第1話: マイ・グラデュエーション

その日、ヨシオは疲れ切っていた。


夕方の4時。西日が差し込み、穏やかな風が机に積まれた書類の山を撫でて通り過ぎる。


ヨシオは、机の上に置かれた社員証を眺め、口を半開きにして、黄泉の国にいる祖母と交信していた。


資材管理部を横切る人は皆、ヨシオの顔を興味本位に覗き見て、立ち去っていく。向かいの生産管理部の女の子二人が、パステルカラーの付箋を何度も交換している。


『塚本、会社やめるってよw』


『会社に喧嘩売るって…バカじゃないw?』


『好奇心は意識高い奴も殺すw』


『「おはようございます!」 が聞けなくなるのが寂しいのうwww 寂しいのうwww』


資材管理部部長の園原がヨシオの肩に手を置いた。園原の、糸でつり上げたような不自然な笑顔が、西日に照らされて眩しい。


「まあなんだ。なんともいえんが」


「はあ」


というヨシオは顔をピクリとも動かさず、社員証を眺め続けている。


「人生いろいろというやつだな。うん。ほら、まださ、若いんだから。大丈夫だろう」


女の子の間を付箋が飛び交う。


『おまえwww 』


『おまえが代わりに責任とれよハゲwww』


園原はヨシオの両肩を掴み、軽く握った。


園原は、一刻も早く、ヨシオに出て行って欲しかった。園原だけではない。株式会社東洋化学の社員全員が、塚本ヨシオに一刻も早く出て行ってほしいと願っていた。


「社員証を溝口に預けたら、あとはこっちで手続きをしておくから。定時前だけど、もういいぞ。退職金代わりの餞別だ」


トラックが事務棟を横切り、窓がガタンと音を立てた。荷台に積まれたゴムの匂いが風にのり、ムッとして、部屋に立ち込めた。


「園原さん」


座ったままのヨシオが、首だけを動かし、園原のほうを見上げた。園原はぎょっとして返事の言葉も出なかった。


「いつか、ウォールストリートタイムズの一面でお会いしましょう」


女の子達が、ぶっとお茶を吹き出し、そのままキーボードの上に突っ伏し、震えていた。

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