第4話 うち
「ユカ、どこに行きたいんだ?」
「どこかなあ…」
「どこでも?」
「うん」
北国は、雪解けが進み。冬になる前の置き去りにされたものが顔を覗かせている。凹んだ空き缶。押し潰れた煙草の吸いがら。冬に溶けなかった落ち葉たち。
「ユカ、何年生になったんだ?」
車の中、見たい何かがあるはずもない窓の外に目をやるユカ。
「…おじさん、仕事は? どんなことやってるの?」
少し内面に触れようとすると、遠ざけてゆく切り返し。
「辞めるよ。そのうちに」
「そのうち?」
「その、うち」
少し郊外に人目を避けるように、遠ざけるように。
「それは、永遠にってこと?」
「永遠…? ああ…そのうちのひとつだよ」
「おじさんのうちは、どこ?」
「内側のこと?」
「帰るところ」
今日は、土曜日だった。ユカの学校が休みなのかは知らない。
僕の仕事は休みだ。そして、昼間。まだ午前の10時過ぎ。早起きだと思った。
ユカは僕を早起きにさせる。生活を変える。僕のリズムを変える。
「僕の帰るところは、あるよ。でも、他に居場所が必要なんだ。」
「どうして?」
ユカが果たして本当に疑問を抱いてか、不思議な気持ちで訊ねているのか、
計り兼ねない。よくお互いを分からないまま、それでも良いという気持ちで時間を進めている。
「現実逃避が必要になるから」
「本当に必要なの?」
郊外だが、信号はある。赤信号になり、峠に向かう曲がり道で警告を与えた。
車は止まり、ユカの顔をじっと覗いた。二重の目に、アイラインが赤く引かれ、意外に細すぎない眉毛の手入れに気がつく。ギンガムチェックのシャツは襟元が少し折れている。着まわしているのか? グレーのトレーナーはよく見かける。
胸元の英語は何だったか? 思い出せない。
「…現実逃避っていうのは、考えていることから、遠ざかろうとすることだ」
「でも…どうして遠ざかろうとするの?」
「何かを思い出してしまうから。」
信号は、青に変わる。
「どんな?」
「どんな…。嫌なことや、いけないことや…たぶん、真実のようなこと」
「おじさん。それが真実なら、逃げなくてもいいのに」
脳裏に、グレーのトレーナーには“near”という単語だったと浮かんだ。
「ユカ。君は、質問をする。不思議に思ってくれる。だけど、君を見せない。
君の内側を見せない」
「おじさん。わたしの“うち”なんて、あそこの空き缶と変わらないよ。
溶けてしまったら、冬の、ただの現実しか…残らないよ」
グレーのトレーナーには他にも単語があったはずだ。
「うちに行ったって、どこにでも遠ざけられないものが、近くにあるの」
灰色の空。今日は、雨が降らない。予報では。再び、車の窓から見える景色に、ユカは目をやった。記憶の内へ? 何かと照応するように? それは不思議?
眼に入る景色は、遠ざかるのでなく、徐々に近づく。
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