ネコのマッサージ

万年床の煎餅布団

第1話

 今日の私は疲れていた。理由はなんでもいい。そのためベッドで横になっていた。

 すると廊下の先から柔らかい足音を響かせながら何者かが近づいてきた。

 ドアを勢い良く開きながら部屋に飛び込んできた彼女は、まるで猫のように素早く私の隣に駆け寄ってきた。

 猫のような、というか半分猫だ。

 ウェアキャットだとか猫又だとか言うのだろうか。

 背丈は私の腰辺りまでしかない。10歳より少し上の年齢に見える。しかし見た目よりも歳は取っているようだ。茶色の毛皮に覆われ、くりくりとした目が特徴的だ。

 初めて会ってから付き合いはそこそこあり、たまにこうして私の家に遊びに来るのだ。


 ベッドでだらしない姿をした私を見てその子は

「これだから年寄りは…」

 なんてことを言う。まだ私は若いので、これはただの煽り文句だ。とはいえ、子供から見れば十八より上は皆年寄りかもしれないが。

 それはともかく若くとも疲れるときは疲れる。

「しょうがないなぁ、せっかく遊んでもらおーと思ってきたのに。にーちゃんはお疲れさんなの?」

 枕に顔を埋めたまま頷いて返事をした。

「そっかー、それはしかたないなー。でもわたし遊びたいしなー…」

 背の後ろで手を組みながら、部屋の中をその子はウロウロし始めた。

 どうにかして遊んでもらおうと考えているようだ。

「よし!いいこと考えた!」

 突然声を上げながら振り向き、ベッドの上に飛び乗った。

「にーちゃんお疲れなんだよねぇ?こんなときはこうするのが一番良いんだよ?」

 そう言うと彼女は私の背中に腰掛けてきた。

「じいちゃんはこうされると気持ちいいって言ってたんだ」

 まあ、たしかに背中の重みが心地よい。外見よりも以外に軽く感じる。毛の分だけ体積が大きく見えるからだろうか。

 うつ伏せになった私の体は上に乗る生き物の体重によって程良い圧迫を受けている。

「んーでもどうかなー。にーちゃん重たい?」

 背中に乗ったままの彼女が私に問いかけてくる。見た目よりも軽く問題ないので私が首を横に振ると、

「なら跳び跳ねてもいい?」

 意地悪そうな顔で尋ねてくる。さすがにそれは許可できない。

 ふーん、とにやり笑ったまま姿勢を崩し、私の上でうつぶせになる。

 その子の体重全てが私の体にのしかかってくるが、重みが身体全体に分散されてむしろ楽になる。

 ふわふわの毛布をかぶっている感覚だ。首筋に彼女の毛やネコヒゲがあたりこそばゆい。

 それを察したのか

「うりっ、うりっ」

 と、彼女は頬を私の首に擦りつけてくる。その様は本物のネコの匂い付けを連想させる。

 振り払うのも面倒な私は、わずかながら身体をもぞもぞさせて抵抗する。

「うりっ、うりっ。どう、くすぐったい?やめてほしかったらおきろーおきろー」

 今度は両手で首筋をくすぐり始めた。爪は引っ込めてあるから、指の感覚だけが首筋に伝わる。左右10本の指が首筋を伝っていく。その感覚は、不覚にもゾクゾクとする。

「おきないのー?そんなに疲れてるのー?」

 頷いて返事を返す。

 残念だけど今日は相手出来そうにない。

「ほんとにしょうがないな―」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「こうしてあげるのは今日だけだよ?」

 首をさすっていた手が、首を揉み始める。

 首の骨の左右の筋肉をつまむように揉みほぐす。ムニムニとあくまでやさしく、筋肉の繊維を解きほぐすようだ。

 彼女の温かい手でマッサージを受けていると、だんだん筋肉がほぐれ、固まっていた筋肉に遮られていた血が流れていくのを感じる。

「今日はねぎらってやるぞー。かんしゃしろー」

 今度は首を上から下へ、血液やリンパ諸々を押し流すようにさすっていく。これは良い。頭と首の境目、その左右にあるくぼみから筋肉の谷間を通って肩へ指が流れていく。疲れた首が癒されていく。

 凝り固まった筋肉がほぐれていく。

 感謝するだけでこれをしてもらえるなら毎日だって感謝しよう。だから毎日やってくれないだろうか。

「調子にのんな。やめちゃおっかな」

 それは困る。そう思って軽く謝ると、

「じょーだんじょーだん。ふだん遊んでもらってるし、今日くらいサービスしたげる」

 そう言って、彼女はうつぶせのままの私の身体の上に寝そべる姿勢から馬乗りに体勢を変えた。

 首を揉む手が段々と上へ登っていく。

 そのまま彼女の指先は頭に到着し、ヘッドマッサージを始めた。

 彼女の両手が私の頭を揉む。両手の指を閉じたり開いたりするようにして、頭全体の血液の流れを刺激していく。頭頂部、こめかみ、耳の周り…普段動かない場所を刺激され、ストレッチの後のような快感が頭を覆っていく。

 すると彼女はつむじの左右に手を当ててくるくると回すように頭皮を動かし始めた。

「そういやさ、知ってる?頭揉むとハゲに良いんだってさ」

 前後左右に手を動かしながら、彼女は雑談をし始めた。

「でもまだまだ大丈夫そだね。けど安心はできないよ?ハゲるときはすぐはげるらしいし」

 ワシャワシャと髪の毛をめちゃくちゃにされる。

 手のひらや指先だけでなく彼女の手に生えた柔らかい毛も頭皮に触れる。

 圧力を感じる指先とは違い、毛先はさわさわと撫でていく。

 毛先が触れるたびに頭がしびれるような、くすぐられたような感覚が駆ける。

 その感覚に頭が溶かされるような錯覚を覚える合間にも彼女は前頭部、頭頂、そして後頭部や側頭部、頭を一通りぐにぐにとマッサージしていく。

「こうやって動かすとかつらみたいだよねー。ほらこれ、ぐにぐに」

 小学生の遊びのように頭皮をうごかしている。そのたびにおでこの肉が伸びたり縮んだりと、ストレッチのように伸縮させられる。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 頭を全体的に揉み終えた彼女は指を、首を撫でるように伝わせて肩まで持っていく。指先の感覚に加え、彼女の体毛も、首を伝っていく。細く柔らかい毛先が首をさわさわと撫でる。

 とても心地よい感覚。しかし指は首を通り過ぎてしまう。

 「首気持ちいい?でも首はさっきやったからー、次は肩!」

 彼女の手が私の両肩に触れる。

 いきなり揉むようなことはせずに筋肉を温めるように、肩全体を手のひらを使ってさすっていく。

 普通の人間とは違い毛が生えているためか、とてもふわふわとした感触だ。

 撫でさすられて肩が温まることでリンパや血液の流れがよくなっていく。 固く張った僧帽筋が、彼女のふわふわした手で撫でられるたびに、ぞわぞわと体がしびれるような感触を感じる。

 一通り肩を撫で終え、彼女は肩を揉み始めた。

「痛かったらガマンせず言いなよー?」

 凝り固まった肩をゆっくりと揉んでいく。首の根元から肩にかけてゆっくりと指で押し込まれていく。 

 ただ揉むだけでなく肩のツボをしっかりと押さえた揉み方だ。

 日ごろ酷使することでボロボロだった肩が柔らかさを取り戻していく。

「こことかどう?ここも良いー?」

 うなじ周辺の筋肉を、筋肉の束をぐりぐりと押し込んでいく。じんわりとした感触が心地よい。

 彼女の両手はうなじからさらに左右に広がり肩甲骨のマッサージを始めた。肩甲骨を手のひらで包み、回すように動かす。肩甲骨に引っ張られるような形で周辺の筋肉が伸びていくのを感じる。


「肩はもう大丈夫?もうちょっとやってほしい?しょうがないなー」

 その子は手のひらを合わせるように構えて肩たたきを始めた。ちょうど床屋の肩叩きのような感じだ。

 ぽふぽふと叩かれていく。首から肩の半ばあたりまでぽふぽふと。

 ちょっと強めかもしれないがこの子の柔らかい手ならばちょうど良いかもしれない。


「はい、おしまい!肩たたきやりすぎはよくないしね。」

 もう終わってしまったことを少し残念に思う。

「次はどうしよっかな。背中かな?」

 その子は身体をずらし位置を変えようとする。

「背中はさっきまで乗ってたから大丈夫だよね。それじゃ腕!」

 背中降りて、私の横に座り右腕を持ち上げる。

 最初は二の腕から始める。指先は使わず、指をそろえて指全体と手のひらで挟み込むように揉んでいく。

 外側、背中側の腕の筋肉が揉みほぐされる。

 肩や腰に比べると忘れやすいが、ここもかなり気持ちいい。

「腕はサクッと済ませちゃうね」

 両手で私の腕を挟みこんだ彼女はそのまま左右に回すようにし始めた。

 これも子供の頃の遊びを思い出す。力いっぱいねじればそれは痛いが、この子のやるように軽く、全体を一緒の方向に回せば腕は軽くなっていく。

 数回繰り返した後、仕上げとして小刻みにプルプルと腕を震わせる。

 滞っていた血液が出口を見つけたかのように流れ出すかのように感じる。



 二の腕を揉んでいた腕はそのままひじ関節を下り前腕部へ。

 前腕部の二本の骨を挟んだ表と裏を親指と他の指でマッサージしていく。

 前腕部はほんの通り道だったようだ。そのまます先へ下りていく。

「手のマッサージのやり方、これ誰が考えたんだろね」

 その子は手のマッサージを始めた。その子の両手の小指と薬指の間を私の小指と薬指、親指と人差し指の間にそれぞれ差し込む。

 そして私の手のひらを広げながら、その子の親指が手を全体的に指圧していく。

 これは自分一人では決してできないマッサージだ。

 ふわふわの毛にくるまれた手と私の手が絡んでいる。

 親指の指圧の感覚はもちろん、ふわふわの感触が手から現実感を奪っていく。

「おー?どしたの?気持ちよすぎる?ふふーん。でも右はおわりね」

 その子の手が離れる。せめてもうちょっと。

 なんだか段々身体が重くなっていく。さっきまで身体を覆っていた全身に重りを付けられたような重さとは違う幸せな重さを感じる。

「そんなに残念そうにしなーい。ほら、次は左手やるから」

 私の体をまたぎ、反対側へ移ったその子は左腕を揉み始める……



「ふー、左手もおわり!」

 身体は軽いのに起き上がれない……

 空に浮かびそうなのに身体はもう起き上がらない……

「楽になったでしょー?」

 とてもとても楽に……

「それじゃもう遊べるよね!なにして、って……」

 ……

「寝ちゃってる……」

「もー、なんのためにマッサージしてあげたのさー」

「しょうがないなー」

 ……遠くでごそごそと音が聞こえた気がした

「おやすみ」

 ……とてもあたたかくやわらかい何かが布団のなかに潜り込んでくる


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌日の私は信じられないくらいさわやかな目覚めを経験した。

 そして隣で眠るその子も見つけた。帰らなくてよかったのだろうか。

 快調になった私はその日が休みだったこともあり、昨日のお礼に目いっぱい遊んであげた。

 そしてその夜にはまた疲れ果てて、倒れてから起き上がることはできなかった。

 あの子は遊んで満足して帰ってしまったので今日はマッサージは無い。


 まあいい、また疲れて動けない振りしてマッサージしてもらおう。

 そんなことを考えながら明日に備えて瞼を閉じた。

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