第32話 強襲! 少女を誘う悪魔の招待! (Aパート)

「……客が来る」

 唐突に鯖戸が神妙な面持ちで言ってきた。

「客?」

 このオフィス……株式会社【魔法少女】に客が来ることは珍しい。

 宅配の業者が出入りすることはあるけど、あれを客として扱ったことはない。

 会社としての客としてこのオフィスまで通すことはかなみが知る限り、みあの父親・阿方彼方ぐらいしか知らない。

 でも、彼方が来たぐらいで鯖戸はここまで緊張はしない。

「彼方さんが来るんですか? お茶出しましょうか?」

 と翠華が気を利かせて提案しても、「あいつにそんなものはいらない」とぶっきらぼうに答えるぐらい緊張していない。

 ゆえにこの来客はいつもの人間とは違うみたいだ。

 この会社自体がそもそもまっとうな会社じゃないので、やってくる客もまっとうな人間じゃないと考えるのが自然だろう。

「誰が来るんですか?」

 とりあえずかなみは訊いてみる。

「社長のお客だ」

「社長のお客って誰なんですか?」

「僕も知らない」

 鯖戸がそう答えたことでかなみは察する。

 鯖戸が知らない社長の客。それがどれだけ得体がしれなくて恐ろしいことか、かなみは知っている。

(ど、どんな人が来るんだろう……?)

 鯖戸が緊張する気持ちもわかる気がしてきた。

「それで私達はどうすればいいんですか?」

「おとなしくしているんだ」

「わかりました」

 触らぬ神に祟りなし、といったところか。

「さもないと減給だ」

「息一つ乱さずおとなしくしています」

 かなみは床に正座して置物のようにじっとしている。

「かなみさん、すごい気合はいってるわね」

「あと二時間はこの体勢は維持できます」

「修行僧みたいです」

 かなみの正座姿を見て、紫織はそう言った。

「本当に精進料理みたいな貧乏くさいのしか食ってないから同じようなものでしょ」

「みあちゃん、ひどい!」

「あ~頼むから静かにしてくれないか」

 鯖戸は疲れた顔をして、注意する。

「少しはサリィを見習ったらどうだ?」

 マニィは社長のデスクの片隅で『見ざる・聞かざる・言わざる』を貫いてじっとしているサル型のマスコットを指す。

「いやいや、私は人間で、あれはマスコットだから!」

 鯖戸はため息をつく。

「とにかく大人してくれればそれでいい」

「何か報酬はないんですか?」

 かなみは食い入るように鯖戸に尋ねる。

「さっきも言ったじゃないか。減給があると」

「ぺ、ペナルティだけじゃなくて報酬を! せめてご飯をお願いします」

「わかった。ファミレスのクーポンぐらいなら用意してやるさ」

「け、ケチ……!」

 そこは一食分奢ってやると言うのが普通じゃないのか、とかなみは思った。

「でも、一体どんなお客が来るのかしら?」

 かなみ達が思案しているうちに、扉がドカンと開けられる。

 こんな大きな音を立てて入ってくるのは一人だけだ。

「社長!?」

「エヴリワン、諸君! ちゃんと準備していた?」

「って、いきなりで準備も何もあったもんじゃありませんよ!」

「かなみさん、そんな大声あげるのはよくないわ」

 翠華にたしなめられる。

 それを聞いて、かなみは慌てて口を塞ぐ。

「ま、大した客じゃないからお茶を出すぐらいでいいわ」

「お客ってお茶を出すものなの?」

 みあは疑問を口にする。

 父親がいつもお茶を出すような扱いを受けていないから、お客にはお茶を出さないのが常識となっているのかもしれない。

「出すものなんですよ、みあさん」

「今翠華さんが見本を見せてくれますから大丈夫です」

「え、私?」

 かなみに振られて、翠華は自分を指差す。

「翠華さんはなんてたって高校生ですから! 立派にお茶くみ出来ますよね、参考にさせてもらいます!」

(そ、そんな期待込めた目で見ないで―!)

 翠華は緊張してガチガチになってしまう。

 確かにお茶くみならちょっとぐらいしたことはあるけど、かなみの期待にそえられるものかどうかか自信はない。

(で、でで、でも、やるしかないわ! かなみさんが期待してくれてるんだからその期待に応えないと!)

 翠華は給湯室へ行って茶葉を入れたヤカンのお湯を沸かせる。

 沸かしたお湯を茶葉を入れた急須へ注ぐ。

「あとはこれを湯のみに入れて、お渡しするだけよ」

「す、凄い……さすが翠華さん!」

「さ、さすが……」

 翠華は感動で打ち震えた。

 おかげで急須から湯のみへ注ぐ手が震える。


ガタガタガタガタ!


 何やら不穏な音を立てて始めた。

「ああ、やっぱり、この瞬間って緊張するんですね!」

「そ、そそ、そうなのよ! こ、ここが、か、肝心だからね!」

 全身を震わせて、それでもなんとか翠華はお茶を注いだ。

「はあ……」

 かなみが見ているだけで、ここまで疲れるなんて。

 でも、それだけかなみに先輩としての評価を上げられたのでその価値はあったと思う。

(先輩……先輩、か……)

 出来れば、もっと対等な立場で評価してほしいと思った。

(でも、これはこれでいいかしら?)

 翠華は一人密かに微笑んだ。


ドカッ!


 轟音のような音を立てて扉が開く。

 あるみはすでに中にいるからこんなことをする人間は他に思い当たらない。

(まさか、お客さん!?)

 あるみと同じような入り方をするなんて。

 あるみ並みにやばい人がやってきたということか。

(大丈夫、社長並にやばい人なんてそうそういるはずがない!

 大丈夫、社長並にやばい人なんてそうそういるはずがない!

 大丈夫、社長並にやばい人なんてそうそういるはずがない!)

 かなみは念じるように心の中で何度も繰り返して心の平静を保とうとする。

「あとであるみに殺されるんじゃないの?」

 何を考えている察したみあはそうコメントする。

 しかし、それで保っていたかなみの平静もあるみと同じような入り方で入ってきたお客を見て吹き飛ぶ。

「え、えぇ!?」

 和服の女性であった。

 それもかなりの美人で、お伽話に出てくるようなお姫様のようだ。

 しかし、鋭い目つきと艶めかしい口唇がその印象を打ち消して、危険な香りを漂わせている。


――悪運の愛人・テンホー


 かなみの脳裏に似たような人間、というか怪人が浮かんだ。

 しかし、なんとなくだがそれ以上に只者じゃない気がする。

(それじゃこの人はネガサイドの人なのかしら?)

 魔力を視ようと目を凝らす。

「――!」

 驚きのあまり絶句する。

 一目見ただけで、恐ろしい魔力の量が彼女の体から溢れているのがわかる。

 そして、それが禍々しい印象を受けた。

 毒蛇の大群を目の前にしたかのような恐怖がかなみを襲う。

(この人は、敵だ……!)

 魔法少女としての本能で察した。

 テンホーに近いモノを感じてしまったせいかもしれない。

「かなみちゃん?」


――ビクッ!


 女性から名前を呼ばれた。

 それだけなのに、全身に寒気が走る。

 この感覚、カリウスに殺気を向けられた時と似ている。

「な、なんで私の名前を?」

 なんとか気を張って、返事した。

 その様子を見て、女性はニヤリと口元を歪ませる。

「あなたの噂は色々と聞いてるからね!」

「う、噂……?」

「あなたの戦いぶりは何度か見させてもらってるわ。でも、実物はもっとかわいいわね」

 女性は膝をおってかなみへ顔を近づける。

「う、あ……」

 かなみは慌てふためく。

 しかし、動けない。

 蛇に睨まれた蛙、とはまさしくこのことだと実感させられる。

「うちの社員をからかわないでくれる?」

 そこへあるみが口を挟む。

「あら、からかい甲斐のある娘をおいておく方がいけないのよ」

「かなみちゃんがからかい甲斐があることには同意だけど、他人のおもちゃにされるのは許せないのよね。

――特にネガサイドのヤツには」

 あるみは威圧するかのように言う。

「まったく過保護ね。それとも一度警戒しているのかしら?」

 しかし、女性は微笑んでかなみは一歩離れる。

「………………」

 かなみもまた一歩引いて、女性から目を背ける。

 なんて人がやってきたんだ。とかなみはゾッとする。

「でも、あなたを怒らせると怖いからこれぐらいにしておくわ。また今度遊びましょう、かなみちゃん」

「遊ぶって、あなた誰なの?」

「ああ、かなみちゃんの方は知らなかったのね。

私はいろか。ネガサイド九州支部長よ」

 いろかはにこやかにそう名乗った。

「はいはい、九州までご苦労様。さっさと座りなさいな」

 あるみは適当にあしらうかのように手を振って奥のソファーに誘導する。

「九州、支部長……」

 つまり、相当偉い立場の人間(?)ということか。

 そんな人がどうしてこんなところにわざわざ一人できたのか。

(もしかして、私達を!?)

 かなみの中に危機感が芽生える。

 九州支部長ということは関東支部長のカリウスと同じくらいの力を持っているということ。

 その気になれば事務所を吹き飛ばすことなんて造作もないはずだ。カリウスがそうしたように。

 もしかして、それが目的でここにやってきたのか。

 そうなったら、自分達も対抗しなければまずい。

 もしまた潰されたら、仕事がなくなってしまう。

(大変だー!)

 かなみは一目散に給湯室で待機していた翠華のもとへ走る。

「翠華さん?」

「あらら、かなみさんどうしたの」

「へんたいです!」

「えぇッ!?」

 翠華は身体が飛び上がらんばかりに驚いた。

「あ、間違えました! 大変です!」

 かなみは動揺のあまり、とんでもないことを口走ってしまったことに気づく。

「へ、へんたい……たしかにわたしはそうかもしれないわね」

「す、翠華さん!?」

 翠華はジメッとした黒い魔力のようなとんでもないオーラを発し始めた。

「(ブツブツ)なにしろ、わたしはかなみさんによからぬ気持ちを抱いていて、でも、それは女の子が男の子に対して抱く想いとそんなに変わらないんだと私は思うんだけど……でも、それはクラスメイトとか他の娘とか世間一般とかから見たら全然おかしいことでたしかに変態と言われてもしょうがないことなんじゃないかと悩んでるけどかなみさんの口から、そんな、そんな……そんなこと言われるなんて……私、わたし、わたしはどうしたらいいの? 誰かおしえて、教えてください……」

「翠華さん、ごめんなさい! 私が悪かったです! ですから元に戻ってください!」

「あ! 私は何を?」

 翠華は我に返れたようだ。

「よかったです……とんでもないこと言ってましたからどうしようかと思いまして」

「え、私、そんなに酷いこと言ってた!?」

「何言ってるのかさっぱりでしたけど、元に戻れて本当によかったです」

「さっぱり……さっぱり……」

 翠華はホッと一息つく。

 そうすることでいつもの落ち着いていて頼れる先輩になれる気がする。

「それで、かなみさん。何が大変なの?」

「え? あ、ああ……そうですね!」

 翠華の落ち着いた口調にかなみも少しだけ戸惑いが晴れる。

「ネガサイドの九州支部長が来たんです」

 かなみはできるだけ落ち着いて、的確に翠華に伝える。

「ええぇ!?」

 しかし、さすがに翠華も平静を保てず驚きの声を上げてしまった。

「ど、どういうことなの?」

「社長がお客さんとして迎えたんです」

「それ、本当?」

 翠華は一転して真剣な面持ちでもう一度訊く。

「本当です。ですから、大変なんです」

「確かに一大事ね……私のお茶がお気に召すかどうかわからないし」

「そこですか? ここで戦いになったら事務所がなくなっちゃうんですよ」

「ええ、それもあるけど……社長がなんとかしてくれると思うわ」

 翠華がそう言うと、かなみは慌てた自分が少しだけ馬鹿らしく感じるようになってきた。

「社長なら、ね……確かに……社長なら、確かに……」

 以前、あるみとカリウスが対峙した時のことを思い出す。

 あの時、自分はカリウスに対して絶対に勝てないと思っていたが、あるみが戦うのであればあるいは、と思った。というか、あるみが負けるところが想像できなかった。

 何しろあるみは滅茶苦茶なのだ。凄いとか強いとかそういう言葉で言い表せない。とにかく無茶苦茶なのだ。

 かなみ、翠華、みあを一度に相手にして軽くあしらった上に、神殺砲を片手で受け止めて指のやけど程度ですませてしまったときは唖然としたものだ。それでもまだ相当手加減していたように感じるのだから底が知れない。

 この上まだ本気を隠しているのだから、もはや頭で想像することすら許されないレベルなのでは、と思う。

 確かにそう考えるとあるみが全てなんとかしてくれるんじゃないかと思ってしまうし、あるみもいざとなったら自分でなんとかするつもりで呼び込んだのかもしれない。

 そこまで考えてまたちょっとだけ安心できた。

「それじゃ、私がお茶を出してくるね」

「あ、はい……」

 翠華はお茶を入れた湯のみをお盆に乗せて歩いていく。かなみをそれについていく。

 あるみといろかが対面しているテーブルに向かう。

「………………」

 急に翠華の歩みが遅くなる。

 それは緊張してきたからなのだと背中を見ているかなみは見えた。

 あるみといろかが座り込んでいるソファーの周囲だけ妙に空気が張り詰めている。

 心臓や肺をグッと掴まれるような圧迫感を感じる。

 そのまま、握りつぶされるのではないかと不安と緊張に苛まれる。


ガタガタガタガタ


 翠華のお盆を持つ手が震え、不穏な音を立て始める。

 翠華も同様に緊張していることが背後にいるかなみは察した。

(頑張ってください、翠華さん!)

 かなみはグッと拳を握りしめて心の声で応援する。

「お、お茶です、どうぞ」

 翠華は震える声と手つきでいろかに湯のみを出す。

「あら、あなたも可愛いわね」

 いろかはゾクリと背筋が凍るような艶やかな声で言ってくる。

「とても、私好みね。名前は?」

「す、翠華です……!」

 翠華は思わず答えてしまう。

 そうせざるを得ない妖美な魅力をいろかは醸し出しているのだ。

「そう、私はいろか。よろしくね」

「は、はい!」

 翠華は背筋をピンと立てて、礼儀正しく答える。

「翠華ちゃん、ありがとうね。もう下がっていいわよ」

「は、はい!」

 あるみにそう言われて翠華はそそくさとかなみの元へ戻っていく。

(さすがです、翠華さん!)

 かなみはやり遂げたことから純粋な尊敬の眼差しを送る。

(ああ! かなみさんの笑顔が素敵! やってよかった!)

 翠華は感激で胸が打ち震える。

 やってよかったと心底思った。

「あら、いろかじゃないの」

 そこへ萌実がオフィスへ入ってくる。

「萌実ちゃんもいるのね。賑やかでいいわね、ここ。可愛い娘もいっぱいいるし」

「私の娘よ。手出ししたらタダじゃおかないわよ」

 あるみは殺気のこもった視線で釘を指す。

 そのせいで、一段とオフィスの空気が息苦しくなってくる。

「あー、あんたが来たってことはなんか面倒事?」

「そんなこと言われてもね……この女が面倒事大好きだからね」

 いろかはあるみを指して言う。

「ついでにあなたのとこの関東支部長は私より大好きみたいなのよね」

「相乗効果ってことかしら? 巻き込まれるこっちはたまったものじゃないわ」

 いろかはため息をつく。そのちょっとした仕草でさえ、ドキリとさせられる色気が感じられる。

「あなたも相当なものだと思うんだけどね。こうしてここに来ている時点でね」

「そういうこと言うのね。せっかくおいしい話を用意してきたのに」

「言いたくなければ、言いたくなるようにするだけよ。ここまで来たんだから覚悟は出来てるんでしょ?」

 あるみは一層殺気のこもった視線をいろかへ送る。

 その物言いと物腰のせいでどちらが悪党なのかわからなくなってくるかなみであった。

(どっちも怖い……)

 かなみはどうか騒動起こさないで大人しく帰ってくださいと願うしか出来なかった。

「そんな覚悟していないから普通に話すわよ。カリウスったら人使いが荒いんだから」

「あの男も結構臆病だからね」

「あのカリウスを臆病者呼ばわりするあなたの胆力にも恐れいるわ」

 いろかは一息ついて袖から一枚の半紙のようなものを渡す。

「それが今回の用件よ」

「たしかに」

 あるみもそれを受け取って胸の内に入れる。

「わざわざ来た甲斐があったわ。可愛い娘いっぱいいてここに住み着きたいぐらいよ」

「住み着くんなら、もうお化けがいるから間に合ってるわ」

「ヘクション!」

 あるみがそう言うとオフィスの隅っこに居座っていた千歳がくしゃみを出す。

(あ、いたんだ)

 かなみはここでその存在を忘れていたことに気づく。

「そう、残念ね」

 いろかはそう言って立ち上がる

「私はしばらく関東こっちにいるつもりよ」

「九州は空けといていいわけ?」

「あっちは退屈なのよ。支部長なんてなるんじゃなかったわ、フフフ」

「支部長……」

 かなみはその肩書を口にする。

 関東支部長のカリウスは知っている。到底かなわない敵だと認識していて、戦うことすら考えたくない。

 そのカリウスと同格の支部長達。そのうちの一人がいろかだ。

 他にも同じような支部長が地方の数だけある。

 ネガサイド、どれだけ底の知れない悪の秘密結社なのだろうか。

「よく覚えておきなさい、あれが地方の支部長よ」

 あるみはかなみ達にそう言った。

「覚えてどうするんですか?」

 かなみは恐る恐る訊いた。

「それはあなたが決めなさい」

 あるみはそう言って微笑んだ。




「それでなんでこんな山奥に来てるんですか!?」

 かなみは叫ばずにいられなかった。


ですかーデスカーデスカー


 山奥ゆえに、やまびこが木霊する。しかし、あるみの耳に届いたかどうかまではわからない。

 いろかが去った後、あるみは号令をかけて全員集合させた。

 なんで集まったのか説明しないうちに、ワゴン車に乗せられて数時間。

 あるみの荒っぽい運転に揺られて、質問することが出来ないうちに山奥に入れられた。

 あるみ、かなみ、翠華、みあ、紫織、千歳、萌実、七人の魔法少女が集合している。

 普段のオフィスでさえ全員集合は珍しいのに、それをこんな山奥にまで連れ回して一体何をさせるつもりなのだろうか。

「ま、まさか……心身を鍛えるための修行ですか?」

 こんな山奥だとそんなことを考えてしまう。

 そういえば、前に翠華やみあがあるみや千歳に猛特訓をつけてもらったことがあるし、支部長と戦わせるためだと考えると辻褄が合う。

「まあ、ある意味じゃ、そうなのよね」

 あるみがそう答えると、かなみはビクッと震え上がる。その後ろで翠華も同様に震える。

 あるみの修行がどれだけ過酷か身に染みてわかっているからだ。

「いろかが提供してくれた情報だとここにあるみたいなのよね、ネガサイドの秘密基地が」

「え、秘密基地ですか!?」

「ふうん、それを私達に潰させることが修行になるってわけね」

 萌実はつまらなそうに言う。

「そういうこと♪」

「……その秘密基地、私達に潰せるんですか?」

 かなみは訊く。

「フフフ」

「な、なんで笑うんですか!?」

「だって、無理だとか嫌だとかわめかなくなったもの。頼もしいわよ」

「今からでもわめいていいですか?」

「いいけど、帰さないわよ」

「だから、無駄だと諦めただけです」

 かなみのその言葉を聞いてあるみはフフッと笑う。

「うわあ、絶景ね!」

 あるみは大声を上げて喜びを露わにする。

 木々を抜けて、目の前に広がったのは緑の山々を見渡す絶景。しかし、かなみ達の足を止めたのはそれではなかった。

「吊り橋……!」

 そう今にも崩れ落ちそうなボロボロの吊り橋。

 しかも、谷底は深くて少なくとも百メートル以上はありそうで、落ちたらまず助からない。


――絶対に渡りたくない。


 その端を目の当たりにしたかなみ達が同時に思った。

「さ、渡るわよ」

 しかし、あるみはあっさりとそう言い放った。

「「「「ええぇーーーーー!!!」」」」

 かなみ達は一斉に悲鳴を上げた。

 あるみの発言は既に決定事項だからだ。

「社長、正気なんですか!?」

 それでも、一応は抗議する。

 どうせ通らないまでも、せめてもの意思表示はしなくては気が済まない。

「ええ、正気よ。こっちが最短距離なんだから」

「最短でも無事で通れないと意味ないじゃないですか!」

「大丈夫よ。これぐらいで無事ですまなくなったら――死ぬだけだから」

「……怖いことさらりと言わないでください!!」

「さあ、行きましょうか!」

 あるみはステップしながら吊り橋を渡っていく。

 橋はギィギィと悲鳴のように音を立てて揺らしている。

「なんで、社長は平気なんですか?」

「まあ、落ちても死なないでしょう。あの化け物なら」

 萌実は冷ややかにそう言った。

「落ちても死なない。でも、この高さよ?」

「じゃあ、あんたはあいつが落ちたら死ぬと思う?」

「それは……思えない」

 あるみがそんな事故で死ぬとは思えない。

「まあ、私も気持ちは同じよ。こんな吊り橋一つで死ぬかってのよ」

 そう言って萌実は吊り橋を渡る。

「ま、あいつが渡れるんなら問題ないでしょ」

「あ、みあさん、待ってください!」

「なによ?」

 みあは面倒そうに紫織の方を向く。

「わ、私……こ、怖くて渡れません!」

 紫織は震え声でみあの裾を手で掴む。

「え、あ、ちょっと!? 掴まないでよ、歩けないじゃないの!」

「で、でも……!」

 紫織は涙声でみあにすがるように見上げる。

「ああ、わかった! わかったから一緒に渡りましょう!」

「ほ、本当ですか? 本当に一緒に渡ってくれますか……?」

「本当よ。その代わり、暴れたら承知しないわよ」

「あ、暴れません! ですから、この手を離さないでください!」

 紫織はブルブル身体を震わせる。その振動がみあにまで伝わっていく。

「バカ! それが暴れているっていうのよ!!」

「は、はい、すみません!」

「謝る前に震え止めなさい!」

 みあの叫びまで震えているように聞こえている。

「みあちゃんと紫織ちゃん、大変そうね……かなみさん、私達先に渡りましょう」

 翠華はかなみの方を向く。

「すいか、さん……」

 かなみは弱々しい声を上げる。

「かなみさん、どうしたの?」

「実は私も……怖くて……」

 翠華の裾を掴む。

「え、かなみさん?」

「とても一人じゃ渡れません!」

「えぇぇッ!?」

 翠華は動揺した。

 あのかなみが自分を頼りにすがってくるなんて。

「お願いですから、頼らせてください」

「でも、私なんか頼りにならないと思うけど……」

「そんなことありません! 翠華さんだけが頼りなんです!」

 その一言で一気に翠華が頭に血が上る。


――翠華さんだけが頼りなんです

――翠華さんだけが頼りなんです

――翠華さんだけが頼りなんです


 頭の中で反芻する。

「こりゃダメね」

 後ろから見ている千歳が冷ややかに言う。

「翠華さん、お願いですから……」

「わかったわ。私に任せて!」

「翠華さん!」

 翠華は舞い上がった。

 そうこうしているうちにみあと紫織もゆっくりと渡っていく。

「さあ、かなみさん、私達も行きましょう」

「は、はい!」

 かなみは震える声で答える。

(うぅ、このかなみさんの弱々しさ……守りたい、守ってあげなくちゃ!)

 翠華は確かな決意を固める。

 かなみと翠華はゆっくりゆっくりと一歩ずつ吊り橋を渡っていく。


 ギィ! ギィ!


「ヒィ!」

 吊り橋の音がかなみの悲鳴と共鳴するかのように鳴る。

「かなみさん、大丈夫よ。落ち着いて、慎重に行けば、そう簡単に落ちることはないから」

「え、ええ、そうですよね。そうですとも……! 大丈夫ですよね?」

「大丈夫、よ」


ギィ!


「きゃあ!?」

「……だいじょうぶ、よ……」

 二言目の翠華の声が弱くなる。

「みあさん、おねがいしますよ……」

「ああ、何度も言ってるじゃないの! 大丈夫だって、大丈夫よ!」

 前の二人、紫織とみあも同じようなやり取りをしている。

(まだ九歳なのにみあちゃんは凄いわ……! 私も見習わなくちゃ!)

 その姿に翠華は勇気づけられた。

「かなみさん、行きましょう」

「は、はい……!」


バチン!


 嫌な音が妙に甲高く鳴り響いた気がする。

「す、翠華さん、今……」

「か、かなみさん、気のせいよ……」

 翠華の血の気も引く。


バチン!


 また音が鳴る。

 これは決して気のせいなんかではない。

「あ~こりゃ限界だったわね」

 あるみの諦めの声が聞こえる。


ブチブチ!


「かなみさん……」

「な、なんですか、翠華さん……」

 翠華は今際の際ということで覚悟を決めて言う。

「死ぬときはせめて一緒にッ!」

「いやぁぁぁぁぁぁッ!!」


バチン!

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