アナザー・タイプ・オブ・ゼータ

衒思力

プロローグ

第1話:禁断の扉

 その扉は、ゼータを封じる、禁断の扉であった。

 あるいは、ゼータ自身によって封じられた扉であった。


 外部からのアクセスを完全に遮断し、内側からのみ、ごく稀に開かれるというその扉は――しかし民家の二階にあった。


「サトシ、聞いてるの!? 今日の晩ごはんはカレーよ。いつものとこ置いておくから。早めに食べなさいよ」


我をその名で呼ぶなWAREWOSONONADEYOBUNA


 サトシことゼータは、不動のままに指先のみで応えた。


 応答はない。

 扉の外から、トントントンと階段の音が遠ざかる。

 日に三度の礼拝ごはんの差し入れも、本日はこれが最後となるだろう。


 自ら据え付けたかんぬきに守られし、六畳の聖域。

 ここがゼータの居城である。


 遮光性カーテンに加えて段ボールで目張りされた窓は、一糸の日光さえ通さない。

 木造ゆえの遮音性の難は、隣の和室の畳を引き剥がし、壁とすることで何年か前に解決した。


 故に、不可侵。

 ゼータは無限とも思われる時間を、仄暗い居城で一人過ごしていた。


 その悠久がゼータを今のような姿にしたことは疑いがない。

 しかしその姿は、彼の家族が偏見で決めつけ、思い描いているものとは似ても似つかない。


「フゥ……」


 礼拝で気を散らされたのもあるが、何より浅指屈筋しんしくっきんに走ったわずかな痛みをゼータは見逃さなかった。


 本日すでに二十万打鍵。

 鍛えぬかれた身体といえども、そろそろ弛緩とストレッチを入れなければ明日に支障が出る。


 そう判断し、ゼータは椅子からゆらりと立ち上がる。

 熱を帯びた右手を左手でぐにいと揉みほぐしつつ、伸び。


 唯一の光源であるディスプレイに照らされたその相貌、その腕の肉付きは、戦士のそれである。

 ゼータのZはZのZ。

 彼は戦い続けていた。打ち続けていた。文字という文字を叩き潰していた。


 人々がと呼ぶ行為。

 この聖域での生活を始めてから、それに取り憑かれたのか。

 あるいは取り憑かれたから、この聖域が生まれたのか。

 今となっては定かではない。


 なぜならば。

 ゼータにとってキーボードに向かい過ごす時間こそがリアルであり。

 世界とは、限界へ挑む入力によって、かろうじて認識されるものだから。


 血行を促進するための腕立て、スクワットに続いて、指のストレッチ。

 さらに貢がれたカレーを摂取するため二十分ばかりの休憩を挟んでから、ゼータは再び着席した。


 本日の戦場は、ネット上で週ごとに集計が行われるランキング種目だ。


 週の最終日に高記録で登録して抜き去る常勝パターンが、今週は崩されていた。

 ランキングを確認するとゼータの名は2位として晒し首のように転がされている。

 そして1位の欄には、近頃名前を見かけるようになった不届き者の名。


 最終日に重ねる形で、真っ向から勝負を挑んでくる人間が現れるとは。

 連勝記録を狙って数ヶ月を投じてきたゼータである。これを看過できるはずもない。


「我を愚弄するとはな。ぶっ潰してやるBUTTUBUSITEYARU


 終了まで、あと6時間。

 なんとしてでもこいつを抜いて、1位に返り咲く。


 大きく腕を振りかぶり、両手をキーボードに添える。

 ゼータの終わりなき戦いが今夜も始まった。


 まったく新しい戦いの火蓋まで、切って落とされようとしていることも知らずに。

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