第15話 来校! 学び舎で育む少女達の友情 (Aパート)
翠華はため息をつく。
今日は憂鬱な一日になる。そうなるのがわかっていたのに、いざその時が来ると落胆はため息となって隠しきれなかった。
「ハァハァ……お嬢、どうした? チェックに身が入ってないぜ」
「うるさい! チマチマしたのが嫌いなだけよ!」
それはみあの方も同じであった。
もっとも彼女の場合、ため息なんかではなく苛立ちという形で表れているのだが。
「ウシシシ、あっちの方も苛立ってるみたいだな」
「私は別に苛立ってないんだけど」
肩に乗った牛型のマスコット・ウシィは相変わらず気味の悪い笑い声で翠華の思っていることを代弁するかのように言う。
「ウシシシ、まあ、でも二、三日ぐらい我慢できるもんじゃねえのか」
「そうなのよね……でも、実際我慢できないものなのよね」
「ウシシシ、いなくなって初めて気づく存在のデカさってやつだな」
「え、ええ、まあそんなところね」
いなくなってしまうのは言うまでもなく、かなみの存在であった。
彼女は社長命令で、社長と一緒に数日の出張でいなくなってしまった。
数日……ウシィが言うように二、三日。たったそれだけのことなのに、心から抜けてしまった喪失感はやたら大きい。
「あんた!」
「……え!?」
突然、みあから大声を挙げられる。
みあから声をかけられること自体、珍しいことだったので翠華は取り乱した。
「あんたがグズグズしてるからこいつにネチネチ言われるのよ!」
こいつというのは、みあの方に乗っている馬型のマスコット・ホミィである。
「わ、私はグズグズしてないんだけど」
完全に八つ当たりであった。
「ウシシシ、とはいっても、手の進みはいつもより遅いぜ」
こいつは余計なことを、と翠華は恨めしく睨みつける。
「やっぱりそうじゃない! ちゃんとしてよね!」
「わかってるわよ。あなたに言われるまでもないわ」
そう言って、翠華はそっぽ向くことにした。
「~~~~~」
みあは言葉にならない唸り声を上げて自分の席につく。
とはいっても、今日はみあのやることは終わっているはずのであとはゆっくりしているだけのはずだが、一波乱が起きそうな予感がする。
「――今戻ったよ」
そう思った途端に、予感の的中を告げるかのように鯖戸部長が入ってくる。
「おや、二人共元気が無いな。いや、彼女がいないとこんなものか」
彼のぼやきにみあが反応する。
「はあ? かなみがいないくらいで元気なんて」
「いや、僕はあるみ社長のことを言っただけで、かなみのことは何も言ってないけど」
「んん……!」
「ま、それはどうでもいいか」
どうでもいいなら何も言わないで欲しかったと翠華は思った。
「翠華、みあ、仕事だ」
「二人共に、ですか?」
「そうだ。君達二人で協力して果たして欲しい仕事がある」
一波乱どころの話じゃなかった。
「はあ? 私一人で十分よ!」
そういえば、みあと組んで魔法少女の仕事へあたったことはなかったと思う。かなみと一緒に三人なら、あるのだが。
「どうしても二人じゃないとダメなんですか?」
「ダメだ。二人じゃないとな」
「どうしてよ!?」
「一人じゃ危険過ぎるからな。何しろ相手は彼なんだよ」
鯖戸はそう言って、一枚の写真を提示する。
その写真は、ごく普通の小学校の教室でどこにでもいそうな小学生達が駆け回っている、そんな微笑ましい光景であった。
しかし、その中にあって一箇所だけ違和感があった。その一箇所だけを注目するとそれまで感じていた微笑ましさが嘘のように不穏な影に覆われてしまう。
その違和感の正体は――
「スーシー……」
そう、ネガサイドの幹部がそこに映っていたのだ。しかも、ごく自然に小学生達の中に混じって。
「どうして、彼が小学校に?」
スーシーの容姿なら小学生として通用する。
しかし、彼はあくまで悪の秘密結社ネガサイドの幹部である。普通の小学生に見えても、ただ小学校に通って勉学に励んだり、友達と遊んだりするといった学生生活を満喫しているようには到底思えない。何か企みがあってこの小学校に潜入していると考えるのが自然な事であった。
「彼がこの学校で何をしようとしているのか、その調査と場合によってはその企みを阻止するのが今回の仕事内容だ」
内容自体、よくあるものだし、このてのものは翠華にもみあにも経験があった。ただ、幹部クラスの男が絡んでいることが最初からしらされているのは今回が初めてだった。
「それはいいのですが、わからないことがあります」
翠華は一瞬みあを見てから言う。
「みあちゃんはともかく高校生の私が調査にいったら、怪しまれるんじゃありませんか?」
まさかとは思うが、戦国時代の忍者のごとく誰にも見られないように徹底した隠密行動で調査しろと言うのでは、と翠華は考えた。この鯖戸という男は平然とそういうこと言う性格している事も知っていた。
「そうよ! こんな奴が一緒にいたら目立ってやりにくいわ! あたし一人で十分よ!!」
みあの物言いに翠華は内心ムッとしたが、その通りだとも思ったので反論しなかった。
「いや、スーシーが関わっているのはわかったからには単独行動は危険過ぎる」
鯖戸の言うことももっともである。
「そこでいいアイディアがある」
鯖戸は少し得意気に言った。
翠華は思わず身震いする。直感で凄く嫌な予感がした。
「こんなの絶対怪しまれますよ!」
翠華は全力で訴えた。
「いやよく似合ってるよ。とても高校生には見えないさ」
「ほ、本当ですか……? 何だか無理して大人びてるみたいで……」
翠華は自分今している衣装を鏡で再確認する。
隣の備品室から引っ張り出してきたカジュアルスーツ。おそらくはあるみ用のものなのだろうが、それを翠華は着込んでいる。ちなみに化粧もちゃんとそれ用に大人っぽくしてあるため、翠華本人が言うほど無理は無い。
その証拠にみあは翠華の衣装をからかうことなく、面白くない顔で黙っている。
「ウシシシ、かなみ嬢がここにいないのが残念だぜ」
「かなみさんにこんな姿、見せられないよ」
「いや、そんなことないさ。彼女だったらその姿を見て憧れると思うよ」
「……ほ、本当ですか?」
「なんなら、今から写メを送って」
「や、やめてください!」
携帯電話で写真を撮ろうと構える鯖戸から翠華は神速の手さばきで携帯電話を取り上げる。
「手クセが悪いな」
「誰のせいですか!?」
「まあ、彼女も忙しいだろうからそんなことして気を散らせるわけにはいかないからね」
「か、からかったんですね!?」
「ウシシシ、今のお前さんを見てからかわないのはもったいないからな」
「少しはもったいぶってもいいのに……」
「しかし、これで新任教師として怪しまれること無く潜入出来るな」
「せ、せめて教育実習生ということにならないんですか?」
「いや、こっちの設定の方が面白そうだからね」
「面白いって理由で採用しないで下さい」
「しっかし、あんた、案外教師姿が似合ってるわね」
ここでようやくみあは口を開く。しかも、その内容は素直に褒めていることだから意外であった。
「……え?」
みあは、嘘や冗談、お世辞は一切言わない性格なのでこの一言には翠華は密かに喜んだ。
「あ、でも、それって、それだけおばさんって意味なんだから!」
「あ、うん、ええ、そうね……」
それだけに後の一言も翠華を密かに傷つけた。
翌日の放課後の時間、翠華とみあは揃って件の小学校へ赴いた。
「ねえ、みあちゃん? やっぱりおかしくない?」
「そういう態度がおかしいっての」
改めて化粧して、スーツに袖を通してみてもやはり違和感は拭えない。
怪しまれないかそわそわしている翠華に対して、小学生のみあは堂々としたものだ。
「じゃあ、ここからは別行動ね」
「え、もう!?」
校門を前にしてみあはさっさと行ってしまった。
確かに新任予定の教師と転校生が一緒にいるというのもおかしな状態なので早めに別行動をとった方がいいのは頭ではわかっている。しかし、頭ではわかっていても翠華の中では踏ん切りがついておらず、今は一人にして欲しくない時であった。
みあはそんな翠華の心中などお構いなしに一人どんどん校内へ入っていく。
(あの度胸は見習いたいわね……)
自分にもあれだけ言える勇気があれば、かなみにだって好かれるかもしれないんじゃないか。もっとも、自分がそんなことをすると嫌われるかもしれない、と後ろ向きに考えてしまうのが翠華であった。
(ああ、いけない。そんな後ろ向きじゃ!)
弱気な自分を少しでも変えないと思い、今はその一歩を踏み出す。
翠華は意を決して校門をくぐる。
(私はここに新任教師……! 新任教師……! 新任教師! 新任教師!)
暗示をかけるように心の中で何度も繰り返して校舎に向かった。
「ウシシシ、この校舎が教師どもの巣窟だぜ」
「そういう言い方しないの。悪魔の根城みたいじゃない」
「ウシシシ、今のお前さんからしてみたらそうじゃないのか?」
「………………」
翠華は否定できなかった。
今この小学校の教師はある意味、ネガサイドよりも恐ろしい存在であった。
でも、仕事なんだから聞き出さなければならなかった。
――どうやって?
ここで肝心な事を思い出した。
いきなり写真を出して訊くと怪しまれるし、遠回しに訊くにしても具体的にどう話せばいいかわからない。というか、最初の自己紹介で怪しまれないだろうか。
考えれば考えるほど、不安に駆られてくる。
それでもと翠華は足だけは前に出す。
徐々に近づいてきて大きく見えてくる校舎と同様に翠華の不安も大きくなってくる。
(大丈夫、私はやれる……!)
そう言い聞かせて、翠華は校舎に入る。
「あら……あなた?」
入っていきなり、声を掛けられて翠華はビクッと震わせる。
「どちら様ですか?」
若い女性教師に訊かれる。
どうやら彼女は翠華を来客だと認識したようだ。
「は、はい……」
「ウシシシ、設定を忘れるなよ」
ウシィは陰に隠れて耳打ちする。
「今度、この学校に着任する予定の青井澄歌あおいすみかと申します」
こういった場合、青木という本当の名前は使えない。かといって、まったく本名と全く違う偽名だったらボロが出るかもしれないということで、なるべく本名に近い偽名を使うことにしている。
「ああ、そうなんですか。私4年1組の担任をしています藍川あいかわです」
「よろしくお願いします」
翠華は精一杯の落ち着きを持った、持てる限りの大人の振る舞いともとれるお辞儀をした。
「こ、これはどうも……御丁寧にどうも」
幸いにも相手の藍川先生は若いこともあって、ちゃんとこれからの同僚として認識してくれたようだ。
「着任する前にどうしても校内を見て回っておきたくて来たのですが……」
「まあ、勉強熱心なのですね」
「いえ、事前に連絡しておけばよかったのですが……」
「そういうことなら私が案内しましょうか?」
これは思わぬ申し出であった。見知らぬ校内を案内してもらえるのは正直言って心強い。とはいっても、それで演技のボロが出ないかという不安がつきまとう。
「よろしいのですか? お忙しいのではないでしょうか?」
――忙しいので無理です。
と正直答えて欲しかった。
「いえ、問題ありません。せっかく来てくれたのですから有意義な時間にしてほしいだけですよ」
まあ、断るわけないか。と翠華はある程度予想していた。
(この人、かなりいい先生ね。騙すのがホント、気がひけるわ……)
密かに罪悪感を感じながら、翠華は藍川女史の案内を受ける事になった。
一方のみあは、一人堂々と校舎に入っていく。
この小学校は、校舎が四つあり、一つは翠華が入った職員室のある教師棟、三つにはそれぞれ二学年ずつ、低学年、中学年、高学年の教室がある。
みあが入ったのは高学年の校舎。五年生と六年生がいる校舎である。
スーシーの映っていた写真の教室は五年一組の教室だからだ。
「ハァハァ、さっそく乗り込むのかい?」
「回りくどいのは嫌いなのよ」
「ハァハァ、潜入とか調査とかに向いてないな」
「大体、そういうのは翠華一人に任せておけばいいのに、なんだってあたしまでやらされなきゃいけないのよ」
「ハァハァ、まだ不機嫌なのかよ。こりゃかなみが出かけたのが相当効いてるな」
「はあ、なんだってかなみが出てくるのよ!? あんな貧乏ったらしいのなんてどうでもいいわよ!」
「ハァハァ、どうでもよかったらそこまでムキにならないぜ」
「うるさい!」
みあは肩に乗ったウシィを掴んで投げ飛ばした。
「ギャフゥ!?」
可愛らしい声で下品な悲鳴を上げるも、即座にみあに追いつく。
「ハァハァ、ちょっとはスッキリしたか?」
「フン!」
みあの不機嫌はそれでも治らず、鼻息で答える。
「ハァハァ、でもよ単独行動で大丈夫かい」
「だから! 一人で十分な仕事だって言ってるでしょ!」
「もし、スーシーと遭遇したらどうするんだ?」
急にウシィは低いトーンで問いかける。
いきなりのシリアスモードの切り替わりにみあは思わず立ち止まる。
「べ、別に、あんな奴、出てきたらぶっ飛ばすだけよ!」
「一人でできるのか?」
「当然よ! あたし一人で十分なんだから!
今までだって、そうしてきたんだから! 今までだって……」
みあの言葉がそこで途切れる。
そういえば今までって、いつ頃のことだったろうか。
かなみが入ってきてから一緒にいることや仕事でコンビを組むことがあって、一人の時は大分減った。
――かなみが入ってきてから……
そういえば、かなみが入社したのはいつだったか。もうかなり前のような気がする。それぐらい長い間、一緒にいてみあは一人じゃなくなっていた。
そう考えると今口にした『今まで』がもう随分昔の事だったんじゃないか。
一人になるのは久しぶりだ。本当に久しぶりだ。
「だ、大丈夫よ、これくらい一人でだってやってみせるんだから……!」
みあはウシィに聞こえないよう、自分に言って聞かせた。
そして、下駄箱で誰の物ともしれない上履きに履き替えて上がっていく。どうせもう放課後なんだから、ほとんどの生徒は帰っているから問題無いだろう。
履きなれない上履きのせいで足に違和感がある。
ちょっとはいい物は使ったらどうなのか、みあは心の中で愚痴る。
そして、件の教室に辿り着く。
「あれ?」
誰かいる。もう放課後なんだから生徒はもう残っていないはずなのに。
居残り。またタイミングの悪い時に来てしまったとみあは思った。
「ま、別にいいか」
ようはスーシーが何か企んでいるか、魔力の痕跡があるかわかればそれでいいし、それは普通の人には見えない。
(ああ、でも魔法が扱える素質は大人より子供の方があるって、あるみが言ってたわね。まあ、だからといってどうってことはないんだけど……)
みあはそのことだけ気に留めて教室に入る。
いたのはただ一人。それも小さな女子である。五年生の教室だから、そこにいるはずの彼女も五年生のはず。みあよりも二つ年上のはずなのに、同い歳ぐらいの幼さがある。
「……だれ?」
彼女はみあに気づいて、怯えた表情で訊いてくる。
彼女からしてみれば、みあは見知らぬ小学生。いきなり入ってきたのだから驚くのも当たり前である。
「……………………」
みあは無視して、教室を見て回る。
(えぇっと、写真の場所は……ああ、この椅子のあたりか……別に変なところ、ないけど……)
ここでみあはある事に気づく。
ずっと見られている。
じー
ただ一人のこの教室の生徒である彼女にじぃっと凝視されている。
やりづらい。気にしなければいいだけのことなんだけど、気になってやりづらい。
「あんた?」
仕方ないから声をかけてみた。
「は、はひ……!?」
彼女は怯えて条件反射で一歩後退る。
「この写真の子、知らない?」
みあはスーシーの映っている例の写真を見せる。
「え……この写真の子って、喜島きしま君?」
「喜島……? ああ、そう名乗ってんだ……」
「え……」
「ううん、こっちの話」
どうやら、この学校では喜島という偽名を使っているようだ。そもそも、スーシーという名前自体も本名とは思えないのだが。
「あ、あの……?」
「え?」
「ひ!」
みあが受け答えをする度に、彼女は怯える。滅茶苦茶やりづらい。
「何か用なの?」
「そ、その……よ、よよ、というわけ、じゃじゃなくて……! あ、ああ、あ、なな、たは、だだ、だれな、んの?」
非常に辿々しくて、どもっている。ようは『用というわけじゃなくて、あなたは誰なの?』という問いかけであるが、みあはその態度にイライラしてしまって途中から聞いていなかった。
「あんた、はっきり言いなさいよ! 何言っているのかわからないじゃない!」
「ひ! すみません、ごめんなさい!」
「あら、ちゃんと謝れるじゃない」
「は、はあ、すみません」
「いや、そこで謝られてもね……あたしがいじめてるみたいじゃないの、はあ……」
みあはため息をつく。
「そ、そんな、いじめられてるなんて……! そ、そんなことあるわけ、ないよ!!」
彼女は思いっきり手をぶるぶる振って否定する。
「あんた、いじめられてるの?」
「そそ、そんな、な、ここ、ことないよ……」
そんな風に否定されても、みあには彼女がいじめられっ子にしか見えなくなっていた。
「どうして居残ってるの? もしかして、靴とか隠されて帰れなくなった、とか?」
「――ッ!?」
――どうしてわかったの?
言葉にしなくても驚いた反応を見れば、そう言っているようにみあには見えた。
「本当にそうだったんだ……」
みあとしては冗談のつもりで言ったはずなのに、まさか的中するとは思わなかった。
「どこの学校もおんなじようなモノなのね」
「え?」
「ううん、こっちの話よ」
「……?」
「はあ……しょうがないわね」
みあはため息をつく。
「あたしが探し出してやるわ!」
「え!?」
「校内見て回るつもりだったし、ちょうどいいわ」
「そんなつもりもなかったくせに、ハァハァ」
「あんたは黙ってなさい!」
みあはウシィを投げ飛ばす。
「ひぃッ!?」
女の子からしてみれば急に叫んで人形を投げ飛ばしたものと受け取ったため、大いに怯える。
「あんた、名前は?」
「え、え、名前……? 名前は……秋本紫織あきもとしおり……」
「あたし、阿方みあよ」
「……あ、阿方さん……」
「……………………」
苗字で呼ばれると違和感があった。というよりも、嫌な事を否が応にも思い出させた。
「……みあでいいわよ」
「え、でも……」
「それより、早く探しに行くわよ! 心当たりってないの?」
「え、うん……」
「だったら、まずそこね! ほら早く!」
「う、うん……」
紫織はみあに手を引かれて教室を出る。
「あ、あの……み、みあさん……」
「何?」
「い、いえ……」
「あんた、そういった態度してるからいじめられるのよ」
「え、え……?」
「言いたいことははっきり言う! 言えないとそこをつけこまれるのよ!」
「は、はい……」
「誰が上履き隠してたのか、知ってんでしょ?」
「……………………」
紫織は押し黙る。みあはそれを沈黙の肯定と受け取った。
「……名前、言いなさいよ」
「え?」
「いじめてる子の名前」
「……で、でも……」
「それ、言わないといつまでたってもいじめられるわよ!」
「わ、わたし……べつにいじめ、なんて……」
「上履き隠されて帰れなくなってるようなのがいたずらならあたしもされたことがあるわよ」
「え……?」
「まあ、あたしは他の子をとって帰ったけどね」
「そんな……それじゃ……」
「仕返し、ね……もちろん、されたわよ」
「そ、それで、どうなったの……」
「……色々あったわよ」
みあは感慨深くそれだけ答える。
「……………………」
「……………………」
みあがそれ以上喋らないように紫織も自分から喋らないため、必然的に沈黙が流れた。
一方の翠華は藍川先生の案内で教師棟を抜けて、一・ニ年生の教室のある、いわゆる低学年の校舎に来た。
(職員室までいったら、さすがにボロが出そうだし、っていうか、確実にバレる! 今だってバレそうなのに……)
と冷や汗を流しながら涼しい顔を必死で装った。
「こちらが音楽室です」
今、案内されたのが大きなピアノがある音楽室であった。
「ここでよく生徒達は歌を歌っています。青井さんは、楽器は何かやられているますか?」
「ピ、ピアノなら一応……あと、ギターを……」
「ギター? 学生時代にバンドでもやってたんですか?」
「い、いえ……母の影響で、ちょっと嗜んだ程度です」
今、その学生時代なんだけど……と翠華は心の中でぼやきながらなんとかごまかした。
「そうなんですか。では、ちょっと一曲弾いてもらえませんか?」
「え!?」
「今なら生徒もいないですし、誰にも聞かれることはないですよ」
「え、ええ、そ、それは……!?」
(藍川先生……おとなしそうで、実は押しが強い人なのかしら……?)
翠華は諦めてピアノの席に座ってみる。
「それではベートーヴェンの第九を弾いてみます」
「お願いします」
翠華は一番練習して得意な曲を弾いてみる。
~♪~♪
一旋律引いたところで終わる。
「凄いです。とてもお上手なんですね」
「い、いえ、そんなことありませんよ……」
「コンクールとかでも入賞したことあるんじゃないですか?」
「そ、そんなことないですよ! ただ習い事でやっていただけですから」
「はあ、そうなんですか……」
ようやく納得してもらえて翠華は一息つく。
(なんとか弾けてよかった……でも、そんなに褒められるなんて思わなかったわ、藍川先生は褒めて伸ばす先生なのね……)
「あ、あの、次はどこへ案内してもらえるんですか?」
こういうことは早目に切り上げるのがいいと翠華は思った。
「そうですね……一年生の教室、行ってみますか?」
「はい、お願いします」
ということで、ピアノや音楽の話題はここで終わった。
「ウシシシ、こんなに褒められるんならかなみ嬢の前でも一曲弾いてみたらどうだい?」
「ウシィ、口を挟まないでよ」
「ウシシシ、大丈夫だって、ちゃんと聞こえないように喋ってるから」
事実、藍川は一切気にせず案内を続けている。
「ハァ……」
「ウシシシ、きっとかなみ嬢は大絶賛すると思うぜ。翠華さん、さすがです! 憧れます! ってな感じにな」
「う、うぅ、うーん……」
それは大いに想像できることだし、大いに期待できる。しかし、それで気を引くのもありなのかと翠華は思った。
(できればそういうことじゃなくて、もっと仕事とか魔法とかで興味を引きたいところなんだけど……私も同じ魔法少女なんだし……)
魔法少女――翠華は小さい頃からその存在に憧れていた。
ここに通っている子達と同じ歳の頃にはずっとテレビアニメで釘付けにされていた。普通の小学生女子の夢である「素敵なお嫁さんになる」というのを翠華の場合、夢は「魔法少女のお嫁さんになる」となっていた。
この時、翠華はお嫁さんという言葉の意味を知らず、友達や親友といったニュアンスで捉えていた。
ただ、普通の子と違っていたのは、成長とともにその認識の間違いを自覚して訂正するところを、翠華は間違いに気づいてもお嫁さんになりたいと思った。
もっと成長すると、この気持ちが恋なのだと気づいた。
更に成長してそれが一般的には間違ったものだと、まともじゃない、下手をすると精神障害者なんじゃないか人から思われるようなものだと知った。
中学生になってから翠華はその間違った恋愛感情を表に出さないよう努めた。だが、裏では魔法少女への憧れは一切衰えることは無かった。
自分の理想とする魔法少女――アニメで見るような可愛くて綺麗な魔法少女に会いたい。
そんなのは現実に存在しないとわかりつつ、わかっているからこそ余計に憧れた。
「ここです」
「え!?」
物思いにふけったところで唐突に言われたものだから翠華は驚いた。
「一年生の教室ですよ」
「あ、あ、え、えぇ、ありがとうございます……」
夕陽が差し込む教室はまだ開いていて、入らせてもらえた。
小さな机とイス……かつては自分もこれと見合うぐらい小さな時期があった。
「懐かしいですか?」
「はい?」
「私、この一年生の教室に来るとどうしても昔の事を思い出してしまうんですよ。童心に替えるっていうか、そんな感じなんですが……」
「はあ、そうなんですか……」
確かに、ここにいると色々思い出しそうになる。
何も知らない無邪気な小学生だった頃。『魔法少女のお嫁さんになりたい』そう言い続けられたあの頃。
(戻りたい? ……戻りたいのかしら、あの頃に……たしかに、あの頃の私なら……)
何の恥ずかしげもなく、かなみに自分の想いを告白できたはずだ。
そうしたら……そうしたら……かなみは何て返事をくれるのだろうか……そう考えてしまうから告白するのが怖い。それで嫌われてしまったら、おそらくもう立ち直れない。だったら今のままの方がいい。結局その考えに行き着いてしまう。
(そんなこと考えられなかった。あの頃なら告白していた……)
それで今よりも進展していたかもしれない。いや、そうに違いない。
そう考えるとこの教室に羨望が集まる。
(――あまり、ここにいたくない)
その結論に達し、翠華はゆっくりと教室を出た。
阿方みあは全国でも指折りのおもちゃ会社アガルタ玩具の社長の一人娘である。お嬢様なのだが、父親は教育に関して奔放な方針があり、公立の小学校に通っている。
ようするに普通の市民の子供達に混ざって普通の小学校生活を送っていた。
しかし、入学したてのみあにはまだ友達が
いて高級マンションに誘ってしまったことで
みあがお嬢様であることが瞬く間に学校中に知られてしまった。
以来、お嬢様であることから敬遠されるようになってしまった。
しかし、それは最初から表立ってはっきりとしたものではなかった。逆にそれがみあと同級生との距離を遠ざけることになってしまった。
お嬢様であるために、仲良くできないかもしれない。そんな不安が友達にあったからだ。それでも表面上でだけなら友達としてやっていけた。みあは煮え切らない態度を取り続ける友達に苛立ちを憶え、とうとう爆発させてしまった。
「あんたたちといるとイライラするわ! もういっしょにいたくないわ!!」
これが決定的になってしまい、みあは同級生と距離を置くようになった。
この事はみあにとっても苦い想い出であった。喧嘩に発展したこの出来事は父親に厳しく注意されてしまったのだ。当時は憧れていた父親からの注意がみあを傷つけてしまい、今では考えられないほど塞ぎこんでしまった。
すっかりおとなしくなってしまったみあは同級生から格好の標的であった。
初めに悪口を言われ、教科書に落書き。元々気性の激しいみあはこれに苛立ちを募らせたが、まだ父親から受けた心の傷を拭いきれず、抑えこむことしかできなかった。そうこうしているうちに同級生からの行為はエスカレートしていった。
さっきみあが言っていた上履きを隠されるのもやられていたから、経験がある。
落ち込みはしなかった。ただイライラは募った。
どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないのか。何かいけないことをしたのか。多分したんだろう。したから親父に怒られた。また同じ事をしたら怒られるんだろうな。
嫌だ。生きている中であれだけ嫌なことを無かった。またあんな想いは二度としたくない。
そう思って無理矢理苛立ちを抑え込んでいた。だが、みあの激しい気性からして相当無理矢理なことであった。
その我慢の限界を迎えるのはそう長くは無かった。
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