騎士の国の物語 ～亡国の姫騎士～

第一章 ヴァレンシア会戦

第1話 出陣

　ウィリディス大陸歴五百九十二年四月。

　春の風が、草の海で覆（おお）われたヴァレンシア平原を吹き抜けている。人の膝元まである緑草が、波のうねりのように終わり無く揺れる。

　地上の色彩は草色だけではない。青紫のスミレ、黄色のタンポポ、桃色のツツジ、橙色（だいだいいろ）のヒナゲシなど、色とりどりの春の野花が草原のそこかしこに点在し、風に触れられ、可憐（かれん）な花びらを揺らしていた。

　柔らかく、暖かな春の日差しが、厳しい冬を耐え忍んだ植物を活性化させ、華やかな色の自然美を地上に出現させているのだった。　

　しかし今、美しいはずの景色の一角は、金属の鈍い反射光と、赤黒い血の色で汚されていた。

　そして、風吹く音も草のざわめきも圧して響く、その禍々（まがまが）しい騒音。　武器を打ち交わす鈍い金属音と、悲鳴、怒号（どごう）、断末魔（だんまつま）、鬨（とき）の声。

　弓兵部隊が長弓（ロングボウ）を斉射（せいしゃ）する。密集陣を組んだ重装歩兵が、長方盾（スクトゥム）を斜め上に持ち上げ、落下してくる矢を防ぐ。

　敵隊列が目の前に近づいたなら、歩兵達は長槍（サリッサ）や刺突鋭剣（グラディウス）を構（かま）え、白兵戦（はくへいせん）に備える。

　騎兵達は敵陣に致命的な打撃を与える機会をうかがい、騎兵槍（ランス）の穂先（ほさき）を天に向けたまま、突撃命令を今や遅しと待ちうける。

　そこでは、二つの陣営に分かれた人間達が、祖国の権益を守るために、もしくは、ただ自（みずか）らの命を守るために、あるいは武名を上げるために、戦いを繰り広げているのだった。

　勢力の一方はガリシア王国軍。王国騎士団を中核として、傭兵（ようへい）団と、徴兵された民兵を加えて編成された約六万二千人。

　もう一方は、アルビオン帝国軍。皇帝領の七つの騎士団に、四カ国の従属国軍を加えた約十万人。

　アルビオン連合帝国の構成国の一つであったガリシア王国が、帝国に課（か）された重税の負担に耐えかね、連合からの離脱を計（はか）った。これを叛乱（はんらん）行為と見なした帝国が、制圧のために軍を派遣したのだ。

　戦場は、ガリシア王国領有のヴァレンシア平原。

　王国領土内にエルトン・アークハート皇子（おうじ）率いるアルビオン帝国軍が侵攻（しんこう）し、ディアナ・ベルダライン姫を総大将とするガリシア王国軍がこれを迎撃（げいげき）に向かい、両軍はこの地で会敵（かいてき）したのだった。

「いけ好かない戦（いくさ）だな」

　重装歩兵団同士の戦いを遠目に見つつ、ロンバルディア騎士団、第十四重装騎兵中隊の隊長、帝国騎士レオンハルト・グレーナーは、不機嫌にため息をついた。今年二十二歳になる青年騎士の、武人らしい率直なつぶやきだった。

　騎士であり、戦場に出陣（しゅつじん）したからには、報奨金（ほうしょうきん）や昇格（しょうかく）のために、武勲（ぶくん）を得ようと、全力を尽くして戦うのが本来である。しかし、碧空（あお）色の瞳を収めた鋭く形のいい鷹目（たかめ）には、覇気（はき）は微塵（みじん）も感じられない。薄い唇を不機嫌に歪めてはいるが、まっすぐ通った鼻梁（びりょう）とも相まって、整った顔つきをしている。

「総大将殿は何を考えているのやら。」

　彼の所属する属領軍（ぞくりょうぐん）、ロンバルディア騎士団には、手柄を上げさせないためか、何か戦術上の理由からか、今は突撃の下令（げれい）も無く、その場に待機させられている。

　籠手（こて）で一回り分厚くなった手で、茶褐色の髪を掻（か）きつつ、馬上から本陣を振り返る。鎧（よろい）の間接部で、装甲がぶつかり合ってかちゃりと鳴る。

　レオンハルトの視線の先には、分厚く布陣（ふじん）した皇帝本領軍（こうていほんりょうぐん）の騎士達が、ずらりと並んで本陣を形成していた。騎乗（きじょう）したまま護衛対象を十重二十重（とえはたえ）に取り囲み、人馬の厚い壁が総大将の姿を隠している。

　帝国の旗騎士（はたきし）達は垂直に立てた騎兵槍（ランス）の先端近くに、家紋（かもん）を簡略化した色とりどりの三角形や長方形の旗をなびかせていた。そうした色形様々の旗に混じって、所属騎士団を表す軍旗（ぐんき）が七本、風になびいている。軍旗には、意匠化（いしょうか）された生き物の姿が旗に刺繍されていた。

　白竜（はくりゅう）、氷狼（ひょうろう）、炎虎（えんこ）、金獅子（きんじし）、銀豹（ぎんひょう）、碧鷲（あおわし）、紅鶴（こうかく）。

　アルビオン帝国軍では、騎士団に伝説の聖獣や怪物の名を与える慣習がある。帝国皇帝領が擁（よう）する二十の騎士団の内、軍旗が示す七つの騎士団が、この遠征に参加していた。

　　そしてさらに、本陣の中央辺りには、それら林立する旗よりも、一際（ひときわ）大きな旗がひるがえっていた。

　青地に銀刺繍（ぎんししゅう）の双竜旗（そうりゅうき）。そこには左右を睥睨（へいげい）する二頭の竜の姿が縫（ぬ）い付けられている。アルビオン帝国の皇帝旗であった。この双竜旗が戦場にある事は、帝族（ていぞく）が直々（じきじき）に出征していることを意味する。

　そして、この皇帝旗と同じ竜の名を与えられた白竜騎士団は、近衛騎士団（このえきしだん）とも呼ばれ、帝族（ていぞく）の護衛を専門とする。

　忠誠と武芸に秀（ひい）でた精鋭の騎士のみで編成される白竜騎士団は、アルビオン帝国遠征軍総大将である、ハリッジ公爵エルトン・アークハート皇子（おうじ）を警護（けいご）しているのだった。

　「皇子（おうじ）は、この戦（いくさ）をどう思っているのだろう。荒事を好まず、出陣を嫌がっていたとも噂されるが。」

　一介の騎士が自軍の総司令官でもある皇子を、”殿下（でんか）”の敬称で呼ばないのは、無礼で不遜（ふそん）な事なのだが、帝国の皇子は、属領軍のレオンハルトにとっての直接の主君ではない。また、この度（たび）の出征を含めた、母国ロンバルディアに対する帝国の扱いに対して、反感を持ってもいるのだった。