異界の君と現世の僕

澤松那函(なはこ)

第1話「少年と毛玉」

 要正一は、地平線まで埋め尽くす草原で灰色の毛玉を見つめている。

 犬の抜け毛を掌大まで寄せ集めたようなそれは、申し訳程度の手足としっぽが付いており、狼みたいな耳と真円の瞳を合わせて、見てくれは可愛らしいと言ってよい。

 一見すれば流行りのゆるキャラのキーホルダーか、ぬいぐるみとも思えるが問題はこの物体が生きている事だ。

 そう、彼か彼女が定かではないが、それは確かに生きていて、そして正一に語り掛けている。

 だがその言語は、あまりに不明瞭だ。英語やフランス語、中国語やドイツ語など多少聞きかじった事のあるそれ等とはまるで異質な発音だったが、ある一定のリズムからそれがこの生物特有の鳴き声ではなく、言語であると断言出来た。


「ユーは、人間か?」


 突如毛玉が日本語を喋り出した。声の感じは男性に聞こえる。

 ――もしかしたら玩具かもしれない。

 正一は、その可能性を捨てきれなかった。

 先程までは壊れていて、たまたま機能が回復した事も考えられなくはない。


「スルーするな。ユーは人間かと、ヒューマンかと聞いているんだ」


 しかし人工物であるとは思えない程、毛玉の話し方は流暢だ。機械特有の引っ掛かりや抑揚の稚拙さが皆無だ。

 高度な玩具という主張を貫きたい正一だったが、それは叶わないらしい。

 そもそもが奇妙な一日だったのだ。

 夏期講習で渋々高校に行く道、突如光に呑まれて、気付けばこの草原に寝そべっていた。

 そして上体を起こしてみると、そこに居たのがこの毛玉と言う訳である。


「何だ、この毛玉」

「シャラップ」


 こちらの言語に反応出来るのは間違いない。見た事も聞いた事もないが人間と意思疎通できる生命体と考えるのが妥当である。

 夏休みによくテレビで特集されている宇宙人に誘拐された云々という話を直に体験したのか?


「てか何でルー語?」


 もしかしたらテレビのドッキリかもしれない。声は、似ても似つかないが某タレントがどこかに居て正一に合わせて喋っている。

 そう考えれば、一連の奇怪な事象に対して少なくとも一つは説明が付く。


「えっとこれテレビか……何か?」


 そう尋ねると毛玉は、怪訝そうに口元を歪めた。


「訳の分からん事を。わざわざこの俺がユーの世界のランゲージをわざわざトークしてやっとるんだぞ。ありがたく思え。なんならユーの言語を俺に合わせてやっても良いぞ?」


 やたら偉そうなのが非常に腹立たしいが、これに付き合うのが今は一番の最善策だ。

 ドッキリならともかく宇宙人なら下手に逆らうと解剖されかねない。

 正一自身、宇宙人の類を嘘と断じる事は出来なかった。

 幼いころから光る飛行物体を目撃する事無数。その他、あらゆるオカルト現象を一通り経験していた。


「それってどういう?」


 毛玉の話に乗っかってやると彼は、にったりと口を開き、縫い針のようなささやかな牙を見せた。


「例えばだ。あの後ろの連中が何を言ってるか、分かるようになるぞ」


 後ろの連中、毛玉にそう言われて振り返ると時代錯誤な恰好をした男性二人がこちらに迫ってきていた。

 両人とも、素人目でも粗雑な作りと分かる板金鎧を胸につけ、錆の広がった鉄兜は、油でも塗ってあるのか、頭の上で滑るように揺れている。

 傍目から見れば中世のコスプレの類かもしれないが、物騒なのは二人が手にしている獲物だ。所々刃欠けを起こし、のこぎり状になっている直剣。とんだなまくらだろうが、それでもこれが真剣である事を正一は察していた。

 髭を蓄えた一人が切っ先を向け、正一に何かをがなり立てている。だが何を喋っているかまるで見当もつかない。それは不思議な事に先程まで毛玉がしゃべっていた言語と同じだ。


「頼む、毛玉」


 正一自身、おかしな頼みだと自覚はあった。喋る毛玉の言うままに。それでもこれが今までの人生経験の延長なら。そして直感の告げる異常事態宣言の音を無視する事は出来ない。


「じゃあそうしてやろう」


 毛玉がまたも卑しい笑みを浮かべると、突如その身が白く輝き、発せられた光が正一に降り注ぐと体内へ溶けていった。

 ――尋常ではない。

 現状を再認識した正一の耳を聞き慣れた言語が突いてきた。


「おい、お前。そこで何やってる!」


 髭面の方が日本語で話しかけてくる。大分距離が近付いたのでよくよく顔立ちを見てみた。

 岩の様にごつごつした鼻筋と窪んだ瞳は、彼が東洋人ではなく西洋人である事を窺わせる。

 だが彼がどんな国の人間かは、重要でない。

 問題は、彼が手にした剣の切っ先に乗せている敵意の方だ。

 このまま黙っていれば何をされるか分からない。

 その確信が正一の喉を震わせた。


「何って……ここどこですか? 俺どうしてこんな所に居るのか」


 嘘を付こうにもこの状況ではどうしょうもない。

 的確な言い逃れをするには、手持ちの情報量が少なすぎる。

 何を知らないし、自分の状況が分からない。

 それを正直に話す事で髭の男は無理でも、背後にぴったりついている細身で青白い男の方は、事情を察してくれる余地がありそうだった。

 しかし相も変わらず口を開くのは、髭面の方である。


「貴様、封印の上に立ち入ってはいかん事を知らんのか!」

「封印って……」


 何の事か。

 そう思いながら足元を見やると草が一本も生えていない場所がある。

 それはよくゲームで見かける魔方陣を象ったらしい模様であり、さらに所々地割れのような物が走っていた。

 それを訝しく見つめる正一とは対照的に毛玉は妙にしたり顔で、鎧姿の男二人はそろいもそろって青ざめていった。


「な……封印が……封印がぁ……」


 これが今まさに起こっている事実だとしても、それか作劇にしても、状況に対しての理解が正一の中である程度進んでいた。

 確認の意を込めて毛玉を見やると彼は、やっぱりこれでもかというぐらい嬉しそうに破顔する。


「俺が封印されていたんだよ。ここにな」

「こんなちっこいのを封印するのに……随分大げさなんだな」


 この毛玉には、不遜な態度を取るだけの実力が伴っているという事かもしれない。

 もしもこれが現実でそして正一が封印を解いたのだとすれば、鎧の男達の反応を見るに相応のまずい物を解き放ったという事になる。

 尊大な口ぶりで気分を害する以外にこれといった危うさは見受けられないが、人は見かけによらないという。無論毛玉は、人ではないが。

 もしも危険な物を解き放ったのだとしたら、この場合、正一の立場はどうなるのか。

 そんな考察を始めた刹那、


「反逆罪だ」

「は?」


 髭男の放った馴染みのないフレーズを正一が聞き返すと髭男は、錆びた剣を振り上げた。


「反逆罪だぁ!」

 ――やられる。

 正一の脳は、淡々と事態を認識した。

 相手の目を見れば分かる。敵意が変じて殺意になった事。

 そして髭男の身のこなしが素人ではない事。

 命を奪う行為に対して一切の躊躇を持たない事を。

 こういう手合いを相手にする場合、迷った方が先に倒れる。

 叔母に教えられたのは、迷わない事と容赦や手加減をしない事だ。

 手心を加えられるのは、真の強者のみ。

 自分は、そんな芸当ができるほど強くないという現実。

 相手は獲物を持っており、こちらは素手。

 正一の選択は、最初から決まっていた。

 重要なのは、恐れない事。

 正一は、身を屈めてから地面を蹴り、髭男の懐に飛び込んだ。

 見上げるとそこにあるのは尻のように割れた太い顎。これ見よがしに剣を振り被っているせいで急所は、がら空きである。

 そこ一点を真っ直ぐに見据える正一は、縮めた体を伸ばしながら掌底を突き上げ、髭男の顎を跳ね上げた。掌に伝わる衝撃と顎関節を砕く感触が効果の程を教えてくれる。


「な、きさ」


 幸運な事にもう一人の痩せっぽちは、剣を手にしてはいても臨戦体制は整っていない。さらに合わせて運がいいのは、男との間合いが一足分である事だ。

 正一は、恐れを捨てて男に向かって駆け出した。武器を手にする事は一長一短。武器があるという優位性を生かせずに、ただ凶器を持っているという安心感だけしか得られない人間が居る。

 髭男は、そういうタイプではないが痩せ男の方はどんぴしゃだ。剣を持っているという安心に対して正一が恐れず間合いを詰めてきた事実に焦燥を抱いている。

 当然冷静さが無ければ初動の対応は遅れる、それも致命的なまでに。

 本来あったはずのリーチ差も攻撃力の違いも発揮する事なく、痩せ男は正一の正拳を顔面に打ち込まれ、仰向けに倒れていった。


「おーなかなかやるな、お前。魔力の籠った一撃とはな」


 毛玉は、ケタケタと嬉々とした声で騒いでいる。

 正一の扱う技が毛玉には、摩訶不思議な物に見えるらしい。

 だが今の技術は、幼少の頃から叔母に仕込まれた物だ。


「いずれ必要になる。覚えて損はない。女の子は、強い男が好き」


 と諭され、文句を言いながらも修練を続けてきたが、今日ほどそれを感謝した日もない。

 そう、これは正一が一日も欠かさず心血を注いだ修練の末にようやく獲得した物。

 魔法だの超能力だの、不思議パワーでやってのけたとされるのは、侮辱に等しかった。


「魔力って一体なんだ……」


 怒気の籠った声をぶつけようとした矢先、正一が異変に気付いた。痩せ男に打ち込んだ拳から湯気のような物が立ち上っているのが見える。


「なんだ、これ」


 漫画かアニメのようだった。

 所謂気の放出だの、オーラの何ちゃらだの、そういう類の物が自分の拳から立ち上っている。

 確かに叔母からは、戦闘術を教わっていた。だがそれは決して空想の物語に出てくる超能力やよくある インチキ拳法の類ではない実戦的な理論に基づいた技術である。

 今までだって当然身体から変な物が出た事なんてない。

 この場所に来てからの出来事は、正一の許容量を遥かに超える物ばかりだ。いっそ思考を放棄してしまえば楽になれるかもしれない。

 そんな誘惑の芳香に身を委ねようとしていると、毛玉の声が正一の意識を引き上げた。


「おい、ランアウェイしないとやばいぞ」

「え?」

「紛いなりにも共和国の正規兵をのしたんだ。ここに居たらいずれ捕まるぞ」


 共和国、正規兵。またも日本ではあまり聞き馴染みのない言葉だ。

 大体が今の方は、正当防衛である。武器を持って襲ってきた男二人を撃退しただけ。彼等が何であるにせよ、正一に非はないし、責めを受ける言われもない。


「だってこいつらが」


 毛玉に反論をぶつけようとした正一だったが、彼の言葉を聞いて二の句を飲み込んだ。


「お前は、異世界から来たようだな」


 幼い頃、今はもう居ない両親が呼んでくれた絵本もそんな話だった。お気に入りの絵本だった。少年が異世界に旅立ち、ドラゴンと冒険を繰り広げる話。小さい頃大好きだった話。

 幼心ですらそれが空想の産物である事を理解出来た。なのに今では現実として眼前に転がっている。


「おい、小僧。お前の住んでいた国の名前を言ってみろ」

「日本……だけど?」


 ここは違うのだろうか。もしも違うなら。そんな疑問に毛玉が答えてくれた。


「やはり。ここはバルツ共和国だ。日本とかいう国ではない。そんな名前の国、お前の住んでいた世界にあったか?」

「ない」

「俺達の言語を聞いた事は?」

「ない」


 そう答えるしかない。そして信じるしかない。今日これまでに起きた全てを総合して導き出される結論は、正一が異世界に来てしまったという事だった。

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