ゲーム『エルデンリング』感想(ネタバレなし)

『このクソゲーがぁ!』


 と叫びながらプレイした日々。


『はぁ!』


 ストレスで叩きつけたくなるコントローラー。


 そんな自分との戦いに勝ち、小生は何とかクリアーしたわけです。

 いやー、今回もアホみたいな『理不尽ゲー』でした。ボケカスがー!(乾笑)


 さて、世間的には『エルデンリング』は高難易度ゲームとして紹介されていますが、実際には『理不尽ゲー』の類ですね。


 製作者の仕掛けた『悪意だらけの挑戦状』を『如何にして攻略するか』というのがメインのゲームになります。


 例えば『SEKIRO』の場合は理想的な『高難易度ゲー』でした。プレイヤーの腕が上がれば上がるほど、その上手さがゲームに直接反映される素晴らしいゲーム設計になっていました。


 それに比べて『エルデンリング』はぜんぜん違います。プレイヤーの腕前が介入できる部分が少ないと言いますか、相手のモーションを読んでも、避けられるかはプレイヤーの反射神経に依存しているという感じのゲームですね。


 正直な話、最後までクリアーしましたが、プレイしていて上手くなったという感覚はあまりありません。プレイヤーのテクニックで攻略するのは非効率的なゲームだからです。


『このクリアーしてやったぞ。クソ野郎どもめ』


 という感想が一番正しいでしょう(笑) 

 そして、この感想は『ファミコン』時代のゲームに抱く感想でもあります。

 

 まあ、ゲーマーならばある程度理解できていると思いますが、『ダークソウル』や『エルデンリング』はファミコン時代のゲーム哲学である『クリアーできるならクリアーしてみろ』という思想で作られたゲームなのです。


 プレイした印象として一番近いのは『魔界村』とかですかね。

 あのシリーズも作った製作陣の性格の悪さが垣間見えるゲームでした。


 例えば『ダークソウル』では途中の道が途切れている場合が多々あります。何気なく進んでいるとプレイヤーがそこで落下死するわけですが、ぶっちゃけそこで道を途切れさせる意味はありません。


 製作陣が『プレイヤーを殺そうとしている』以外は。

 同じようなギミックが『エルデンリング』にも大量に存在してました。


 つまりは『製作陣がプレイヤーを殺そうとするゲーム』なわけです。


『プレイヤーを楽しませる』とか。

『プレイヤーに快適に遊んでもらう』とか。


 そういう現代的ゲーム思想で作られたゲームではなく。

 むしろ、


『プレイヤーを怒らせる』とか。

『プレイヤーにざまぁを食らわせる』とか


 そういう過去に葬り去られたゲーム哲学の後継者だと思われます。

 

 かつてゲームは難しいものが主流でした。

 最後までクリアーできないということが普通だったわけです。


 小生も『アトランティスの謎』とか『ドルアーガの塔』とか未だにクリアー出来ていませんし、今プレイしてもクリアー出来ないかもしれません(汗)


 でも、クリアー出来ないからこそ挑んだわけです。

 己の全てを尽くして、最大の壁にぶつかって行きました。


 それはこの『エルデンリング』も同じです。『理不尽ゲー』を攻略するために、小生は今まで培ってきたあらゆるテクニックを駆使して、攻略しました。


 建物を利用したり、壁を利用したり、突き落としたり。

 バグだろうが何だろうが勝てば官軍なのが『理不尽ゲー』との戦いなのです。


 ただし、その全ては攻略サイトなど見ることなく、自分の力だけで行ないました。

 それが小生にとって『面白い遊び方』だからです。


 もし途中で攻略などを見て、強い武器や戦い方を知り、誰かの力を借りてゲームをクリアーしたとしても小生にとってそれは『面白くない』のです。


『エルデンリング』というゲームはけっして『プレイヤーを楽しませるゲーム』ではありません。この手のゲームは『プレイヤーが自ら楽しむゲーム』なのです。


 だからこそ攻略というものがほとんど流通していなかった時代、かつてのゲーマーたちは自分たちの力だけで『高難易度ゲー』や『理不尽ゲー』に挑みました。


 それが『楽しかった』からです。


 そして、時代は移り変わり、『ゲームがプレイヤーを楽しませる』のが当たり前の時代が訪れました。ちょうどいい難易度、読むだけで面白いシナリオ、やりこまなくても遊べる対戦ゲーム。それらのゲームが求められる時代が訪れたのです。


 もちろんそれを否定するつもりはありません。

 

 所謂『美少女ゲー』などのジャンルは『ゲームがプレイヤーを楽しませる』ゲームの筆頭ですし、小生もその文化の恩恵を大いに浴びた一人でもあります。シナリオ重視のゲームにゲーム性は必要ないという意見もあります。


 ただ一方でこちら側のゲームもまた『ゲームの本質』なのです。どちらかが正しいのではなく、それぞれが『違うゲームの面白さ』を追及しただけなのです。


 まあ、個人的はこうした『理不尽ゲー』を楽しむ文化が世界中で復活したのが面白いとは思います。動画配信とかそういう影響もあるんでしょうね。


 昔は友人のプレイを見ていることも珍しくありませんでしたし。

 何か一周回って元の場所に戻ってきたような気分でもあります。


 さて、ここまでは『理不尽ゲー』としてのエルデンリングを褒めた(笑)内容でしたが、ここからは『エルデンリング』というゲームの欠点を指摘していきます。


 これに関しては他の方も指摘してる人が多いですが、所謂『オープンワールド』にした意味があまりありません。ぶっちゃけフィールドの探索はすぐに飽きます。


 物語のメインとなる場所の作りこみは『ダークソウル』と比べても素晴らしいのですが、その他の場所に関する作り込みがいまいちで、次第に寄り道をしたいという気持ちがなくなってくるんですよねー。


 同じようなダンジョン、同じような敵、同じようなギミック。

 明らかに水増しですよこれ(汗)


 いや、新シリーズの一作目なのでリソースが足りないのは分かりますけど、これだとわざわざマップを広げた意味が無いです。これなら『ダークソウル』と同じ作りの方が良かったのではないかと思います。


『ダークソウル(1)』が素晴らしかったのは、多くの物事に意味があったからです。武器などのフレーバーテキストを追っていくことによって、作中で語られてない多くの謎が次々と解明されていくという密度の濃さがありました。


 もちろん『エルデンリング』にも同じような濃さはあります。

 作中の謎の半分ぐらいは文章を読んでいけば理解できるでしょう。


 一方で今回は水増しのために何の説明もなく用意されているギミックも多いです。

 多くの『なぜ?』という疑問に対しての答えが無い。


『なぜこいつがここにいるのだろう』

『このダンジョンは何なのだろうか?』


 そういう色んな疑問に対する答えが作中で用意されていないわけです。

 なので結果的に『ダークソウル』と同じぐらいの面白さになってしまっています。


 うーん、『ダークソウル』シリーズよりも面白いとは言えないんですよね。フィールドも途中から馬で駆け抜けるだけで、道中のモンスターは無視してましたし。


『スカイリム』とか『フォールアウト4』とかフィールドを探索しているだけでも楽しかったのですが、『エルデンリング』の場合は楽しいのは最初だけでした。


 もし次回作があるならその辺りの『メインとは関係ないような部分』も作りこんで欲しいですね。全体的に物語をきちんと配置して欲しいかなーと思います。


 まあ、『ダークソウル』シリーズを楽しめた方には間違いなくおススメできるゲームだと思います。あるいは今まで以上の『理不尽』を味わえるかもしれません。


 マップが広がったせいで降りれそうで降りれない場所とかが増えて、ゲームシステムにすらバリバリ殺されますから。めっちゃ『理不尽』ですよ(笑)


 ま、その『理不尽』を楽しむのがこのゲームの基本的な遊び方です。それぞれが自分なりの遊び方を見つけられるので、けっこう自由度の高いゲームでもあります。


 逆に言えば、『自分で面白さ』を見つけられない方にはあまり向いていないゲームでしょう。小生の場合は『どんな方法を使ってでも自分の力だけでクリアーする』という遊び方でした。製作陣を罵倒しながらめっちゃ楽しみましたよ(笑)


 自分なりに楽しむのも『ゲームのあり方』というわけです。

 それぞれ自分に合ったゲームを選び、楽しめばいいんですよー。


 でわでわ、今日はこの辺で。

 いろいろあって、まだちょっと忙しいですが、何とか更新したいとは思ってます。


 まあ、更新しなかったら忙しいんだと思ってください。

 業者との交渉などもまだあったりするので、やることが多いです。


 でわ、またそのうちわ(親父ギャグ)


<ゲーマー魂> 

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