アニメ観賞『SSSS.DYNAZENON』 考察(ハイパーネタバレ)

 ハイパー化!(汗)

 再放送してたので言って見ました(笑)


 はい、関係ない話はしないで本編をどうぞ。





<この物語は何だったのか?>


 基本的には『過去に囚われた人々の物語』です。ただし、一言で『過去に囚われた』と言っても、この作品には二種類の人間が存在しています。


 一つ目は『南 夢芽』のように『過去の出来事』に囚われてしまった人間たち。過去に抱いた『後悔』から逃れられずに、今を、未来を見ることができなくなってしまった人々です。


『山中 暦』や『ガウマ』もこちら側の人間ですね。

『シズム』を除く『怪獣優性思想』の三人もこちら側になります。


 彼らの特長は『現実逃避をしている』ということです。

 例えば『南 夢芽』が『約束』を破るのは過去に起因する現実逃避の結果です。


 それを続けたとしても『問題』は解決しない。

 それでも『過去』から目を逸らすことができない。


 その矛盾があの『約束破り』であると推測できます。 

『山中 暦』が『無職』というのも同じような理由です。


 何とかしなければならない。

 何かをしたいと思いながら、過去から進むことができない人々。


 それが一つ目になります。

 

 二つ目は『麻中 蓬』のように過去を後悔しながらも今を生きていく人間。『変えることができない過去』を背負いながらも生きていくことができる人々です。


『麻中 蓬』が『バイト』に拘っていたのも、それが彼にとって『今を生きる手段』だからです。自分なりの方法で何とか抱えている『問題』を解決しようと足掻いていたわけです。


(この辺りは『ボイスドラマ』の方で語られました)


 合唱部の『元カレ』や『女子部員』もこちら側の人間で、彼らも『ある出来事』を後悔しながら人生を生きてきたと推測できます。


『南 夢芽』と『合唱部のOB』が『同じ過去』を共有しながら、それぞれ違う人生を歩んできたというのは、この物語の分かり易い『対比』となっています。


 同じように『山中 暦』と『バイトリーダー』も『同じ過去』を共有しながら違う人生を歩んできたという対比構造になっています。


『ガウマ』と『怪獣優性思想』はどちらも過去に囚われているので対比構造にはなっていません。彼らのこの物語における『対比』はまた別の配置なのでのちほど。


 ちなみに『南 夢芽』はこの物語の中で、この二つの境界線を行ったり来たりしている人物です。


 過去に囚われた状態(一つ目)から姉のことを知るために行動しますが(二つ目)、知れば知るほど過去に囚われ身動きが取れなくなってしまう(一つ目)というような感じです。



<それぞれ何に囚われていたのか?>


『麻中 蓬』=親の再婚(食事会に出てしまったこと)。

『南 夢芽』=亡くなった姉。

『山中 暦』=逃げたこと。

『ガウマ』=姫。


『ジュウガ』=ガウマ。

『オニジャ』=人間への復讐。

『ムジナ』=怪獣使いであること。


 分かり易く書くとこんな感じですね。

 それぞれ十話から十二話を見れば分かるようになってます。


『麻中 蓬』の場合は『再婚相手を父親と呼べない』とか『自分のせいで再婚が駄目になって欲しくない』という思いがあり、『再婚を嫌がっているわけではないけど、いきなり父親なんてよべねー』という悩みに囚われているわけです。


 ぶっちゃけ悩んではいますが、それで今を生きていけないほどではなく、『十話』で彼がさっさと過去から抜け出せたのも、『過去』よりも『今』が大切だったからです。


 逆に言えば自力で抜け出せなかった三人は『過去に囚われた人間』であり、最初の分類になります。この物語で『麻中 蓬』は間違いなく主人公なわけです。


 後、


『元カレ』=『南 香乃』を助けられなかったこと

『女子部員』=自分たちの弄り(虐め)のせいで自殺したかもしれないこと。


 ということが推測できます。『女子部員』に関してはまったく気にしていない可能性もありますが、物語の配置的にはおそらくこれで正解かなーと思います。


 まあ、その辺りものちほど。



<南 香乃は自殺したのか?>


 作中で示唆されているようにただの『事故死』です。

 彼女のキーワードは『勘違い』あるいは『擦れ違い』でしょう。


 事故死だったのにも関わらず、『元カレ』や『女子部員』は『彼女の死が自殺だったのではないか?』という疑念に囚われます。


 なぜならば、彼らには『心当たり』があるからです。


『弄り(虐め)のせいで死んだのではないか?』

『自分ならば助けられたのではないか?』


 事故死だと思っていてもそういう疑念は消えることがありません。

 それはまるで『呪い』のように。 


 でも、それはまったくの勘違いで関係ないわけです。

 彼らは自分自身で自分を縛り付けているに過ぎません。


 それは『南 夢芽』も同じでした。

 


<『南 夢芽』は何に囚われていたのか?>


 それは先ほども書いたように『亡くなった姉』のことです。

 ですが、それは『南 香乃』の『死の理由』ではありませんでした。


『南 夢芽』は最初から彼女の死の理由が知りたかったのではありません。

『南 香乃』が『何を考えていたのか』ということを知りたかったのです。


『なぜ自分を誘ったのか?』

『なぜ家と学校で違う態度なのか?』


『死んだ理由』というのも多くの疑問の一つにしか過ぎません。『南 夢芽』は自分が知りたかったことを知り、己の『勘違い』に気付いたことで、ようやく『過去』から解放されたわけです。


 例え姉が生き返らなくとも。



<最終回の合唱部>


『南 香乃の死』によって囚われてしまった人々が解放されたシーンでしょう。逆説的に言えばあそこにいる登場人物は大なり小なり『南 香乃の死』に囚われていたということです。



<『山中 暦』は何に囚われていたのか?>


『バイトリーダー』との『恋』……ではありません。

 この辺りはめっちゃフェイントです(笑)


 というより『山中 暦』自身も勘違いしていましたが、彼が囚われていたのはすばり『お金』の方です。十話で『お金』の心配をしたのもそれが理由です


『あのときの金があれば……』


 その思いが彼の人生を縛り付けたのです。

 彼が働かないのもその思いがあるからです。


 それは『バイトリーダー』の方も同じで、彼女も結婚生活に疑問を抱き、『山中 暦』と再会したことで少しだけ過去に『現実逃避』したと推測できます。


 ただ彼女の場合はすでに割り切っているので、すぐに現実の方に戻って『頑張ろう』みたいな感じになったというのが結末でしょう。


 この辺りも過去に囚われてしまう人間とそうじゃない人間の『差』を表現していると考えられます。


 ただ『山中 暦』も自身が『お金』に囚われていたことに気付き、その執着を捨てたことによって『今を生きる逞しさ』を取り戻しました。


 嫌でも向いていなくても金を稼がなければ生きていけないわけです。それは彼の望む生き方とは違う生き方ですが、それでも彼にとって生きていくためには必要なことなのです。 

 


<姫と再会できるとは何だったのか?>


 今のところは『ガウマの妄想』です(汗)

 

『自分が生き返ったのは運命に違いない』


 とアホみたいに信じただけです。

 それは『そうあって欲しい』という願望でもありました。


『何かありそうで何も無い』 


 それがこの作品の手法なのです。



<何も無い>  


『南 香乃の死因は何なのか?』

『山中 暦の過去に何があったのか?』

『姫と再会できるとはどういうことか?』


 これが最初から提示されていたこの物語の『謎』でした。

 ですが、答えは、


『南 香乃は事故死』

『山中 暦は逃げただけ』

『姫との再会はただの妄想』


 つまり、そこに『謎』は無かったわけです。

 ミステリーファンならば怒っちゃうような展開です。


 激おこぷんぷん丸です。


 しかし、この物語ではそれこそが『答え』なのです。

 そこに『何も無い』という事実。『何も無い』という現実。


 彼らはいろんなことを勘違いして『誤解』してしまったのです。

 そして、その『誤解』が彼らを過去へと縛り付ける原因となりました


 でも、彼らは『それ』に気付きました。


 そこに『何も無い』ということに。

『自分たちを縛るような過去など無かった』ということに。


 だからこそ、彼らは過去から解放されたのです。

 

 逆にそこに何かが『あった』としたら、彼らは今も過去に囚われたままでした。

『元カレ』や『女子部員』が『自殺』という言葉に囚われてしまったように。


 何も無いからこそ『南 夢芽』は姉を理解し、『山中 暦』は自分の弱さを知り、『ガウマ』は生き返ったことに意味を見出せたのです。


 それは誰かに用意された答えではなく、『自分自身で得た答え』でした。

 それを得たことで彼らは『今を生きる強さ』を取り戻せたのです。


 彼らにとってはその答えが『必要』だったのです。



<『麻中 蓬』の問題>


 一方この物語の主人公だった『麻中 蓬』にも一つの問題がありました。 

 彼の場合は『他人に同情するのに自分の事情は話さない』という点です。


 彼の友達はそれを強調するために用意された配役と言えるでしょう。作中で『麻中 蓬』は『家庭』のことも、『ダイナゼノン』のことも友人たちにまったく相談しません。


『他人を助ける優しさはあるけど、自分のことになると一種の壁を作ってしまう』というのが彼の問題点だったと推測できます。


 そんな彼が最後に『家庭の話をした』というのが成長した証と言えるでしょう。

 

 この物語の中で『麻中 蓬』の抱える問題は解決していませんが、それでも彼が以前とは違う方法で自身の問題を向き合えるようになったのだとは思います。


 一人で問題を解決しようとするのではなく、皆で問題を解決しようと協力すること。そこに痛みがあったとしても、その先によりより未来があると信じること。


 この物語が合体ロボであることには確かに『意味』があったのです。 



<続きます>


 一回で終わらないので続きは次回で(爆)

 主人公たちの考察を書くだけでこれだけの分量になったわい。


 次は『怪獣優性思想』と『残りの面子』について書きます。

 何とか次回の分量に収めたいものです。よてみて(大汗)



<ひとやすみ> 

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