* * * * * *
それは合言葉だ。アノニマは事前に用意された答えを口にする。
「
「
ペストマスクの男は皮手袋の乾いた音を打ち鳴らした。その左足は義足で、身体には西部劇のようなわざとらしい
「ペスト医師か?」
「
「
「
アノニマは拳銃をホルスターに収めた。『白いカラス』は「お茶をもう少し?」と言って薄汚れたティーカップを差し出したが、その中身もやはり空だった。無視してアノニマは尋ねた。
「
「
「
「
アノニマは左耳の通信機を指で押さえながら言った。
「C、『白いカラス』を確保」
「了解。まずは彼から情報を聞き出せ」
外から花火の光が差し込む。炎色反応はストロンチウムの赤だ。くせ毛の黄ばんだ白髪が花火の光を乱反射させながら、帽子屋はゆっくりと足を組み替えた。枯れた技術の簡素な能動義足はその動作に全くの支障を来たさない。
「君の左手……それは、義手だね。よく見せてくれるかな?」
帽子屋はアノニマの左腕を指差して言う。アノニマは再びCに指示され、左腕を差し出した。帽子屋は赤黒い甲蟲めいた軽金属製の義手を、革手袋越しに
「……ふーん……侵襲型のサイバネ義手か。
アノニマは、「…………」とだけ答えた。帽子屋はおどけた風に肩をすくめさせて、
「いや、いや。つい技術屋の癖でね。年頃の
そう言って、アノニマの左手の甲にクチバシで接吻して見せた。アノニマは表情で露骨に不快感を示した。対して帽子屋はペストマスクの下でウインクした。無視してアノニマは言った。
「知っていることを教えてもらおうか」
「なかなか良い質問だ。だがその前にひとつ。一応確認しておくが、君の名前は?」
Cが耳元の無線で「彼の質問に答えろ」と指示を出す。
「アノニマ・プネウマ」
「本名じゃないね?」
「
「ふぅん……。……名付けられ
「お前にとって私の名前が何か必要か?」
「僕が君を指名したんだよ。ただ確かめたくてね」
「何故だ?
「ふーん……Tôi đánh cuộc rằng người giám sát của bạn không nói được tiếng Việt, phải không?」
アノニマは一瞬緊張して息を飲み込んだが、
「Vâng. Như vậy thì làm cái gì?」
と聞き返した。帽子屋は両手の指を交差させて組みながら、
「Tôi nghĩ rằng chúng tôi đã gặp nhau một lần rồi. それとも、僕の気のせいかな?」
と訊いた。義手の軋む音がする。
「Tôi không nghĩ vậy. 初対面のはずだが」
アノニマはそう答えた。
「Thế à? それじゃあ、bạn và cô ấy là một con người khác. cô có thể một số loại của hình bóng của bạn. まぁ、それは置いといて……」
と言った。アノニマはほとんど睨みつけるようにして、
「Nói gì?」
と問い質したが、帽子屋は話題を変えた。
「
「……
「アポロの故郷。だろ?」
「奴のことを?」
「ある程度はね。君ほどはよく知らないが」
アノニマは少しだけ溜まった息を
「そうか……他に言いたいことは?」
「そうだね。君の所属はVIXEN?」
帽子屋は質問を質問で返した。アノニマは苛ついたが黙って頷いた。
「なるほどね。安保理決議一五四〇や二二五三のような消極的で限定的な方策では賄いきれない、必要悪として暗に公認されつつ保障されない、非公式の
「次は私の番だ。なぜ奴らに協力した?」
「協力、というのは正しくないな。彼らによる技術情報の独占のために物理的・肉体的拘束の被害を受けた、というのが正確かな」
「どういう意味だ」
「僕の設計は基本的にはオープンソースなんだよ。ウェブに広く公開して匿名の有象無象に改良してもらうのさ。それぞれの観点ってものがあるから、それはむしろ生体的な、生物学的な進化を遂げる。一般用・業務用を問わず3Dプリンタも普及しているし、立体物の試作も一点物の製作も容易だ。それに倣って僕も、好き勝手に既存のものを改良したりする。彼ら――そして君たちにとっては、それが気に入らないようだけどね」
「Bạn đang nói dối. それだけじゃないな。お前自身が彼らに接触したと警備員たちが話しているのを聞いた」
帽子屋は一瞬組んだ手をほどき、足を組み替えて続けた。
「あー……まぁ、そこまで知ってるなら仕方ない。実は、僕もある人物の行方を追っている。彼らがその情報を握っていると思ったんだけど……奴ら、なかなか渋っていてね。その交渉が難航していたんだ。だから君たちに回収の依頼を」
「奴らは貨物を積んだ船を出港させたと言っていた。お前の技術と何か関係が?」
「知らないな。彼ら独自の動きだろう。僕はまだ
「『赤い水銀』について何か?」
帽子屋は首を横に振った。アノニマは聞こえるように舌打ちした。
「だが僕も彼らと何度か別件で取引したから、彼らの
「各アドレス――言わば口座と
「そうだろうね。一番のセキュリティとは周囲から完全に
「そのアドレスと秘密鍵がセットになった電子媒体をハッキングないし破壊できれば……」
「送金は止められる。正確に言えば、彼らは
その超指向性電磁パルス発生装置が役立つだろう、と帽子屋が言った。アノニマはCと通信する。
「そういうことらしい。どうする、C?」
「了解。奴らの送金を阻止、その後彼と共に離脱しろ」
「
すると通信の中途で、部屋のドアの破壊音が響く。続けて手榴弾の転がる音。それは
その隙に、続けて警備員たちが室内に突入する。アノニマは拳銃を向けるが完全に後手だ。その銃口が相手に向く前に――くぐもった破裂音が六つ響いた。それは帽子屋が義足に隠していたチアッパ回転式拳銃の発砲音だ。その弾薬は薬莢内に爆発音を閉じ込める消音弾薬であり――銃弾は警備員たちの脳幹を貫いて破壊した。
帽子屋は拳銃をスピンさせるとシリンダーから撃ち殻を排莢し、スピードストリップで新しい弾薬をいっぺんに再装填し、ようやく立ち上がるとこう嘯いた。
「さて。奴らも僕には愛想が尽きたようだ。脱出しようか?」
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