異人~こととびと~

神宮司コウ

第1部 出会い~エンカウンター~ 

第1章 異人との邂逅

第1話ぐるぐる眼鏡の少女

 その女、夏木冬子はただの地味なクラスメイトなはずだった。やたらと度のきつそうな眼鏡をかけて、いつも一人で本を読んでばかりいる。特徴的なものといえば、その眼鏡くらいの、特に目立たない生徒であった。

 さっきから眼鏡についてしか、彼女について語っていないが、それは仕方のないことである。いくらなんでも、あの眼鏡のセンスはない。日曜の夕方にやっている、清水の小学三年生が主人公のアニメに出てくる、やたらと学級委員になりたがっているクラスメイトがかけているような眼鏡なのだ。


 例えが分かりにくかったって。俺もそう思った。だから、単刀直入に言おう。彼女がかけているのは、ぐるぐる眼鏡なのである。


 瓶底眼鏡といえば、聞こえがいいかもしれない。だが、レンズに渦巻が入った眼鏡なんて、早々あるもんじゃない。あれが実在しているなんて、この清川高校に入ってから知ったぐらいだ。


 これだけインパクトのある装飾品をつけているのなら、クラス中で話題になるはずだが、今日も彼女は誰とも会話することなく、ただひたすらに文庫本を読みふけっている。彼女が座っているその一角だけに、人を近づかせない独特のオーラが出ているというか、誰も彼女と関わろうとしなかった。


 ここまで異質だと、いじめの標的にされそうなものだが、不思議とそれもない。高校に入学して数か月しか経過しておらず、まだクラス全体が打ち解けていないということもあるだろう。だが、彼女自身がそれを許さないほどの威圧感を与えているというのもまた事実であった。


 なにせ、ゴールデンウィーク明けぐらいに、こんな事件があったぐらいだ。このクラスの女子グループのリーダー格である榊が、冬子の眼鏡が気になったらしく、彼女に話しかけた。榊は、この組の級長を務めており、すでに幾人かの女子と仲良しグループを形成していた。


 「その眼鏡、どこで買ったの」とか、他愛のない会話だったと思う。だが、それに対しての冬子の反応は「別にいいでしょ」などというかなり素っ気ないものであった。

 いくら好意的に接しようとしても、そんなつっけんどんな態度を取られたら腹が立つのが人の常。次第に、「生意気ぶっちゃって」とかなり険呑な雰囲気が流れ出した。榊は、既知の仲間三、四人ぐらいを引き連れ、机を取り囲んでいる。孤立無援の根暗少女。この先の展開が容易に想像できて憂鬱になったぐらいだ。


 だからといって、能動的に助けようという者はいない。小学校、中学校と集団生活を経験してきて、ここで変に状況を荒立てない方が、今後三年間を平穏無事に過ごすための最善手であることを悟っているからだ。


 しびれを切らした榊の仲間の女生徒が、冬子に詰め寄ろうとした。ああ、最悪のパターンか。さすがに、この険悪さに、クラス中の注目が集まった。


 しかし、冬子はそこで屈したりせず、その奇天烈な眼鏡のまま、その女生徒を睨み返したのだ。迫るぐるぐる眼鏡。傍から見るとシュールさすら感じる。

 だが、榊たちは明らかにたじろいだ。威圧的だったはずの彼女たちが、二の句も告げずに後退を余儀なくされたのだ。


 結局、その後授業開始のベルが鳴り、それ以上の大事にならずに済んだ。しかも、この一件以降、榊たちが冬子に詰め寄ることはなかった。あの一瞬、冬子に何を感じたのか。それは、榊本人に聞いてみないと分からない。ただ、聞くまでもなくはっきりしていることはある。あの女、夏木冬子には深く関わってはいけない。


「お前、さっきからあの夏木の方をちらちら見てどうしたんだ」

「な、なんでもないぞ、篠原」

 俺の高校初の友人、篠原庄吾が怪訝そうに声をかけてきた。彼と友人になったのは、この俺、東雲翼と出席番号が一つ違いだというありがちなパターンだ。

「あいつ、本当に謎だよな。あんな眼鏡をかけていたら、もっと噂になりそうなのに、特に話題になることもない。中学時代のことを知ろうにも、あいつと同じ中学のやつは一人もいない。まさに、謎が謎を呼ぶミステリアスガールだもんな」

「そんな大層なもんじゃなくて、単に根暗なだけだと思うぞ」

 上っ面ではそう言ったが、彼女が大層なもんだというのは、昨日身をもって知った。それを話したところで、絵空事と思われるのがオチなので、口には出さない。いや、あれは絶対に口に出せるようなものではない。


「ミステリアスといえば、昨日、この学校の近くで爆音騒ぎがあったらしいじゃん」

「え、ああ。そうみたいだな」

 なんでも、最寄の清川駅へと至る大通りのはずれにある空地で、謎の爆発音が響いたらしい。花火だの、エアガンだの、憶測が飛び交ったが、未だ真相にはたどり着いていない。なにしろ、そこは雑草が生い茂っているだけで、道具の類は全く残されていなかったのだ。明らかに道具を用いて発せられたような爆音だったにも関わらず、道具が見つかっていない。下手すると、名探偵が扱いそうな事件に発展しそうだが、単なるいたずらという領域を出ないため、次第に終息していくことは火を見るより明らかだ。

 それに、俺にとっては、そうなってもらえれば都合がいい。なにせ、その出来事に明確なまでに心当たりがあるからだ。

「やはり、昼間に花火の迷惑野郎の仕業だと思うな」

「いや、この時期に花火って、早すぎるだろ」

「そうだな。ちょっと前まで、ゴールデンウィークで浮かれていたばかりだし」

 今のところは、あのことはばれていないようだ。ただでさえ今は、とある任務のために億劫になっているのに、これ以上不安材料を増やされては、俺のガラスの心臓は崩壊する。


「それよか、次の化学って、実験だから移動じゃなかったか」

「あ、そうか」

 ワインを蒸留させてエタノールを取り出すという、いったい何の役に立つのかよく分からない実験のため、化学実験室に移動することになっていた。慌てて教科書と提出用レポートを用意しようとするが、ふと思いついたことがありその手をとめた。

「悪い、篠原。ちょっと用事を思い出したから、先に行っててくれないか」

「別にいいが、遅刻するなよ」

「分かってるって」

 教室を後にする篠原を見送り、俺は冬子の席を確認する。ここで席を立たれていたらアウトだが、彼女もまた授業で使う教科書などを準備しているところだった。


 この移動教室のドタバタであれば、彼女と接触してもさほど大事にはならないだろう。たかがクラスメイトと話すだけで、こうも気を使わなければならないというのは、本来おかしなことである。ただ、ここまで説明して分かるかと思うが、とかく彼女は異常なのだ。普通に話しかけたら、どういうことになるかは容易に想像がつく。


 まして、話しかけるだけでなく、あるミッションを達成しなければならない。それもこれも、昨日のあの出来事が悪い。あんな目に遭ったうえに、こんな無理ゲーを背負込まされることになるとは。


 俺の手の中には、夏木冬子の生徒手帳が握られていたのである。

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