雫の境内
櫟木ぞ乃
必殺の少女
第1話 必殺の少女編 1
胸が急激に熱くなった。
しかし、それは何かに感動したという比喩表現的な意味では無いのだ。
むしろ感動とは程遠く、人知とも程遠い。
胸に突き刺さる無数の鋭利な何か。
──熱い…痛い…。
僕の手にあった、頑丈で美しいはずの日本刀は見る影も無く真っ二つに両断され、地面に転がっている。
華麗に、正確無比にその鋭利な物達は、全て僕の胸のやや左側──つまり、心臓を打ち抜いていたのだ。
やがて足の力が抜け、ベチャりと血溜りへ仰向けに倒れる。
──月が、美しく輝いていた。
必殺であり、必中。
必ず殺し、必ず射止める。
──例えそれが、世の理に反しても。
黒く塗り潰される視界の中、僕はこいつに殺されるのは必然であったか、なんて、諦めの言葉を死に際に考えていた。
ーーー
桜の花弁が散り積もり山を作る、春も終わりがかったある日の朝。
燦々と輝く朝日を浴びつつ、僕はそんな桜の花びらを箒で掃き、境内を掃除していた。
「おっ、朝っぱらから精が出るねぇ。
本堂の横にある瓦屋根の建物の麩が開かれ、中から和服の女性が出てきた。
ㅤ風呂上がりなのか男らしく肩にタオルを掛け、まだ乾ききってない艶やかな黒いロングの髪の毛を後ろで一つに結わえている。
「
ㅤそう愚痴ると巫扇さんは小首を傾げた。
「──ん?…ああそうだった様な気もせん事も無いな。…まあ、そんな怪訝そうな顔をしてくれるなよ。その黒の和服、似合ってるぜ、神憑くん」
巫扇さんはまるで囀るように、適当な世辞を並べる。
「…まあ、いいですけど」
「ああ、そうしてくれ」
その会話の後、暫く箒が桜の花を掃く音が境内に響く。
巫扇さんはというと、縁側に腰を下ろすと足を組んで、静かに目を瞑り口を緩ませている。
…この神社に居候させてもらう事になったのは、つい一ヶ月程前からだ。
一ヶ月前、父親の転勤が決まった際に僕は高校三年生を目前に控えていたので付いていく事ができず、それに加え部屋を借りるにしても一年だけだとお金が勿体無いという事で知り合いが神主を務める神社に居候させてもらうことになったのだ。
その父親の知り合いの神主というのが、この
初めて出会った時は、何故こんな和服美人が父親なんぞと知り合えたのかと疑問を持ったものの、今となってはその疑問もすっかり晴れてしまっていた。
巫扇巫麗という女性を例えるならば、大雑把という言葉が一番適当だ。
僕が居候に来るや否や、僕を雑用係に任命し、掃除、洗濯、料理…あらゆる家事を僕に押し付けてきた時などは、見た目とのギャップに卒倒しそうになったものだった。そして、何か良い事があっても、悪い事があっても、何でもない日でも静かに微笑を浮かべているような、そんな人だった。
「なんだい、そんな不機嫌そうな顔して。そんなに掃除が嫌?」
いつの間にか顔に心情が現れていたらしく、巫扇さんは微笑を崩さず聞いた。
「…朝五時に起床して掃除するのを快く思う男子高校生を僕は見た事が無いですがね」
皮肉を込めて僕はそう告げた。
すると、巫扇さんは軽快に「ははっ」と笑う。
「そりゃそうだ。花の高校三年生だしな。…だがまあここは、花婿修行とでも考えて頑張りたまえ」
絶対に僕を雑用係から解除する気は無いらしい。
それに対する僕の答えは決まっている。
「…まあ、いいですけど」
「ああ、そうしてくれ」
ーーー
時間は六時半を回った。
僕はというと、境内の掃除を終え隣の道場で腕立て伏せをしていた。
「…二十…二十一…」
やはり巫扇さんは軽く微笑み静かに見ているだけだ。
先程と違うのは服装が寝巻用の和服から、巫女装束になっている、という点だ。
僕は一ヶ月間ずっとこうして毎朝筋トレをさせられている。これも、この神社へ居候する条件の一つらしい。
「…二十九…三十…」
そこまでしたところで、息を吐き床にうつ伏せで倒れる。
「…お疲れさん。まだ君の筋肉は脆弱だが…まあいいだろう。そら、この木刀を持て」
そう言い巫扇さんは倒れている僕の横へ木刀を置いた。
「──っ?」
巫扇さんが木刀なんて、いわゆる武器に値する物を出したのは初めてだ。
「君が今まで何の為に筋トレしてきたのか、教えてあげよう」
いつも微笑みを浮かべている巫扇さんが、いつもに増して楽しそうに微笑んでいる気がする。
「…嫌な予感しかしないのですけれど」
僕は木刀を握り立ち上がり、本心を告げると、巫扇さんは何食わぬ顔でその言葉を受け、服の中に手を入れた。
──そして。
「──なぁに、か弱き女と少し手合わせするだけだよ」
不吉に口角を上げそう言いつつ、巫女装束の内から短刀の木刀を取り出し僕の方へと向けるのだった。
──何が〝か弱き女〟だ。
か弱いとは、弱く頼りないという意味であったはずではなかったか。
息を荒くし、床に伏せる僕とは対照的に息を乱すことなく涼し気な表情で僕を見下ろす巫扇さん。その姿にか弱さなど微塵もなく、むしろ凛とした格好よさだけがそこにはあった。
──はっきり言って格が違う。
僕の打つ出鱈目な、しかし、力を込めたつもりの一撃は全てあの小さな木刀で受け流され一つも攻撃が当たることが無いまま、先に僕の体力が尽きてしまった。僕は運動能力がそんなに悪い、という訳では無いのだけれど。
「まだまだ全然全く及ばないね。もう少しメニューを増やす事も検討しなければな」
「えぇ…? 何ですか…僕って、何か大会にでも出るんですか…?」
「ふむ、特に大会に出るってわけじゃないがね、出たければ出るといいさ。だか、私が教えるこれは大会などという〝ルール〟に縛られた、枷付けられた型じゃないんだ。もし君が大会に出た時、反則を取られてしまうかもしれないね」
そんな型を教えられるのか、僕は。
とはいえ、僕は大会に出るつもりもないし、どんな極悪非道で、大会で反則を取られてしまうような狡賢い型だったとしても、僕はその型とやらをレクチャーされざるを得ない。
「大会には、出ませんよ」
そう告げ、片膝を付く形で座る。
そして一回大きく深呼吸をする。
「ほら、タオル。シャワー浴びてこい。そしてすぐに朝飯だ」
そう言い巫扇さんからタオルが放られ、僕の顔に掛かる。
汗を拭い、僕は浴槽へと向かった。
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