信頼 

 小生はときどき考えます。


『隣に座った人間が鞄から包丁を取り出さないだろうか?』


 小生はときどき考えます。


『料理人がこの食事に毒を盛ってないだろうか?』


 小生はときどき考えます。


『どうして皆、他人のことを信頼して生きていけるのだろう?』


 この世界は『恐怖』で溢れています。人は容易く人を殺すことができますし、ニュースを見れば『誰かが誰かを殺した』という現実が日常であるかのように報道されています。


 一方、小生たちが平穏に暮らしていけるのはそこに『社会秩序』があるからです。

 

『隣で座った人間が小生を殺しても得にならない』

『料理人が小生に毒を持ったところで何の意味も無い』


 むしろ現代社会では自分の個人的な理由で殺人を犯す人の方が少数派であり、他の大多数の人間は『人を殺したいと思ったとしても殺さない』という『信頼』がそこにあるわけです。


 そして、その『信頼』の集合体が『社会秩序』というものの正体であり、我々が暮らしていくための基盤になります。我々が安心して暮らすためには『信頼』という目に見えない保障が確立されていることが最低条件なのです。


 ですが、その『信頼』は『砂上の楼閣』に過ぎず、一度誰かが崩してしまえば修復することは非情に難しいものでもあります。

 

 なぜならば、一度でも誰かがその『信頼』を崩せば、それはもう『崩れてしまう信頼』でしかないからです。誰かが『破壊できる信頼』になってしまうのです。

 

 この現代社会が成立しているのは、お互いに『決まりごと』を守ろうとする気持ちがあるからです。

 

『国民』が生活するためには『法律』が必要ですし、『企業』が活動するためには『契約』は守らなくてはなりません。国家間の交渉には『条約』の遵守が必須ですし、『人権』は人が人として生きていくためには尊重されるべきルールです。


 では、逆に考えて見ましょう。


 国民が法律を無視すれば、

 企業が契約を守らなければ、

 国家間の交渉を一方的に破棄できれば、

 人権が無視され人が人として扱われなければ、


 そこに残るのは『無秩序』であり『世紀末』であり『力によって殺し合うだけの世界』です。文化は育たず、科学は失われ、歴史は伝えられずに消えていくでしょう。


 当たり前ですが、今世界にあるルールは完璧ではありません。この世界は不当に踏み潰される人間が、救われることなく生きていくしかない世界でもあります。


 ですが、例え世界がそうだとしても、そこにあるルールを一方的に破ってしまえば、世界から『信頼という名の繋がり』はあっという間に失われてしまうのです。


 そして、その先に別の形のルールが定まったとしても、『信頼が失われた世界』ではその新しいルールですら誰かが容易く破ってしまえるのです。


 ゆえに誰かが『テーブルを蹴飛ばす行為』を許してはいけません。誰かが一度でもテーブルを蹴飛ばせば、別の誰かが再びテーブルを蹴飛ばすからです。


 それは何度でも起きるでしょう。

 何度でも、何度でも。


 その先に待つのは隣の人間が包丁で小生を殺す世界です。

 料理人が料理に毒を持って小生を殺してしまう世界です。


 そんなの真っ平ごめんです。

    

 だからこそ世界から『信頼』を失わせてはいけないのです。

 隣の人間が自分のことを殺すかもしれないと思わせてはならないのです。


 小生のような人間が増えてしまえば、きっと世界は呆気なく終わるでしょう。

 きっと『核兵器を撃たないという信頼』ですら跡形も無く失われるでしょう。


 その一歩。

 その一歩を防がなくてはなりません。


 その一歩が防げなかったとき、『信頼』は跡形も無く崩れてしまい、その代わりに人々の心の中に『疑心』という『信頼を疑う心』が芽吹いてしまうのです。


 かつて原発は『安全神話』という虚構を垂れ流してきました。


 多くの人々がそれを信じました。

 ですが、その信頼は裏切られ、多くのモノが失われました。


 安全神話を歌った人々はどこかへと消え去り、責任の所在は葬り去られ、大きな傷跡だけが信頼への返礼として残されたのです。


 そして、政府が安全を叫ぶ声は薄っぺらい妄言と成り果てました。ワクチンを打たない人の中には、同じように政府から裏切られた経験がある人もいるでしょう。


 一度崩れた信頼を取り戻すことは難しいのです。

 それが『人の命』に関わることならばなおさらです。


 なぜならば失われた命は戻ってこないからです。

 百の言葉を重ねたとしても、それはもうどうしようもないことだからです。


 この世界は完璧には程遠く、むしろぎりぎりのラインで生き残っている世界です。

 それが容易く壊れてしまうことは、この数年で多くの人々が理解したでしょう。


 世界が脆いことを多くの人々が知らない方が平和だったかもしれません。

 ですが、一度崩れてしまったものは、もうどうしようもないわけです。


 たぶん大勢の人々は『元の形』に戻ることを願っているかもしれませんが、絶対に『元の形』へと戻ることはありません。 


 例え同じような形に見えたとしても、それは以前とはもう『別の形』なのです。

『信頼』が失われるというのはそういうことなのです。

 

 とはいえ、現状は『信頼』はもう失われています。それをどれだけ取り戻せるかはこれから次第ですが、けっして同じ形には戻らないわけです。


 新しい世界へようこそ。

 我々の子孫は一体どんな世界で生きていくのでしょうかね。


 願わくばそこに『疑心』ではなく『信頼』が根付いていれば良いのですが、そればかりはにんともかんとも。


 人が人を裏切るのは人の性でございます。

 いつの時代も詐欺師は人を騙してお金を稼ぐものなのです。


 根拠の無い信頼は裏切られる。

 それもまた真実の一欠けらでございます。


 終わり。

 容易い救いなどが無いのがこの世界なのです。


<信頼しても確認することは重要でふ>

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