第4-2話 鎖枷たるや、可憐な名よ
「おまえには意味がないはずだ。俺に反対する理由が。動機が。思い出せ。いつかの日の痛みを。悼みを。周防七曜を。掴めなかった手を。失った笑顔を。この閉じた空間は、心の傷を剥き出しにする告解の場だ。ここには、
じくり、と痛む。
『弾丸』ではなく、中臣の言葉こそが、抉り込むように突き刺さる。かさぶたになりかけた、いつかの痛みを呼び起こす。
その悼みは、きっと、周防七曜という名をしていた。
思い出せ、だと? は。元から思い出す必要もない。
だってそれは、その、いつの日かの痛みは、いつだって、俺の脳裏にこびりついているものなのだから。
教室の中で憂鬱げに溜息をつく姿。
退屈そうにしていたかと思うと、忽然と放課後には教室から消失していた変人。
あげくあちらこちらで暴走を繰り返して周囲を動揺させるような陰謀を張り巡らせていたクラスメート。
俺は、あいつの、世界への憤慨を理解できなかった。いつも、俺と話すあいつは笑っていたから。
たぶん、あいつの表面と、内面は、どこかで分裂していたのだろう。
涼宮のように、いっそ裏表なくエネルギーに満ち溢れていればよかったのだ。
だがあいつは不幸なことに、どこまでもずれた感性と、そして、周囲の驚愕や奇異の視線、排斥の動きを敏感に感じ取って傷つくような、まっとうな繊細さも兼ね備えていた。
そして。あいつは、この閉ざされた、鎖でがんじがらめの空から、飛びだした。隙間からするりと零れ落ちるようにして。
何が悪かった? 誰が悪かった? 誰かを殴ればよかった? 俺か? 俺があの日あいつの手を掴んでいれば?
あいつの名を反芻するたびに、手が、足が、鈍っていく。
中臣の在り方こそが正しいのではないか。その可能性は、捨ててもいいものなのか。
おまえはあの日、七曜を見捨てて、また、同じことを繰り返すのか。
鎖が、枷が、四肢に巻き付いていく。
「なまじ頑丈だから長く苦しむんだ。心も体もな。諦めろ、谷口。ここで負けてもおまえに損はない」
息を整えながら、中臣が言う。
中臣の言葉は、武器だ。レーザーポインターや催涙スプレー、スタンガンと同じように、戦況を有利に進めるためのガジェットだ。わかっている。けれど。その口調はどこか、悲しげだった。
たぶん、俺と中臣は、鏡像だ。互いを批評すればそれはそのまま己に返ってくる。
知ってるよ。知らねえよ。わからねえよ。わかってるよ。
たぶん俺は、周防七曜が好きだった。そんで、それ以上に臆病だった。悪態ばかりついて自分の気持ちも認めずに、やれ変人だのエキセントリックだのとレッテルを張って、自分の気持ちから線を引こうとしていた。小賢しいにもほどがある。もしも、ガキの俺があいつに、おまえは面白い奴なんだと。たとえ誰かが笑っても、俺もおまえみたいに世界が面白ければいいと思っているんだと。つまんねえ羞恥心を蹴飛ばして正直に伝えていれば、何かが変わったかもしれない。でも、もうできないんだよ。俺はそれを選べなくて、選ばなくて、選ばなかったっていうことは捨てたってことなんだよ。ちくしょうが。
でもってそれは。俺と、周防七曜の憂鬱の話は、もう終わっちまった物語なのだ。
俺はボーイミーツガールの主役にはなれず、ハッピーエンドなんて掴み取れず、でも。そういう完結をしちまったのだ。今でも大切で、しまいこんだ記憶だけれど。そこはもう、変わってはいけないのだ。
同じように、死に相方を囚われても、
だって。あいつがいなくなってから数年、積み重なったものがあった。
笑っている奴がいた。悲しそうな奴がいた。気にかけてくれた人がいた。遠ざかった人がいた。出会った人がいた。
それは日に日に重くなっていって、天秤の片側に置かれていった。周防七曜の思い出と逆の側へと。
中臣は強くて、俺は弱かった。そういうことだ。
中臣は純粋で、俺は不純だった。そういうことだ。
今の世界を全て捨てて、作り直してでも、そこで幸せに暮らしていた人々の可能性を潰した罪を背負ってでも、あいつの笑顔を見たいと。涼宮の力と不安を利用してまで、成し遂げたいと。――中臣、おまえみたいにそこまで思いきれるほど、今の俺を取り巻く世界は、居心地が悪くはなかったのだ。
師匠が気にかけてくれて、後ろの席には見ていて飽きない変わり者の美人がいて、隣には鼻もちならないクセに妙に親しみやすいクラスメートがいて。親父はお袋の惚気を始終国際電話してきて、お袋の卵料理とトンカツだけは絶品で、購買のチョコラスクはレアもので、花屋の看板娘のお姉さんは実はくそ真面目な武人だったりする。この世界に、そのままでいてほしいと、思ってしまったのだ。
たとえそれが、俺とよく似た痛みを抱えた親友の願いを、断ち切らなければ叶わないのだとしても。
周防、七曜。
その名前を、口にする。手に繋がる見えない枷を。脚を縛る透明な鎖を確かめるように。
確かめたものは、断ち切れる。名前のついたものは、打ち砕ける。
目鼻をつけて輪郭を認識すれば、人は混沌だって殺せるのだから。
意識をクリアに。
状況を分析しなおす。疑問を列記する。中臣は動かずに呼吸を整えている。
中臣はなぜ、この状況で会話をはじめた? 時間稼ぎは俺にとってのアドバンテージではなかったか?
中臣と俺の身体能力は大きく変わらない。さらに格闘能力は俺の方が上。なぜ終始圧倒されている?
その疑問を繋ぐもの。それがおそらくは『遡行』の能力。
一度だけ、俺も利用した力。
時間を数秒間巻き戻す、中臣の、やりなおしを求める欠落の具象。
中臣はおそらく、俺に対しての攻撃が成功するまで、『遡行』を繰り返している。一割しか成功しない攻撃も、無限にやり直せるのならば、必中の一撃になる。
それを繰り返せば、それはワンサイドゲームになるはずだ。
だが、『遡行』にも欠点はある。やり直しても、使用者自身のコンディションは変わらないという点だ。
傷や疲労、そうしたものは、巻き戻らない。
つまり、中臣は『遡行』を行うほどに、俺よりも遥かに長い時間を戦い続けていることになる。
さらに、「なかったことになった未来」で俺がカウンターの打撃を決めてしたとすれば、その痛みや傷だって蓄積しているはずだ。
だから、この会話は、疲労を回復するための時間稼ぎ。『遡行』の使い過ぎによる、オーバーヒートの熱を冷ますインターバルを置いている――というところか。
ならば、守りを固めて亀のようになるか。
しかし、俺が待ちに徹するとわかれば、奴は俺を置いて《神人》に合流、加勢して、古泉たちに抵抗するだろう。『遡行』が奴以外の全ての世界を巻き戻す以上、敵性対象が多い方がその効果は甚大になる。それはさせられない。
けれど、中臣の攻撃は全てが必中だ。『防護』をおろそかにすれば、一撃で決着をつけられる。
これまで俺が立っているのは、『防護』に相当の力を割り振っているからだ。それでも、電撃、足の傷、レーザーポインタに焼かれた目、催涙スプレーによる影響と、じわじわダメージは蓄積してきている。
このままこのペースで戦い続けて、中臣のスタミナ切れを待つ? どれだけ奴の体力が残っているかもわからない以上、それは却下だ。俺の身体が動かなくなる方が先の可能性だって高い。
中臣が動き出す。
『弾丸』は片方の手からのみ。ならば、左の手でまた別のガジェットを使う気か。
かちり、と歯車がかみ合う。
ああ。中臣よ。おまえが教えてくれたんだ。
欠落がむき出しになるこの空間で殴り合うなら、結局俺たちは、自分の在り方を示すことが、最良の戦術なのだということを。
『防護』展開。全ての集中力を、自分の体を包み込む赤い光の球体に注ぎ込む。
中臣が、一瞬だけ目を見開いた。
が、すぐに左の手からも『弾丸』を生み出して立て続けに俺に向けて射出すると、同時に俺に背を向けて窓の外へと『飛行』で飛び出そうとする。
『防護』に全ての力を振り向けた以上、速度に割けるエネルギーはないという判断。
ああ、全くそのとおり。
脳がちりちりと異音を上げる錯覚。
これからやろうとすることは、強弁にして詐称。ルールを捻じ曲げる行為。
『防護』――それは、障壁を創り出す能力。剛性等の性質や位置設定は操作可能である。
『弾丸』――それは、対象を砕く質量と速度を持った弾丸を生む能力。高速で射出可能。
『飛行』――それは、能力を介して己の肉体を自在に浮遊、飛翔させる能力。方向転換も可能。
つまり。
『弾丸』のように質量と速度をもった障壁の球体を生むことも『防護』の一部。
『飛行』のように自在に障壁の位置を変更することも、『防護』の一部。
故に、その剛性、移動速度、接触時の破壊力。全てが『防護』の能力の管轄下である。
そんなはずがない、という常識を、そうでないはずがない、という思い込みで捻じ伏せる。
爆ぜそうな力に手綱をかけ、辛うじて安定させる。
赤の球体に包まれたまま、俺は飛翔した。
窓枠に足をかけようとした中臣の背に追いつき、体当たりをかける。
赤の光が炸裂した。森さんの『弾丸』が弾けたときのように。
中臣は不意を打たれ、身を捻って教室内に着地する。
「……なんだ、それは」
これが、俺にできること。俺の
使い捨てたりはしない。使い分けたりなんて器用なことはできない。そういうのは、中臣、おまえの領分だ。
外から足りないものを借りてきて使い捨て、目的を遂げるのがおまえの戦い方ならば。
今あるものを受け止めて、飲み込んで、練り上げるのが、俺という人間の方向性なんだろうさ。
基本となるのは『防護』。それを展開し、自らを中心に球形として展開する。
それだけならば、俺からの攻撃もできない。故に、その『防護』によって展開した障壁の球体を、一つの『弾丸』とする。
障壁に、防御力だけでなく、打撃力を付与。そして、その『弾丸』を駆動するのは、『飛行』。
『弾丸』による迎撃で『障壁』が欠ける。だがそれを見る間に再生するのは『治癒』。
全て、『防護』の一側面であると強弁して、『共有』の制約を越えた出力で稼働させる。
中臣はすぐさま俺と同様に『防護』を展開すると、自らを『弾丸』としてこちらを迎え撃つ。
なるほど、やっぱり外にある力を利用するのはおまえの十八番だろうさ。
だが。
ぶつかりあった俺と中臣。しかし、一方的に、中臣の『障壁』に亀裂が走る。
『共有』におけるルール。それは、本来の持ち主の能力は、借り物の能力を凌駕するということ。
単純なぶつかりあいならば、『防護』の力は、中臣より俺に軍配が上がる。
そして、中臣が俺に上回る『遡行』は、「可能性の拡大」にしか使えない。1%しかない可能性を事象の繰り返しで掴み取ることはできるが、「そもそも100%勝ち目のない事態」を覆すことはできない。
もしも俺の能力がより攻撃的だったなら、中臣には勝利の目があっただろう。
「1%の確率でしか攻撃が命中しないが、当たれば倒せる敵」に対して『遡行』は有効だ。
しかし、「何度殴っても0ダメージの敵」に対して、『遡行』はなす術もない。
「……そうやって! 受け入れるのか! 周防七曜のいない世界を!」
俺にできるのは、立ち続けることと、受け入れること。
世界を変えるような物語の主人公になれない俺に、あいつを取り戻す資格なんてない。
中臣が叫ぶ。理解してしまったのだろう。
相手のダメージを遮断できるほどに『防護』に集中しながら、移動と攻撃を兼ねる力の使い方を生み出した時点で、中臣の勝ち筋は絶たれた。
ジャンケンで、中臣がグーを、俺がパーを出し続けるようなワンサイドゲーム。
様々なガジェットが服の裏から取り出される。
そのことごとくを、『飛行』の速度と『弾丸』の破壊力を帯びた『防護』が蹂躙する。
「なぜだ! 僕は姉さんに――」
その言葉を中断するように、俺は、中臣の懐へと飛び込む。
周防が、もしも今も生きていたら。
なぜか、瞬間的に、そんなことが頭をよぎった。
あの艶めいた黒髪は平安貴族か何かみたいに長くて、きっとお嬢様学校にでも通って風変わりだが物静かな美人になっていたのだろう。
噛み合わない会話と、それでもたまに通じ合う言葉と。
そんな、むずがゆいような、鈍く疼くような、そんな日々を得られる可能性も、ゼロではなかったのだ。少なくとも中臣は、そう信じていた。
けれど、それを、俺は、打ち砕く。曖昧な理由で。理屈にならない動機で。
あの日言えなかった言葉を、口にする。
さよなら、七曜。
ヒーローでも何でもない、チキンな俺を恨んでくれ。せめて、おまえが言うとおり荒唐無稽だった世界の話を手土産にして、まあ、何十年かしたら、会いに行くからな。
全ては、ほんの一瞬に流れた感傷と、思考。
鎖は千切れ、枷は砕けた。
そして、再び動き出した世界で、俺は中臣の鳩尾へと、『防護』によって強化された渾身の当て身を叩きこんだのだった。
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