第8話 君とこれから

『私達は同じ人間です』

 ――それから後の話がどんなものだったのか、ティルは覚えていなかった。

 心の寄る辺としていた“天の御遣い”という幻想。それを失いショックを受けたことは覚えてるが、

 ……私は、これからどうしたら。

 ティルが生きるための指針としてきたものは、根本からひっくり返された。 

 ここにいるのは天の御遣いではなく、遠い空の向こうから来たの旅人たちの船。ティルや、帝国の人々は預言をもとに盛大な勘違いをし――

 ……そもそも、天の御遣いは存在するのだろうか。

 カズキの話を信じれば、空に天球はないのだ。

 そうなれば天球の裏に隠れたという神もおらず、またその寝所を守護し大地を見守る天の御遣いもまた――

 ……そんなことは!

 想像がティル存在意義を打ち崩しかねない場所まで踏み込んだ瞬間、とっさに首を振って思考を止める。

 天の御遣いも創世の神もどこかには居る。それが天球の裏でなかっただけのこと――そう強引に結論付け、ベッドに倒れ込む。

 ……だとしても、今ここにいる彼らは違う。

 本当に天の御遣いだとしても、そんな嘘をついたってしかたのないこと。

 ならば、彼らは本当にただの旅人――

 一向に思考がまとまらず、悶々と考えこんでいると、

「お食事をお持ちしました。ティルヴィシェーナ様」

 ルコがトレイをもって部屋に入ってきた。

 そこには朝と変わらない銀の包がある。

「ありがとう……ございます」

 ティルはベッドから起き上がるとそれを受け取り、朝食の時を思い出して飲み口に手を添える。ルコがやったようにひねれば、軽い力でそれは開いた。

 口をつけ、朝と同じように飲み込んだそれは、慣れない食感で喉の奥へ滑りこんでいく。

 好きな味だが、満腹感は得られない。食事ではなく作業みたいだ、と落ち込んだままの気分でティルはそう思ってしまう。

 それを察したのか、ルコは気遣わしげな表情を浮かべる。

「暗い顔をされています……体調がすぐれないのですか? それとも気分がすぐれないのですか?」 

「いえ……その」

 気遣わしげなルコの声に、相談したいという思いがわき上がってくるが、上手い言葉が見つからず、

「体調が悪いわけでは……」

 うつむき、ティルはそう答えるしかなかった。曖昧な答えに、しかしルコは笑顔を浮かべてティルの横へそっと腰を下ろす。

「ということは、お悩みがあるのですね。それは私が聞いてはいけないものでしょうか」

 ゆっくりと、心を解きほぐすように続くルコの言葉に、

「できれば、聞いて欲しい……です」

 ティルの口からは本音が漏れていた。

「では、お聞かせ頂けますか。話すだけでも楽になるとはよく言われることです」

「……はい」

 そうして、ティルはぽつりぽつりと断片的ながら言葉を発していく。

 ティルの存在は、生まれながら天の御遣いに捧げるためにあったこと。

 ティル自身も苦しむ人々のために、その身を捧げたいと思ったこと。

 そうして捧げられた先は、実は天の御遣いではなかったこと――

「私は、これからどうしたらいいのでしょうか……」

 無意識にそんな問いを発すると、今まで相槌を打つのみで黙って聞いていたルコは一つの問い返しを発した。

「では、ティルヴィシェーナ様の望みは何ですか?」

「私の望み……?」

「はい。大変申し訳ありませんが、私は心の問題には鈍いのです」

 苦笑いのような表情とともにそんな前置きをしてから、ルコは言う。

「今のお話だと、ティル様が人々を救いたいのか、天の御遣い様に捧げられたいのか、上手く判別ができませんでした」

 ……え……あれ……?

 ルコの言葉を聞いた直後、ティルは少しの戸惑いを覚え、

「…………そう、だ」

 理解した瞬間、ティルは自身の心のよどみを見つけられた気がした。

 その問いに対して浮かぶべき言葉。本来あるべき言葉は、

「……人々を救う、こと――」

 本質は――究極的な目的は、それのはずだった。

 それをずっと求め、そのためにこそ儀式に臨んだはず。

「でも、違った――」

 天の御遣いに捧げられることをこそ、存在意義であり――ティル自身の願いであると。

 あくまで人々を救うための手段であったはずのその行為は、いつの間にかティルの心のなかで絶対化していた。

「私は……人々を救うよりも、天の御遣いに捧げられることを、求めていたんです」

 本当に、純粋に人々を救うのが目的ならば、彼らが“天の御遣い”であるかどうかなどどうでもいいはず。

 重要なのは、帝国に住む人々が幸せに暮らすこと。

 ティルが為すべきはそのためにできること、すべて。

 ……なら、いままでと変わらない。

 失望することなんて何一つない。例え天の御遣いが来られなくとも、超常の力で世界を変えられずとも、ここにいる彼らは、それに比類する力を持っている。

 魔竜を倒し、退けるだけの力。

 ……だったら、ここでもできることは、ある。

 絡まっていた思考が少しだけほぐれた感じがしてティルは少し息を吐く。

 俯いていた顔を上げて、ルコを見る。目を合わせて、

「……ありがとうございます、ルコさん」

「はい」

「私、どうしたらいいか、少し見えた気がします」

「いいえ。お役に立てたようで何よりです」

 ティルの言葉に、ルコは変わらぬ笑みでそう答えた。

 


「……はあああ……」

 その日の夜、あけぼしの居住区。

 自室の机に向かい合いながら伏原和貴は大きなため息をついていた。

「銀髪ちゃん、落ち込んでるよなあ……」

「お兄が余計なこと言うからでしょー」

 和貴のひとりごとに答えるのはベッドに寝っ転がる明里。業務が終わると明里は決まってこうして何をするでもなく遊びに来ている。

 ちなみに、もう一人の主であるルームメイトはどこに行っているのか、基本的に寝に帰ってくるだけで今も不在である。

「神様のふりを続けてればあんなにへこますこともなかったんじゃない」

 明里はそう言って気の抜けた声で言う。ちなみにジーンズにパーカーというラフな私服姿。和貴はそんな妹の姿に目もくれずに机の個人端末に向き合って書類を作成しながら答える。

「『神様だと勘違いさせない』ってのは外交部の正式決定だから、逆らう訳にはいかないよ……それに、間違った決定でもないはずだ」

「そうなの? 神様って言ったら何でも言うこと聞いてくれそうだったじゃん」

「神様だって楽じゃない。向こうだって無茶なお願いはどんどん飛ばしてくるだろうし、叶えれば叶えるほどヒートアップするってのも考えられる。そして期待に反すれば無責任な非難と失望を容赦なくぶつけてくるに違いないよ」

「そこはほら、軍事力でドカンと抑えちゃえば」

「……そういう意見もなくはなかったらしいけどね。神様として君臨し、資源から何から頂くだけ頂いて、反発が出れば軍事力で抑え、無理そうになったら適度なタイミングでポイ、と」

 現時点での技術力、軍事力で言えば――たとえ魔法を加味したとしても――和貴たち、地球側が圧倒している。

 事前調査ではそのように結論付けられており、それは魔竜戦で曲がりなりにも実証された。

「でも、恒久的にこの惑星に移住するためには先住民との融和は必須だ」

 あくまで、和貴たち――地球人は遠路はるばる何十光年も彼方の惑星まで遊びに来たわけではない。

 鉱物資源、有機資源……そして、移住可能な土地。

 それらを探し求めるべく、こうして大規模な人員と装備を整えてやってきたのだ。

 もちろんそれには果てしない額の金がかかっており――

「ここでの失敗は許されない。ここまで理想的な地球型惑星は、他の調査船団も見つけられていないはずだし――」

 アルクビエレ・ドライブ――空間跳躍による超光速航行でおよそ50年。

 広大すぎる宇宙にあって、地球の近傍ギリギリのこの場所に存在する、地球そのものと言って差し支えない奇跡の惑星。

 ここは、どうあっても手に入れなければならない。

「――下手なリスクは抱え込まないほうが正解だろう……というのが、上の決定さ」

 もちろん、議論はまっぷたつに割れて喧々囂々の非建設的なやりとりの末の僅差採決というグダグダっぷりではあったようだが。

 決定は決定。和貴たち下っ端ははそれに従うのが仕事だ。

「それにしてはお兄、魔竜との戦いの時はかなり神様っぽくエラソーなこと言っちゃってたよね」

「……あの時は、その場を乗り切る方便ってやつで」

「『君は僕のものだ』!」

「いやそこはただの言い間違いでっていうかさっさと忘れてお願いだから」

 ちなみに、帝国語では、リィ“ラ”ムが「私の」、リィ“ウ”ムが「私達の」となる。

 和貴が説得の文章を組み立てる時、頭のなかに一瞬よぎった“僕ら”という日本語に引っ張られたせいで“リィラム”とやってしまっただけなのだが……一文字違いで大きく意味が変わってしまったというわけである。

「残念ながら明里ちゃんの中では“お兄ちゃん名言ベストスリー”に堂々ランクインしてるのでたぶん無理です」

「そんなランキングが明里の中で存在したことが驚きだよ!」

「ちなみに不動のトップは“お嫁さんにしてあげるから泣き止んで”」

「ブッ!?」

 どえらい古い記憶を掘り起こされて和貴は思わずむせる。たしかそれは――

「思い出の一言ですよ。ちなみに明里ちゃん当時四歳でしたが妙にそれだけは覚えててね?」

「あの時は明里の中で“おにいちゃんとけっこん”がマイブームだったから合わせてやっただけだって……」

「そうそう。……ちなみにこれ、掘り起こすと自分も超むず痒い諸刃の刃でさ……」

 引きつった笑顔で目をそらす明里。

 そんな空気を振り払おうと、一息置いてから明里は和貴に問いかける。

「で? ……実際のところ、お兄の本音はどうなの?」

「本音……って?」

「なんかバタバタしてきちゃってさ。なんだか反射的というか、流れであの子のことを助けるように動いちゃった感じだけど」

「うん、まあ……」

 その点に関しては、和貴も否定できるところではない。

 半ば緊急避難的に救助し、ひとまず彼女が命をつなげるように手助けはしたが――

「お兄は、あの子のこと、これからどうしたいと思ってる?」

「……そうだね」

 真っ直ぐに切り込むような簡潔な妹の言葉に、和貴は少し言葉を詰まらせる。

 自分はどう考えているのか、何を感じているのか。

 ……僕はどうしたい、か。

 和貴は心のなかで自問しながら少しだけ自分に思いを馳せる。


 ――大地へのあこがれ。

 伏原和貴は、鉄の箱庭ゆりかごの中で生まれて以来、それを手放したことは一度もなかった。

 ゆりかご護衛艦の艦長の父と言語学者の母の間に生まれた和貴は、平均的な住居スペースを持つ家庭で、特に目立った不自由はせずに育った。

 だが、不自由しなかったというのは、あくまで周囲の平均としてはという前置きをつけた上でのことだ。恒星間航宙艦クレイドル級3番艦“ゆりかご”は、地球上で暮らすよりも多くの制約を乗員に課していた。

 大地と呼ぶにはちっぽけすぎるまがい物の足元。映像投影システムでごまかしているものの、天井のある偽物の空。デブリとの接触に怯え、穴が開けば即座に死の世界へ放り出される脆弱な箱庭。

 循環環境システムから限られた食料を配給され、ただ一人の人間も無駄にしないように役割を果たすことを求める世界。

 そこで生まれ育った和貴が、紆余曲折がありながらも最終的に選んだ道は外交官。

 一番適正である“ゆりかご”行政市管理事務ではなく、三番適正である外交官を選んだのは、ただひたすらに夢があったからだ。

 すなわち、「降下隊として、大地へ降りたい」という夢。

 和貴が生まれ育った恒星間航宙艦“ゆりかご”は、和貴が産声をあげたその時には既にその惑星の衛星軌道上に停泊していた。なので、和貴の瞳の中には、常に蒼く光を湛えたその惑星の姿があった。

 そして時折、先行して降下したアンドロイド部隊が撮影した映像が一般に公開されると、ゆりかご乗員の誰もがそうしたように、和貴もその映像に釘付けになり――そして夢に描いた。

 単純にして明快な、「そこへ行きたい」という夢だ。

 広い広い大地で、デブリに怯えずただ存分に空気を吸って、そして腹いっぱいの食べ物を食べたい。

 そんなささやかで当たり前な――しかし“ゆりかご”の中で暮らす限り、容易に手の届かない夢。

 その夢のために選んだ外交官の道は容易いものではなかったが、幸いながら環境が味方してくれた。

 帝国語については幼少から母の影響で触れることが多かったためか、天賦の才を見せた妹には及ばないものの、和貴はさして苦せずに他の外交官よりも一歩も二歩も抜きん出た言語能力を得る事に成功した。

 同時に執念のような意欲もあって他の必要な知識を学びとり、付け焼き刃ながらどうにかこうにかエリートの末席として第一次有人降下隊に選ばれることとなった。

 そうして念願の降下を果たした先で、和貴は彼女に出会った。

 銀髪碧眼。豪奢にして優美な装束と、槍を錫杖に改造したような奇妙な祭具を手にした少女。

 妹の明里と同い年か、それよりも少し下ぐらいの小柄で華奢な姿。健気にして実直で、使命のためには自身の命すら投げ出す――どこか死に場所を求めていたような女の子。

 そんな“異星人”に対して、和貴はおそらく職務以上の関心を覚えていた。

 それは、夢の一つだった異星人との接触という行為による感動なのか、未だ踏めない大地への憧れが転化したものなのか、少女が感じさせる危うさによるものなのかは解らない。

 けれども、

「大事に、したいと思うな」

 思ううちに、和貴の口からは本心が口からこぼれていた。

「へぇ……」

 それを聞いて明里が妙な感嘆の声を上げる。驚きか冷やかしか判然としないニュアンスに、

「……あの子もだけど、この星の全てだよ。あの竜だってそうさ」 

 あわてて和貴は少しだけ範囲を水増しして誤魔す。

「あの子とも、この星の人――知的生命体達とも健全な友好関係を結べればいいと思う。もちろん、できることは限られているけど……」

 一般論にこじつけたものの、おそらく気づいているだろう明里は興味なさげに「ふーん」と返すのみ。

 なにか茶化されるかと和貴は身構えたが、思いの外明里はそれで興味を失ったように仰向けにベッドに寝っ転がって動かなくなった。

 釈然としない感情を抱くも、下手に掘り返されても面倒くさいので、和貴はこれ幸いと作成していた自分の書類へと向き直った。

そこには、“艦内見学の提案”という見出しがあった。



 翌日。和貴たち外交部の面々は打ち合わせを済ませると、ティルヴィシェーナの滞在する部屋へ向かっていた。

 そんな道すがら、

「あ゛ー……」

「お兄、何そのゾンビみたいな声」

「……会うの憂鬱だなぁって思ってさ」

 和貴はぐったりと俯きながらもう一度ため息をついた。

 今日も落ち込んでいるだろうか、と和貴は昨日の彼女の表情を思い出す。

 昨日、明里に茶化された以上に、自分を信じてくれたティルヴィシェーナを他ならぬ自分の言葉で落ち込ませてしまったことを、和貴は相当気にしていた。

 嘘を言わなかったのも優しさ、と自分に言い聞かせても、なんとも言えない罪悪感がずっしりの胸に落ち込んで退かない。

「上の決定だからしょーがないって昨日言ってたじゃん」

「それとこれとは別問題だって……」

 これで今日、顔を合わせた途端に悲しげな目を向けられれば本気で立ち直れないかもしれない、と思いながらとぼとぼと歩く。

 すると、唐突に前を歩いていた女性が足を止め、

「なんだ? かずきっちゃん、女の子泣かせたことまだ落ち込んでるのか?」

 振り返って声をかけてきた。

 セミロングの髪を後ろでまとめた、活発げな女性。和貴たちと同じ黒系の制服に身を包み、長身でスタイルのいい彼女は、勝ち気な性格をそのまま写しだしたような笑みで和貴に顔を向けた。

「いや泣かせてはないですし、ほっといてください満葉さん」

「だがな、そんな露骨に『ぼく辛いです』オーラ出されると、あたしとしては放っとけないんだが」

 彼女が首から下げる職員証には三條満葉さんじょうみつばの名がある。和貴の直属の上司でもあり、妹の明里ともども子供の頃からの幼なじみ……いわゆる近所のお姉さんのような存在。

「心配することはない。“ルコ”の対話によるメンタル処置で銀髪ちゃんの精神状態は安定しているということだ」

「……でも対話内容は不開示なんでしょう?」

「システムの設定ミスでな。巫女ちゃんの受け入れの時は相当バタバタしていたから、例外申請を忘れていた。そこは素直に謝罪しよう」

 けれど、と満葉は続ける。

「心配せずともルコは医療AIサーバー“テレサ”麾下の最上位アンドロイドだ。適切な対処をしたはずさ」

「いや、わかっちゃいるんですが……」

「そうウジウジ悩んでもいい結果など出ないぞ」

 ほら、と満葉に思い切り背を叩かれる。

 鈍い痛みを覚えつつ、和貴が気がつけばそこはもう、無菌室クリーンルーム――ティルヴィシェーナが滞在する部屋のすぐそばだ。

「私は陰で見守りつつ、キミがヘマをやったらフォローする。キミはキミらしく、キミができる最善のお人好しをやってくるといい」

「――了解です」

 決意と覚悟――背を叩かれることで、気合とともに改めてそれを叩きこまれた感覚。

 それを得て、和貴は一歩、ティルヴィシェーナと向き合うために歩を踏み出した。


 *


 和貴が対面した銀髪の少女は、和貴が思っていた以上に平静を取り戻していた。

 通り一遍の社交辞令を交わすなかで確認すれば、ティルヴィシェーナは昨日の話を一応曲がりなりにも受け止め、信じたようだった。

 そのことに、和貴は、恐れていた事態を回避できた安心感と、事前の決意が完全に空振りしたような拍子抜け感を覚える。だが同時に、ルコの処置のおかげなのだろう、と思うと少しばかり胸中にもやもやしたものも浮かんだ。それが何故なのかの見当はつかないが、ひとまず問題があるわけではないのだから、と和貴はその疑問について深く考えることをやめた。

 とりとめのない話を交わしながら、本題を切り出そうとしていると、

《カズキ様》

「はい、何でしょうか」

《よろしければ、私のお話を聞いて頂けないでしょうか》

 不意に、和貴に先んじて、ティルヴィシェーナがそう口にした。

 唐突な申し出に、けれども以前から意思を決めていたとわかる真っ直ぐな目と言葉。

「……ええ。構いません」

 和貴は少しの戸惑いを覚えたが、すぐにその申し出を了承し、背筋を正して向き合う。

《ありがとうございます。では、少しばかり手前勝手なお話になりますけれども――》

 そしてティルヴィシェーナは静かに、しかしはっきりとした意志を込めた声で語り始めた。

《――まずは改めて、先日の魔竜撃退の件について、全帝国臣民に代わりましてお礼申し上げたいと存じます。皆様のお力添えがなければ、とてもこのような偉業は成し得なかったと深く感謝の念に絶えません》

「もったいないお言葉です」

《そして、大変失礼なことと重々承知してはおりますが、今一度確認をさせていただきたく存じます》

「はい。何でしょうか」

《皆様方は、天の御遣い様ではあらせられないない……のですね》

「はい」

 少しの躊躇いを覚えたが、しかしはっきり断言する。

「お伝えしたとおり……あなた方の伝承に伝わる“天の御遣い”とは全く関係のない、他の星からの旅人です」

 明確に伝わるよう、言葉を選んで……しかし、語気は強くならぬように。

 その言葉にティルヴィシェーナは少し寂しげな顔をして……しかし決然とした表情で、

《ならば、同じ人間として改めて、“チキュウ”の皆様方へお願い致します》

 一息、

《どうか私達の帝国を、お助け頂けませんか》


 *


 ティルは考えた。国を挙げた勘違いの末に送られた場所で、行き場を失った自分はどうするべきかと。

 そして、ルコとの会話を経て、改めて自分自身と向き直り、答えを出した。

 自分は、帝国を救うために、生まれ育ったのだと。

 天の御遣いが来られないのであれば、それまではじっと待てばいい。今回は間違いだっただけのこと。いつか来られるのであれば、それでいい。

 待つまでの間に何を為すのかは、今までと変わらない。

 ……帝国のため、人民のため、私のできることを。

 だから、ティルはまっすぐにカズキを見つめながら言葉を綴る。

「どうか、今後も我が帝国と友好関係を結び、同じ人間として――共に魔なるものを打ち払う剣となっては頂けないでしょうか」

 自身が言うべき言葉。

 帝国を救う力となり得る、彼らへの言葉だ。

「魔竜は退けられました。ですがこの大地にはそれにとどまらず、人間が生きるには過酷な危険が数多く存在します」

 すなわち、

「多くの魔の存在によって――人間は絶えず生存の危機にあります」

 岬で魔物の群れに襲われたことを思い出すまでもなく、この世界は人間が生きるには多くの脅威が存在し続けている。

 帝国に伝わる創世神話ですらも人間の非力さを語るほど、ティル達はそれらに対して絶えず恐れ、戦い続けてきた。

 それは、歴史を紐解いても明白に解る。なぜなら、帝国の歴史は魔の存在との戦いの歴史だからだ。

 ゆえにティルは語る。帝国の歴史を。

「いま、私達が暮らすアルフ・ルドラッド帝国が建国される以前――先史時代は暗黒の中にありました。大いに栄えた旧文明の大神国が崩壊して以後、人間国家は乱立し、魔の存在に食い荒らされながらも同胞感での争いを止めず、ゆるやかな滅びへと向かっていました」

 浅ましい人間の歴史。共通の敵に力を合わせることもなく、内輪の争いで力を浪費していた暗黒の時代。

「そんな中で、当時小国の王であった後の初代皇帝ルドラッド公は、強力な魔術とカリスマをもって、争いあう人類国家を統合し、国力を高め、魔族に対抗する力を得ました」

 帝国の歴史は、魔なるものへ対抗するために、初代皇帝が人類をまとめあげたという歴史である。

 だが、それは歴史にとどまらず今も続く現実だ。

「けれど、非力な人類では強大な魔の者どもを滅ぼすことはとても叶わず――今に至っても、国境線を守りぬくのが精一杯だと聞きます」

 学び、伝え聞いた物語を語りながら、改めてティルは人間の非力さを思う。

 魔竜に蹂躙された海路、それを追い払うこともかなわない帝国の兵たち。そして、一歩間違えば魔物の群れの餌だった自分自身のこと。

「私には力がありません。敵を倒す力も、人々を守る力も」

 それは、ずっとティルが抱いていた苦悩。

 ずば抜けた力を持っていながら――それでも帝国を、臣民を救うには程遠い毎日。

 帝国を救うことを義務付けられながら、それに対して全くの無力に等しい自分。

 それはおそらく、ティルだけではなく、人間自身がそうなのだ。

 でも、とティルは思う。

「ですが、皆様方ならできます。神々に等しい力を持つ皆様方なら――」

 魔竜を打ちのめし――その上和解することを成し得た奇跡に、ティルは希望を見出していた。

 カズキたちの力があれば、帝国の安寧も、さらには長きに亘る戦いに決着がつくかもしれない。

 彼らの力は、きっと世界すらも変えられる力だ。

「ですから改めてお願いしたいと思います。……今後とも、その力をもって我々、アルフ・ルドラッド帝国を救っては頂けませんか?」

 それが、ティルが考え出した結論。

「旅人であるならば、帝国の領内で住むべき場所……領土も用意しましょう。魔竜を倒した功績ならば、きっと皇帝陛下より十分な土地が下賜かしされることでしょう。貴族としての身分も約束されるはずですし、その他に褒美は望むままに違いありません。ですから……」

 必死に説得の言葉を並べる中で、ふと、ティルはカズキの表情に気がついた。

 いつもどおりの穏やかな笑顔。だけれども、それが全く揺るいでいない。

 否定も肯定もしない――静かすぎるその態度にティルはどこか嫌な予感を覚え、

「ですから……あ、の……その……」

 ティルの声は次第に力を失い、しどろもどろになる。

《ひとつだけ、よろしいですか》 

 それまでじっと聞いていたカズキが、静かに言う。

 ティルの肩が、無意識に小さく震えた。



 ……ああ。本当にこの子は。

 駆け引きも何もない、真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐな“お願い”に、和貴は今すぐにでも首を縦に振ってやりたい気持ちになった。

 だが、そうすれば自分たち――あけぼしを、帝国の便利屋にすることに繋がりかねない。

 今ここにいる少女にそのつもりがなくても、帝国を牛耳る老人どもはそうはいくまい。

 そして、

 ……それ以上に、魔族との戦端は、開くわけにはいかない。


 “魔の者エシャーラ”――和貴たちの間では“魔族”と呼称されるその存在には、謎が多い。

 解っているのは、大陸中央から東部――面積にしておよそ六割もの範囲――にかけて生息しているということ。それらは、有翼の亜人を頂点に、様々な異形の二足歩行の生物などがピラミッド型の社会を築いているということ、それらの亜人は大なり小なり魔法のような技術を日常的に使うことができるということ。

 ――そして“人間を最も好んで喰う”ということ。

 それ以上のことは、未だに謎に包まれている。

 先んじて降下したアンドロイド部隊は、調査のため魔族の土地に足を踏み入れればことごとく狙われ、交戦することとなった。魔族の見た目に偽装していても、独特の判別方法があるのか見破られ、破壊の憂き目を見た。

 音声を使わずに意思の疎通が可能なようで、一部の書き文字の解析は行われているものの材料が少なく、言語解析はほとんど進んでいないのが現状で、現時点の交渉は不可能とされている。

 このように現時点では全く意思疎通の可能性すらない――あるいは出会った瞬間に捕食対象となりうる――ため、先遣艦隊には魔族との安易な接触は厳禁とされていた。

 その“接触”には、交渉はもちろん、自発的な戦闘も含まれている。一度敵と認識されてしまえば、和解する方法は皆無に等しいからだ。

 人間に近い共感能力と知能を持っていれば、戦闘が続くにつれて遺恨が生まれ、共存の可能性がどんどん遠のくだろう。ついに不可能となれば、最終的に魔族を皆殺しにしなくてはなくなる。

 あくまで魔竜のケースは、そのような社会的、組織的復讐の可能性の低い“動物”と評価されていため撃退行動を取ることができたにすぎないのだ。


 ……苦しい、な。

 魔族を敵と決め、彼女たちを守るために戦うと宣言できればどれだけ楽だろう、と和貴は思う。

 人間のため、それを喰らう悪を滅ぼすという大義の下の戦いは、事実今後食われるかもしれない多くの人々の命を救うだろうし、外敵がいなくなれば、この星の人類は大いに発展するだろう。

 ……だが、それまでの間にどれだけの血を流さなくてはならない?

 問題は、“どこまで行けば、戦いが終わるのか”だ。

 戦闘員を壊滅させれば、魔族は引くのか? 捕食者たる彼らに停戦という概念があるのか?

 ――そもそも、捕食者である彼らに、人間を食わずに生きる方法があるのか?

 もしもなければ、進む先は虐殺だ。

 戦って殺すか、飢えさせて滅ぼすかの違いはあれど、結果としてそうなる他に道はない。

 魔族が人間を食わずに生きられないのであれば、いずれ人間は魔族を殺し尽くすだろう。

 ……それが、僕ら、あけぼしが戦いを決意するということだ。

 だから和貴は、慎重に言葉を選んで口にする。

「私達は、この大地の住人ではありません」

《は……はい》

「だから、魔の者と敵対する理由がありません」

《……っ! それは――》

 ティルヴィシェーナの表情に徐々に失望の色が生まれていくのがわかる。

 だが、和貴にはやはり、容易に了承はできなかった。彼女が決意を持って投げたボールは、曲がりなりにも一国を代表した言葉だ。ならば、和貴もあけぼしを――ひいては地球を代表した言葉で返さなくてはならない。

「帝国が今直面している危機については、私達としても深く懸念を抱くところです。……けれども、私達が戦線に参加すれば、おそらく今よりももっと酷いことになるでしょう」

《何故ですか? それだけの力なら、きっと――》

「きっと、魔族を滅ぼしてしまいます」

《…………!》

 その言葉に、ようやくティルヴィシェーナが何かに気付いたような表情となる。

「同じ人間として、力になりたい思いは強くあります。だが同時に、私達が力を貸せば大虐殺の引き金ともなり得るでしょう」

 おそらくこの星において、人間以上に、最も繁栄しているであろう種族。それを殺し尽くすことは、大虐殺と呼んで差し支えはないだろう。

「彼らが捕食者である以上、人間を守るということは、魔族と戦い――その食事を断つことです。つまり人間にとって勝利と呼べるものは、魔族の絶滅にほかなりません」

 その戦いは戦争などという生易しいものではない。生存のための戦いであり、種を守るための防衛行動だ。

 魔族が人間を餌とする以上、人間の復讐は止まず、戦いは続くだろう。――人間を食うものがいなくならない限り。

 だがそれは、生態ピラミッドの上位にいる生物への下克上であり、明確な生態系の破壊でもある。

 だからこそ和貴たちは安易に力を貸すことはできない。

 魔族もおそらくは知的生命体であり、地球人類が友好を結ぶべき相手だろうからだ。

 ……なら、僕達は彼女たち帝国に何ができるのか。

 和貴たち外交部は結論を既に出していた。

 もしもこうなるならば、どのような提案をすべきかを。

 和貴はその結論に一応の論理性と、僅かな希望と、――そしてどこまでも偽善的であらねばならない自分自身に心底うんざりしながら、

「そこで私達から一つ提案があります。……魔族との、和解の道を探る意思はありませんか?」

 その提案を、口に出した。

《和解の道……ですか?》

 ティルヴィシェーナはその言葉に目を丸めた。

 予想外――というような表情の直後、思いつきもしなかった自分への驚きのような表情。

 なぜなら、それはまさについ先日、ティルヴィシェーナ自身が成し遂げたことにほかならないからだ。

「ええ。……先の魔竜の一件で、彼らと意思疎通が可能なことは分かりました」

 希望の片鱗。それは、彼女が使い、和貴も聞くことのできたテレパシーじみた声なき声のやりとり。言葉を超えた意思のやりとりが可能となるあの力を用いることができれば、魔族との対話も可能かもしれない。

「そして、彼らが人間を食べずに生きていける道を開くことができれば、共存の道も開けると考えています」

《そんなこと……考えたこともありませんでした》

「ですが、これはティルヴィシェーナ様が教えてくださったことですよ。……あの一件がなければ、とてもこんな提案はできませんでした」

 巨大な竜と会話するなど、想像もできず――魔族に関しては触れずに切り抜けることしか考えていなかった和貴たちにとって、あの一件は大きな出来事だった。

 人間、魔族双方にとって可能性が見え――和貴達、地球の人間にとっても、それは光明であった。

 ……だが、結局のところこの提案は――

 確かに希望は見えた。だがそれを実現できるのは、いつになるのか。

 それは誰にも解らず、結果として「自分たちは正面切って魔族と戦うつもりはない」――つまり、帝国を盾にして魔術の研究に専念させてもらう、と宣言したに他ならない。

「改めて提案させてください。人間と、魔の者エシャーラ……その対立の解消のためならば、我々は可能な限り尽力することを約束します。その代わり、ティルヴィシェーナ様は、私達の協力者となっていただけませんか?」

 ……なんて、白々しい。

 笑顔で言い切った自分に、和貴はおもむろに胸の内で吐き捨てる。

《はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。カズキ様》

 そんな和貴の心中など想像もしないであろうティルヴィシェーナは、笑顔で提案に即答する。

《本当にカズキ様は不思議なお方ですね。私なんかより、ずっとずっと高いところから物を見ていらっしゃって、なにもかも見通されているようで……》

 純粋な感動の言葉に、どこか子供を容易く騙しおおせたような、小さな罪悪感のようなものが和貴の胸をよぎり、少しだけ口の端を歪める。

 だが、ティルに気取られないようにとすぐに笑顔を取り戻し、謙遜の言葉を述べる。

「そんなことはありません。少しだけ、情報を多く知っているというだけのことですよ」

 その言葉に一層感心したように目を輝かせるティルヴィシェーナを見ながら、和貴は笑みを絶やさずに受け答えを続けた。


 こうしてあけぼしは一人の現地協力者を得て、ゆるやかにその行く先を定めようとしていた。

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