どす恋!
福北太郎
プロローグ「東雲、相撲を知る」
~花相撲~
花に相撲と書いて、花相撲。
相撲の地方巡業のことを、そう呼ぶらしい。相撲に興味のなかった僕には、地方巡業といわれてもよくわからないのだけれど。
いや、興味がないというのは、正確ではないかもしれない。
どちらかというと、決して好ましいスポーツじゃないのだ。むしろ、マイナスイメージの方が大きいかもしれない。
相撲自体には、何の罪もないのだけれど。
原因は僕のこの見た目だ。
黒髪、黒目、あまり高くない身長、丸顔に日本人らしい醤油顔と、野暮ったい瞳。
まあ、それはいい。
一番の問題は――ぽっちゃり、というか、この太り具合。
要するに、デブなのだ。
おかげで小学生のときは散々、相撲取りとからかわれた。
どすこいだの、ごっつぁんだの、他の一般市民が耳にするであろう回数の、ゆうに十倍は聞いていると思う。
あげく、『
そんな僕が朝、早起きして、升席に座っている理由はただ一つ――母の命令だ。
「あ、いたいた。お待たせ、
四十もとうに過ぎた母は、なぜか今、相撲にはまっているらしい。両手にビールと、焼き鳥を抱えながら、僕の座る席へと近づいてくる。
……確かに、今更アイドルにはまるよりは、年相応の趣味なのかもしれないが、もうちょっとおっさんくさくない選択肢はなかったのかな。
などと言った日には殺されるので、何も言わないけれど。
「結構時間かかったね。並んでた?」
「それがね、さっき廊下で
「はあ」
海桜山というのは、母さんのお気に入りの力士だ。ヨーロッパ出身で、母曰く、イケメンとのこと。
そう言われて、イケメンな力士ってどんなものかなと、実はさっき興味本位で覗いてみた。
色白の肌、青い瞳、鼻が高く、彫りの深い顔立ち。イケメンと言われてみたら、そうかもしれない。
ただし、やせていたならという条件がつくけれど。
どこからどう見ても、立派なお相撲さんだったよ。あれがイケメンなら、僕もイケメンだってば。
「あ、来たわよ! あれあれ!」
そんな僕の内心など露知らず、母さんは無邪気に喜んでいる。
指が示す方をのぞけば、土俵をはさんで向かい側の通路から、一人の力士が現れた。
噂の海桜山だ。客席からわく歓声からすると、なかなかの人気の持ち主のようだ。
同時に、ふと、横の通路から人の気配がした。
気配の方へと顔を上げる。
僕の顔からほんの三十センチほど先に、まわしがあったものだから、少しびっくりしてしまった。
対戦相手の日本人力士だ。
堂々とした足取りで、土俵へと向かっていく。
「やっぱり決勝は、
日本人力士の方を見ながら、母さんが独り言のようにつぶやく。
「一ノ関?」
「海桜山のライバルよ。この前の春場所でも、二人で接戦を繰り広げていたのよ。ほんと、惜しかったわ!」
惜しかった、ということはつまり、一ノ関が勝ったというわけか。
視線を前方へと向ける。土俵上の彼は、背の高い海桜山に比べて、ずいぶん小さく見えた。
「あの人、小さくない?」
「そうね。確か、部屋入りの時に身長が足りなくて、手術で頭にシリコン埋め込んだって聞いたことあるわ」
「手術!?」
そこまでして、相撲がしたかったのか。すごい情熱だ。うっかり感心してしまった。
いつの間にか、僕はどうせなら、一ノ関に勝ってほしいと願っていた。
どちらかを選ぶなら、イケメンの外人よりも、チビで努力家の日本人を応援したい。
土俵の対角線上に、二人の力士が並ぶ。
相撲の客席は、外からの見た感じより、ずっと土俵に近い。一番前列の席だと、土俵から一メートルも離れていなくて、倒れてきた力士の下敷きになることもあるのだという。
あまりの近さに、力士たちの緊張と熱気が伝わってくるようだった。
塩をまいたり、手を縦に切ったりと、僕にはよくわからない動作をしながらも、二人の意思がどんどん集中していくのが伝わる。
客席の喧騒が徐々に、静まり行く。観客の視線にさらされた力士たちは、互いに目の前の相手しか見えていない。
やがて、二人が土俵の中央へと向かい行く。
行司も二人の間に立って、黒いうちわのような物を持つ。母が言うには、あれは軍配と呼ぶらしい。軍配が上がるという言葉の語源は、相撲から来ているのだと、僕は少し賢くなった。
やがて会場が、完全に沈黙する。
衣擦れの音すら響きそうな静寂の中で、僕らは固唾を飲んで待つ。
二人が構えた。腰を落とし、右手を地面すれすれまで下げる。
そして、一瞬。試合は始まった。
――それが、僕の人生を変えるきっかけだった。
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