目蓋

杉村衣水

第1話

風を切る音と共に、速球が俺の肩を掠めて背後のフェンスにぶち当たった。


「何やってんだ、宮脇! ケガすんぞ!」


キャッチャーをしているクラスメイトが大声を投げてくる。


「あー、悪い」


ぼーっとしていた。

大して、というよりも全く詳しくない野球は自分がどのポジションで何をすれば良いのかもよく解らない。

体操着の下はじんわりと汗が滲み、体育の授業中だった事を思い出す。


「宮脇、ごめんな。ぶつかったか?」


砂埃を立てながら、バッターをしていた高岸が俺に走り寄って来た。

浅く焼けた肌に汗が伝っている。


「大丈夫。それより、走んなくて良いの?」


「ああ、うん、走れるとこに打ち返せなかった」


そういうものなのか。

彼はサッカー部でレギュラーだったかと思うが、同じ球技でも野球まで上手い訳では無いらしい。

俺が見送ったボールを拾い上げ、ピッチャーの方に軽く投げた。


「今日あっちいなあ」


そのままどさりと、高岸は俺の隣に腰を下ろすと体操着の首元を引っ張り、パタパタと空気を送る。

肌に円い白と黒の境目が出来ていた。


「宮脇は涼しそうだな」


「まあ、高岸程動いてないし。……お前はいつも全力だよな」


「ああね、馬鹿みたいかな」


「なんでだよ。キラキラしてて、俺は嫌いじゃないよ」


「……やっぱ馬鹿にしてんだろ」


口角を変な形に歪めた高岸が俺を見上げる。

肩口で額を拭い、「あっちいなあ」とまた呟いた。


教室に戻り着替え始めると、右肩に違和感があった。

何気なく目線を動かすと、その肩には小さくではあったが青あざが広がっていた。


原因はさっきのボールだろうか。

肩をさすっていると、離れた廊下側の席にいるはずの高岸が気が付いたら傍に来ていた。


「み、みやわき、やっぱりさっきのボール当たったのか!?」


「うーん、そうみたい」


「保健室! 行かなきゃ」


いや、そこまでしなくても、と思う間も無く左手首を掴まれて引きずられる。


「次のせんせーに遅れるって言っといて」


彼が誰に向けるでもなく教室に声を投げると、ポロポロと返事が返ってきた。


そのままずんずんと廊下を進んでいく。

まるで意地を張るように口唇を一文字に引き結び、真っ直ぐ真っ直ぐ歩いていた。

手首は放されるどころか、更に握る力が増した気がする。

俺はその手をずっと見ていた。


「凄い。なんか肩が涼しい」


肩口に湿布を貼ってもらい、保健室を出た。

高岸が心配そうに俺を見つめてくるから居心地が悪い。


「なんだよ、平気だよ」


「宮脇って、肌白いじゃん。だからさあ、あざが凄い痛そう」


「白いか?」


「白いよ」


窓際を歩く高岸の背中に陽射しがかかる。

その眩しさに目を細めて彼を見つめると、その瞳に見返された。


「どうした?」


高岸が優しい声音で訊いてくる。


「眩しい」


「え?」


「お前が眩しい」


「何それ」


一瞬キョトンとしたかと思うと、彼は歯を見せて笑った。

幸せそうに、楽しそうに高岸は笑うから何故だか泣きそうになった。


瞬きを一つすると、見ていた光景が瞬間変わる。

薄暗がりの中、壁に掛けられていたスーツが視界に入る。

枕元の時計に目を移すと、もう起きなければいけない時間だった。

今日がまた始まり、俺は出社の準備をしなければならない。

無意識に右肩をさする。

もうそこにはあざなんて、痛みなんて欠片も無かった。

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目蓋 杉村衣水 @sugi_mura

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