3.朝日のあたる家/夜が明けたら

「これは、」

帽子屋は顕微鏡の接眼レンズから顔を上げて言った。プレパラートに挟んであるのは酢酸セルロース製のマイクロフィルムだ。

「銃の設計図だよ。【リベレーター・ショットガン】【ロー・メンテナンス・ライフル】【プレス加工1911拳銃】などなど……」

「造れるのか?」

華子ハナコが訊ねた。彼は紫外線から身を守るための厚手のローブのようなものをまとっていた。帽子屋は首を横に振った。

「ここじゃあ無理だね。旋盤やフライスで削り出してもいいけど。数が要るんだろ? 材料も時間もかかりすぎるし……鋳造やプレス加工の設備が必要さ。そりゃ、僕だってヤゲン曲げくらい出来なくもないけどね」

 壊れた銃の部品がガレージの中に無造作に置かれている。修理途中のジープ、溶接機に旋盤。壁には工具や器具が掛けてあり、室内全体がひとつの大きな玩具おもちゃ箱のようだった。

「とにかく、撃てればいい。餓鬼どももを覚えていい頃だ。槍やクロスボウではに心許ない」

「なるほどね。じゃあ、使える部品はそのまま流用して、壊れてしまって使えないものはあとで熔かして素材にしよう。施条ライフルを深めに切ったパイプを銃身として、流用できる機関部を木銃やロアレシーバーに取り付けて単発の小銃に仕立てる。そこにある水道管みたいな短機関銃ステンガンくらいなら、ここでも作れるかもしれない」

室には簡単な試射スペースが備わっている。有栖は帽子屋の四・五ミリ口径BBガンことデイジー・レッドライダーを手に取った。有栖にはそれに触る権利を与えられていた。銃口を上にレバーを操作し、並べられた豆の空き缶やバービー人形を狙った。製造は日本メイド・イン・ジャパン、販売はマテル社。アーマライトAR15。

「問題は弾薬だ。薬莢は突撃銃カラシニコフ用のものが多いみたいだけど、ほとんどが軟鉄製のベルダン式だから、再利用リロードは出来なくもないけど少し面倒だ。たぶん錆びるしね――長期的には、使わないほうが賢明だろう」

バービーの首を吹き飛ばした有栖が不服そうに言った。

「そうなの? 僕のピストルの空包ブランクは使いまわすじゃん」

「それは真鍮製のボクサー式だから楽なのさ……拳銃弾は九ミリに四五口径、三〇カービン、ライフル弾は二二三レミントンと三〇八ウィンチェスター、散弾は十二番ゲージ辺りが調達しやすいだろう。散弾はBB弾を使うし、それなら施条を彫る必要はないから、割と簡単に出来るよ」

「鹵獲武器の修理も頼みたい。機関銃に迫撃砲。それから……」

華子と帽子屋は具体的な交渉に入り始め、有栖はつまらなそうに薄暗い室を出た。早朝の空は快晴、有栖に色が分かったら高い青に孔雀の神秘さを見ただろう。四酸化三鉄の化成処理ガンブルー。皮膜を剥げば本質が見える。骨と肉とに人種はない。僕らは黒い髪と黄色い肌をして肉は赤く骨は白い。

 道端にヒナギクデイジーが咲いていた。彼女はあくびをすると、新しいオモチャを見つけたように有栖に話しかけた。

「ハロー、彩芽アヤメの、ちっこいのem。今日も綺麗な髪をしてるわね」

「八方美人。そろそろ自分の立ち位置を定めたらどうだ」

「金さえ出してくれれば、が男でも女でも関係ないわ」

「もう十七だろ? いつまでも好き勝手生きていけると思うな」

煙草を? 有栖は黙って差し出したが、デイジーは「知ってるわ。でもあたしをまだ純粋な生娘だと思ってるお客さんも多いの。あんたならよく分かるでしょ――キャラ作りってやつよ」と答えた。

 有栖はマルボロを咥えるとマッチを擦って先端に火を点した。

「いつか言い付けてやるんだから。悪ガキよね、ほんと」

デイジーは歩きざまに露店を見つけると店主に言った。

「滴滴咖啡。カフェ・スア・ダーをミルクコーヒーをロックでふたつ。練乳たっぷりバク・シウでね」

「僕は要らない――」

「もう頼んじゃったもん――いつもマッチだっけ?」

苦手だ。深煎りフレンチローストのロブスタ種に少量のタヌキコーヒーコピ・ルアックを混ぜ、菊苦菜チコリーを加える。三重構造のアルミ・フィルターから抽出されたコーヒーがポタポタと落ちて、有栖はこの時間を嫌だった。

「今朝の親爺はサイテーだったわ。金払いは悪いし、真正の皮に何年越しの垢が溜まってんのよ。――ま、早漏なのが救いね。だから出した後にそのままディープフレンチしてやったわ、良い気味」

会話しなくてはならないからだ。ケラケラと笑うこいつの口を塞ぐ手段ものは、今のところ無い。僕は花たちの間を飛び交い減数分裂した情報群を媒介し、伝達する虹色の蝶。


 オニユリは大麻中毒のノータリン

  現実逃避が目的の薬物耐性は日増しに

   少しずつ首を絞めているのを無視しながら

  三十過ぎても まだ王子様を信じてるのよ

 ローズは閉経目前の売れ残りババア

  その歳まで 他に生きる手段を学ばなかったのさ

   幸福の形も知らないまま大人になった あたしたちもね

  娼婦としての寿命は終わり どう生きるのかしら?

 アヤメは理想主義者の高飛車女

  足元が見えていないから掬われてしまう

   かわいそうに いつもポン引きに虐められてるわ

  友達の作り方を 知らないまま育ったのね

 越南共産ベトナムコンサンのテロは続いてる 迷惑ね

  誰が聞き耳を立てているか分からない

   たかが言葉と理想の違いで殺し合う?

    なんだっていいけど とにかく よそでやってほしいわ

   服従も 屈辱も 殺されるのも! まっぴらごめん

  いつかこんなとこ 脱け出してやるんだから

 あたしとあんただけの内緒話にしてよね

  うちの娼館の誰かが 妊娠したって噂よ

   友達は作れなくても 赤ん坊は出来るものね

    あんたの母親もまた 娼婦だったそうだけれど

   まだ幸福な人生を送れると 夢想していた?

  コーヒーが入ったわね あたしの奢りだから

 ごはん食べたアン・コム・チュア? そこに核𪆧孵ホヴィロンが売ってるわ

  四個ちょうだい いいえ四つよ 二と二で四つ

   こういう仕事は けっきょく身体が資本だから

    女は穴と蛸壺フォックスホール 男は竿と短銃ロッドの価値しかないの

   あんたこそ どっちに属すの? (知るもんか)

  フェラのコツくらい 教えてあげてもいいわよ

 お姉さんに似て 可愛い顔してるんだから

もう少し笑ってみたらどうなの?


 デイジーが言った。笑うのは道化ピエロの化粧。そのように棲み分けていた。デイジーは有栖のの字の口角を無理やり上げてみせた。二人は路端みちばたの縁石に座って雛の成り損ないの茹で卵をふたつ、食べた。

「そのオモチャの銃は?」

「帽子屋のだよ」

「貸して、貸して」

デイジーは両手を使ってエアガンのレバーを操作しバネをコックすると、それを左手で構えて斜向かいの地面に棄ててあるコカ・コーラの瓶を狙った。

「へたくそ」

「当たらないよこんなの」

筒弾倉のBB弾が再びじゃらりと音を鳴らす。

「両手で構えるんだよ、肩に付けて」

こう? とやってみせる。今度は照準器を覗いた。

 シアーが切れる。同時に爆発音、遠くに。デイジーは空を見上げて呟いた。

「またぞろテロクーかしら?」

「他人事みたいに」

「あら、客が減るのは困るわ。今朝の親爺が死んでればいいけど」

人々が恐怖に戸惑い走り逃げる中、デイジーは「さっきのは当たったのかしら」という事ばかり気にしていた。他人の戦争は、どうでもいい。

 ややあって、帽子屋が飛び出してきた。

「有栖?! ああ無事かい、外で何が……」

「共産主義者の無差別テロ。よく娼館が標的にされないもんだ」

「うちには美人が多いからじゃない?」

何を馬鹿な。恐怖に麻痺してるだけだ。次いで華子がフードを被りながら出てきて、有栖に手信号で合図するとバイクホンダに跨った。有栖も自転車を引っ張り出して、慌ててその後に続いた。

「――返せよ! 僕んだぞ」

後ろではデイジーがエアガンを高く掲げておりまだ背の低い帽子屋をからかっていた。

「いいのか?」

「いいんだよ」

どこかでテロがあったみたい、と有栖は続けた。

「あれは陽動だ」

「君の仕業?」

「俺はあちこちで顔が知られているから、日中になると動き辛い。街に来ないのもその為だが。無線の合図で爆発を起こす手筈だった――花火みたいなものだから、被害は少ないと思うが」

「優しいんだね(無関心だから?)」

「話はまとまった。これからは連絡係カットアウトを通じて連絡しあう。手間だしな。訓練用のBBガンと二二口径もいくつか用意させる。市場の弾薬も奴のツテで西に東に、安価に入手できるようだ」

「あいつ、いつか死ぬな」

 並走する二人は風を切って森に抜ける。陽は高く昇り始めやがて人々の肌を焦がす事だろう。娼館は朝日楼ライジング・サンと呼ばれていた。

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