第3話 不審と不穏

 レオンハルトが疑惑に駆られる内にも、戦闘は続いていた。

 戦闘が始まって半刻はんこく(約三十分)が経つが、ロンバルディア騎士団には、まだ攻撃の命令はまだ来ない。


 レオンハルトは、くらから尻を浮かせて伸び上がり、前方を観察する。


 「ガリシア歩兵がなかなか頑張っているな。隊形がまだ崩れる様子はない。」

自陣営である帝国軍よりも、敵軍の方を賞賛しょうさんしている。しかし、形勢は帝国軍が有利であった。 


 戦場中央では、全身を鉄甲鎧リュストゥングでかためた帝国重装歩兵団が戦っている。左半身をほぼおおってしまうほどの大きさの長方盾スクトゥムを装備し、長大な横陣でくろがねの壁を作り、同じ兵科へいかであるガリシア重装歩兵団の前進をはばんでいた。


 隣の兵と肩がぶつかるほどの密集陣形を組み、長槍サリッサ刺突鋭剣グラディウスで敵隊列を切り崩そうと、激しく戦っている。


 最前列の歩兵が剣でり結ぶ間に、二列目から五列目の兵士は、攻撃範囲の長い長槍サリッサで、列の後ろから敵を牽制けんせいし、あるいは仕留しとめる。前列の兵が倒されたなら、すぐ後ろの兵が前に進み出て、横列にいた穴を埋める。


 ガリシア軍は懸命に戦っているが、数の差で圧倒されつつあった。


 ガリシア軍の歩兵戦術運用単位である一個大隊いっこだいたいは、完全充足数五百名で編成されている。密集隊形で戦う時には、横列五十名、縦列十名で、横長の長方形である横陣おうじんを組む。

 それに対して、アルビオン帝国本領軍の歩兵一個大隊は八百名編成で、横列八十名、縦列十名だ。

 縦列の厚さは同じだが、横列の幅は帝国軍が三十列分、まさっている。

 常に大規模な兵力を動員する巨大な帝国本領軍は、周辺国の軍隊よりも、部隊ごとの構成人数が多いのだ。 

 これは、両軍の歩兵大隊同士が戦った場合、横列の数で勝る帝国軍がガリシア軍隊列を包みこむように半包囲し、側面に回りこめることを意味する。


 正面方向に対しては高い防御力と攻撃力を持つ重装歩兵も、密集し、また、重装備であるために、側面や背後から攻撃を突き込まれると、すばやく対応できない。

 さらに、複数方向から攻撃を受ける事で、劣勢な側は圧迫感を受ける。そのため、半包囲されてしまった重装歩兵の隊列は、加速度的な速さで崩壊してしまう。

 ガリシア軍の各級指揮官もこの不利に気付き、戦闘が始まる前に、急きょ大隊の横列を帝国軍と同じ八十名に増やし、縦列を六~七名に減らしている。

 しかし、この処置で最初は互角に戦えたとしても、兵数の少なくなる戦闘の終盤で、ガリシア軍の不利になるだろう。


 ガリシア王国軍が、ここヴァレンシア平原に展開できた重装歩兵は、四万二千人の八十四個大隊。帝国軍の重装歩兵は、六万九千人の八十六個大隊。構成人数で劣るものの、部隊の数がほぼ拮抗きっこうしている事が、ガリシア軍にとっての救いだった。そうでなければ、歩兵部隊は容易に包囲撃滅されてしまうからだ。


 レオンハルトが指摘したように、ガリシア王国軍は不利な状況にもかかわらず、しぶとく持ちこたえている。部隊編成の要因の他に、兵士達の士気の高さがあったからだ。

 


 ガリシア王国は、西の大国アルビオン帝国と、東方の大国パルティア王国の間に位置する地理的利点をかし、中継貿易を行うことによって、富み栄えている。豊かであるがゆえに、国民の生活水準も高い。そして、住みやすい国であるからこそ、兵達の愛郷心あいごうしんも強く、国土防衛の戦いとなれば、その士気は高くなるのだった。

 そして、国民に人気の高いガリシア王国の美姫、ディアナ・ベルダライン姫が総大将として参陣している事も大きく影響している。

  

「ガリシア軍は騎兵をまだ投入せんのか。歩兵をこのまますり潰して死なせる気か。」

 ロンバルディア騎士団の総指揮官、ジークムント・ケルナー総長は、敗走しないガリシア歩兵部隊に感心しつつも、敵軍の動きを怪訝けげんに思っていた。

 今年四十七歳で、戦士としての身体能力の絶頂期をとうに過ぎ、茶色の髪に白髪がじってはいるが、精悍せいかんな顔つきと機敏な動作が、年齢を十歳は若く見せている。前任の総長が深い戦傷せんしょうを負って引退した後、六年間にわたって騎士団の指揮を預かっている。


 白銀色の鎧の上から、総長の身分を示すあお色の軍衣サーコートを羽織っている。その背中には、軍馬と騎兵槍ランスの描かれたロンバルディア王国の国旗が白く染め抜かれていた。


「歩兵の援護すらせぬとは、妙ですね。我々に突撃命令が出ぬのも、同じく妙ですが。」

 ケルナー総長の補佐であり、軍師も兼任するヴァルター・ラウバッハ副総長が応じた。額が広く、目尻と眉が若干下がり気味で、ケルナー総長とは対照的に、武人らしからぬ穏やかな顔をした男だった。文官になろうとして、武門の家柄だった家族達から反対を受け、騎士団に放りこまれたと噂される。


「あるいは、ガリシア騎兵はこちらの本陣に突撃をしかけるために、機会をうかがっているのかもしれません。」


「本陣を急襲して大将を討ち取り、形勢逆転というわけか。そう上手くいくものかな?」

 ケルナーは、顎髭あごひげをしごきながら、ラウバッハに問いかける。


「あくまで推測ですが。このまま戦闘が推移するに任せれば、ガリシア軍は重装歩兵の横陣を中央突破されて負けです。劣勢を補うには、無茶でも賭けに出るしかないでしょう。」


「皇太子を狙っての突撃か。ふむ、それならむしろ、ガリシア騎兵に加勢してやりたいな。」


滅多めったなことを言うものではありません。監察官かんさつかんに聞かれると厄介やっかいですぞ。」

 素早く左右に視線を送ったラウバッハがたしなめる。


 帝国軍本隊からは監察官と呼ばれる監視者が各従属国軍に派遣されている。軍役ぐんえきを手を抜かずに全力で果たそうとしているか、あるいは他の属領軍とつうじて謀反むほんたくらんではいないか、将兵の一挙手一投足を監視しているのだ。帝国への反意と受け取られるような迂闊うかつな発言を、聞きとがめられるとまずい。ロンバルディア騎士団にも幾人かの監察官が常駐しているが、今は彼ら二人のそばを離れていた。


「俺がおそうやまうのはロンバルディア国王ベルンハルト陛下のご威光のみだ。監察官ごときを、なぜ恐れなければならん。」


 ケルナーとて帝国に面白からぬ思いをいだいている。とはいえ、監視されている身とあっては、母国ロンバルディアが不利益をこうむらないように、発言や態度には、気を付けなければならない。本来、豪放ごうほうな性格のケルナーには、陣中においてラウバッハと二人きりになった時にしか、不満を吐露とろできないというのが歯がゆい。

 

 不満をぶつけられるラウバッハはたまったものではないが、本人は、これも職分しょくぶんの内、とあきらめて受け入れている。


 その時、本陣から騎馬伝令が、二人の方へ疾駆しっくしてくるのが見えた。

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