バケモノ・ワールド
夜宮鋭次朗
第0話:プロローグ
【それ】が何処で、如何にして誕生したのか真実を知るヒューマンはいない。
しかし、【それ】が最初に巨獣の姿で現れた日時と場所は正確に記録されている。
真歴三一九年、十一月の三日。
その日、大陸史上最も繁栄を極めたとされる軍事大国ユナスティアが一夜にして滅んだ。
なんの前触れもなく、瞬きする間に突如として【それ】は王都に現れた。
常闇を塗りたくったような漆黒の体表に、鎧とも骸骨とも似て非なる銀色の外殻。
全身が鱗と甲殻に覆われ、長い首と尾をしならせ、爬虫類の頭に角を生やし、皮膜の翼を広げる【それ】は、しかしヒューマンの知る《ドラゴン》とはあまりに異なっていた。
まずサイズがおかしい。
ヒューマンにとってのドラゴンとは、大きくてもせいぜい体長三〇メートルの、戦車級魔導兵器が三機もあれば余裕で討伐できる、「ちょっと手強い」程度の害獣でしかない。
ところが王都に出現した【それ】は、体高だけで優に一〇〇メートル強もあった。
足元から見上げればとても全容が掴めないほどの巨躯。そもそもこんな巨大な生物が存在すること自体、ヒューマンの常識を逸脱している。【それ】が現れた際足元にいた王都の住人は、真っ黒な山かなにかと思ったに違いない。
そして彼らは幸か不幸か、黒い山の正体を知ることなく、【それ】の踏み出した一歩目に吹き飛ばされた。
爪に引っかかった地面が抉れ、土砂と木とヒューマンだった肉の塊が飛び散る。進路上にある建物が悪い冗談のように呆気なく砕けて宙を舞い、瓦礫の雨が逃げ惑う人々へ降り注ぐ。グシャリ、グシャリ、と真っ赤な花がいくつもいくつも地面に咲き乱れた。
一歩ごとに世界が揺れ、大地が裂け、建物が壊れ、人が死ぬ。ただ歩くだけの行為が、その巨大さ故に嵐や地震と同等の災害をもたらすのだ。
すぐに王国の全兵力が、【それ】を討つべく出動した。竜の鱗に風穴を穿つ砲撃部隊。鳥より速く空を駆ける飛翔部隊。歩兵から極秘開発された最終兵器に至るまで、大陸の半分は焦土に変えられるほどの戦力が投じられた。
しかし《ミサイル》が、《バズーカ》が、《レーザー》が、全ての攻撃が【それ】には通じなかった。体表に傷の一つさえ付けられなかった。
更に【それ】はドラゴンの姿をしていながら、攻撃方法が出鱈目に過ぎた。手首から飛び出す粘着質の糸が砲撃部隊を絡め取り、背中から伸びる無数の触手が飛翔部隊を叩き落し、挙句にその巨体を高速回転させて都を蹂躙した。
そしてなにより、数少ない生き残りの目に焼きついたものは、【それ】が口より放った閃光。
火炎でも、水流でも、雷撃でも、衝撃波でもない。
純粋な光の奔流としか形容しようのない破壊
――かくして、大陸最強とまで謳われた王国は地図から永久に姿を消した。
黒銀の巨獣は現れたときと同様、煙のように消えて痕跡すら辿れなかった。
人々は【それ】に、古い民話が語る終焉の獣《エンドロギア》の名を与えて恐れた。
そう、恐れたのだ。
魔導技術の発展と共に「戦い」は「狩り」に変わり、いつしか「脅威」は利益をもたらす「商品」に、畏怖の称号は「野蛮な家畜」の代名詞に成り下がっていた。
【バケモノ】という言葉に込められた恐怖を、ヒューマンは三〇〇年ぶりに思い出したのだ。
――しかし、ヒューマンは未だ知らない。
その災禍を生み出したのが、他ならぬヒューマン自身であることを。
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眩しさに目を見開いて、なによりまず空の青さに驚かされた。
次いで飛び込んでくる木々の緑、果実の赤、地面に咲いた花の黄紫桃橙……あまりにも鮮やかな色の数々に心を奪われる。
武器工場が垂れ流す排煙で薄汚れた空の灰色。
廃液で魚も住みつかない川の黒。
毒素がしみ込んでまともに作物の育たない土の赤茶。
それが俺の世界を彩る全てだった。
だというのに一体全体、突然この変わりようはどういうことだろう?
まるでここは天国だ。――天国?
…………ああ、そうか。そうだった。
俺は死んだのだ。クソッタレな金持ちどもの戦争に巻き込まれて。
名前も知らない国の端っこにある、今日の食事にも困窮する貧しい村に俺は生まれた。
村には武器工場がある。俺たちとはなんの関係もない、金持ちどもが起こした戦争のための人殺し道具を作る工場だ。工場が吐き出す煙と廃液のせいで、俺たちは畑で作物をこしらえることもできない。俺たちの生活を滅茶苦茶にした工場で働いて、金持ちどもが嘲笑交じりに寄越す配給を食わねば生きていけない毎日だった。
働いても働いても飢える一方の暮らし。その果てに待っていたのは、工場を狙った敵軍の爆撃だ。ミサイルの雨が親を、兄弟を、友達を、それ以外の人たちも皆まとめて吹き飛ばした。
最後は俺自身も衝撃と爆炎に飲み込まれ、途方もない苦痛を最後に記憶は途絶えている。
つまり徹頭徹尾クソだった人生を終え、俺は天国に召されたというわけだ。
つーか本当にあったんだな、天国。あのクソ東洋人お得意の作り話だと思ってた。
しかしなるほど、どうりで手足の感覚が全くないわけだ。たぶん今の俺は、いわゆる魂ってヤツだけの状態なんだろう。目線もやけに低くなってるしな。なんかこう、光の玉がフヨフヨ浮いてる感じ? うーん、なんとも不思議な心地だ。
ここが天国か。天国というだけはあるな。こんなに温かい日差しも、優しい風も、生きている間に味わったことがない。むしろ死んでよかったかも。
そうだ、親父たちもここにいるのかな? 俺みたいなクソガキが来れるんだ。あのお人好しな馬鹿親父や、苦労ばかり背負い続けた優しい母さんもいなきゃおかしい。
逆に工場のクソ職員どもは絶対に来れないな。そういえば、あいつらもちゃんと爆撃に巻き込まれたんだろうか。つーか巻き込まれて死んでろ。俺たちより百倍は苦しみながら死んでろ。そして地獄に落ちて永久に苦しめ。
……ふむ。つい焼かれて死んだときのことを思い出したら、なんだか水が飲みたくなった。
身体がないのにどうやって飲むんだって話だけど、ここは天国だ。きっとなんやかんやしてどうにかなるだろう。なんたって天国なんだからな。
辺りを見渡すと、今更ながらここは森の中らしい。どっちを向いても木ばっかりだ。
ともかく水場を求めてさまよい歩く。いや、身体がないのに歩くというのもおかしいけど。それに感覚的にも歩くというか、這っているんだか転がっているんだか、よくわからない。
アテもなく適当に進んでたんだけど、運のいいことにそれほど時間もかからず、湖を発見。
この都合よさ、流石は天国だな。湖の水も見たことがないくらい綺麗で透き通ってるし。
生きてた頃は水なんて、配給の薬品臭いヤツしか飲めなかったからなあ。
浴びるほど飲んでやろうと屈み込んで…………俺はショックのあまり思考が停止した。
湖の水面に映る俺の姿は、人間じゃなかった。光の玉でもなかった。
帽子のごとく頭部? に被った、二本のとんがりが伸びるくすんだ銀色の殻。
真っ黒なのに透明感がある、【こーひーぜりー】のようなプルプルの身体。
その中にプカプカと浮かぶ、流れたての血のように紅い眼球。
おおよそ【バケモノ】という言葉でしか表せない、不気味な生き物がそこにいた。
つーか俺だった。俺がその不気味なバケモノだった。
――のっぎゃああああああああああああああああ!
声にならない絶叫が、頭(?)の中だけで虚しく響き渡る。
どうやら俺は、【にほん】で流行りの【いせかいてんせい】というヤツをしたらしい。
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