第30話 参観! 魔法少女の親も魔法少女? (Aパート)
小テストの答案が返ってきた。
「………………」
かなみは願うようにその点数を見た。
前回よりいい点だ。
素直に言うと嬉しい。
しかし、教室の奥に立っているあの男を見るとそうは思えなかった。
教育実習生の柏原だ。
ニコリと微笑みを浮かべて、かなみを見ている。
あの笑みの裏で何を考えているのか。
「かなみちゃん、気になるの? 柏原さんのこと」
同級生の理英が訊いてくる。
「うん、ちょっとね」
「ああ、やっぱり!」
理英は目を輝かせる。
もっとも理英が期待しているような類の気になるではないのだが。
「かなみってああいうのがタイプなのか?」
「何の話よ?」
後ろの席の貴子が訊いてくるが、かなみには何のことだかわからない。
かなみの方からも話したところで信じてもらえそうにないから話さない。というか、話したら罰金が発生してしまうので話せない。
柏原は悪の秘密結社ネガサイドの一員、しかも、その幹部のスーシーの弟らしい。
危害を加えるつもりはない。ただあなたを見ていたいだけ。
かなみが問いただしたところ、柏原はその一点張りだ。
今のところは本当に何か危害を加えるつもりはないみたいだから、警戒するだけに留めている。
その彼が目でこう言っているように見えた。
「成績が上がったのは僕のおかげですよ」
ペキィ!
思わず持っていたシャープペンの芯を折ってしまうほど苛立つ笑みだ。
(あんたのおかげなわけないでしょ!)
そんな想いを叩きつけるように睨み返す。
しかし、柏原はフッと笑い、それを受け流す。ますます苛立つ。
(あんたなんか社長が許可してくれたら一発でぶっとばしてやるんだから!)
今日の数学の授業も眠れなかった。
「もーむかつくったらないわ!」
オフィスでの仕事が一段落したところで、かなみはみあに愚痴をこぼした。
「なんかあったわけ?」
「教育実習生の柏原よ! スーシーの弟の!」
「ああ、気味悪い子供の兄弟ね。っていうか弟なんていたの?」
「ああ、みあちゃんは会ったことないのよね?」
「あんたの学校に行くことなんてないしね」
「たまには遊びに来てよ」
「遊びに来るもんじゃないでしょ、学校って」
「うーん……それもそうね」
「んで、どんな奴なの、そのスーシーの弟って?」
「ムカつく奴よ」
「それはもう聞いた」
「あとね……なんていうか、弟っていうよりお兄さんって感じね」
「お兄さん? どういうこと?」
「大学生みたいな大人の人だったってこと」
「は?」
みあは理解が追いつかず、思わず馬鹿にしたような声を上げる。
「えぇっと、それってさ……つまり、その大人が弟で、子供のスーシーが兄ってことね」
「そうなのよ、おかしいでしょ?」
「うーん……そうでもないんじゃない」
「え?」
「あるみ見てみなさいよ、あれで三十路のババアに見えないでしょ」
「ああ……たしかに」
そう言われて、かなみは納得する。
あるみは魔法によって、十代の若さを保ち続けている。だから傍から見るととても会社の社長をやっているように見えない。まあ、あの堂々とした雰囲気を見れば少しは納得してしまう。
それはともかくとして魔法のおかげで見かけの年齢と実際の年齢が合わないことは珍しいことじゃないっていうのは、案外納得がいく話だ。
とすると、スーシーは一体いくつなのかという疑問は残るが、それは今に気にしたところでしょうがない。
「じゃあ、スーシーもあれで結構な大人なのね」
「そういうこと」
「それで、――誰がババアって?」
「「うわあッ!?」」
かなみとみあは一斉に飛び出す。
唐突にあるみが背後からやってきたからだ。
「しゃ、社長!?」
「いつからそこにいたのよ!?」
「かなみちゃんがムカつくぅって言ってるあたりから」
「最初から聞いてたんですか……」
「面白そうな話をしてると思ったら、三十路のババアって聞いて黙っていられなくなっちゃって」
「あぁ! 言ったのはみあちゃんですから!」
かなみはあるみに怯えて、全面的にみあになすりつける。
「って、事実でしょうが」
「うーん、そう開き直られても困るんだけど……とりあえず、みあちゃんにはこうよ!」
あるみは笑顔で言って、みあへデコピンする。
「あぎゃぁッ!?」
みあは悲鳴を上げて、大きく仰け反る。
ガタン!
そして、椅子から転げ落ちて床へ叩き落とされる。
「痛い! 痛い! いたぁぁぁいッ!」
明らかにただのデコピンじゃない。
可愛らしい声と笑顔に騙されそうになるが、ゲンコツ一発で思いっきり殴られたのと同じぐらい威力のあるデコピンだ。いや、不意打ちで可愛らしくやってくる分、それ以上にえげつない、とかなみは思った。
「みあちゃんだから、これぐらいで許してあげる」
その台詞にかなみは身震いした。
明らかにこれはかなみに向けて言っている。つまり、こんな目にあうのは自分だということだ。
みあちゃんだから、これぐらいなら……自分はどのくらいなのだろうか。というか、何もしてないはずなのになんでこんな目にあわなければならないんだ?
「ババアって言ったのはみあちゃんだけですよ! 私は無罪です!」
「かなみちゃん、いいことを教えてあげる」
「いいこと?」
「聞かぬは一時の罪、聞くは一生の罪」
「意味がわかりません!?」
ザシュゥ!?
肩を叩き落とされた。
何で、どうやられたのかわからない。
とにかく肩をやられてぶっ飛ばされたのだ。
「あいたああぁぁぁぁッ!! ねえ、これ肩はずれてない!? はずれましたよね、脱臼しましたよ!!」
「大丈夫、外れてるから」
「ええッ!?」
「大丈夫、私がくっつけとくから」
「大丈夫じゃないですよ!! 痛い痛い、痛いですよ!」
「これにこりたら口を慎むことね」
カチャリ
歯車が合わさった音がする。
すると、かなみの激痛が消えて肩が動くようになる。
「あの……慎むって、私何も言ってませんよ」
「まあ、耳は災いのもとってわけよ」
「それ言うなら口じゃないでしょうか」
「いいえ、耳よ。聞いてはいけないことはこの世にはいくらでもあるってことよ」
「耳をふせげってことですか?」
「危険を感じたらね。でも、それでも行くと決めた時はちゃんと聞きなさい」
「私は行きたくありません」
「そう、ね。それでも行かなきゃ行けない時はあるわ、わかるでしょ?」
「……はい」
「ああ、それはそうと、かなみちゃん? 学校で何かなかった?」
「いえ、何もありませんでしたよ。あいつ、怪人なのに大人しいし、でもムカつきます!」
「そうじゃなくて、行事のことよ」
「え……」
かなみは意外な顔をする。
てっきり、柏原のことを聞いているのかと思っていたのに。しかし、あるみは何故学校のことを知ってどうするつもりなのか。
「行事って……そんなの気にしてる暇なんてないですよ……あ、でも、今週末に授業参観が……」
かなみは言い出して、気がつく。
「やっぱりなんでもないです!」
これは自分には関係のないことだと。
かなみは走って事務所を出る。
「あいつ……気にしてるのね」
みあはそこで察した。
自分だって似たようなものだということを。
「まあ、無理もないか。ところでみあちゃんの方は……」
「あたしのことはいいから!」
「つれないわね」
「それより、あれなんとかしなさいよ」
「みあちゃんもかなみちゃんが心配なのね」
「ば、バカ違うわよ! あんな落ち込みみてたらこっちの調子まで狂うから」
「それって心配ってことでしょ」
「違う! 心配なんて全然してないから!」
みあも飛び出していく。
「まったく、あの娘にも困ったものね」
「みあさんもかなみさんも悩んでるんですか……」
「ああ、あんたも聞いてたのね」
紫織が机の陰から姿を現す。
隠れているつもりはまったくなかったのだが、誰も気付かいので出るタイミングを失い、そういう形になってしまった。
「だからってあんたが悩むことじゃないわ」
「そう、でしょうか……」
紫織は思い悩む。
「みあさんにはお母さんがいなくて、かなみさんにはお父さんもお母さんもいない……辛いと思います、私には二人共います。いなくなってしまうなんて考えられません」
「そうね、大切な人がある日突然いなくなるなんて誰もそのときは思いもしないものよ」
あるみは真剣に答える。
紫織にはその反応が意外に思えた。さっきまで、かなみとみあに笑いかけていた無邪気な少女のような姿とはまるで別人だ。月明かりに照らされた顔は妙に大人びて見えた。
「でも、あなたが気に病むことじゃないわ」
「でも、私……お二人の力になれません。お二人の辛い気持ちがわかりませんから」
「わからなくていいわ」
「え……」
「わからない方がいいって言ってるのよ。二人もそれを望んでるわ」
「かなみさんとみあさんが……」
「二人の力になりたいだったら、側にいてあげなさい。それだけでの二人の力になるから」
そう言って、あるみは紫織に万札を渡す。
「これで二人と何か食べていきなさい。おつりは自分の小遣いにしていいから」
「いいんですか?」
「日当だと思えばいいのよ。働いたら報酬はあるものよ」
「は、はい……私、行ってきます」
そう言って早足で紫織はオフィスを出た。
今オフィスに残っているのはあるみとマスコット達だけだ。
「らしくないのではないか?」
肩から降りた竜型のマスコット・リリィが厳格な声で問いかける。
「えぇ、ちょっとそう思った」
「同情したんじゃないの?」
ラビィが床をぴょんぴょん飛び跳ねてやってくる。
「かもね」
「あなた、意外とお節介だしね」
トリィが電灯の周りを飛び回っている。
「意外とは余計よ」
あるみはそう言って携帯電話を操作する。
「誰にかけるのだ?」
リリィが訊く。
「うーん……」
あるみは首を傾げる。
かけるべきかどうか少しだけ迷っている。
迷う……あるみにしては珍しいことだとリリィは思った。
しかし、それは本当に少しだけだった。
テンポよくダイヤルを叩いて電話をかける。
「あ、もしもし、私あるみだけど……あなた、今どこにいるのよ?」
オフィスの近くに有るファミレス【ミートキャッスル】。
既に時間はもう深夜に差し掛かっているので、お客はかなみ達の他にちらほら数人見かける程度。それも大人の人ばかりなので、小中学生の三人のグループは異様に見えるだろう。
しかし、かなみはそんなこと、気にしてられなかった。
今目の前に運び込まれてきたステーキとハンバーグのセット。
ジュウジュウと勢いよくなり立てる肉汁の音が、かなみの食欲をかきたてる。
「待ってました!」
「やっぱり、そんなに食べるんですか?」
紫織が恐る恐る訊く。
ステーキもハンバーグも女の子が食べるにしてはちょっと多い気がする。
それが二セットもあるのだから、大の大人でも食べきれない量なんじゃないかと心配になる。
「大丈夫、大丈夫! 社長のおごりなんだからいくらでも入るわよ!」
「まあ、私のおごりでもこれぐらいは食べるけどね」
「あはは、どっちもご馳走だからね!」
そう言って、かなみはステーキの一切れ目を食べる。
「うーん、おいしい!」
かなみは喜びの声を上げる。
「二千円ぽっちの大ご馳走でよくもそんなに喜べるものね」
みあに皮肉を言われる。が、かなみは気にしなかった。
「だって、私の財布じゃ一食千円もかけられないんだよ!」
せいぜい、学食のランチで五百円が限度である。
「ま、給料の大半が借金と家賃で消えてたらそうなるわね」
「そういうみあちゃんは給料、何に使ってるの?」
「あたし、あたしはね、秘密! 言うわけ無いでしょ!」
「え、教えてよ! もしかしてこないだ家行った時にあったおもちゃに使ったの?」
それを訊かれて、みあは明らかに表情を強張る。
「あ、あれは親父がうちの商品だーって言って持ってきただけよ!」
「えー、てっきりみあちゃんが買ったものだと思ってたんだけど」
「違うわよ! あれは親父の趣味!」
「でも、みあちゃんとお父さんって結構似てるからね」
「――!」
みあはその言葉に憤慨した。
驚きの手の速さでフォークを掴み、かなみのステーキを一切れ突き刺し、口に運ぶ。
「次そんなこと言ったらハンバーグもらうから!」
すごい子供みたいな脅し文句だが、かなみにはそれが死刑宣告のように聞こえた。
「ごめんなさい、言い過ぎました!」
そこで素直に謝る。
「かなみさんにとってお肉は死活問題なんですね」
「そう、そうなのよ! あ、紫織ちゃんは何に使ってるの?」
「え、使ってるって?」
「給料よ、給料!」
「え……そ、それは……」
紫織は困り果てる。
「何か人には言えないものでも買ったの?」
「ち、違います!」
みあの言葉に紫織は過剰に反応した。
「買ったといいますか……欲しいものとか、特にそういうのなくて、ですね……」
「じゃあ、貯金してるの?」
「え……」
紫織はあっけにとられる。
「あ、はい、そうなんです……」
「いいわね! お金を貯めるってすごく羨ましい!」
「まるで金の亡者みたいな言い方ね」
「う……そ、その通りなんだけど……」
かなみは言い返せず、渋々とステーキを食べていく。
「やっぱり、おいしい!」
現金なもので、一口食べる毎にかなみはみるみるうちに満ち足りた表情になっていく。
「すごいです……もう、食べてしまったんですか」
あっという間にステーキを食べて、ハンバーグに手をつけようとしている。
「別に、いつものことよ」
かなみの食べっぷりを見慣れているみあの反応は淡白であった。
「でも、どうしてそれだけ食べて」
みあは不思議そうに胸元を見る。
「そんな貧相なわけ?」
「ひ、貧相じゃないよ! 翠華さんは着やせしてるだけだって言ってたから!」
「そうですね……かなみさん、意外に大きいですよ」
「い、意外なんだ……」
「あ、ごめんなさい! 失礼でしたね!」
「いいのよ、こいつには遠慮がいらないから、借金持ちだし」
「借金ないでしょ!」
「じゃ、ここ。かなみのおごりでいい?」
「すみませんでした、先輩」
ここでもかなみは素直に謝る。
「でも、みあさんはかなみさんの前だと本当に遠慮ないですよね」
「うん……まあ、私も遠慮なく家にあがらせてもらってるからおあいこなんだけどね」
「そうよね、あんた隙あればウチに来ようとするものね」
「だって、ご飯がおいしいだもん!」
「ご飯が目当てだってんなら、もうウチの敷地跨がせないわよ」
「ええ、じゃあ何を目当てにみあちゃんの家に行けばいいの!?」
「あんたね……」
みあは呆れる。本当にご飯だけが目当てなのかと思うと少し情けなく思える。
「ああ、冗談だよ冗談! みあちゃんと一緒にいると楽しいよ! アニメみたり、特撮みたり! あ、お風呂もいいわね! 家だとシャワーしか使わないから!」
「お、お風呂……?」
これに紫織は驚いた。
「ち、違うのよ紫織! かなみがお風呂にお化けが出そうだからって一緒に入ろうって聞かないから!」
みあは必死に言い訳する。
「えー、みあちゃん、『一緒に入ろう』って言ったら、全然嫌がらないで『うん』って言うから!」
「ああ、やっぱりそうなんですか!」
「やっぱりってなによ! あんた、あたしの言うこと全然信用してないのね!」
「い、いいえ、そういうわけじゃないです!」
今度は紫織が言い訳する。
「あはははは!」
かなみにはそれがおかしくてついつい笑ってしまう。
「何がおかしいっていうの?」
「ううん、楽しくて!」
「楽しいですか?」
「うん、いつもは一人でご飯食べてるから」
「え、あんたは一食食べるお金あったの!?」
「みあちゃん、驚くとこ、そこなんだ……」
「かなみさんはご飯、食べるお金もないから私が食べさせてあげないとダメなんだ、ってみあさんよく言ってますよ」
「みあちゃん、ひどいよ……あ、でも、みあちゃんに食べさせてもらわないとダメなのは本当だよ」
「そこは認めるんだ。ま、まあ、ご飯食べないと生きていけないから、どうしてもって言うなら食べさせてあげないこともないよ」
「みあちゃん、本当に優しいね」
「……はい」
「ふん!」
みあはふてくされて自分の分のハンバーグを食べる。
「ごちそうさま!」
かなみはステーキとハンバーグを両方食べ終えて合掌する。
「すごい、本当に全部食べちゃいました」
「お腹すいてたらこれぐらいは食べられるわよ」
「それじゃ、もう一つぐらい食べられるんですか?」
「え……?」
かなみはお腹をさすってみる。
「うん、腹八分だから」
「じゃあ、私の分も食べますか?」
「いいの?」
紫織はうなずく。
「ありがとう!」
「……本当、よく食べるわ。さっきまでいじけてたのに……」
みあにそれを言われて、かなみの手が止まる。
「……なんか、ごめんね。心配かけちゃって」
かなみは苦笑する。
「……かなみ、あんた無理してない?」
「無理?」
「授業参観……結構気にしてたみたいだけど」
「……あははは、そうね。心配かけちゃってごめん」
「い、いいえ、かなみさんが謝ることなんてありませんし」
かなみはおもむろに紫織のハンバーグをとって食べる。
「……昔からそうなのよね。お父さんとお母さんが私の授業を見に来てくれたことがないの」
「そうなんですか」
「あたしもそんなもんよ。親父、まともに家に帰れないぐらい忙しいから」
「みあちゃん……」
「別に珍しくないってことよ、いちいち落ち込んでたらキリがないのよ」
「ありがとう、みあちゃん」
かなみは励ましてくれたみあに礼を言う。
みあはそっぽ向きながらこう言った。
「ステーキ、食べたかったらあたしの分もいいわよ」
ファミレスを出て、かなみ達はそれぞれの帰路についた。
「少し食べ過ぎたかな?」
「君の分だけなら腹八分だったんだけどね」
「みあちゃんも紫織ちゃんも優しいから……
――ついつい、甘えちゃうのよね」
かなみは寂しげに呟く。
アパートの階段を上がって、自分の部屋の鍵を開ける。
「――」
何かを言おうとしてやめた。
だって応えてくれる人がいないから。
「一人なんて今に始まったことじゃないんだけど……」
そう言って寂しさを紛らわせる。
電気をつけることなく、かなみは布団につく。そのまま寝る。
ここ最近、いつもそうだ。
疲れているからすぐに寝たい。帰ってすぐに寝る。
そうすれば虚しさと寂しさでこみ上げて押し潰されることはない。
一人で帰ること、他に誰も帰ってこないこと、一人で待ち続けなければならないこと。
「まったく、ボクがいるってのに……」
マニィは眠りについているカナミの寝顔を見てぼやいた。
「いや、ボクだけじゃない。
翠華やみあや紫織、千歳や鯖戸、そして、あるみだっているのにね」
目の前に広がっているのは、白くて広い部屋。広いといっても、今の住んでいる部屋と比べての話だ。
以前の自分だったら当たり前の光景、今の自分にとって遠い過去であった。
「……ただいま」
あまりにも懐かしいせいで、ついつい言ってしまった。
誰もそれに応えてくれる人なんていないのに。
「おかえりなさい」
「――!」
かなみは息を飲んだ。
懐かしくて暖かい声。聞きたいけどもう聞こえない。、
でも、聞こえた。
かなみは飛び出して、その声の主を追う。
「――お母さん」
いた。
もう会えないと思っていた。
会いたいとも思っていなかった。はずだったのだが、やっぱり思ってしまうんだ。
ここが自分の帰るべき場所なんだって。
実際目にして、実際ここにいる時、そう実感してしまう。
母親が微笑んで自分を出迎えてくれる姿を見る、と。
目を開けると、そこに広がるのは電灯。
もうすっかり見慣れてしまった光景。
「ああ、夢ね……」
さっきまでの光景が夢だと理解するとかなみは言い知れぬ寂寥感が募る。
「おはよう、かなみ」
「おはよう」
マニィと挨拶を交わしてからシャワーへ向かう。
昨日は帰ってからそのまま寝たから身体を洗わなければならない。
――お湯代がもったいないから、早く済ませないと。ああでも、じっくり身体を洗いたいわね。
シャワーを浴びているとき、いつもそのジレンマに悩まされる。
でも、今日だけは夢を見た光景を洗い流すことが精一杯で、そのことを忘れさせられた。
「今日はちょっと長かったね」
「そうだった?」
「何かあった?」
「……別に」
何も無かった、とは言い切れない。とはいっても、それをマニィは言及することはなかった。
シャワーを浴びてから学生服を着直して、カバンを持っていく。教科書は全部学校の中に入れてある。
「………………」
部屋を出ようとして今誰もいなくなろうとしている部屋を見て、息を呑む。
(またここに帰ってくる、帰ってきていいのかな?)
そんな疑問を抱きながら学校へ向かった。
「おはよう、かなみ。相変わらずギリギリだね」
理英が笑顔で話しかけてくる。
「眠くてね」
「私も眠いよ。今日、ママが張り切ちゃってね、早く起こしてきたのよ」
「へえ」
理英の母には一度だけ会ったことがある。
なんだかすごく元気なおばさんだったという印象がある。
でも、悪い印象がなかったから今日会えるのはちょっとだけ楽しみだったりする。
「あ~、でも、あたしは来て欲しくないわ」
貴子はぼやく。
「ま、貴子は成績が悪いからね」
「でも、今日体育の授業があるからいいじゃない」
「まあね!」
貴子は運動神経がいいから体育は絶好の見せ場である。
今日の授業参観は一日中ある。
家族が一日中学校にいて子供の授業を聞き続けるとは限らない。
一時間目の数学の時だけ、四時間目の体育の時だけ来る人はよくいる。しかし、一日中学校にいる親は稀だ。
「あ~体育の授業のときだけ来てくれたらいいになあ」
「……来てくれるだけいいじゃない」
かなみは思わずぼやいてしまう。貴子達に聞こえないように。
別に来て欲しいわけじゃないけど、やっぱり来て欲しいかもしれない。というより、会いたいだけかもしれない。授業参観の今日なら、ひょっとしたら来てくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いてしまう。
でも、やっぱり来てくれるわけがないか、とかなみはここまで来てようやく諦めをつける。
――タタ。
そんな気持ちをかき消すかのように、強大な存在感を放つ足音が聞こえてくる。
「え?」
思わず声を上げる。
この存在をかなみはよく知っている。
「社長!?」
かなみは席を立つ。
そして、やってきたのは案の定、金型あるみであった。
**********
(どうして、どうして、どうして、なんで、なんで、社長が学校にやってきてるわけ!?)
かなみはパニックに陥っていた。
授業参観。いつも自分の親は来ない、海外にいて仕事が忙しいからとてもじゃないけど来れない。今日はいつもと事情は違うけど、来れないことには変わりはない。そういった意味でいつもと同じだと思っていた。
しかし、金型あるみが来たことで事情が変わった。
授業参観は何も両親が来るとは限らない。
ごく稀に、叔父や叔母だったり、祖父母だったり、とにかく保護者と呼べるような人が来ることだってある。
でも、あるみはかなみの社長であって保護者じゃないはず。だから、来るはずがない。でも、来ている。
(だから、なんで来てるんですかぁッ!?)
かなみは問い詰めたい衝動を抑える。
理由は二つ。
怖くて出来ないのと関係者だと思われたくないのがある。
「あの人、誰の親なんだろうね?」
不意に理英が訊いてくる。
「えぇッ!?」
かなみは素っ頓狂な声を上げる。
「あの人って?」
とりあえず、とぼけてみる。
「あの人よ、若いから誰かのお姉さんなのかな?」
若いから……お姉さんなのかな……
その言葉に違和感を覚える。確かにあるみは見た目がとても若々しい。大学生とも見えるし、人によっては高校生に見えることもあるんじゃないかと思う。
しかし、そんな直感も「あるみが三十歳」という事実にかき消される。
結局のところ、その事実の前に見た目がどうとかそんなの関係なくなってしまうのだ。
だから、理英の発言に驚かされる。
(あの人、全然若くないわよ! 誰かのお姉さんっていうか、そんな歳じゃないし! お姉さんっていうより、お母さんじゃないの!?)
そこまで、かなみは気づく。
(まさか、あの人……――私の保護者のつもりで来たわけ!?)
かなみがあるみへと視線を移す。
すると、あるみもその視線に気づいて手を振ってくる。すごく楽しそうに。
(いえ、面白そうだから来たのね)
かなみは頭を抱える。
あの人が面白そうだからって言って行動するとき、もしくはさせられるとき、大抵ろくなことにならない。
命懸けになることだってある。本当に死ぬかと思ったことは一度や二度じゃない。
今回だってそうなるに違いない。
(なんで、授業参観が命をかけなきゃならないわけよー!)
「どうしたんだ、かなみ?」
貴子が訊いてくる。
「う、ううん、なんでもない!」
「かなみがこういうときって、何か隠してるときだよな」
「う……!」
貴子ってなんでこういうときカンがいいのだろうか。
「もしかして、あの人あるみが気になるのか?」
加えて今日は妙にカンが冴えている。
(当たってるよ、ズバリ的中じゃない!?)
「ま、綺麗な人だよな。でも、誰の家族だろうな?」
さすがに貴子のカンでも自分の関係者というところまでは気づかないようだ。
「もしかして、かなみのお姉さん!?」
「えぇ!?」
唐突に理英に当てられたことでかなみは大げさに反応してしまう。
「やっぱり、かなみの家族なんだ。でもお姉さんがいるのは初耳ね」
「お、お姉さんじゃないわよ!」
「じゃあ、お母さんか?」
「もっと違う!」
貴子の言葉に過剰に反応する。
「うんうん、楽しくやってるじゃないの」
あるみは完全に他人事で、微笑ましくかなみを眺めている。
キンコーンカンコーン
チャイムがなって担任の教師が授業参観の注意事項を簡単に言ってから、数学の授業がすぐに始まる。
数学の授業といえばスーシーの弟、柏原もやってくる。
「……!」
当然、あるみと鉢合わせになる。
(ああ、どうか何も起きませんように)
あるみとネガサイドの幹部の弟。この取り合わせだけで教室があっさりと吹き飛ぶようなことがあってもおかしくない。
それだけ見ていてハラハラする。いや、あるみの心配をしているわけじゃない。今教室が無くなったら困るのは自分だし、理英や貴子に危害が及ぶなんて冗談じゃない。
とはいっても、自分ではどうしようもできない。せめて祈るぐらいしかできない。
「初めまして、柏原です」
「あるみよ、よろしくね」
意外な程、普通に挨拶をしている。
(この二人、敵同士じゃないの!?)
普通の挨拶程度で済むのならありがたいが、むしろ普通で済まされることに違和感がある。
そういえば、あるみは柏原に手を出すな、と言っていた。
案外、ただの敵味方の関係じゃないかもしれない。
でも、ただの関係じゃなかったら、どんな関係なのだろうか。
かなみには想像することすらできない。
(でも、このままただの挨拶で終わるわけないわよね!)
目が離せない、かなみは授業を受けつつ、後ろの二人に視線を配る。
キンコーンカンコーン
「それでは私はこれで」
「ええ、またね」
数学の授業が終わる頃、また二人は普通に挨拶をかわして、柏原は教室を出ていく。
「………………」
かなみはそれを確認して机へ突っ伏す。
「なんともなくてよかった……」
教室がいつ吹き飛んでなくなるか、ヒヤヒヤで見守っていたが、なんとか事無き事を得た。
しかし、それはそで奇妙なものだとかなみは思う。
(あの二人って何か特別な関係なのかしら?)
正義の魔法少女と悪の秘密組織の一員。その敵対関係を超えた何か。
もしや、恋愛。
いやいや、それはない。
頭に浮かんだ言葉を即座に打ち消した。
まだ、鯖戸と結婚していると言われた方が真実味がある。まあ、それもありえない気がする。
あなたが思うような魔法少女にあるみはなろうとしている。
酒もタバコもしない。
恋はすれども結婚はしない。
だから、あるみは強いのよ。
以前、来葉に言われたことが脳裏をよぎる。
あるみの強さの理由は少女で居続けることだって聞いている。
だから、結婚はしない。
だったら、これはなんだろう。
授業参観にやってきて、保護者の真似事なんてしていいのだろうか。
(いいはずなんてないわよ! 私の日常のために!)
学校にいる間だけは借金や魔法少女の仕事から解放されて安心できる。
最近は柏原のせいでそれが出来ているか怪しいものだが、彼も大人しいものだから、落ち着きを取り戻しつつあった。
その矢先にこれだ。
(と、とにかく今日一日だけは何も起きませんように!)
あるみがこんなことをやらかして、何も起きないなんてありえないと思うが、祈らずにはいられなかった。
そして、二時間目が始まる。
今日の二時間目は社会。
いつもなら、一時間目と二時間目のどちらかに寝て、睡眠時間を確保したいところ。
ましてや、教室に居座って授業を受ける時間が二時間続く。授業参観じゃなかったら二時間タップリ寝ているところだ。
(全然、寝られない~! 寝てるうちに学校がなくなっちゃうかもしれないし!)
「長篠の戦いで織田信長は三千丁の鉄砲を用意して、武田軍の騎馬隊に対抗したわけだ。この時に使った戦法は、三段撃ちといってな」
いつもと違って真面目に授業を受ける。
前に歴史の授業を受けたときは、たしか平安時代だったはずなのに、もう戦国時代になっている。時代はあっという間に進むものだとしみじみ思う。
「ここで天下統一を目前に迫った織田信長は中国の毛利と戦っている羽柴秀吉の援軍に向かったわけだが、この毛利家の元就が残し有名な言葉は何か知ってる奴はいるか?」
この社会の教師、たまに生徒を当ててくる。
(織田信長……毛利……全然知らないんだけど……)
当然、かなみは挙手するつもりはない。
――挙げなさい
かなみはビクッと身体を震わせる。
あるみからそう言われた気がする。
かなみは恐る恐るあるみの方を振り向く。
ニコリ。
微笑んだあるみの目が全てを物語っていた。
(ああ、私挙げなきゃ殺される……)
だったら、挙げなければならない。
どうせ、当てられないだろうし、ちょっと上げただけで命を拾えるんだから軽いものだ。
「お!」
社会教師の言葉にかなみは再びビクッと身体を震わせる。
「結城、珍しいな」
ああ、この教師。かなみがよく寝ていることを知っている。
そのかなみが手を挙げるのは珍しいことだが、初めてのことなんじゃないかと思える。
「それじゃ、結城。言ってみろ」
「は、はい!」
思わず反射的に立ち上がってしまった。
しかし、どうしよう。
わかるはずがない。なんて江戸時代の前にちょっとあった戦乱の世ぐらいしか知らない。
戦の名前とか武将の名前とか言われても全然わからない。
毛利家なんて初めて聞いた名前なんだから知ってるはずがない。
(ああ、でも答えないとやばいかも……!)
手を挙げないと殺す。とまで目で語ったあるみのことだからこの問題を解けなければ、きっと恐ろしい罰が待ち受けているに違いない。
(えぇっと、わからないんです……しょうがないじゃないですか、どうしようもないんですよ……)
救いを求めるように、あるみの方を向く。
すると、あるみはニコリと笑って三本の指を立てた。
(さん、サン、三……)
かなみにはこれはあるみが与えてくれたヒントに思えた。
――わかった!
かなみの頭の上には電球が立っているのが目に浮かぶ。
これで間違いない。そんな自信を持ってかなみは答える。
「仏の顔も三度!」
「ぷ~、くははははははははは!!」
廊下であるみは腹を抱えて爆笑する。
「笑い事じゃないですよ!」
かなみは涙目で訴える。
「社長が圧力をかけてくるから恥をかいたんですよ!」
「私は別に圧力をかけたわけじゃないわ。ただ手を挙げてちゃんと当てられたら格好いいわよねって思っただけよ」
「それを社長が思うと圧力になるんですよ!」
「そうなのね、参考にしておくわ」
「この次があるんですか?」
かなみは恐ろしい想像してしまう。
授業参観は今日一日だけじゃない。この先、何度もあることだ。その度にあるみがやってくるかもしれない。
「かなみちゃんがよければ、だけど」
ああ、この人。私がどんなに言っても絶対に来る気だと悟った。
「いいんですか?」
「いいわよ」
それは来るという意味だったが、かなみが問いかけたことは違った。
「そうじゃないですよ! いいって、保護者やってていいんですかってことですよ!?」
「保護者やってて……ああ、そういうことね!」
あるみは納得して、手をポンと叩く。
「来葉から聞いたのね、私の秘密」
「わかるんですか!」
「ええ、その秘密を教えそうなのが来葉ぐらいしかいないからね、仔馬は秘密主義だし」
「そ、そうですね」
「あの娘にも困ったものよね。ま、それがいいところなんだけど」
「二人は仲がいいんですね」
「まあね。来葉が話していいって思ったんならまあいいかって思うし」
「あの、それで……」
「ああ、保護者ね。いいんじゃないの
――だって、結婚に年齢制限があっても親や保護者にはないもの」
「………………」
かなみは言葉を失う。
「ん、どうしたの?」
「社長って大雑把なんですね」
かなみは驚きのあまり、思ったことを率直に口にする。
「はあ!?」
直後に、しまったと思う。
「まあ、否定はしないけど……」
意外にもその反応は冷静なものだった。
「私は大雑把に決めたことを大雑把に守ってるだけのことよ」
あるみは感慨深げに言う。
「かなみちゃんの保護者をやろうと思ったのも私が大雑把に決めたのも同じよ」
「結構根に持つんですね……」
「根が深いからね。それこそ、心の奥の奥にまで刺さっている魔法よ」
かなみはあるみの頭を撫でる。強引に髪をくしゃくしゃにする勢いで。
「あいた、痛いです……」
「それを簡単に言葉でまとめようとしないの!」
「す、すみません!」
「まあ、このくらいで許してあげるわ」
あるみはそう言ってて手を離す。
かなみは安堵した。この程度で済んでよかった、と。
「さ、行ってきなさい。体育でもいいとこ見せてよね」
「今日一日中いるつもりですか!?」
「ええ、そのために仕事を一日空けてきたんだから」
「あはははは、私の仕事も空けてもらえると助かるんですが……」
「給料が減ってもいいならいくらでも空けてあげるわよ」
「頑張ります!」
かなみは走っていた。
「うーん、体操着姿って新鮮でいいわね」
「君も似合うと思うが」
肩に乗ったリリィがそっと言ってくる。
「今度やってみようかしら」
「君が構わないのであれば」
リリィにそう言われて、あるみは遠く、廊下の奥のさらにその先を見つめるかのように、かなみを見守っていた。
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