なぜ『鬼滅の刃』は売れたのか? その二(ネタバレ)

『鬼滅の刃』がヒットした要因の一つは『分かり易さ』です。

 これを最後まで保ったため多くの人が『理解し易い物語』になりました。


『なぜ主人公がこんなにも頑張ってるのか』


 それを読者がきちんと理解しているからこそ、そこに応援する声が生まれてくるわけです。応援するからこそ、そこに『感情移入』してしまうのです。


 これは『ひぐらしのなく頃に』でも使われたテクニックですね。

『目的は分かり易く』というのがヒット作を作るための一つの手段になります。


 逆に言えば『目的が分かり難い作品』というのは読者を置き去りにし易いわけですよん。あるいは『目的があるのにぜんぜんそこに向かっていない作品』とか。


 ですが、『物語が分かり易い』だけで作品がヒットするほど小生たちの世界は甘くはありません。


『分かり易い』というのは言い方を変えれば『単純』ということになります。

 なぜならは、『分かり易さ』を求めるならば『複雑なことはできない』からです。


 物語を複雑化させれば『様々な面白さ』を加えることができます。例えば『ワンピース』は初期の頃に比べて展開を『複雑化』させたことで、初期の頃とは違った面白さがそこに生み出されました。


 ですが、それと同時に『初期の面白さ』を失ったのが今のワンピースでもあります。『単純かつ明快に主人公たちが暴れる物語』では無くなってしまったのです。


 それは『物語の変化(成長)』であり、仕方が無いことではありますが、そのせいで『面白くなくなった』という読者も少なくはありません。これは物語が『複雑化』した弊害と言えるでしょう。


 そのため『鬼滅の刃』は『物語の複雑化』を防ぐためにも別の手段で物語に『厚み』を出すことに挑戦しました。


 それが『過去』です。様々な登場人物の『過去』を描くことによって、物語が進行している『現在』に『厚み』与えるというシンプルな手法です。

 

 シンプルではありますが、これもなかなか難しい手法でもあります。

 『過去編』が長くて読者に飽きられた作品も多いからです(汗)


『いつまで過去編をやっとんじゃ』

 

 わりとよく聞く不満ですね。物語に深みを出そうと過去を書いているのはいいのですが、その過去が逆に今の物語を邪魔してしまったという失敗ですね。


 同じように『修業編』が長過ぎても読者に飽きられたりします。

 あくまでも『過去』は『今』に厚みを出すためのアクセントに過ぎません。


『今』を放置しすぎると作品の人気が落ちます。

 この辺りの見せ方は工夫しないと一気に作品が死ぬのでご注意ください。

 

『鬼滅の刃』に関してはその辺りのバランス感覚も良かったのではないかと思います。個人的には過去編が長すぎると感じたことは無かったかなーと。


 まあ、良いところで『過去編』になって続きが気になるところはありましたけど。それでも何巻も引っ張るような展開にはなりませんし、読者を引き付ける程度の効果だったと思います。  

 

 あくまでも『分かり易さ』であり『読み易さ』ですね。そのうえで『過去』を掘り下げることによってキャラクターと作品に『厚み』を与える。 


『過去を掘り下げる』というのは『ワンピース』の得意技でもありますので、その効果は実証済みとも言えます。


 違いと言えば『鬼滅の刃』に関しては敵である『鬼の過去』を掘り下げることも多かったことでしょう。『ワンピース』はあまり敵の過去は掘り下げませんでしたよね。今はあんまり読んでないので知らんけど(汗)


 ただ『鬼滅の刃』は敵の過去を掘り下げても、物語を『複雑化』させるようなことはしません。あくまでも『鬼』は『鬼』として扱います。どんな過去があろうとも、彼らは『倒すべき敵』として描かれているのです。


(珠世(と愈史郎)はこの物語の例外ですね)

(なぜなら彼女はこの物語の主人公でもあるからです)


(そのため彼女が最後に活躍するのも必然であり)

(『鬼殺隊』と対をなすもう一つの刃だったわけです)


『人が生み出した鬼が人を殺していく』

『鬼に大切な人を奪われた人が鬼を殺していく』


 という連鎖がこの作品の『テーマ』でもありますが、その辺りは『深堀り』せずにあくまでも匂わせる程度で終わるのがこの作品です。この連鎖を止めるのがこの作品の『もう一つの目的』だったと言えるでしょう。


(最後の展開もその象徴的なエピソードと言えるでしょう)

(あそこで止められなければ『連鎖』はその後も続いていたわけです)


 このように『分かり易さ』を保ちながら『分かり易いだけではない』のが『鬼滅の刃』という作品の特長であり、それは第一話目からはっきりと表現されています。


 あくまでも『既存のもの』を持ちいりながら『自分の作品』を作り出すセンス。

 おそらく『天才』ではないと思います。


 でも、『天才』ではないからこそ多くの人を楽しませる作品が作り出せる。

『読む側のことを理解している』からこそ『読み易さ』ということを追求できる。


 天才の作品は間違いなく『刺激的で面白い』ですが、なかなか凡人レベルまで降りてきてくれないという現実もあります。


『シン・ゴジラ』や『君の名は。』は才能ある人間が少しだけ凡人側に寄って来た作品と言えるでしょう。


 逆に『鬼滅の刃』は有り触れた作品が少しだけ天才側に寄った作品と言えるかもしれません。そのまま作ってしまえば埋もれていた作品を僅かなセンスと莫大な努力によって上に押し上げたという感覚ですね。


 それが多くの人に受け入れられる『ちょうど良い面白さ』を生んだわけです。

『浅くなく、深くなく、簡単ではなく、難しくはない物語』という絶妙な作品。


 それが『鬼滅の刃』という作品です。

 ギリギリのバランスを保ったまま走り抜けた一つの物語なのです。


『これを真似するな』という言葉も理解はできます。『鬼滅の刃』はヒットする可能性はありますが、ヒットさせることが難しい作品でもあります。


 多くの人々を楽しませようとすると、一部の人々にすら楽しんでもらえない作品が出来上がる可能性があるからです。『マニアック的な濃さ』が無いわけです。


 だから、『アニメ化』するまであまり注目されなかったわけですし。もし『アニメ化』が失敗してたらあんまり注目されずに最終回を迎えた作品だったと推測できます。


 ぶっちゃけヒットした一番の理由なんて『アニメの出来が良かった』からです。

 ただアニメの出来が良かっただけでここまでヒットするわけでもありません。


『ヒットすれば爆発的に売れる作品』と『宣伝効果が抜群のアニメ』の相乗効果ですね。漫画ですらアニメ化しないと読まれないという恐怖の時代が今なのです。


 まあ、『Fate/stay night Heaven's Feel』もアニメ史に残るレベルの完成度だったらしいですけど、そもそもが『オタクコンテンツ』ですので社会現象が起きるほどは売れないわけです。あれは古参ファンへのご褒美みたいなもんですし。


 まあ、『FGO』の方でかなり稼いだわけですけど。こっちも一部のオタクからがっぽがっぽ作品ですので、広く受け入れられたというわけでもないでしょう(汗)

 

 個人的には『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のアニメがヒットしても同じ規模の社会現象を起こすことは難しいかなーと思います。世界市場的に考えるとどうなるかは分かりませんけど、個人的には連続しているというのも不利な条件かなーと。


 もっともこの二つとも一話目を読んだときから『違うなー』と感じた作品なので、面白い作品であることは確実です。物語の見せ方にセンスがありましたね。


 ただ『チェンソーマン』は明らかに人を選ぶ作品ですし、『呪術廻戦』は読んでいて精神的に辛いシーンも多く途中で挫折し易い作品かなーと思います。嵌ったときの面白さは『鬼滅の刃』よりも上になる可能性は大いに秘めた作品ではありますが。


 後、あくまでも個人的な感想ですが、『鬼滅の刃』という作品は最初から最後まで面白かったです。途中で『つまらないなー』とか『路線が変わって面白くなくなった』と感じることがありませんでした。


 これはつまり、『一巻から最終巻までだれることなく読むことができる作品』ということだと考えられます。『面白さが一直線に上がっていく』ので『もう読まなくてもいいかな』と感じ難い作品なのではないでしょうかね。


 逆に言えば最初から『合わない人は最後まで合わない作品』と言えるでしょう。『全然面白くない』という意見もけっこうありますし、『合う合わないが分かり易い作品』でもあるのかなーと思います。


 では、次回はもう少し『視点』を変えて『鬼滅の刃の外側』も考察していきましょう。売れる理由には様々な『要因』があるわけでふよーん。


<続く> 

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