第21話「ガヴァルナギルド」

 正一とマリモは竜の神殿を訪れると、すぐさま二人の推論を樹牙竜にぶつけた。


「儀式ですか?」


 訝しんだ顔を返す樹牙竜にマリモが頷き答える。


「最近そういう動きをしている連中は知らないか?」


 樹牙竜は大刀のような爪で頬を掻き、しばし考え込むような素振りを見せたが、はたと妙案が閃いた時のように口を開いた。


「実はいくつか心当たりがあります」


 いくつかある時点で正一からすれば辟易とさせられる。

 けれどマリモはこの異常事態が、さも当然であるかのような振る舞いで樹牙竜に尋ねた。


「特にやばそうなのは?」


 樹牙竜はまたも頬を掻きながら思案に耽り、やがて溜息のような声を発した。


「ビスト地区のローワンで不穏な動きがあります。外来種信仰と思われる人間が集まり、何やらやろうとしているとか」

「獣人たちの領地でか。そうか」


 とは言いつつもマリモの表情は、確信めいたものを嗅ぎ取ってはいないらしかった。


「そういえばお前、この街の富豪でエルクとかいう奴を知ってるか?」

「ええ。存じております」


 樹牙竜が頷くと共にマリモの虹彩に輝きが増した。


「どういう男だ」

「ヴィジョン・エルク。貴族生まれですよ」


 貴族生まれ。この単語に疑問を呈したのは正一であった。


「あれ? 樹牙竜様、貴族制って廃止されたんじゃないんですか?」


 以前マリモから聞いた話に寄ればバルツ共和国は、民主主義国家である。

 つまり身分制度は廃止されていると正一は考えていた。

 これに樹牙竜は、楽の音のように心地よい声を奏でて答える。


「ええ。廃止はされていますが、それでも名門としては扱われ、便宜上貴族生まれという名称は残っています」

「なるほど」


 慈悲深い神の使い。

 そんな単語を強く認識させる樹牙竜の存在に正一の目頭が熱を帯びた。

 左肩でふんずり返っている尊大な龍とはまるで別物の、守護者と呼ぶべき威厳と龍と呼ぶべき気品、なによりも指導者に欠かせぬ地合いを体現している。


「おい。なんで樹牙竜には敬語で俺にはため口なんだ」


 素直に疑問を呈してくるマリモに正一が抱いたのは同情ですらなく、夜よりも深い憐れみだった。

 まるで自分が樹牙竜よりも人格すら優れている事を疑っていない。

 そんなマリモに正一は、勤めて優しく語り掛けた。


「知ってるかマリモ。敬語ってのは敬意を払える相手に使うもんだ」

「なるほどなぁ」

「分かってくれたんだな」

「俺のどこが敬意を払えないんだ。言ってみ」

「全部」

「即答するなよぉ」


 強さ以外の全てに問題を抱えている上に、その強さもインスタントヌードルが食べられるかも曖昧な制限時間付きだ。

 やたら隠したがりで勿体ぶった性格を差し引いても信頼は置いているが、それでも敬意を払える要素がどこにあるというか。

 もし答えられる人物が居たら森に行って正気をやられたとしか思えない。

 だがそれでも一応の相棒の対面という物がある。

 付き合いの長い人物なら美点の一つぐらいは言えるかもしれない。

 そう考えた正一は、マリモを指差しながら樹牙竜に視線を送った。


「樹牙竜様、こいつのいいとこ言ってみてもらえません?」

「……エルクなら静養の為、ヒュマン地区の村、バジェンスに居るという噂があります」

「おいこら! お前! あるだろ腐る程!」


 現実を受け入れられずやかましくするマリモを正一は鷲掴みにしてから放り投げると、口元を手で覆いながら呟いた。


「バジェンスか……ヒュマン地区ってのがなぁ」

「反逆罪の取り下げについては現在交渉中でしてな。あまり迂闊な事はしない方がよろしいかと」


 樹牙竜の言うとおりである。

 下手な動きを今すればマリモ共々逮捕されるリスクが高い。

 かと言って召喚が行われようとしているなら煤や揺蕩う者に匹敵する怪物が出現するという事にもなりかねないのだ。

 仮に出現してもこの世界のドラゴンが力を振るえば撃退は可能だろう。

 しかし召喚の餌にされたリゼルの精神は二度と戻っては来ない。


「でもエルク……森へ行ったのに精神が破綻しなかったのか」

「妙だろう?」


 いつの間にか左肩に戻ってきたマリモは、樹牙竜に笑顔を向けた。


「おいクソガキ。ガルヴァナギルドの場所はどこだ、地図に描け」

「あの狼牙竜様」

「気安く呼ぶな。殺すぞ」


 樹牙竜の慈愛に満ちた瞳から朝露のようにさらさらと滴が零れ落ちていく。

 その労しい姿を見るや神殿に勤める人々が我が身を盾にマリモと樹牙竜を遮った。


「樹牙竜さまぁ!」

「泣かないでください我が主!」

「あまり主を苛めないでください!」


 なんと誇らしい竜と人の絆であろうか。

 そしてなんと恥ずかしいマリモと正一の絆であろうか。


「ほら。こういう事するからお前嫌われてるんだよ」

「納得いかん。全然納得いかんぞ」


 マリモに慈愛など到底期待出来ない事を悟り、正一は一礼を残して神殿を後にした。




 ガヴァルナギルド。

 バルツ共和国発祥のギルドで二百年の歴史を誇る最も偉大なギルドの一つとされている。

 正一の中でギルドの本部と言えば、屈強な男達がたむろしている薄汚れた場末の小屋というのがゲーム等々から抱くイメージであった。

 しかし実在した異世界の実在するギルド本部は、視界を埋め尽くす程膨大な石造りの屋敷であり、内装もベージュの壁紙が目に優しく、マホガニーのような材質で出来たデスクが等間隔に並べられていて、まるでオフィスの様相を呈している。

 そこで仕事をしているギルドメンバーと思しき屈強な男達も服装は全員がシャツにネクタイを締め、揃いのジャケットを身に着けており、冒険者の一団というよりは会社員のようである。

少なくとも正一の抱いていた荒くれ共の集まりという固定概念とは真逆の存在に見えた。


「うわー汗臭―い」


 殺意の籠った眼光の散弾が一斉に正一を射抜いた。

 正一は何も口にしていない。

 左肩のマリモが無遠慮な大声を発したのだが、彼等がそれを知る由もない。

 恐らくマリモの行動の真意は、先程神殿で敬意を払っているかの会話。

 そのお返しをしてきたのだろう。

 こういう行為を平然とするから尊敬に値しないとマリモは気付いていないのか。

 自覚しながらも面白ければいいという信条なのか。

 どちらにせよ共に行動する者にとって最悪の性格である事は確かだ。


「おい、ギルドマスターはどこだ。とっと出さんか」

「こら!」


 正一は、慌ててマリモの口を塞いだが間に合う訳もなく、気が付けば周囲を取り囲むように筋肉の壁が形成されていた。


「もっぺん言ってみな」


 その内の一人。特に巨体で浅黒い肌を持つ男が岩をも割りそうな重低音で呟いた。

 彼の醸し出す気を見れば分かる。

 並みの使い手ではない。

 何より殺気だ。

 極限まで研磨された白刃に等しい気は、正一の素肌に切り傷と錯覚する痛みにも似た感覚を与えてくる。

 誤解を解かねば無事では済まない。

 正一は、元凶である左肩で微笑んでいる毛玉を指差した。


「俺じゃない! 俺じゃないです!! この左肩の奴が」

「おい。早くギルドマスターを出せ。ついでに茶と菓子もな」


 ――殺す気だ!

 正一は確信した。マリモは確実に殺しに来ている。

 ギルド団員は、開拓者は、確かに一見温厚な会社員に見えるかもしれない。

 市井の人に見えるかもしれなかった。だが実態はまるで別物。完膚なきまでに武士だ。

 おおよそここに居る全員が一騎当千の兵達。

 敬意をもって接すべき相手。

 何より礼を重んじる武人達だ。

 礼をまるで欠いたガキが生意気を叩けば、当然どうなるか火を見るよりも明らかである。


「おいガキ。死にてぇのか」


 殺意が告げる。口だけの脅しではないと。

 武に関わる者として分かる。嘘偽りは言葉のどこにも潜んでいないと。

 この数の達人相手に切り抜けられると自負する程、正一の審美眼は愚かではなかった。


「まったく死にたくありません!」


 こうなればマリモを生贄にしてでも。そんな考えが過ぎった刹那、瑞々しい色が鐘の音の様に木霊した。


「何の騒ぎだ」


 肉壁をかき分け、一人の女が正一の前に立った。

 短いながらも絹のように艶やかな赤髪。

 まったく無駄のない、しかし強調すべき場所は肉感的な身体つき。

 彫像のように均整のとれた顔立ちは、左目に付けた大きな眼帯の異質さを差し置いても尚目を奪うのに十二分な艶を纏っている。

 服装は動きやすそうな黒い細身のパンツ。

 胸元を強引に詰め込んで破れんばかりの白いシャツの上に黒いベストを羽織っている。


「私がギルドマスターのリース・ガヴァルナだ。君は」


 美という概念の具現化を前に正一は言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 目撃してしまった体現者に嘆息を漏らしながら夢想するのは、その薄紅に吸い付き、全てを手中に収める様。


「おい。脳内ピンク。名乗れだとさ」


 マリモの呆れ声に現実へ引き戻された正一は、リースと名乗った女を見つめ、深く一礼をした。


「要正一十七歳! 好きです! お茶してください!」


 マリモの凍るような侮蔑の視線で気付いた時には遅かった。

 これではただナンパしに来た阿呆である。

 そしてリースの女が当主であるのならやはりその部下達の感情も尊敬と崇拝、やはり愛だ。

 無論主君への忠誠は絶対であろう。

 しかしその裏には一人の女に恋い焦がれる男の一面もあるはずだ。

 もしも正一がこのギルドに所属していたらきっとそんな感情を抱くはず。

 きっとリース程の女なら、誰もが羨むような身分の男達と百戦錬磨の経歴がある。

 そのはずなのに正一の告白にリースが見せた感情は、頬を赤らめ羞恥を露わに、まるで幼子のような初々しさであった。


「いいけど……」

『お頭ぁ!!』


 仲間達の悲痛な叫びを意にも介さず、リースは正一の腕にすがる様に抱き着くと豊満な乳房をこれでもかと押し当てて来た。

 しかしその動作はどこかぎこちなく、生娘のようであると断じるより他にない。

 なお一層頬を赤く染め、リースの瞳は潤い、揺れた。


「ちょっとそこまでお茶してくる……夜は遅くなる……かも」

『お頭ぁ!!』


 そう言い残してリースは、仲間達の呼び掛けに振り替える事無く、正一の腕を引っ張りながらギルド本部を後にした。

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