第7話 ユメの終わりと、ほんとうの始まり
「ん、ぁ……」
ティルは、小さなうめきとともにゆっくりとその意識をとりもどしていく。
深い深い眠りからの覚醒。久しく味わっていなかった熟睡後の気だるさと爽快感、そして自分自身で目覚める感覚。それらを不思議に思いながらティルはまぶたを開ける。
「あれ、ここ……は……?」
開いた瞳に最初に映ったのは白く低い天井。
そこは魔法灯のような薄明かりだけがあり、時間の感覚も掴めない、白い部屋の中だった。
見覚えのない場所。寝ぼけた頭に少しの違和感が襲ったが、まもなくティルは思い出した。
「あ、そっか……」
……ここは、天の御遣い様に連れられて来た、大きな船の中だ。
理解し、ゆっくりと起き上がって周囲を見回すと、記憶はすぐに戻ってきた。
部屋の中央で踊った舞、透明な壁越しに会話を交わした、カズキとアカリ。
……今はいない……みたいですね。
目をやれば、今は透明な壁の向こうにそれらしき人影はなかった。
ひとしきり周囲を伺ってから、ティルはこれからどうしましょうか、とぼんやりと思考を巡らせ始めると、
「……え」
唐突に部屋の横合いから物音がした。
ティルが驚き振り向けば、壁だと思っていた場所は出入口だったようで、
「おはようございます。ティルヴィシェーナ様」
そこから、白い服を着た女性が姿を表した。
背丈はティルよりも高く、その身を覆う上下の服は、見るからに機能的な衣装。薄手で、足元はスカートではなく足のラインがしっかり見えるものだ。
髪はカズキやアカリのように黒系のだが、そのほとんどは頭に被った白い帽子に隠れてしまっている。
彼女は大きめの目を細めてニッコリと笑みを作ると、
「起きられましたか。ご気分はいかがですか?」
優しげな声でティルのことを気遣うような言葉を向けた。
それは違和感の殆どない、自然な帝国語であった。
「え、あの、えっと……あなたは?」
「はい。私は“ルコ”と名を頂いています。ティルヴィシェーナ様のお世話をするようにと申しつかった者です」
そう言うと、丁寧に膝をつき、従者式の礼をするルコ。
「どうぞ、しばらくはよろしくお願いします」
「ルコ、さんですね……こちらこそよろしくお願いします」
応じてティルもペコリ、と頭を下げる。
「では、早速お食事をお持ちしましょう。お口に合えばよいのですが」
そう言ってルコは一礼をすると自分が出てきた入り口の向こうに引込み、すぐにトレイのようなものを持って戻ってきた。
「どうぞ。お食事です」
「………………はい?」
そしてティルの前に出されたのは……銀色の包のようなもの。
一方の端には白い出っ張りのようなものがついていたが、とてもそれは食べ物のように見えなかった。
右から見ても、左から見ても開け口のようなものは見当たらない。
ひょっとしてこのまま齧ったりするものなのだろうか、などとティルが不審に思って見ていると、ルコはおもむろにそれを手にして、先端の出っ張りをひねった。
すると硬質な音とともに蓋のようなものが外れる。
そこには穴が開いており、出っ張りのようなそれは筒であった事がわかった。
……な、何なんですかこれは……?
眼前で繰り広げられる未知の光景を、ティルは微妙に恐怖にも似た不安を感じながら見つめ続ける。
そんな視線に気づいたのか、ルコは申し訳無さそうに頭を下げると、
「ティルヴィシェーナ様には、一見して食べ物には見えないかとは存じます。その点に関しましては誠に申し訳ない限りではあるのですが……」
「い、いえ、これが、神々のお食事なのですよねっ!?」
若干の不審というか抵抗感を見透かされたようで、慌ててそう返すティル。
自分は既に天に召された身。この程度で怯えていてどうするか……と心中で活を入れ、
「た、食べ方を教えて頂いても?」
「はい。ここから吸っていただければ」
ルコはなんでもないことのように、袋から生えた(ようにも見える)筒の部分を指さした。
……吸う!?
ティルにとってはさらに斜め上の応答。
「……吸う、んですか」
「はい」
恐る恐るの確認に、全く揺るぎなく即答するルコ。
しかし、ティルも、少し考えるとそれ以外に中身を取り出す手段はないようにも思えた。
「吸うんです……よね?」
「はい」
二度目の確認。だがルコは変わらず断言する。
だからティルは、恐る恐る筒の部分に口をつけて、
吸った。
……!?
息とともに口に飛び込んできたのはぬるっとしたような不思議な感触。
少し冷たいそれは、液体が半固形化したような軟体。口に含まれる味は――
……エスキマに、似てる……?
エスキマとは、主に帝都を中心に親しまれている、まろやかな甘味を持つ名産果実の一つだ。
帝都近郊の農場で高級品種から普及品種まで広く栽培され、帝都では貴族、庶民問わず幅広い人々の食卓にのぼっている。
ティルも食べ慣れたもので、むしろ好きの部類に入る味。
「んー……」
怪しげな食感を除けば、不安の割には特に問題のない味に、ティルはすぐに中身を吸い、ほとんど咀嚼することなく飲み込んだ。
お腹にはあまりたまらないようだったが、ティルもともと小食な方なので、あまり気にならないといえば気にならない。
「ぷは……美味しかったです。ごちそうさまでした」
「それは良かったです。主たちもお喜びになると思います」
微笑を浮かべ、そう言うルコ。
本当に素敵な笑い方をする人だ、とティルも思わず見とれてしまう。
端正に整った顔立ちに、話す相手に安心感を与えるような、優しげな声と笑顔。
レファとは違うけれども、頼ってもいい人かもしれない……などとぼんやり思っていると、
《ティルヴィシェーナ様、おはようございますっ!》
「――っ!?」
アカリの元気な声が響き、ティルの思考を遮った。
見れば透明な壁の向こう側に、アカリやカズキを始めとしてぞろぞろと天の御遣いらしき人が入ってきている。
昨日よりも数が多く、知らない顔も多い。それらが一体何者なのか、ティルは無意識な警戒感を抱くが、
《朝ごはんは大丈夫でしたか? びっくりさせちゃいましたよね》
「え、ええ。少し驚きましたけれど、おかげさまで」
《本当にごめんなさい。今は、ティルヴィシェーナ様がちゃんと食べれるだろう食料がそれしかなくて……》
「いえ、とても美味しかったです。エスキマは私も好物なんです」
《よかったぁ……。どうにか朝ごはんに突貫で間に合わせたので、喜んでいただけたなら何よりです》
「そ、そうなんですか?」
なにか手を煩わせてしまったらしい、ということが伺える言葉に、少しティルは肩が縮こまる感覚を覚える。
だが、アカリは変わらずさっぱりした朗らかな笑顔で、
《大丈夫。へっちゃらですよ。せっかくのお客様に朝ごはんも出せないんじゃ、こんな大きな船で降りてきた意味が無いですから》
「ありがとう、ございます」
お客様、という。言葉にティルはすこしばかり違和感を覚える。
伝説では、生贄を求めたのは彼ら自身であったのに。
……どういうことなんだろう。
数々の不可解な事象。ティルの中で幾つか刺のように引っかかる疑問。
それを聞いていいものかどうか、逡巡が頭をよぎりだした、その時。
《ではでは、ティルヴィシェーナ様も落ち着かれたようですし、そろそろしっかりとお話しましょうか》
まるで見計らったようなタイミングで、アカリは言った。
《私たちと、ティルヴィシェーナ様たちのことを》
ついに来た、という緊張にティルは小さく息を呑む。
それを見たアカリは言葉を止め、場に僅かな沈黙が訪れる。
ティルは、アカリが自分の覚悟が整うまで待ってくれている、ということを悟ると。
……よしっ。
小さな深呼吸を経て胸の内を整え、視線をアカリへ戻す。
アカリが小さく首を縦に振ったのを見て、ティルも同じ仕草で返す。
なんとなくのその仕草を合図に、アカリは話を始めた。
《ではまず、本題に入る前に、ちょっと難しいお話をしますね》
「難しい……と言うと」
《世界についてのお話ですね。……はじめに、まずこの世界がどんな姿をしているか、ティルヴィシェーナ様が知っている範囲でいいので、教えてくれませんか?》
「わ、私がですかっ!?」
最初からの不意打ちの振りに、ティルの身体は思わず強張った。
《はい。大体でいいので、言い伝えとか、そういうものを》
「わ、わかりました!」
天の御遣いの前で下手な説明はできない……と慌てる心を落ち着かせながら、
……えとええと……確か、ナヴォル・デフ枢機卿が唱えた世界論の……
巫女になるために枢機卿達から教わった内容を思い出し、順番に並べて、口にしていく。
「私が教わった世界論によりますと――
はじめに神があり、無の世界に大地を作り、そこへ一本の木を植えました。
神はその木を育てるため、守り育む天球を創り、そこへ昼を照らす太陽、そして夜を輝く月と星々を創られました。
木は守り育まれ、やがて大きな木となりました。これをはじまりの大樹といいます。
はじまりの大樹のもとで神は自らの御子をお創りになり、樹の影となる大地を彼らの庭としました――故にここは“影なる庭”とも呼ばれています」
……ここまでが、創世の神話。
世界の誕生を規定した物語。ここにはまだティル達人間は居ない。神とその御子たちの世界の骨子だ。
「一方で、大きく、大きく広がったはじまりの大樹の枝。創世神はそれを見て、広がる枝を支えにして大地をもう一つ創られました。
枝の上の大地が生まれると、神はそこにも自らの御子をお創りになりました。
それはすなわち、草木であり、竜、魔物、動物であり、人です」
この枝の上の大地こそ――いま、ティルたちが立っている大地と言われている。
ここでは生命は有限で、死者はみな大樹へ還り、また枝葉を通じて胎に宿り生まれ来るのだという。
また、功徳を積んだものは天球の裏、あるいは影なる庭へ導かれ、真なる神の御子として永遠の命を得ると言われているが……
「この枝葉の大地では、人は最も弱き生き物であり、瞬く間に竜に追われ、魔物に食われていきました。
これを哀れに思った神は、弱き人々を守るべく二つの遣いを人間へ遣わしました」
……それこそが、
「大地の御遣いと、天の御遣いです。
大地の御遣いは、はじまりの大樹を通じて人へ奇跡の力――魔力と、魔法をもたらし、
天の御遣いは、人の力では立ち向かえない脅威が現れた時、それを打ち砕き、人を守る力となる。
そして、神は有能なるそれらの遣いたちに人と世界を任せ、神は天球の裏で長きに亘る眠りについた――」
そこまで一気に暗唱すると、ティルは大きく息をついた。
……ま、間違えませんでしたっ!
忘れ抜けたところが一つもなかったことに大きく胸をなでおろす。勉強していてよかった。ふてくされてサボらなくてよかった、と心底安心して、僅かに目を上げアカリたちへ目をやると、
《おおー……》
アカリから上がる素直な感嘆の声に、すこし誇らしげな気持ちになるティル。
《私も突然振られて、自分の国の歴史をスラスラ答えられる自信ないですよー ティルヴィシェーナ様すごいです》
「え、えへへ、そ、それほどでも……」
《ただ……ですね、ちょっと申し上げにくいんですが……》
「……?」
《現実は、それと、ちょっと違ってますよ、というのが今回のお話なんです》
「え……そうなのですか!? 一体――」
驚き、思わず問いただすような声を上げてしまうが、ティルはすぐにトーンを下げる。
天の御遣いたるアカリが直々にそう言うのだから、間違いであるはずがない。
ならば、
「どこが、間違っているのですか……?」
《なんというか大筋というか、土台の部分といいますか……》
《ここから先は、自分が代わりましょう》
そこで手を上げ、言葉を発したのはカズキだ。
今まで話していたアカリと二、三のやりとりを経て、前に出る。
ティルと目を合わせると、カズキはゆっくりと言葉を綴りはじめた。
《これからの話では、ティルヴィシェーナ様が驚かれることも多いと思われます。ですが嘘偽りは申し上げませんことをここに誓います》
カズキはまっすぐにティルを見てそう言う。
……っ!
柔らかげで、中性的なカズキの顔。けれどもその瞳は真剣に、意志はまっすぐとティルに向いていた。
だからティルも正面からそれを受け止める。
「皆様が知っておられる、本当のことを教えて下さる……ということですね」
《はい。……どうか、絵空事と笑い飛ばさず、信じていただきたく存じます》
「わかりました。始まりの神と六十六柱の御子に誓って」
《ありがとうございます。……では、順を追って説明しましょう――》
そうして語られるのは、真実の世界の形。
本物同然のような画とともに語られるのは、ティルが想像も及ばない、この世界の真実の姿だった。
*
「つまり、ここもまた、“星”の上で、星の外には空気のない真っ暗な“
《ええ。空の上の空間……星の外には、他の星が無数に存在します》
何度か全く同じ話を繰り返し聞き、何度もの質問と応答を経て、ようやくティルもそのおおまかな姿を理解することができた。
自分の立つ大地は球形をしていて、空気の層で覆われ――その外は、大気の存在しない闇の空間が広がっている。
天の星月、太陽が円を描いて巡るのは、自身の立つ大地が球形であり、それが回転しているから。
そして、昼夜は大地たる“星”自身が回転しているため、季節は太陽の周りを回っているために生まれているということ――
……これが、真実……
それは神話と全く異なる解釈。
だが紛れもない天の御遣いがもたらした世界の真実だ。
信じられないという衝撃と、信じなければ、という思いが胸の内でぐるぐると混ざりティルの心をかき乱す。
「あれ……では、皆様方は――」
天球の裏、神の寝所でその守護の任に付き、人々を見守っているという彼らは、どこから来たというのか。
確かにこの“船”は、天空から舞い降りたのに――
《そう。そこが本題になります》
そうしてカズキが指し示すのはこの帝都から見上げる星空の画――その中の一点。薄い輝きを持つ赤い星だ。
《私達はこの赤い星――この大地からは遠く離れた星より、遠く空間を渡ってここまで来ました。――
「星を――?」
《私達が生まれた星、チキュウは、ここから――ティルヴィシェーナ様の想像を絶するほど遠い場所にあります》
語りながら、次に見せられるのは、星。
帝国があるこの大地の姿として見せられた“星”の姿だ。
その姿がどんどん小さくなっていき、代わりに星々の海が映り込む。
無数の星々の海の中、ある小さな星に赤い点が示され、青い点で示された帝国の星と一本の線で結ばれる。
《この赤い点がチキュウ――そして、青い点が、今我々のいる大地です》
それはまるで、冗談のような距離だった。
ティル自身が立つ大地、水平線の果てに何があるのかも知らない広大な世界が豆粒のように表示されている。
《この間の距離は、光の速さで七十五年かかる距離です。ちなみに光は、一刻でおよそこの星を七周半出来る速度で――》
それはまさに、ティルの想像を絶する距離だった。
たった一刻で世界を七周半する速度で、七十五年かかる距離。この世界を、一周すら果たしたこともないのに七周半。それが一刻――
……あたまが、クラクラしそうです。
ただ、遥かに長大な距離ということだけは、ティルにも何となく分かったので、ひとまずそういう理解にしておこう、として置いておいた。
《このチキュウで、私達は生まれました》
続いて表示されるのは歴史書のような図柄。
《ティルヴィシェーナ様達同様、チキュウにおいても私達はちっぽけな存在でしたが、私達には優れた知能があり、道具を使うことができました》
語られる歴史は早回しでティルの目と耳に飛び込んでくる。カズキの語る“私達”は、まもなく鉄と火を手に入れ――地を駆け、海を制覇し、雷をも支配し、空を飛び、さらには――
《星の外へ飛び出す技術を得た時、思いました。……自分たちの他に、この世界――他の星に、言葉を解するような生命はいないのだろうか、と》
いや、と首を振りながらカズキは言う。
《きっといるはずだ、と。そして、私達のご先祖は暗い星と無の闇に飛び込みました。そして、長い時間をかけて探しに探し、代を重ねながら航海を続け――》
「…………」
《ついに、この星へとたどり着きました。……そして、いまここで私達は出会ったのです》
「それは――また……」
ティルにとっては、信じてきた神話以上にお伽話じみた物語。
まるで幻想世界の、吟遊詩人の作り話を聞かされているような気分だった。
……でも、事実……なんですよね。
彼の言葉に、はじめの誓い通りに偽りがないことは、目を見れば理解できた。
だからこそ、ティル自身はこれを事実として認めなくてはならない。
……つまり彼らは、他の世界から、友人――同胞を求めて旅を続けてきたと。
だが、それでは、
……彼らは、天の御遣い様――では、ない?
恐ろしい想像が、ティルの脳裏によぎった。
命を、人生を――存在意義のすべてを懸けた生贄の儀式が、全くの見当外れのものであったと。
命を捧げるとの決意は、全くの茶番であったと。
そんな、想像が。
――いや、おそらく、本当の姿を見た瞬間から、薄々感づいてはいた。
おそらく、ティル自身が認めようとしなかっただけ。
見当外れの相手に捧げられてしまったと認めたくないから――人間そのままの見た目をする彼らを、異人、人を象った神の遣いだと思い込もうとしていた。
ならば、
「それでは、あなた方は――」
ここでハッキリさせなければならない。
それが真実か幻想かを。
……大丈夫。本当の天の御遣い様ならば――真にそうならばちゃんと否定してくれるはず!
自身を鼓舞し、最後に残った希望で己を奮い立たせながら、
ティルは、
「――私達と同じ人間……なのですか?」
問うた。
《ええ、はい》
カズキの回答は実にシンプルに、
《その通り。私達はティルヴィシェーナ様と同じ人間です》
ティルの幻想を否定し、恐れていた想像を肯定した。
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