第3話

『単項式順序と割り算』


2ヶ月前。5月下旬。

杉浦解析は、数戟の特設会場にいた。

会場の周りには、梅雨入り前の大きな雨が降り注いでいた。


杉浦解析、本名、アンドリュー・ベネットは、イギリスからの留学生である。

日本の漫画文化が好きな彼は、幼少期より日本に憧れがあり、かねてより来日を強く希望していた。

杉浦解析が、数連合に入り、高層の地位に就いたのは、第二の権力セカンド・オーサーによる滞在ビザを取得が目的であった。


しかし、あまりにも容易く高層のポジションに就けてしまったため、杉浦解析は軽く絶望していた。

物事に病的なまでに熱中してしまう性質の彼は、生まれつき人よりも病的なまでに優秀だった。

このまま高層の最高位に就いたら帰国しようと考えていたのがこの頃だった。


「あなたが、色中英祐デスね……。本日、ワタシが勝ったらアナタの高層第一位の資格をイタダキマス。」


意気込む杉浦解析に対し、色中英祐は落ち着いた声で言った。


「いい数力スーラだね……。特に『ロン』が素晴らしいかな……。よく磨いてある……相当鍛錬を積んだんだろう。」


そんな色中英祐に対し、杉浦解析は心の中でほくそ笑む


(……フフッ。余裕ぶっていられるのも今のうちデス。ワタシの『数力眼鏡スーラ・カウンター』で、丸裸にしてアゲマス……!!)


数戟管理委員が、声高らかに勝負の開始を告げる。


「それでは、杉浦解析 vs. 色中英祐 の数戟を開始いたします!ゲームは、『矛盾だるま落としコントラ・ディストラクション』!相手の証明を解析し、先に矛盾を見つけた方の勝利となります!」


雷鳴が鳴る。

数分後、床に倒れていたのは、杉浦解析の方だった。

色中英祐は、彼の元に歩み寄って呟く。


「君は優秀だ。だが、『僕』に比べれば、あまりにも『僕』でなさすぎる。約束通り、君の名前を1字もらうよ。今日から君は『杉裏解析』だ。おめでとう。君はただの『君』から、僕の『下僕』になれたんだ。」


名前を人質に取られた杉裏解析には、この後、『導来圏にわざと負けろ』という命令が与えられた。


==現在。NIMI==


高層10人全員が集まった会議室で、1つの議題が挙がっていた。


「この前の本条圭介くんとの数戟の後、導来圏くんが会長を辞退したいとの旨をを述べてね。急遽、次の会長を決めなければ行けなくなったんだ。」


色中英祐が柔らかい物腰で説明する。

高層の9人は、それを静かに聞いている。

先ほど、あれほど興奮していた伊藤確率も、しっかりと椅子に座っている。


「……ということで、慣例としては、高層の中から会長を選出するんだけど、それでいいかな?」


色中の質問に、同意の声が次々と挙がる。


7「それが妥当でござるな……」

5「まーいいんじゃないNO?」

6「異論はありませんわ。」

4「ええんちゃう?」

3「…………………………………………………同意。」


色中はその反応に安堵して、司会を進行する。


「ああ……よかった。みんなが反対したらどうしようかと思っていたんだ。それじゃあ、数学科学生連合および東京都数学科学生連合の第102代目会長は、『僕』ということで決議を取るね。」


色中は順調な進行に胸を撫で下ろす。

しかしその時、会議室全体が大き揺れた。

高層全員から、憎悪の数力が発せられている。


10「基本的にあり得ないんですけど。」

9「病的に!あり得ないでショウ。」

8「数学は体力という観点からあり得ん。」

7「武士道の名にかけてあり得ないでござる。」

6「男が会長だなんてあり得ませんわ。」

5「挑発としてもあり得ないNE!」

4「そないなことあり得まへんわ。」

3「…………………………………………………あり得ない。」

2「わたくしの意見としてもあり得ません。」


誰しも彼に屈服することを許す性格ではなかった。

その拒絶反応に色中から笑みが溢れる。


「まあ、みんなそういうと思って、すでに『彼女』を呼んでいるんだ。」


(彼女……?はて……なんでショウ?)と杉浦解析が疑問に思っている時すでに『彼女』はそこにいた。


「ふぇっふぇっ。みなしゃま、お初にお目にかかります……」


ローブから枝のような細い腕が生えている老婆が、高層が囲むテーブルの腕で起立していた。

起立と言ってもその腰は曲がっており、年季の入った杖がその体を支えている。


「うああああああああああ!!!」


と杉浦解析は思わず椅子から転げ落ちる。

老婆は、何事もなかったかのように、話を続ける。

嫌な寒気が杉浦解析の背中を走った。


「わたくし、数戟管理委員会……名誉数戟管理委員『平等院序論』……通称『死神の序論』で……ございます。ふぇっふぇっ…。これから皆様には、『殺し合い』をしてもらいます……」


***


「割り算?割り算って、あの割り算ですか?」


北条環はパチパチとまばたきをしながらこちらを見る。

俺はコーヒーのカップを置いて言った。


「そう。その割り算。多項式を多項式で割ることを考える。」


喫茶店の中では小粋なジャズが流れている。

俺はカバンから大学ノートを取り出しテーブルに広げる。


「まず、次の割り算をしてみよう。x^2+1 割る x+1は?」


x^2+1 ÷ x+1


「えーと、x-1 あまり 2 ですか?」


x^2+1=(x-1)(x+1)+2


りんはペンでノートに式を書き込む。

女の子特有の甘い香りが、俺の鼻を刺激する。


「そうだね。多項式の割り算では商と余りが出てくる。これから大事なのは特に『余り』の方なんだ。」

「え?そうなんですか?」

「うん。割り算の余りというのは、とても重要な情報を持っていて、連立方程式を解いたり幾何の定理を証明したり様々なことに応用される。」

「へー意外ですね。余りって、文字通り余分というか何となく邪魔なものって感覚がありました。」

「じゃあ、簡単な利用例を見てみようか。」


問題: x^4+x^2+1 は 2 を根に持つか?


「えーと、x^4+x^2+1に2を代入して0になるか確認すればいいですよね?」


2^4+2^2+1=16+4+1=21


したがって、x^4+x^2+1 は 2 を根に持たない


「うん。それも1つの解き方だね。一方、これはx^4+x^2+1をx-2で割っても考えられる。」

「あ、なるほど。」


りんはそのままノートに書き込む。


「筆算の要領でやれば割り算はできますよね。まず、x^4を消すために x-2 に x^3 を掛けて引くと、」


x^4-x^3(x-2)=2x^3


   x^3

   -~~~~~~~~~~~~~

x-2 ) x^4+   x^2+1

   x^4 - 2x^3

   ~~~~~~~~~~~~

     2x^3


「今度は2x^3を消すのに x-2 に2x^2を掛けて引くと、」


2x^3-2x^2(x-2)=4x^2


「という感じで掛けて引いてを続けていけば、最終的には」


x^4+x^2+1=(x^3+2x^2+5x+10)(x-2)+21


「x^4+x^2+1 割る x-2 は 商 x^3+2x^2+5x+10 余り21。だから、x^4+x^2+1 は 2 を根に持たない。」

「そう。剰余定理と呼ばれるやつだね。」


f(x)を多項式。αを有理数とする。このとき、次が成り立つ。


f(x)はαを根に持つ ⇔ f(x)を(x-α)で割った余りは0


「すなわち、割り算の余りを見ることで、その多項式がある数を根に持つかどうかが分かる。」

「なんか懐かしいですね。高校の時やりました。」

「そして、これは√2などの代数的数にも一般化できる。」


問題: x^4+x^2+1 は√2を根に持つか?


「x^4+x^2+1をx-√2で割るってことですか?」

「いや、今は計算機で計算することを踏まえて、係数は有理数の世界だけで考えよう。√2のようなピタゴラ数……いや代数的数を計算機で扱いたい場合、代わりに定義多項式 を用いていた。この場合、x-√2の代わりに x^2-2 で割ることにする。」

「そもそも√2は二乗して2になる数ですもんね。」

「そう。じゃあ、x^4+x^2+1をx^2-2で割ってみよう。」


x^4+x^2+1=(x^2+3)(x^2-2)+7


「今度は商が x^2+3、余りが 7 ですね。だから、x^4+x^2+1 が √2 を根に持たないことが分かります。」

「その通り。すなわち、次が言える。」


f(x) を多項式。αを代数的数として、その定義多項式を g(x) とする。このとき、次が成り立つ。


f(x)はαを根に持つ ⇔ f(x)をg(x)で割った余りは0


「なりゅほど。√3や虚数 iに対しても同じように多項式の余りをみれば、根を持つかどうかが判定できるってわけじぇすね。 」


りんはカフェラテについた泡を食べながら言う。


「こんな感じで余りというものは、ある数を根として持つかどうかとか、多項式の特徴を分析することができるんだ。」

「余りもにょには福があるってことですね。」


りんの赤い唇の周りには白い泡が付いていた。

俺がそれを指摘すると、りんは舌を伸ばしてぺろっと拭き取った。


「ところで先輩、お腹空きませんか?」


そう言ってりんは手を挙げて店員を呼んだ。

手もち無沙汰にしていた店員はすぐにテーブルに来た。


「丸ごと苺ソースのパンケーキと抹茶パフェと黒糖ミルクラテください。あ、パンケーキのシロップはメイプルでお願いします。」

「かしこまりました。こちらのお客様は追加のお飲み物はよろしいでしょうか?」

「え、じゃあ、追加でブレンドコーヒーをお願いします。」


注文を聞いた店員は、りんと僕のカップを下げて去った。

テーブルはさっきよりも広くなった。


「それにしても、結構食べるんだね。」

「あ!女の子にそんなこと言っちゃダメですよ!」

「ごめんごめん」

「……先輩の前だから気にせず食べられるんです。他の男の人の前じゃこんなに食べませんよ。」


食欲に反して細身な彼女を体を見るに、カロリーは宇宙の彼方に飛んでいってるに違いない。

俺はそんなに食べられない方だから、色々食べられるりんが羨ましい。


「もぐもぐ……それで割り算がどう単項式順序と関係あるんですか?」


届いたパンケーキを食べながらりんは俺に聞く。

テーブルは食べ物で埋め尽くされ混雑している。

俺は頭を数学に切り替えて話を始める。


「割り算や余りは強力なツールなんだけど、変数が2つ以上の場合には、きちんと順序を決めないと割り算ができないんだ。」

「へ?そうなんですか?」

「じゃあ、実際に割り算が上手くできない例を考えてみよう。」


問題: x^2y 割る x-xy は?


「これを計算して見て欲しい。」

「ふにゃは、分かりました。やってみます。」


りんはパフェにぶつからないように、そーとノートを取った。


「まず、x^2yを消したいので、x-xyにxyを掛けて引きます。つまり、」


x^2y-xy(x-xy)=x^2y^2


「になります。筆算でかくと」

   xy

   -~~~~~~~~~~~~~

x-xy ) x^2y

   x^2y - x^2y^2

   ~~~~~~~~~~~~

       x^2y^2


「という感じですね。」

「それで次は?」

「次は残った x^2y^2 を x-xy で割ります。今度は x-xy に xy^2 を掛けて引くと、」


x^2y^2-xy^2(x-xy)=x^2y^3


   xy+ xy^2

   -~~~~~~~~~~~~~

x-xy ) x^2y

   x^2y - x^2y^2

   ~~~~~~~~~~~~------

       x^2y^2

       x^2y^2 - x^2y^3

   ~~~~~~~~~~~~--------------------

            x^2y^3


「x^2y^3が出て来ますね。今度は x^2y^3 を x-xy で割っていけば、いつかは計算が終わるはずです!」


りんは腰に手を掛けて自信たっぷりに言う。

俺はパンケーキの苺をパクッと盗んで言った。


「それはどうかな?」

「あ!てか、え?」

「x^2y^3 を x-xy で消そうとすると、x^2y^4 が出てこないかい?」

「あ……確かに」


x^2y^3-xy^3(x-xy)=x^2y^4


「そして、x^2y^4を消そうとすると、今度は x^2y^5 が出てくる。」

「どんどん大きくなっちゃうんだ。」

「そうして、筆算はいつまで経っても終わらない。つまり、どんなに引いても余りが出てこないんだ。」

「うわあ……」


りんは口に手をあて若干引き気味にリアクションする。

うそ!私の順序おかしすぎ!?みたいな広告みたいだ。


「1変数の場合だと、普通に割り算できてましたよね?なんで2変数だと出来ないんですか?」

「それが、割る側の x-xy の並べ方が悪かったんだ。」

「並べ方?」

「x-xy では xy より x の方が先頭に来てしまっている。これは"いい並べ方"とは言えない。だから、割り算が失敗してしまったんだ。」

「んにゃま。」


りんはパンケーキを食べ終え、抹茶パフェに突入していた。

ペース早いなおい。


「"いい並べ方"になるためには何が必要か、条件を考えていこう。単項式順序の定義をもう一度書く。」


***

定義.(単項式順序)

> をn個の変数 x_1,...,x_n からなる単項式の間に定められた順序とする. ここで, 単項式 x_1^{a_1}…x_n^{a_n} を簡単に a=(a_1,...,a_n) として, x^a で表す. このとき, 次の3つの条件を満たすならば, >は単項式順序と呼ばれる.


1. >は全順序である.

2. 任意の単項式 x^a, x^b, x^c に対し、x^a>x^b ならば、x^a x^c > x^b x^c.

3. >は整列順序である.

***


「うへー。やっぱり難しそうですね……」

「でも大丈夫。一個一個のパーツはそんなに難しくないんだ。まず、記号の準備として、x_1^{a_1}…x_n^{a_n} とかごちゃごちゃ書いてあるけど、今はx,yという2変数の単項式を考えるから、特に気にしなくていい。x^a は xy^2 とかの単項式を一般の形で書いているだけだ。

「わかりました。」

「それじゃあ、第一の条件、それは『並べられること』」

「並べられること?」

「そう。例えば、単項式 x と xy があった時に、x と xy は必ずどっちかの方が大きい、つまり、x>xy または x<xy が成り立つってことだ。どの2つの単項式も大きさを比較できること、これを全順序と呼ぶ。」


1. >は全順序である=どの2つの単項式も大きさが比較できる


「?それって、順序だったら当たり前なんじゃないですか?」

「いや、そうとは限らないよ。例として、整数の間の順序で、aがbを割り切るとき、a<b と書くことにしよう。例えば、3は6を割り切るから、3<6だ。」

「倍数かどうかってことですね。」

「そう。しかし、3と4の間には、3<4、3>4のどちらも成り立たない。3は4を割り切らないし、4も3を割り切らないからだ。」

「なんか割り切れないですね。」

「つまり、今整数の中で考えた順序は、3と4、どちらが大きいかなんて比較できないから、全順序ではないんだ。」

「そうか。並べられることって、当たり前じゃないんですね。」

「そうだね。だから、まず全順序という条件が必要になってくる。大事なことだから2回言うけど、全順序という条件があれば、多項式 f があった時に、それに含まれる単項式をとりあえず大きい順に並べることができる。」

「なるほど。」

「それでは、2つ目の条件を見ていこう。」


2. 任意の単項式 x^a, x^b, x^c に対し、x^a>x^b ならば、x^a x^c > x^b x^c

=掛けても大小は変わらない


「2つ目の条件をざっくり言うとこうなる。」

「掛けても大小は変わらない…?」

「その通り。例えば、xよりyの方が大きい、つまり、x>yが成り立つとしよう。この時、xとy にそれぞれ x を掛ける。するとそれぞれ」


x^2 と xy


「になる。」

「そうですね。」

「ここで、『掛けても大小は変わらない』とは」


x^2>xy


「のように > の向きが変化しないということだ。」

「ほほう。」

「2つ目の条件は、これをどんな単項式に対しても成り立つことを保証している。この条件があると、例えば、」


f=xy+x+1


「という多項式が、xy>x>1の順で並べられた時に、これにxを掛けると、」


xf=x^2y+x^2+x


「となるけど、このx^2y+x^2+xという並べ方がそのまま大きい順 x^2y>xy>x になることを意味する。」

「へー。」

「すなわち、筆算の時に」


      x

      -~~~~~~~~~~~~~

x^2y+x+1 ) x^3y

       x^3y + x^2 +x

      ~~~~~~~~~~~~

          - x^2 - x


「というように、掛けたものを並べ直す必要がないってことだ。」

「楽チンですね。」

「じゃあ最後の条件にいこうか。」


3. >は整列順序である=小さくしていくと、いつかは止まる


「整列順序はざっくり言うと、『小さくしていくと、いつかは止まる』ということだ。」

「どういうことですか?」

「例えば、a_1、b_1を非負整数として、x^{a_1}y^{b_1}という単項式を考えよう。また、非負整数 a_2、b_2 に対して、単項式 x^{a_2}y^{b_2} を考える。この時、x^{a_1}y^{b_1}の方が x^{a_2}y^{b_2}より大きい、つまり、」


x^{a_1}y^{b_1} > x^{a_2}y^{b_2}


「と仮定しよう。」

「はい。えーと、例えば、a_1=2、b_1=1なら、x^{a_1}y^{b_1}=x^2y ってことですyね。」

「そうだね。そして、同様に、単項式 x^{a_3}y^{b_3} に対して、」


x^{a_1}y^{b_1} > x^{a_2}y^{b_2} > x^{a_3}y^{b_3}


「が成り立つとする。こんな感じで、どんどん小さい単項式を考えていけば、」


x^{a_1}y^{b_1} > x^{a_2}y^{b_2} > x^{a_3}y^{b_3} > …


「単項式の減少列を考えることだできる。」

「そうですね。」

「整列順序っていうのは、こういう減少列は無限に続くことはなくて、いつかは止まってしまう、つまり、それ以上小さくすることはできないってことなんだ。」

「うーん?確か授業でも出てきましたけど、やっぱりそこが上手くイメージできないんですよね。」

「まあ、確かに整列順序は従属選択公理とか出てきて難しく感じるからね。」

「ですね。」

「じゃあ、一変数の場合で考えてみよう。まず、x^12 という単項式を考える。x^12より小さい次数の単項式は何があるかな?」

「x^9 とかですかね。」

「そうだね。つまり、」


x^12>x^9


「ということだ。では、x^9 より小さい次数の単項式は?」

「x^7 とかですかね。」


x^12>x^9>x^7


「x^7 より小さいのは?」

「x^3とか?」


x^12>x^9>x^7>x^3


「x^3より以下略」

「x?」


x^12>x^9>x^7>x^3>x


「じゃあ、xより小さい単項式は?」

「えーと、……1?」

「そうだね。」


x^12>x^9>x^7>x^3>x>1


「じゃあ、1より小さい単項式は?」

「ない…………ですよね。」

「という感じで、1変数では、どんな単項式から減少列を作っても、必ず有限の長さで終わる。無限に続くことはない。これは、1変数の単項式の間にある自然な順序が整列順序だってことを意味しているんだ。」

「なるへそ。」

「これを2変数以上でも成り立つようにしようというのが、3番目の条件のことなんだ。」

「でも、これって具体的にどんなメリットがあるんですか?」

「いい質問だね。整列順序は割り算の停止性を保証してくれるんだ。」

「低姿勢?土下座的な感じですか?」

「いやそっちの低姿勢じゃなくて、止まる方の停止性だね。」

「土下座もある意味止まってますけど。」

「いやそうじゃなくて。」

「ふふ。わかってます。少しからかっただけです笑」


りんはパフェの最後の一口で頬を膨らませている。

笑うと可愛いえくぼができるのが彼女の特徴だ。


「ごほん。筆算で割り算をする時、先頭を消すように1回引くと残りのものが出てくるよね。例えば、x^2y^2 を xy-x で割る時には、x^2y^2 から xy(xy-x)を引くと、x^2yが出てくる。」


   xy

   -~~~~~~~~~~~~~

xy-x ) x^2y^2

   x^2y^2 - x^2y

   ~~~~~~~~~~~~------

        x^2y



「そして、次に、x^2y を消すために、x(xy-x)を引くと、今度は x^2 が出てくる。xy-x ではこれ以上 x^2 を消せないのでここで割り算は終了する。」


   xy+x

   -~~~~~~~~~~~~~

xy-x ) x^2y^2

   x^2y^2 - x^2y

   ~~~~~~~~~~~~------

        x^2y

        x^2y - x^2

   ~~~~~~~~~~~~--------------------

            x^2


「そうですね。」

「ここで途中で出てきた単項式に注目しよう。まず、割られる側の式は x^2y^2 だった。次に出てきたのは、x^2y、最後に出てきたのは x^2 だ。」


   xy+x

   -~~~~~~~~~~~~~

xy-x ) x^2y^2 ←①

   x^2y^2 - x^2y

   ~~~~~~~~~~~~------

        x^2y ←②

        x^2y - x^2

   ~~~~~~~~~~~~--------------------

            x^2 ←③


「はい。」

「ここで実は、」


x^2y^2 > x^2y > x^2


「となっていて、割られる側の式というのはどんどん小さくなっているんだ。よって、整列順序から、この減少列というのはいつかは止まる。つまり、それは割り算が必ず止まることを意味しているんだ。実際、最初に出てきた筆算が終わらなかった例も、単項式順序で並べ替えれば、ちゃんと終わってくれるんだ。」

「ほほうー」


りんは黒糖ミルクラテを飲みながら深く感心している。

今日は少し寒いからか店内は相変わらず空いている。


「ということで単項式順序のことは分かったかな?」

「はい。何となくですが、単項式順序の条件って、どれも割り算のために必要なものなんだなってことが分かりました。ありがとうございます。」

「よかった。今やった単項式順序というものはあくまで順序の種類のことだから、具体的な単項式順序の例を確認することが重要になる。……そのキーワードとなるのが、それだ。」


俺はりんのバッグから見えてる本を指差した。

りんはそれを取り出し、俺に見せる。


「これ…ですか?」

「そう、それだ。」

「でもこれって、数学の本じゃないですよ?」


りんは不思議そうに俺を見つめる。

その手には英和辞書が握られていた。


「これからのキーワードとなるのが、その『辞書』なのさ。」

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