第13話 相棒を拾う 4
「…………」
ダンッ!
やっとの思いでイチオを彼の部屋に戻るよう促し、部屋の前にコソコソと集っていたメイドやら執事やら、挙句は下働きである筈の奴隷仲間達までも追い払った後、ワクァは握り拳で思い切り部屋の壁を叩いた。
この部屋は屋敷の隅に位置する部屋だから、壁の向こうは外……隣人に迷惑がかかるという事は無い。叩いた拳がジンジンと痛むが、そんな事は気にしない。ドレスを着た格好のまま、ワクァはギリ……と歯噛みをすると、力無く項垂れた。
自分の情けなさに、腹が立つ。
自分の置かれた立場に、腹が立つ。
何故自分の判断で行動する事ができないのか。
何故反抗する事も許されないのか。
何故自分は周りからこれほどまでに笑い者にされなければならないのか。
何故自分は、傭兵奴隷なのだろうか……。
ぽたり、と何の前触れも無く涙がこぼれた。涙を流すのは、女々しい事だ……それはわかっている。男の……それも、傭兵奴隷がするような事じゃない。
そうは思っても、それでも涙はこぼれ落ち続けた。ぽたり、ぽたり、ととめどなく。
悔しい、とワクァは呟いた。
もし自分が奴隷でなければ、こんな扱いは受けなくて済むというのに。そう思うと、悔しくて悔しくて仕方が無かった。
だから、壁を叩いた。自分を見下した者達を殴る代わりに。
けど、やはりそれだけでは収まりそうもない。そうして悔し涙を流し続けていると、突如横から声がかけられた。
「あぁ~ら、まぁ! 随分と可愛いカッコしちゃってるじゃない!? けど、そっちの方が似合ってるわよ」
「!?」
反射的に涙を拭って、ワクァはガバッ! と顔を上げた。
声は、窓の方から聞こえる。慌てて窓の方を見れば、そこには先ほど宿屋への道を教えた少女……ヨシがいた。木の枝に腰掛け、二階である筈のこの部屋を見下ろしている。
「! お前は……っ! 何処から入ってきた!?」
ワクァが声を潜めて……しかし、それでいて厳しい声音で問うと、ヨシは興醒めといった顔で言う。
「そんなカッコで怖い事言ったって駄目よ。全っ然! 怖くないわ」
そこで、ワクァは現在の自らの服装を思い出し、顔を赤らめる。まさかこんな旅人にまでこのような醜態を曝す事になろうとは……悔しい事、この上ない。
しかし、だからと言ってここで動揺してはいけない。相手のペースに乗るだけだ。
「……何の用だ?」
あくまで冷静に、ワクァは問う。すると、ヨシは持っていた手帳のページをペラペラと捲りながら言った。
「ん、悪いんだけど、アンタの事調べさせてもらったわ」
「……何?」
ワクァが怪訝な顔をすると、ヨシは特にそれを気にする事無く言葉を続ける。
「名前はワクァ……ファミリーネームは不明。推定二歳の時タチジャコウ家に買われた傭兵奴隷である為、身元も不明。今ではその持って生まれた剣の才能を如何なく発揮し、タチジャコウ家の護衛として大絶賛活躍中! ただ、哀れむべくはその女性にも負けない美貌の所為でしばしば女性と間違えられ、貴族達からはからかわれ、時には性別問わないどぐされ野郎に手篭めにされそうになった事数知れず……ただし、これは全てその剣技を持って返り討ち……と……」
「……お前! 何処でそれを……!」
毛を逆立てかねない勢いでワクァが問い詰めると、ヨシは言う。
「いやいや、何処でも何も、町の人達ほぼ全員が知ってる事だし。この領内で「ワクァとはどういう人物か?」って訊いたら、どいつもこいつも、第一声は「あぁ、あの美人さん?」だったわよ?」
「……それで? 俺の事を調べたから何だ? 一応言っておくが、強請られるような事をした記憶は無いぞ? あったとしても、俺には口止め料を払う力なんて無いしな……」
ワクァがそう言うと、ヨシは「心外だ」とでも言わんばかりの顔で言う。
「やぁねぇ! 強請ったりなんかしないわよ! 私はただ、スカウトをしに来ただけ!」
「……スカウト?」
顔を顰めてワクァが問うと、ヨシは「そ!」と言ってニッコリと笑う。
「見ての通り、私は今旅をしてるんだけどね……流石に旅を始めて二ヶ月も経ったら、一人旅が寂しくなっちゃって……だから今はあちこちの領や町で護衛も兼ねた相棒を探してるんだけど、アンタだったら剣の腕前良し! 心配するような身内無し! ついでに見てくれも良し! でバッチリなのよね~。ま、真面目過ぎる人間は恐いからどうしようかな~とかちょっと考えてたんだけど、今のアンタの格好見たらそんな心配吹っ飛んだわ」
そう言って、ドレス姿のワクァを指差す。ワクァはと言えば、居心地の悪そうな顔で窓際に佇んでいる。
つい忘れそうになっていたが、今の自分は女物のドレスを着せられている。自分は男だ。そして、傭兵奴隷だ。
傭兵奴隷と言えば、奴隷ではあるが同時に「護衛」「戦士」というイメージも持つ職業である。その職に就く自分が「ドレスが似合う」だの「その格好なら真面目で恐そうという心配も吹っ飛ぶ」だの言われてしまっては、面目が立たない。かと言って、まさか女性が見ている目の前でいつもの服に着替えるわけにもいくまい。それでなくても、イチオから「今日一日その格好で過ごせ」と言われているのだから、尚一層着替えるわけにはいかない。
では、どうするか? 手っ取り早いのはヨシを追い払う事だが、家の中と、外にある木の上だ。距離的に手や足はギリギリ届かないので、直接木の根元まで追い払いに行かなければならない。
追い払いに行くとなると、このドレス姿で邸内を動き回ることになる。それは避けたい。……となると、力尽くで追い払うのは不可能。
では、「出て行け」と怒鳴るか? ……怒鳴れば邸内の者が誰か気付く。そうなると、事の次第は確実に主人に届く。そうなれば、傭兵奴隷=護衛である筈の自分が不審者の侵入を許したという事になり、大目玉を喰らう事は確実だ。更に、誰かが気付けば必然的に自分は再びこのドレス姿で晒し者。……それも避けたい。
結局、追い払うのは得策ではないと考えたワクァは、すぐに頭を働かせる。邸内の他の者に気付かれる事無く、尚且つ自分……特に、現在の格好に関する話題をこの侵入者の口から出させない為には……。
「……」
話を逸らそう。
瞬時に、ワクァはそう判断した。
これ以上「美人」だの「ドレスが似合う」だの言われる前に、何とかして話題を変えてしまおう、と。話の主導権は相手に取られてしまったが、幸いにも突然訪ねてこられた上にワケのわからないスカウト話を持ち掛けられた自分には質問をする権利が存分にある。
できる限り嫌な話題と縁遠い質問をし続けていれば、少なくともこの居心地の悪さだけは何とか凌げるかもしれない。そう思い、ワクァはヨシに問うた。
「……旅をしていると言うが……何の為の旅だ? 二ヶ月も旅を続けているという言葉と時間に縛られている様子が無い事から考えて、目的地のある旅ではないようだが……?」
「あぁ、それ? 話すと長くなるんだけど良い?」
「構わん」
一つ目の質問でいきなり話を逸らす事に成功した為、内心でガッツポーズを取りながらも外見は冷静さを保ちながらワクァは答えた。すると、「じゃあ……」と言ってヨシは話し始める。
「三ヶ月くらい前にね……私が住んでいる街……この国を治めるヘルブ家の直轄領だから単純に「ヘルブ街」って呼ばれてるんだけど、お触れが出たのよ」
「……お触れ?」
「そう。それによると、その数日前に王様は占い師にこう言われたらしいの。「ヘルブの民が拾い集めた宝をよくよく検分すれば国の行く末は安泰である」ってね」
「国の行く末……? 確か、国王には世継ぎがいなかったと思うが……」
「正確には、「いたけどいなくなった」……ね。王子様が一人いたらしいんだけど、まだ私が生まれる前に死んじゃったらしいわ。それがショックだったのか、それ以降お后様は病気がち。当然子供なんか産める筈がないもんだから、今じゃヘルブ城内じゃ世継ぎをどうするかで毎日毎日喧喧囂囂らしいわよ」
「本当、王族って難儀よねー。一々世継ぎとか考えなきゃいけないんだから」と肩を竦めるヨシを見ながら、ワクァはヨシの言葉を反芻する。
「世継ぎとなる子供がいない。……そうなれば、王族や大臣達は自分に都合の良い者を世継ぎにしようと考える。……子供がいないというだけで既に国の行く末に安泰の気配が欠片も無いように思えるんだが……」
ワクァが考えながら言うと、ヨシは言う。
「でしょ? だから、王様はこう考えたらしいのよ。宝と言うのは、世継ぎが必要ではなくなる……つまり自分が永遠に王として生きていられるようになる不老不死の薬か……もしくはお后様の病気を一発で治しちゃう薬か、はたまた子供を授かるアイテムか……。結局、世継ぎが生まれるか、王様が死ななければ良いんだものね。……で、そういう考えに思い至っちゃったもんだから王様も必死よ。「ヘルブの民が拾い集めた~」なんて一節があったもんだから、「ヘルブ街の住人で手隙の者は宝を集めに行け。旅の途中でこれぞ宝であると言える物を拾い献上した者には褒美を与える」なーんてお触れを出しちゃって……」
「どんな形をしているかすらわからない物を拾って来い、なんて言われたんだから、ヘルブ街の住人にとっちゃ良い迷惑よ……」と愚痴を間に挟みながら、ヨシは話を続けた。
「……で、私の場合お触れが出てから一ヵ月後くらいに働いてた店で問題を起こしてクビになって……特にやる事も無いし、もしお宝を拾えたらご褒美を貰えて大儲けだからって理由で旅に出てみることにしたのよ。けど、旅に出てから早二ヶ月……色々使えそうな物は道端に落ちてたけど、お宝! って感じの物は落ちてなかったわね~」
そこまで喋ると、ヨシは腰の鞄から水筒を取り出し、ゴクリゴクリと美味しそうに水を飲んだ。喉の渇きを存分に癒して、フーッと満足そうな溜息をつく。
「……ま、そう簡単にお宝なんて見つかる筈ないしね。そもそも、そんな見るからにお宝って感じの物が誰にも拾われないまま落ちてるなんて有り得ないじゃない?」
確かに。持主の無い良い物があれば拾って自分の物にする……それが人間の心理というものだ。
大体、その宝とやらに関する情報が少な過ぎる。色も、材質も、形すらわからないのでは話にならない。
ヒントは「ヘルブの民が拾い集めた」というくだりだけ。ヘルブの民と一口に言うが、ヘルブ街は大きい。ワクァ自身は行った事はないが、王家の直轄領なだけあって何万という人が住んでいると聞く。そしてそのうちの何割かは、別の土地から移住してきた人間だったりもする。「ヘルブの民」とは、ヘルブ街に住んでいる者全員を指すのか……それとも、昔からヘルブ街に住んでいる住人だけを指すのか……それすらもわからない。
第一、「拾い集めた」と言っているが、それが今までに拾い集めた物の事なのか、それともこれから拾い集める物の事なのか……。
あまりに、漠然とし過ぎている。
「広大な砂漠の中から、一つまみの砂金を探し出すようなものだな……」
呆れた声で、ワクァは呟いた。すると、ヨシがそれに頷いて言う。
「本当にね。けど、王様の気持ちがわからないでもないのよ。いつまでも世継ぎがいないままじゃ、不安でおちおち寝てもいられないだろうし……親戚や大臣達は、世継ぎを誰にするかで欲丸出しの言い争い……今もし王様が病気で倒れたりなんかしたら、確実に世の中は乱れるわよ。王様が倒れれば、王族や大臣達は自分を後見人に据える世継ぎを立てようと躍起になって、国政を省みなくなるわ。そうなれば、あとはどうなるか……想像はつくでしょ?」
「……あぁ……」
ワクァは重く、返事をした。王が倒れ、大臣達が国政を省みなくなれば、国は混乱する。
まずは直轄領からおかしくなるだろう。悪人が裁かれずに肩で風を切り、善人が馬鹿を見る世の中になる。中央の直轄領がそうなれば、周りの土地……例えばこのタチジャコウ領も、段々にその空気に侵されておかしくなっていくだろう。
自分がいなくなれば、自分が治めるこの国がおかしくなる……そう考えた王が占いの「国の行く末は安泰である」という言葉に踊らされたとしても仕方が無い。ならば、この砂中の砂金を探すような行為も、致し方の無い事か……。
ワクァがそう考え込んでいると、ヨシは暫くその様子を眺めた後、話題を変えるように言った。
「ま、そんなワケなのよ。私が旅してるのはね。……で、他には? 何か訊きたい事とか無い? 折角だし、私が答えられる事なら何でも答えてあげるわよ。出血大サービスでね」
「……え……」
言われて、ワクァは一瞬きょとんとした。先ほどまでは「何故旅をしているのか」「お前は何者なのか」「何故このタチジャコウ領に来たのか」など訊く事はいくらでもあった。……が、今までのヨシの話で、その答は殆ど出てしまった。答は出たのだから満足すべきところなのだ。
だが、不思議なもので答が出尽くした後でも、改めて質問の場が設けられると、人間必死になって質問を捻り出そうとするものである。折角の場だから、どんな簡単でくだらない事でも訊かねば損……という意識でも働くのだろうか?
そしてどうやらワクァにもその法則は当てはまっていたようで、何か訊く事は他に無かったか……と本気で腕組みをして考え始めてしまった。
そんなワクァを、ヨシは面白そうに眺めている。そして、時折要らない助言をする。
「そんな真剣に考えなくても、何でも良いのよ? 例えば、私が何のお店をやっていて、何でクビになったのか……とか」
「全く興味が無い」
「あ、でもスリーサイズは訊かれると嫌かな? 結構恥ずかしいし」
「更に興味が無いから安心しろ」
「えー……じゃあ、私の将来の家族計画とかも?」
「興味が無い……と言うか、寧ろ聞きたくない」
「私はねぇ、旦那にするなら美形でなくても金持ちでなくても良いから、力強くて優しくて、頼りになる人が良いな~って思ってるのよ。子供は一姫二太郎三姫くらいが良いわね。大きくないけど家の中心になる部屋には暖炉があって、夜になると家族皆でその部屋に集まってお喋りをするのよ! ……ねぇ、良いと思わない?」
「……俺は「聞きたくない」と言わなかったか……?」
殆ど漫才のような状況になってしまったところで、ワクァは痺れを切らして静かにツッこんだ。いくら腹が立っても、大きな声を出してはいけない。大声を出せば、誰かがやって来て、晒し者だ。そう、自分に言い聞かせる。
大声で怒鳴らなければ、こいつの話は止まらないだろう。だが、恥をかくくらいなら、こいつの妙な家族計画に歯止めがかからない方がまだマシだ。
「……家族?」
ふと、その言葉がワクァの口をついて出た。
「ん? 何? 訊きたい事決まったの?」
興味津々で乗り出すヨシ。
「あ、あぁ……」
ワクァは、数秒間考え込んだ。そして、暫く続いた沈黙を破るように問う。
「お前は……二ヶ月旅を続けたと言っていたな。……なら、やはりこのタチジャコウ領以外の土地にも、行ったのか……?」
随分遠慮がちだ。その言葉を聞いて、ヨシは顔にクエスチョンマークを浮かべる。
「勿論、行ったわよ。色んな村を回ったし、人のいないところにだって行ったわ。……それが?」
問われて、暫く戸惑った後にワクァは問うた。
「なら……今まで行った土地に、俺と似ている人間はいなかったか? 見た目でも、雰囲気でも何でも良い……もし心当たりがあったら、教えてくれ」
「……は?」
素っ頓狂な声を出した後、ヨシは暫く考え込んだ。そして、ニヤッとしたかと思うと、ワクァをからかうように言う。
「はっはぁ~ん。さては、ワクァくん……家族に会いたいんでしょ~? 見た目や雰囲気が似てる人がいれば、ひょっとしたらそれは自分の家族かも知れない……だからそんな事訊くんでしょ~?」
「……」
ワクァは、黙して何も答えない。どうやら図星だったようだ。
「良いのよ、良いのよ。家族に会いたいって思うのは、人間だったら当たり前! 例えその人が親の顔も覚えてなくてもね! 恥ずかしがる必要なんてないわ!」
ヨシは、そうやって嬉しそうに言う。
「それで? もし家族に会えたら何て言うの? やっぱり、「会いたかった」とか?」
「……違う」
少しだけ間を空けて、ワクァは言った。
「……じゃあ、何て?」
何となく、ワクァに異様な雰囲気を感じて、ヨシは静かに訊いた。それに応えるように、ワクァはやはり静かな声で言う。
「……もし、家族に会えたら……訊きたいんだ。「何故俺を捨てたのか」「何故俺を傭兵奴隷として売ったのか」……と。捨てられていなければ、今頃は家族と一緒に笑いあっていたかもしれない……傭兵奴隷として売られていなければ、あんなに蔑まれる事もなかったかもしれない……そう思うと、どうしても覚えてもいない家族に訊きたくなるんだ……何故俺を手放したのか、と……」
そう言う声は、本当に苦しそうで。その声から、今までに傭兵奴隷として、本当に苦しんできたのだという事が読みとれた。
重苦しい雰囲気の中、ヨシは言い難そうに言う。
「……そう。けど、残念ながらアンタに似た人ってのは見た事ないわね。大体、その容姿ですもの。アンタそっくりの顔の人がいたら絶対に見逃さないわ。大体、家族だから性格や雰囲気が似るってモンでもないでしょ? 育った環境が違えば、性格も変わるわよ」
「……そうか……」
そう、ワクァは残念そうに呟いた。それに謎の罪悪感を覚えたのか、ヨシは慰めるように言う。
「あー……けど、そもそも可能性の範囲が広すぎるのよ。せめてさ、どの辺りの土地……とかそういう心当りは無いわけ? 毛色がこうだから何処何処の土地に関係あるんじゃないか~とか!」
ヨシに慌てて言われて、ワクァは少し考え込む。そして、思い出したような顔をすると言った。
「……心当りと言うわけではないんだが……以前、バトラス族の血が入っているのではないかと言われた事がある」
「……バトラス族? ……あぁ、あの戦闘民族の?」
バトラス族に嫌な思い出でもあるのか、ヨシはバトラス族という言葉を聞いた瞬間に顔を顰めた。その顔を多少気にしながらも、ワクァは言葉を続ける。
「あぁ……バトラス族は生まれながらにして戦闘の資質を持っているらしいな……子供の頃、剣の訓練中に聞かされた」
「……で? それとバトラス族の血が如何のこうのってのは、どう関係あるワケ?」
憮然とした表情でヨシが問うと、ワクァは言う。
「……訓練中に一度だけ、褒められた事があるんだ……剣術の素質があると……その時に、言われた。「これだけの素質があるという事は、バトラス族の血でも流れているのではないか」とな……」
「剣術の素質なんて、バトラス族でなくたって持ってる人はごまんといるわよ? 何でそこでバトラス族が出てくるのよ?」
「あの教官の口ぶりだと……恐らく、バトラス族が戦闘民族であると共に遊牧民族でもあるからだろう……。遊牧をしているから恐らく生活は苦しい……だから子供を売って生活費の足しにしているんだと考えているような口調だった……」
「……」
結局、それか。ヨシは心の中で、呟いた。
強くて子供を売りそうな可能性があるから、バトラス族……。褒められる時でさえ、このワクァという少年は奴隷であるという事を蔑まれているのか。
「……遣り切れないわね……」
「? 何がだ?」
思わずヨシの口を突いて出た言葉に、ワクァは不思議そうな顔をした。そんな顔を見ていると、更に遣り切れない気持ちになる。その気持ちを振り払うかのように、ヨシは明るい顔を作ると言った。
「別に~? あ、悪いんだけど、バトラス族には多分アンタの親はいないと思うわよ?」
「……そうか。……その根拠は?」
一瞬暗い顔をした後、ワクァはそう問うた。その顔に何となく罪悪感を覚えながらも、ヨシは言う。
「バトラス族って会った事があるんだけど、あいつら皆自分達……というか一族に、もの凄い誇りを持ってるのよね。あの民族が、いくらお金に困ったからって子供を売るなんて考えられないわ。それに、毛色も全然違うし。あいつらの髪の毛は基本的に明るい色なの。アンタの黒髪はもの凄く綺麗だけど、残念ながらその黒色が「バトラス族じゃない」って証拠になっちゃってるわね。本当にバトラス族の血が混ざってるとしても、それはご先祖様にバトラス族がいたって程度。アンタに直接関わる人間は族内にはいないわ」
「……そうか……」
納得したような……しかし、諦めきれないような……そんな顔で、ワクァは呟いた。そんなワクァに、ヨシは努めて明るく言う。
「ほ~ら~、そんなに自分の家族が気になるのなら、私と一緒に旅に出ましょうよ~。旅をしていれば、ひょっとしたらそのうち家族にも会えるかもしれないわよ?」
すると、ワクァはその言葉に対し、すぐに返事をした。
「……いや、その話は断る」
「何でよ?」
言われて、ワクァは暫く沈黙した後、答えた。
「俺は傭兵奴隷だ……主人から離れる事は許されない……。この屋敷の敷地を出る事さえ主人の許可が無ければできないんだ……旅なんて、できる筈が無い……」
そう言うその目は、本当に哀しそうで。その目が、彼の境遇を更に如実にヨシに伝えていた。
「……そう……じゃあ、仕方ないわね……」
断られた事が残念なのか、それともワクァの境遇に何かを感じたのか……少しだけ寂しそうな声でヨシは言った。そして、すぐにブンブン! と首を横に振って言う。
「それにしてもアンタって……本当に主人主人って感じねぇ~……今時犬でもそこまで忠実な奴いないわよ? 立場上仕方が無いのかもしれないけど、たまには自分の意見を押し通してみれば?」
「……無理とわかっていて言っているのか?」
顔を顰めて、ワクァが問う。すると、ヨシは「ううん」と首を横に振った。
「無理じゃないわよ。だってアンタ、昼間にこのお屋敷の坊ちゃん……ニナンくんだっけ? あの子に自分の意見を通そうとしてたじゃないの。「早く帰りましょう」って」
「あっ……あれは、旦那様が若を探して連れてくるように命じられたから……!」
「ふ~ん? けど、その旦那様の命令には結果的に背いたのよね? ニナンくんにせがまれて、散歩に連れて行ったんだから」
「どちらにしても、主家の命だろうが。俺の意思を通したわけじゃない」
そう反論するワクァに、ヨシは首を三度横に振って言う。
「本当に主人一筋だったら、確実にニナンくんの頼みは無視して屋敷に連れ帰ってるわよ。優先順位第一位は主家の中でも一番偉い人だもんね。けど、ワクァは自分の判断でニナンくんの頼みを優先させた……充分自分の意思を通せてるじゃない」
「……」
言われて、ワクァは黙った。結果的に、その事で先ほど主人の雷を喰らい、現在に至るわけだが……。
「……にしても、ニナンくんってアンタに結構懐いてんのね~。じゃなきゃ、一緒に散歩に行こうなんて言い出さないと思うんだけど」
「一人で出歩くなと言われていたからだろう?」
ヨシの言葉を打ち消すように、ワクァが言う。すると、ヨシはずずいっと顔を近付けるような格好を取って言った。
「だとしてもよ! いくら一人じゃ散歩できないからって、好きでもない奴と一緒に歩いたら全然楽しくないもの。散歩に誘われたっていうのは、好かれてるか頼み事があるかのどっちかしか考えられないんだから!」
「……そういう……ものなのか……?」
戸惑うように、ワクァが呟いた。その様子を見て、勝ち誇ったようにヨシは言った。
「そうよ~。アンタ、自分の立場上誰からも蔑まれてるって思ってるみたいだけど……少しは自分の人間に自信持ちなさい?」
「……」
言われても、ワクァはまだ納得出来ない様子だ。それを揺さぶるかのように、ヨシは言う。
「話してみてわかったけど、やっぱりアンタは真面目過ぎるけど悪い奴じゃない。子供って正直だから、悪い奴には絶対懐かないものなのよね~。それでもって、強い人間に憧れ易いわ。悪い奴じゃない人間が自分を危険な事から守ってくれたとなれば、ニナンくんにとってアンタがヒーローみたいな存在になっちゃうってのも、おかしくない話でしょ?」
「!? そんな事まで調べたのか!?」
ヨシの言葉に、驚いたようにワクァは反応した。その言葉に、ヨシは自慢げな顔をする。
「当然! やるからには徹底的にやるわよ、私は! やっぱり今回みたいにニナンくんが一人で街に行こうとした時、身代金目当てでニナンくんを誘拐しようとした男達から守ってあげたんでしょ? 全員ボコボコにしちゃって、そのくせアンタは無傷! やっぱ強いのね~」
ワクァはぽかんとした顔でそれを聞いていた。だが、すぐに元の暗い表情を取り戻して言う。
「……確かに、若は旦那様やイチオ様……他の人間達に比べて俺に優しく接してくれている……けど、それは若がまだ子供だからだ。若が大きくなって、傭兵奴隷の意味を知ったら……そうなったら、俺の事をどう思うようになるか……」
イチオは様付けなのにニナンは「若」と呼んでいるあたり、何となくワクァの中でもこの二人の扱いが違うのかもしれない。ニナンがワクァに懐いているように、恐らくワクァも主家の人間の中ではニナンに最も好意を寄せているのだろう。
だからこそ、恐い。将来ニナンが傭兵奴隷の意味を知った時、他の人間と同じ様にワクァの事を蔑むようになるのではと思うと不安になる。
ワクァの言葉や表情は、本当にそれを不安に感じているのだと、言外に語っていた。そんなワクァを元気付けるように、ヨシは言う。
「ま、そんな先の事をぐちゃぐちゃ考えていても仕方ないでしょ? 今は、ニナンくんを守ってあげる事だけ考えてれば良いのよ。折角自分に懐いてくれてる唯一の存在なのよ? そんな子が、盗賊なんかに殺されちゃったら悔やんでも悔やみ切れないでしょ?」
「あぁ……」
ヨシの言葉に返事をした後、ワクァは少しの間だけ沈黙した。そして、ザッと顔色を変えると言葉を荒げて問う。
「盗賊!? 如何いう事だ!?」
言われて、ヨシはきょとんとしながら言った。
「あれ? タチジャコウ領の人はもう皆知ってるもんだと思ってたんだけど……知らないの? 最近この界隈を騒がせてるアルビア盗賊団が、今夜にもこのタチジャコウ領を狙って攻めてくるって、この土地の外では専らの評判よ? ……そっかぁ~……知らなかったのかぁ~……道理で街の人達全員、のんびりした顔をしてると思ったわ」
でも、知らないのもある意味仕方が無いわよね。噂を聞いた人は、皆盗賊を恐れてタチジャコウ領に近付かないようにしてるんだし。外から情報を持ってくる人がいなければ、そりゃ当の本人達は知らないままだわ。……にしても、タチジャコウ家ってのは四大貴族のくせに斥候を放って情報収集……とかやったりしないわけ? いつでも新鮮な情報を手に入れられるよう心掛けておかないと、そのうち身を滅ぼす事になるかもしれないわよ?
そう、呆れた顔でヨシが言う。逆に、ワクァの顔は鬼気迫った顔で蒼ざめている。その顔が、キッ! とヨシを睨み付けると言った。
「……こっちに来い」
「……は?」
意味を掴みかねてヨシがマヌケな声を出すと、ワクァは言う。
「その事を、すぐに旦那様に報せなければ……! お前の証言があった方が、旦那様も信用し易いだろう。俺と一緒に、報告に来てもらう! 一々周りを説得して玄関から通す時間が惜しい……この距離ならそう難しくもないだろう。この窓から屋敷に入れ。俺が旦那様の部屋まで案内する!」
そう言いながらも、ワクァの体は既に扉から外に出ようとしている。そんなワクァを見ながら、ヨシは少々呆れ気味に言った。
「……それは良いんだけどさぁ……ワクァ?」
「何だ!? 急げ!」
急かすワクァに、ヨシはのんびりと言う。
「……急いでも良いんだけど……アンタはその格好で報告に行っても良いワケ?」
「!」
言われて、ワクァは慌てて自らの服に着替え始めた。いくら似合う上に「今日一日その格好でいろ」とイチオに言われたからって、主人に盗賊襲来の報告をしに行くのに薄ピンク色のドレスを着ていく馬鹿な野郎は、この世にはいないと思われる。
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