世界


 社会というものから離れて1年が過ぎた。

 無職。何もない1年が過ぎた。あれほど休みたいと思っていた感情はいまはなく。

 過ぎていく無情を貪る夜が続いた。5万ほどの安いボロアパートから世界を見る。

 雑居と並ぶものはなく、そこには向かいのビルの壁が窓から見えた。見晴らしは最悪。日当たりも最悪。

 1日1食の餌は8枚入の食パン1枚。焼かず、マーガリンを多めに塗り白砂糖を塗る。振りかけるのではない。塗るのだ。砂糖もグラニュー糖などではなく白砂糖だ。これは間違えてはいけない。どちらもサトウキビを煮詰めて濾過したものだが、その質まったく異なる。グラニュー糖は無駄に純度が高く粒の結晶も細かい。甘味100%ではあるが、白砂糖のほうがうまい。水分がわずかにあり、しっとりとしていて、粒が大きく食べている実感がする。



 フニャフニャの食パンは餡バターコッペパンの代わりだが、耳がある。それがいい。

 食感はジャリジャリする。バターは高い。マーガリンにしとけ。味はおなじようなものだ。

 そしてもうひとつ、Blendyのコーヒーだけは欠かせない。多少高くともこれでなければいけないのだ。コーヒーの粉を入れ、そこに水道水を直に入れる。ぬるめでも香りがしっかりと分かる。味も。他の粉ではそもそも溶けない。

 食事の友はもっぱらラジオだ。朝はラジオに限る。J-WAVEに周波数を合わせる。81.3(エイティーワンポイントスリー)だ。お洒落を気取って入るが、実質、あまりそんなことはない。むしろ下品な事のほうが多い気がする。そんなパチもん臭がする気質が好きだ。


 トレーに食パン(私はジャリパンと呼んでいる)と水道水で解いたコーヒーを載せこたつへ潜る。

 5年前に買ったデスクトップパソコンの電源を入れる。回転するフィンの音がする。ラジオに耳を澄ませネットを徘徊しながらぬるいコーヒーを飲む。この瞬間に最高の生きがいを感じる。この瞬間、私は世界で一番の幸福者となる。


 食事が終わると風呂だ。

 風呂といってもシャワーなのだが。この際、どうでもいい。

 ユニットバスなので多少臭うが、この際、どうでもいい。


 熱湯をかける。必用に泡立てる。

 いや、自然と泡立ってしまうという表現のほうが正しいのかもしれない。

 それだけ汚れているのだ。ついでに歯も洗う。虫歯になってはたいへんだ。


 風呂が終わると小汚い敷きっぱなしの煎餅布団に倒れこむ。

 ラジオを聞きながらしばらく横になる。


 11時頃だろうか。時間的には日差しが心地いいはずなのだがこの部屋ではあまり日差しが差し込まない。

 ラジオを消し、布団に包まる。タオルをアイマスクの要領で被せ寝る。畑から見たら死体にかぶせる顔隠しのように見えるかもしれない。

 下衆が働くとき、私は寝る。夜にそなえて寝る。日中やることがないので寝る。それだけだ。

 日が落ち、4時頃目覚める。夕焼けがとてつもなく綺麗だ。こんな私でも買い出しにいったときに夕焼けを見る。夕焼けを見るついでに買い物をするという表現のほうが正しいのかもしれない。そのとき私は世界でもっとも幸運者になれる。夜明けの景色も素晴らしいが、夕焼けのほうが断然素晴らしい。はじまりを告げるものではなく、終わっていく美がある。下衆にはわかるまい。



 世界が終わるその時、私の世界ははじまる。

 ぬるいコーヒーを入れる。すべての飲み物はコーヒーに通じる。

 水道水、コーヒー。それ以外の飲み物は飲むことを禁止されている。

 私は超越者だ。なににおいて? すべてにおいて。


 この世界はだれのために存在を許されているのかと問えば私のためにあると答える。

 ラジオがそういった。私は夜中に聞くラジオが好きだ。でも昼から夕のラジオも好きだ。

 テレビなどという毒電波を発する機械はこの部屋には存在しない。なぜなら私が許さないからだ。

 世界は私のためにある。世界は私を認めた。だから私がいる。そう思うようになった。


 昔のことなど思い出したくもない。

 世界のせいで私はこうなった。

 そんな考え、してはいけない。


 ただじっと私だけの世界をたのしむ。

 ここにはそれ以外、必要ない。

 贅肉はそぎ落とす。世界の。私の。

 ここが私の、世界だ。



 夜が来た頃、はじめの頃。

 とてつもない不安が私を襲った。

 無音という異空間へ誘う空間をラジオが打ち消してくれた。

 それからというものラジオが必需品となった。

 世界はラジオとつながっている。


 もう、こりごりだった。

 世界へいくのは。世界にうちのめされた。

 だから私が世界をつくった。しごく当然な理屈だ。

 もうここから出たくない。ここで、死にたい。


 世界をこれ以上見たくもない。

 世界は私がつくる。



 でも、1年が過ぎていた。

 私は死ななかった。でも、私は死にたかった。

 もう生きていてもなんの意味もなかった。

 リピートを繰り返すカセットテープになったような気がした。

 終端にたどりつくとそこがはじまりになる、A面とB面を反転させて再生を繰り返す。

 下衆にはわからんだろう。


 貯金ももうない。

 明日、暖をとろう。夜中はすっかり冷えてしかたない。

 凍えそうで仕方ない。凍死するかも。

 それもいいかも。


 世界に見放された私は、この世界のなかで死ぬのか。

 それも悪くない。突如、ふっと全てが消えた。パソコンのモニタも、ラジオも、こたつも。

 電気が止められたと気づいたとき、私の世界は真っ暗になった。

 なにも見えない。なにも聞こえない。怖い、寒い、暗い、なにも聞こえない。

 私は布団に身を隠した。

 怖かった。早く夜が明けて欲しかった。あれほど邪険にしてた夜明けを心待ちにしていた。

 私が世界を欲していた?


 そんなのは認めない。

 私の世界は突如なんのまえぶれもなく消えた。

 不安で不安でしかたなかった。

 私をおかしくした世界がまたくるのか。そう思うだけで震えがとまらなかった。

 寒い。死にそうだ。


 私はここで死ぬのか?

 それもいいかもしれない。

 思い返して見れば私は自分の世界をつくりたくてしかたなかった。

 このようなかたちでおわるのは意に背くが世界が私をこうした。

 これは私の選んだ世界ではない。

 もし、ひとつだけ願いが叶えられるのなら、私は世界をつくりたかった。

 私が欲した世界を。気が狂いそうになる。もうたくさんだった。

 願うなら、願うのも、もう、正直つかれた。

 無心でいられるのならどれほどしあわせだろう。

 なにも感じない心がほしい。願いは虚しく静寂にこだました。

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