* * * * * *

 有栖は身構えた。足元では冷たい水が絶えず流動している。春野華子はドイツ製ルガー・パラベラムピストルの三八ポンドの遊底トグルを軽々と引いて、蝸牛弾倉スネイルマガジンから初弾を装填した。――ああ、しなやかな筋肉。有栖はうっとりとして眺めた。

「動けば殺す。銃を捨てて、ゆっくりと両手を頭の上に置け」

「動いたら駄目なんでしょ? 矛盾máodùnしたこと、言わないでくれる」

「黙れ」

やっぱりシロウサギ胆小Dǎn xiǎoなんだね。有栖アリスはそう思ったが、口には出さなかった。川の上を足音も立てずに近付いてくる。ああ、やっぱり綺麗だ。その睨み付ける赤い眼差し。ぼさぼさの白い髪。少しも陽に焼けていない肌。清潔感この世のものでないとすら感じる。非現実の王国で――君はアビエニアを率いるヴィヴィアン・ガール。敵はグランデリニア、赤いクメールクメール・ルージュ。子供奴隷制を持つ軍事国家。

 そうこうしていると拳銃を奪われた。華子は弾倉を空に不完全去勢すると銃弾をつまんで注視インスペクションした。そして言った。

「実弾だ。どこで手に入れた?」

「別に。戦争中なんだもん、銃弾悪意なんてそこらじゅうに溢れてる」

「こいつはアメリカ謹製だ。薬莢底部の刻印がそう示している」

「尋問みたいだね。君にとっての出処がそんなに重要?」

「奪ったのか?」

「貰ったんだよ」(有栖はあくまで真実を話した)

「お前は共産主義者アカか?」

「だったら殺す? 市場は動いているものね、神の見えざる手」

「ふん、」

華子は指笛を鳴らした。配下の少年兵たちが一斉に有栖を取り囲む。それらは銃剣の付いた木銃や即席の槍、クロスボウなどで武装している。有栖は、小さく「わお」と呟いた。

「君の兵隊? すごいねC'est magnifique、やっぱり王様Roiなんだ」

「もう一度訊く。お前は、自由主義者Libéralisteか?」

「あのシャム双生児の兄弟ふたごは? 彼らは機関銃mitrailleuseを持っていたけど、この子たちは銃を持っていないの?」


 “トゥイードルダムとトゥイードルディー

  互いに決闘を申し込んだ

 トゥイードルダムが言うところによると

  トゥイードルディーが新ピカのオモチャを壊したとか


 するとその時、巨大なカラスが飛んできた

  タールのバレルのように真っ黒で!

 二人の英雄はびっくり仰天してしまい

  喧嘩の事など すっかり忘れてしまった”


 銃声が響く。一団は驚いて身を低くした。黒いカラスたちが一斉に飛び立つ。華子は、その発砲音から銃器は共産圏製の三〇口径だと推定した。拳銃ルガーに装着された蝶番を軸にパンタグラフ様に展開する折り畳み銃床ストックを広げると、それをライフルのようにして構えた。子供たちは彼の手信号ハンドシグナルに従って騒ぐ事なく樹木や岩に身を潜めた。

 再び銃声だ。今度はさっきよりも軽く回転数も速い。西側の二二口径や四五口径だろうと華子は推察した。流れ弾に気を付けなくてはならない。

「ねえ。、返してくれる?」

重い機関銃の音が響いて、いつの間にか隣で同じように隠れる有栖がそう言った。華子は差し伸べる手にグリップを荒っぽく握らせた。そして涼しい顔をして呟いた。

「…………銃は、不足している。ダムとディーは船の警備だ」

それを聞いた有栖は眉を上げて答えた。

「なるほどね。だから銃弾を持っているなら、銃の在り処も知っているに違いない、と」

「フランス語を話したな、娼館の道化ピエロ道理Dàolǐで考えれば、堕落した娼妓chāngjìの餓鬼が共産主義者である筈もないか」

「僕の名前は有栖だよ、春野華子」

華子は無視して質問を続けた。

「そのリヴォルバーは?」

「帽子屋が直したんだ。銃弾も米軍のを使えるようになってる」

帽子屋シャプリエ? ……あの、馬鹿でかい帽子を被ったやつか」

「あいつは手先が器用なんだ。懐中時計の修理からジープのオーバーホール、地雷トラップ作りまでなんでもやってる。西にも、東にもね」

「よく殺されないものだ」

「あいつこそ悪魔の権化だぜ。両陣営に媚びを売ってる。制裁を加えられない程度に依存yīcúnさせて……」

「腕はあるんだろうな?」

話を遮られて有栖は少しムッとしたが、黙って一発の銃弾を弾倉に込めると、自信ありげに嘯いてみせた。

「見てて、」

一枚のピアストル硬貨に回転を加えながら高く弾くと、その放物線が頂点に達したところで引金を絞った。(その銃声は小さく、激しい銃撃戦が行われている向こう側までは音は届かなかったようだ)撃ち抜かれたコインが揺れて、川に落ちた。華子は注意深くそれを拾うと、自由の女神座像に大きく開けられた穴から月を覗いた。

「すごいな、」

華子は割合素直に驚いて賞賛した。

「なかなかやるでしょ?」

有栖は得意げな表情を作って言った。それは実際にコインを撃ち抜いたからではなく、華子がと確信を得たからだった。

 有栖は小さなコインを一発で撃ち抜いていないし、発砲したのも実弾ではない。それは塩のような、軽く貫通性の無い粒を鉛など崩れやすい金属で薄くコーティングして、普通の銃弾に。コインを放る際に、それを既に穴の開いたものにすり替えて、偽造した銃弾で大雑把に狙って撃つ。銃弾のコーティングは空中で分解し、塩の粒は散弾となって、穴の開いたコインを命中したかのように揺らす。粒自体に威力はほとんど無いから、コインに痕跡も残らない。相手に見せるコインと穴の開いたコインのすり替えに気付かれなければ成立するトリックだ。だが華子は今回、放るコインに穴が開いていたかどうかの確認すらしなかった。有栖はコインを弾く際、親指で穴を隠して見せただけだった。

 一見厭世的ニヒル無頼ハードボイルドに振る舞っているけど、中身は結構単純シンプル? だから男の子ってカワイイ。――ああ、そして君は信頼した僕を頼るだろう。ファルスといういかりを欲するだろう。

「銃撃戦が止んだら、人が居なくなったのを見計らって武器を鹵獲ろかくしに行く。――お前も来るか?」

有栖はその言葉を待っていた。いや、彼から事に成功した。恋愛は計算マスマティックス。どちらかが制御コントロールしなくてはならない。

 有栖は感情に溺れる事なく、しかしながら笑みを湛えて答えた。

<preciso>

勿論もちろんさ」

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