ウェット・ガール
名無し
殺し<リクヮデイション>は静かにやってくる
二年前
二〇一八年初頭 韓国
月蝕の日
雨が降っている。むかし「私が泣くから空も泣いているのだ」と嘯いた女が居た。彼女は
地球温暖化というやつだろう。と、少女は思った。冬季五輪が目前に迫っているのに、この雨とはな。皮肉なものだ。そう思う少女の瞳には、化石燃料を消費して真っ白な氷の結晶を吐き出す人工降雪機たちが映っていた。もともと、この隔絶された
アーレン・ルージュ、赤いニシン。フランス発足のイスラム過激派組織。その人員は、フランス本国で育った純フランス人の若者の、行き場の無い怒りが過激派思想と共鳴して、志願し参加したホームグロウン・テロリストたちで構成されている。すなわち、彼らに
五輪に向け、急ピッチで進められた高速鉄道のインフラストラクチャーがあり、その軋む音がする。この冬季五輪と月蝕に合わせたイベントの主催者でもあるIOCの委員長が、観客に見えない場所でスタッフに檄を飛ばしている。雲を晴らせろだとか、雨を雪に変えろとか。無能な上司など、世界中どこでもそんなものだ。それが今回の
少しの晴れ間に月が顔を出す。人びとの顔に安堵が宿る。委員長も機嫌を良くしたのか、笑顔で
…………さあ、それでは本日のメインイベント。みなさんと一緒に月蝕を観察しましょう。双眼鏡の無い方は、受付にて貸し出しております。ライトが消えますので、足元にご注意ください…………
――真夜中の皆既月食。月が翳って赤くなりだす。時間だ。と、少女は思った。皆の注目が一斉に月へと集まる中、ゆるりと動き出した影があった。十字架のペンダントを捻ると、その先端が螺子になって外れ、
どこかで子供の泣き出す声がした。
無音、周囲の静寂。そして背後からの衝撃。
一瞬だけ思いとどまったその女の背中に二発、アノニマは拳銃を撃ち込んだ。彼女の厚ぼったい服の内側に巻かれたプラスチック爆弾は、銃弾の衝撃では起爆しない。銃口の先端には小さな台形の箱が取り付けてあり、その
女は左手で口を強く塞がれたまま腎臓を撃ち抜かれ、叫び声を上げる事なく絶命し、眠ったようにその眼を閉じた。
アノニマは彼女の体重を預かると、ゆっくりと起爆装置の蓋を閉じた。それから素早く服の中に手を入れて、爆弾の信管を抜いた。遠隔で起爆される可能性もあったからだ。
「今回のテロは、いわば計画されたものである。彼らにとって失敗は許されない。一方は隣国のような『悲劇』を求め――他方は、本国に巣食うイスラム教徒一掃の口実を欲している。だが我々はそんな事態を許さない。我々は、平和を希求する世界の警察なのだから。騒ぎを起こさずに――しかしながら、暗殺が起きた証拠を残す事。これが今回の条件だ」
ゆえにアノニマは排出された五・七ミリ弾の薬莢を回収しなかった。この
アノニマはあくまで、その末端の
周りは月蝕の観察に忙しくて、一連の騒動に気付きもしなかった。唯一、隣に居た眼鏡をかけた小太りの優しそうな男が異常に気付き、「
(とかく、男は苦手だ。あの視線に耐えられない)
アノニマは英語とフランス語で(
死体をゴミ捨て場に片付けると、アノニマは近くに停めていたUAE製ネイキッド・バイク『アル=カマル』に跨って、
「
スマートフォンから通信が入った。ハンズフリーで受けると、アノニマは「
殺しはあくまで
地球の影に月はすっかり隠れ、それでも雨は降り注いでいた。濡れた少女は闇に融けてゆく。
偽りの人工雪もやがては
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