての役目。だが、そんな打算を吹き飛ばすように彼女の笑顔に心地よさも感じていて。
そんな温もりに満たされていると、水を指すように後ろから肩を叩かれた。
「よくやったぞかずきっちゃん。これで星間交流は歴史的に大きな一歩を踏み出した」
「……いや、愛称で呼んだだけじゃないですか」
「無言で見つめ合いながらお花畑をまき散らしておいてよく言う」
「いやいやいや!」
そんな長時間じゃなかっただろう、と思ってティルを見返すと、
「はうぅ……」
翻訳で日本語での会話も解るようになっかたからか、ティルは顔を抑えて背を向けてしまった。
「ちょっ!?」
「仲良きことは美しきかな、だな。……さて、伏原妹。騒いでるうちに兄にあだな呼び二番乗りを取られたぞ」
「……にゃッ!? くっ、お兄のくせに生意気な!」
「ちょっと待て明里どういう論理だそれは」
「ここはさらに捻ってシェーナ姫とか!」
「八智先輩は大人しく本人の話を聞いてあげてください。頼むんで」
「やっちには難問だな。まあ気長に言い聞かせればいいさ」
わいわいと賑やかになる場に、和貴は少しのため息。ふとティルを見ると目が合い、
「…………」
小さな笑みと会釈。
……うん。一歩前進だ。
手を振り返し、小さくても確実な一歩に小さな高揚感を覚えながら思う。
周囲の喧騒にも、さて、とその場を仕切るように満葉が言葉を放つ。
皆を見回し、一旦落ち着いたところで、
「そろそろいい時間だし、ともあれ食事にしよう。食堂で食事なしのまま騒いでいるのも悪いしな」
その一言に、一行は苦笑い。そして軽い昼食を取ることとなった。
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