みにくいガチョウ/桜の花は人の血を吸って紅く?

 彼女と初めて出会った時の事はよく覚えている。幼稚園キンダーガーデンに入る前の年、私はお父様に手を引かれて、雪の降り積もる帰り道、クリスマス・ツリーが飾ってあったけれど、私はもうその頃にはサンタクロースの正体が誰だか知っていて。けれどあくまで幼気いたいけで知らないふりをしていて。それよりも誰かの作ったらしい雪だるまの人参の鼻が曲がっているのが気になった。

 照らされるバレエ教室の女の子たちの中に、一人だけ内向きの子が居た(後から知った性格もまた内向的だったけれど、ここでは骨格の話だ)。生徒たちの中でたった一人だけの黒髪ブルネットお団子シニヨンにした彼女は、ひときわ目立ち、輝いていた。

 いい意味でも悪い意味でも。要領はよくて表面上はどうにか取り繕えているけれど、センスが弱い。有り体に言えば、器用貧乏。しかしそのハンディキャップを乗り越える為に人一倍の努力はしているのだろう。ふとガラス越しに目が合って、はにかむと、もう一度こちらを向いて小さく笑って手を振ってくれた。その赤らんだ頬と息の上がってやや汗ばんだ肌を、わたしは、綺麗だと思った。


 次に覚えているのは小学校エレメンタリーの自由時間だった。皆がそれぞれ誰かしら友達と遊んでいる中、彼女だけ一人ぼっち壁の花だった。

你似乎总是一个人いつもひとりなのね

我不会说中文わたし中国語わかんない。よく間違われるから、これだけは覚えたんだ」

アジア系はみんな同じに見える? 彼女は淋しげに言った。

「ねえ、早とちりして、ごめんなさい。仲良くしたいのよ」

「会った事ある?」

覚えてくれてるわけないか。だけど私はくじけずに言った。

「これから知り合えばいいわ」

彼女はうつむいてはにかんで、「それもそうかな」と呟いた。

「わたし、ハンナ。ハンナ・ハルノ=ホセア」

「私はガーネットよ。クララベル=アン・ガーネット」

私も外国人なの。そうなの? ええ、カナダから来たの。お父様の仕事の都合で……。何のお仕事? 義肢会社よ。事故や戦争で手足を失くしたり、障碍を持って生まれた人たちに腕や脚を……。

「わたしのおとうさんも、戦争のところに行ったりするの」

「兵隊さん?」

「ううん。写真を撮るほう」

去年のはじめ、駐車場でテロがあったでしょ?(彼女を初めて見かけたときの翌年だ)その時も写真を撮りに行ってた。雑誌や新聞にも載ったんだよ。ハンナは少しだけ誇らしげにした。

「おかあさんは『いちおう、かいかく派?』で、誰かがわたしを『まむぜーる』って呼んだのを物凄く怒ってた」

「お母さんは何を?」

「宝石のしごと。『宝石ほうせきしょう?』ってやつで、『忙しい』んだって。おとうさんが言ってた」

だからうちにはおかあさんが居ないんだって。それでもときどき、会いに来てくれるけどね。――ガーネットって、宝石の名前だよね? わたしも一月生まれなの。一月の十九日。一月の誕生石がガーネットなんだって。石言葉は『変わらない愛情』。おかあさんがあんまり帰ってこられない代わりに、って言ってくれたんだ。(彼女は小さなネックレスに提げる紅く燃えるガーネットの宝石を見せながら言った)

「ね、『忙しい』って、何? クララベルは、それがなんなのか知ってる?」

それってわたしよりも大切なこと? 私も宝石ガーネットだったら、お母さんに愛してもらえたの? とでも言いたげだった。

「私も……」

質問には答えず胸のうらを打ち明けた。

「お母さんが居ないの。私を産んですぐに……亡くなったそうよ。お父様はとても悲しんだらしいわ」

「『亡くなる』って?」

「遠くに行ってしまって、もう二度と会えないって事」

そう……。とハンナは、なるたけその気持ちを想像しようと努めた。

「ね、一緒にごっこ遊び、おままごとしましょ。わたしがハンナのお母さんになってあげる」

「そんなの嫌。クララベルが奥さんで、わたしが旦那さん」

「バレリーナの旦那さん?」

私はつい笑ってしまった。普段からしている『良い子』で居るのとは違う、ふとこぼれる笑みだ。ハンナは不思議そうに訊いた。

「……なんで知ってるの?」

質問にどぎまぎして、本当の事を言えずに、私は苦し紛れに、

「なんでだろう、なんだか、とっても姿勢がよくて、バレエやダンスの才能がありそうに見えたから」

嘘をついた。だけどハンナは「本当に?」と内心嬉しそうだった。もじもじしながら私に尋ねた。

「あのね、……クレアって呼んでもいい?」

「もちろんよ」

「クレアは、誕生日いつ?」

「二月の十三日。土曜日に産まれたの」

「じゃあわたしのほうが、一ヶ月だけおねえさんだね」

ハンナはいたずらっぽく笑った。この人もそんな表情をするのだと私は思った。泣き虫で、わがままで、痩せっぽっちのハンナ。「クレアは、落ち着いてるね、大人だね。私のほうが一ヶ月だけおねえさんなのに」とよく言っていた。

 涙を浮かべる彼女を撫ぜながらなだめながら、その言葉を聞くたびに思った。大人になんてなりたくなかった。願わくば私も私の子供時代を、……甘えて、泣いて、喚いて、眠って……子供らしく過ごしたかったのに、と。

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