第3話 強盗! 魔法少女に玩具は必要ない? (Aパート)

 風情ある下町の雰囲気を残しつつ、新しい建物が立ち並ぶ街並みの中にある一件のアパートがあった。都会に住むにおいて、問題となる家賃が恐ろしく安いが、汚くて狭いため、入居者が定期的に出たり入ったりする優良物件だ。

 そのうちの一室にかなみは住んでいる。会社からもらえる基本月給は、ほとんど借金返済のため徴収されており、少ない給料ではマンションの家賃なんて払えないためにここに移り住んだ。とはいっても、財政が苦しいことには変わりない。今日も会社の元会計担当のマスコット・マニィと一緒に電卓を叩いて頭を悩ませるのであった。

「本日の食費、豚肉と野菜の生姜炒め定食。豚肉はスーパーの特売で、安く入手できたものの、安売り人参は売り切れてしまい、代わりにじゃがいもと玉ねぎを代用で購入したところ、予算オーバーをしてしまった」

 マニィは電卓を叩きながら、まるで日記でもつけるかのように今日の出来事を淡々と語った。

「一応、忠告したのだがな。財布の中身は常に把握しておくべきだ」

「うるさいわね、そんなことわかってるわよ」

 自棄気味に返すかなみはかなり焦っていた。

「明後日は給料日だっていうのに……!」

 生活のために家計簿をつけていたのだが、計画性もなく食事の献立をたてて、簡単に予算オーバーを繰り返しているうちに、先日の光熱費の徴収があって、給料日を三日前に控えた今日、とうとう財布の中身が底をついてしまったのだ。

 今や残っているのはわずかに四十八円程度。

「こんなんで、明日明後日どうやって乗り切ればいいのよ!?」

 その日暮らしで食料の蓄えもないため、本当に弱った。給料日二日前をどうやって乗り切ったらいいか、皆目見当がつかない。よくお裾分けにくる隣のお兄さんも不定期なためあてにならない。まさしく八方塞がりで明日を迎えそうなのだが、かなみはめげなかった。

「こうなったら、あの手しかない!」

「ほう、まだ手段が残されていたとは驚きだ」

 マニィは素直に感心する。

「よおし、そうと決まれば明日に備えて寝るわよ!」

 布団を出して、眠りにつく。どんな時でも寝付きがいいのが、彼女の数少ない取り柄なのかもしれないと電卓を持ったままのマニィは思った。



「うーうー」

 朝食と昼食を抜くのがこんなにも辛いのか。これがあともう一日続くのかと、限りなく無一文に近いかなみは貧乏を呪うのであった。

「かなみさん、具合でも悪いの?」

 出社してタイムカードを入れてデスクにつくと翠華が心配する。

 翠華のデスクはかなみの対面のため、顔がよく見えるのだ。これは翠華が部長に懇願した結果だということをかなみは知らない。

「い、いえ、なんでもありません……」

 かなみは心配をかけさせまいと、なんでもない風に装う。

 とりあえず学校のバッグをデスクに置いてから、部長席に行く。

「やあ、おはよう。かなみ君」

 鯖戸は憎たらしいほどの笑みを浮かべて挨拶をする。しかし、かなみは挨拶をしている気力は無かった。

「部長、お願いがあります!」

「ほう、なんだね?」

「給料を前借りしたいんです!」

「それはダメだね」

 即答であった。ある程度は予想はしていたが、それでもここまではっきり言われると空腹とショックで一瞬絶句してしまうが、それでも退くわけにはいかない。

 こっちは命がかかっているのだから。

「そこをなんとか!」

「ダメなものはダメだ」

「どうしても!」

「どうしてもだ」

 食い下がるかなみに鯖戸は一歩も引かない。この男、爽やかな物腰のくせして頑固なのだ。

「お願い!」

「ダメだ、給料日は予定の日にしか払えない。こう見えても、うちの経営は苦しいからね。予算を確実に確保しておきたいんだ」

「予算ってなんの?」

「色々とだ。そんなに給料が必要なら、用意できないわけでもない」

「本当に!?」

 長期戦を覚悟していたかなみは思わぬ敵の降伏宣言に目を輝かせる。

「ああ、少し待っててくれ」

 そう言って、鯖戸は携帯電話を取り出す。

「ああ、もしもし。カリカリローンですか? こちら――」

「ちょぉっと待ったぁぁぁぁぁぁッ!!」

 かなみは全力でその電話を阻止する。

「ん、何かな?」

「その電話をすぐ止めて!」

 トンとあっさり鯖戸はその要求を受け入れた。

「なんで、よりによってカリカリローンなの!?」

「ん、少し融通してもらうつもりだったんだ。彼とはよく取引なんかをしていて見知った間柄なんでな」

 彼というのは、いきなり自宅に踏み込んできて、拘束して、借金を突きつけて、どこかへ売り飛ばそうとした黒服の男だとすぐに連想できた。

「あんな男から借りるなんて冗談じゃないわ」

「しかし、こうでもしないと君の意見はまかり通らないのだ」

「だったら、給料日まで待つわ!」

 かなみは啖呵を切って、その勢いのままにデスクに戻る。

 戻った途端にかなみは思いっきり後悔する。

(しまった! 勢いあまって、なんてことを!? くぅぅぅ、これがあの男の策略か……! 降伏したと思ったら、降伏させられていた……! ああ、今日と明日どうしようぉぉぉッ!?)

 錯乱しているところに、追い討ちをかけるように腹の虫が鳴り出す。

「…………………………………………」

 それは対面にいた翠華には確実に聞こえたため、気まずい雰囲気が流れる。

「かなみ、お腹空いてるんだね」

 そんな時にいつの間にか隣に座った10歳の赤髪の少女が口を挟む。彼女はみあ、職務経験の上ではかなみの先輩にあたる少女だ。

「え、いえ、そんなことないわ」

「また食事でも抜いたの、節約って大変ね」

「だから、そういうわけじゃないって」

「貧乏って可哀想ね」

「うぅ……」

 哀れみの視線を向けられて、かなみは弱り果てる。

「ところで、こんなものがあたしのデスクにあるんだけど……」

「え?」

 そう言って、かなみはみあのデスクに視線を移す。

「たこ焼きメーカー?」

 そう書かれた箱が置いてあったのだ。

「なんでそんなものがみあちゃんのデスクにあるの?」

「さあ? 部長、何か知らない?」

「たしか、それは君当ての宅急便だといって昼間やってきたものだ」

 そう言われて、かなみはそれを不審に思った。

 かなみはこの会社に働いていることを秘密にしている。学校の友達、教師、近所、そう言った人達に知られないようにしている。それは部長からは企業秘密にしなければならないと言われているからだ。『魔法少女の正体は誰にも知られてはいけない』、小さい頃見た魔法で変身する少女のアニメのお約束に則ってのことだと思った。まあ知られたら解雇処分だと言われたらどの道、従うしかないのだが。

 というわけで、同じように会社で働いている翠華やみあも秘密にしているはずだ。だから、会社に直接宅急便で贈り物が届くなんてありえない。何かの手違いか、もしくはみあは秘密にしていなくてもいい事情でもあるのか。

「うーん、開けてみよっか」

 とりあえず、みあは封を切って箱を開ける。出てきたのは、よく雑貨屋で売っているたこ焼きメーカーだったが、みあは同封されている解説書を開いて読み上げる。

「なになに……この「全自動たこ焼きメーカー」は我が社が開発した自慢の一品です。なんと材料を流し込むだけで焼き上げてひっくり返して、おいしいたこ焼きを作ってくれます……」

「すごい、そんなものがあるんだ!」

「材料を用意して流さないといけないから、全自動じゃないわよね」

「あ、そうね……」

 辛辣なコメントだ。おそらく煽り文を考えた人がこの場にいたら間違いなく硬直していただろう。

「あ、続きがあったわ。なお、今回はお試しとして材料一式を付けさせてもらいます」

「い、一式!?」

 かなみは驚愕して、箱の中身を見た。

 中にあった特製たこ焼き粉と調味料はともかくとして、なんと切り刻まれたたこと卵もある。

「だ、大丈夫なの、これ?」

 思わず、首をかしげたくなるほどこの二つが宅急便で送られてくることに疑問を感じた。

 たこは冷凍なのかもしれないが、卵はそんなわけにはいかない。『割れ物注意』以上に気を使わないほどに割れやすい代物だ。まあ実際こうして無事に届いているわけだからもう気を使う必要はないが、生鮮商品が二つもある時点でかなり胡散臭い。

「大丈夫でしょ」

 みあはあっさりと答える。それは子供ながらの無邪気さからではなく、「大丈夫だ」という確信を持っていることからくる大人びた言動だった。

 ただそれでもかなみは納得できない。

「送り返したら?」

「それはできないわ、せっかくの試作品なんだから」

「し、試作品……?」

「からモニターを頼まれて、試作したおもちゃを試してほしいって言われてるのよ」

「ち、から、モニター……?」

 みあの言っていることがだんだんわからなくなってくる。

「たまに送られてくるのよね。まったく材料まで送ってくるなんてどういう神経してるのかしら? 脳みそこねくり回して問い詰めたいわ」

「おう! こねくり回されるのって気持ちいいのかい!?」

 テンションの高い声がみあのデスクから聞こえてくる。彼はホミィ、馬のぬいぐるみでみあ専属のマスコットだ。彼はいつもこんな調子でテンションが、特にみあと会話するときはやたらと高い。

「気持ち悪いに決まってるわよ。なんなら試してみる?」

 封入されていたピックを手にとって、みあは笑う。その笑みは鉄のピックに反射してピカンと光ったように見えた。

「おー、そいつは是非お願いしたいが、俺には脳みそなんてないからできないんだぜッ! 残念だね、ホント!」

「チィ、つまんない」

 一瞬舌打ちが聞こえたが、気のせいだと思いたかった。みあとはまだ話したことはあまりないが、それでも小学生ながら仕事はちゃんとこなすいい子という印象はあった。

 それでも時折、こういった態度でホミィに接しているので単なるいい子ではないことは薄々気付いているが、

(怖いよみあちゃん! 女の子がそんなものもって脳みそこねくり回すとかピック持ちながら言わないでよ!)

 とかなみは内心思っていた。

「まあ、せっかく材料があるんだからやってみましょうか」

「「えッ!?」」

 これにはかなみも翠華も驚いた。

「こ、ここで?」

「みあちゃん、そういうのは帰ってからにした方がいいよ」

 かなみは忠告したが、みあは首を振る。

「もうやると決めた」

 そう言ってみあは材料をボールに流し込み、割った卵を入れる。

「は、始めちゃった……!?」

 戸惑うかなみと翠華は鯖戸を見る。だが、鯖戸はみあの行動を止める気配は無い。

「部長、いいんですか?」

 翠華が訊くと、鯖戸は穏やかに答える。

「ああ、これも仕事の一環だ」

「マジで?」

 かなみが呆気に取られているうちに、みあはもう本体にたこ焼き粉と卵、調味料を混ぜた液体を流し込む。電源を入れた本体はすぐに加熱され、プツプツと小さな音を立てて焼き上げられていく。

「うぅ……この匂いは……!?」

 焼かれていくたこ焼きのかぐわしい匂いが空腹で限界寸前のかなみの腹に直撃する。

(た、食べたい……!)

 突然襲ってきた食欲に身体が勝手に動いた。

「みあちゃん、それ食べさせて!」

「ダメ」

 鯖戸の時のように、みあは即答される。みあはまだ可愛げがあったものの、切羽詰ったかなみにはそんなこと気にしていられなかった。

「お願い、一つでいいから!」

「ダメ、一つもあげない。あなたのお願いを聞く義理なんて無いんだし」

「そこをなんとか……!」

「年下にお願いするお姉ちゃんってみっともないよね」

「みっともなくてもなんでもいいからお願い!」

「うわ、惨めったらしい……」

 そんなこと言われても退けない。こっちは生命がかかっているんだ。これ以上この匂いに晒されたまま、何も口につけなかったら生命に関わる。

 そう本気で考えていたところに、焼きあがりかけたたこ焼きが自動で回転する。

「ああ、もう我慢できない!」

「わあ!?」

 空腹のあまり、理性を失ったかなみはもう本能のままに熱せられたたこ焼きメーカーに手をかけた。

「あちゃあああああああッ!!」

 空腹の腹のどこにこんな力が残されていたのか、信じられないほどの悲鳴が腹の底から出る。それほどまでに熱かったのだ。周りが見えなくなり、床でのた打ち回るほど熱かった。

「う、うぅ……」

 なんとか熱が冷め始めたところで、上を見ると頭上からひっくり返されて宙を舞うたこやきメーカーが見えた。



「う、ん~……」

 額の冷たい感触でかなみは意識を取り戻した。見えたのはビルの休憩所の天井だった。

「あ、かなみさん、気がついた」

「翠華さん……私、どうなったの?」

 訊いた時には脳裏で、意識を失う前の出来事を思い出す。確かたこ焼きメーカーと焼き上がる直前のたこ焼きがいっぺんに降りかかってきて、たこ焼きは身体にまとわりついて、メーカーは思いっきり額にぶつけて、熱さと痛みで失神してしまったのだ。

「かなみさん、三時間くらい気絶していたのよ」

「ええ、三時間も!?」

「おかげで今日は仕事はできないって部長は嘆いていたわ」

「嘆いていた……あの部長が……?」

 あのいつも人を食ったような態度をしている鯖戸がそんな感情を見せるなんて想像できない。

「ええ、ちょっとだけ、だけど」

「それはそうですよね。ところで翠華さんが介抱してくれたんですか?」

「ええ、三時間タップリとね」

 その「タップリ」の語感に疑問符はつくものの、感謝の気持ちがまさった。

「恥ずかしいところを見せてすみません、介抱してくれてありがとうございました」

「いえいえ、好きでやったことだから」

 本当にかなみが好きで、介抱させてくれと鯖戸に直談判したのだから、まったく迷惑に思っていない。むしろかなみの寝顔を三時間もじっくりと眺められて幸せでいっぱいだった。

(なんて、かなみさんに言ったらドン引きされるから顔にも出さないようにしないと……)

 想いを内に秘めたままは辛い。だけど、この想いを解き放って嫌われるのはもっと辛い。そう思い、翠華は内に秘めたままかなみに接するのであった。

「いつかお礼はします」

「お、お礼!?」

 その言葉に翠華はあらぬ妄想が働いた。

 今のかなみは無一文、ということは身体でお礼するという意味ではないか、と。

「いえいえ、そんなものいらないわ!」

 そう強く言って翠華は自制心を効かせて、その場から走り去った。

「翠華さん……?」

 そのあまりの勢いにかなみは圧倒された。

 しばらくして落ち着くと、身体のあちこっちが痛みだした。おそらくやけどの痛みだろう。

「仕事しなくちゃ……」

 それでも生活のため、給料のため、休んではいられない身だと無理をおして立ち上がる。

「ん……?」

 階段の陰から人影が見えた。それがあまりにも小さかったので誰なのかすぐにわかった。

「みあちゃん?」

「――!?」

 陰に隠れていたみあは驚きですくみ上がる。

「な、なに? 私、今かくれんぼしていたところなの」

「だったら、みあちゃんはかくれんぼ下手なんだね、すぐに見つかったよ」

「う、うるさい……!」

 みあは不機嫌顔でそっぽ向く。しかし、こんな隠れる場所が少ないビルでかくれんぼだなんて妙だった。それに鬼の人がどこにもいないことから、かくれんぼが嘘だとわかった。

 だったら、彼女は何をしていたんだろう。意識を失う前の出来事を思い返すとすぐに想像がついた。

「みあちゃん、心配してくれたの?」

「ち、違うわよ。あなたなんて貧乏人、心配なんてするわけないでしょ」

「アハハハ、貧乏人はきついな……」

 かなみは思わず苦笑いする。

「まあ、私が意地を張ったせいで、ヤケを起こしたのは事実だし。後でマニィから訊いたら、財布が底をついて朝から何も食べていないひもじい想いをしていたって言うんじゃない。だったら一個ぐらい恵んでもよかったかなって反省はしたわ」

「みあちゃん、遠慮ないね。色々と傷ついたよ……」

 しかし、そうは言っても傷ついていないのが本音だった。それというのも、みあがまがりなりにも謝っているようにも感じられたからだ。

「それは悪かったわね。お詫びと言ってはなんだけど、ご飯ぐらいならご馳走してあげる」

「え、今なんて?」

 あまりの空腹で幻聴でも聞こえたかと思った。

「だから、ご馳走してあげるって言ってるのよ。何度も言わせないで」

 今度こそ確かに聞いた。もちろん幻聴などではない。

「い、いいの、ご馳走してもらっても?」

「だから、何度も言わないで頂戴」

 それは「いい」と言っているも同然だった。無性にこみ上げてくる喜びと嬉しさについ身体が動いてしまい、みあに飛びつく。

「わあッ!?」

 みあは愕然として、かなみを受け止めて、そのまま倒れこんだ。

「ちょっと何よ!?」

「ありがとう、ありがとう! このまま、明日になったらどうしようかと思っていたのよ!」

 溢れ出る感謝の気持ちを全身で表したかった。地面を打った痛みも忘れ去るほど嬉しくて、かなみは礼を言い続けた。みあにとっては迷惑以外の何者でもなかったが。

「わかった、わかったから離れさない、この卑しい貧乏人が!」

 今は何を言われても気にならなかった。とりあえず飢えを凌げる目処がたったのだから、多少の罵声なんて歓喜で打ち消せてしまった。



 それからオフィスに戻っても、「今日は帰っていい」としか鯖戸に言われなかった。まあ、たこ焼き騒動が起こした上に三時間も意識を失っていたかなみが使い物になるのかどうかと考えたら、妥当な判断だったかと思う。

 何より極限状態の空腹で仕事をやれるのかどうかと訊かれたら、無理だと答えるので素直にありがたいのが正直な気持ちだ。

 ともかく、思ったよりも早く仕事を切り上げることができたかなみは、何故か同じく早く帰ることになったみあとともに帰路につく。

 そこで問題のご馳走なのだが、みあの家でもらうことになった。

「みあちゃんってこんなところ住んでるの?」

 そう言って見上げたのは高層マンションであり、中に入ってみて、その綺麗に清掃された廊下、関係のない人間は絶対にはいれなさそうなセキュリティはどこからどう見ても高級マンションのそれであった。

「ええ、階も家賃もすごく高いの」

 借金まみれのかなみにとって、家賃は死活問題なので笑えない冗談だった。

 エレベータに乗って、みあが押したボタンが「五十六」だったので、かなみは驚愕した。

「さ、ここだよ」

「む……息が詰まりそう……」

 扉を開けて、部屋の豪華さを見た感想がそれだった。廊下以上に清潔に整えられた壁や床に、光り輝く装飾に彩られたシャンデリア。それに照らされたリビングもよく漫画で出てくる貴族の食卓のように華やかだ。

「大したことないわよ、どうせ人がいたら汚れるんだから」

「はは、そうね」

 みあの言葉にはどうも刺を感じる。ここに帰ってくることが不快だと思っているのか。

 こんな凄い部屋なのに、何が不満なんだろうと、かなみには理解できなかった。

「さて、約束のご馳走だけど……」

 そう言って、みあは台所にある天井にまで届きそうな冷蔵庫を開ける。

「あ、あった!」

 みあは冷蔵庫からラップされた皿を取り出す。

「出張シェフが来て作ってくれてるの。いつも知らないうちに来て、知らないうちに帰っちゃうの、まるで妖精さんみたいでしょ?」

「え、ええ、そうね……」

 出張シェフ? 一体それは何なのか、語感からくる意味合い以上のことはわからない。ともかくまともな料理ならなんでもありがたいところだ。

「じゃあ、チンしてから食べよう」

「うんうん! 暖かいのは最高だよね~」

 みあは冷蔵庫から出した皿を次々と電子レンジに入れる。

「でも、こんなところに住んでるなんて、みあちゃんってお金持ちなの?」

「アガルタ玩具って聞いた事ない?」

「ああ、おもちゃのメーカーでしょ。知ってる知ってる、私よくアルヒ君やミーアちゃんのおもちゃで遊んだよ」

 この二つは昔から根強い人気の男女ペアの人形で、持っていない女の子はいないとまでいわれているほど有名だ。その「アルヒ君とミーアちゃん」の人形を作っているのがアガルタ玩具で、おもちゃが好きな人なら誰でも知っているほどの大手メーカーだ。

「私のオヤジ、そこの代表取締役社長なの」

「は……?」

 いきなり、しかも当然のようにあっさりとみあはそう告げた。

「だから、代表取締役社長なのよオヤジ」

 大事なことなので二回言われたが、驚きで思考が止まる。

「ええぇぇぇぇぇッ!?」

 ようやく理解が追いついてきたところで、声となって出る。

「そんなに驚くことじゃないでしょ?」

「いやいや、そんなに驚くことよ! だって社長の令嬢なんて、世の中何人いると思ってるのよ!?」

「そんなの知るわけないでしょ」

「私も知らないわよ! でも、凄く少ないってこと! 希少種なのよ!」

「人を絶滅危惧種みたいに言わないでくれる? そんなこと言ったら、今時借金と家賃のせいで飲まず組まずやってる女子中学生のあんたの方がよっぽど珍種よ!」

「ひ、ひど……!」

 容赦無い反撃にさすがにかなみも傷ついた。

 というか、騒いだ反動で気にならなくなってきた腹の疼きが再びやってきた。

 ググー。とてつもないほど大きな腹の虫が鳴る。

「あうう……もうダメ、限界……」

 かなみは綺麗で高級そうなテーブルに倒れ伏す。そこでチーン、と電子レンジが時報のように鳴る。

「さあ、どうぞお食べ」

 みあはまるでペットに餌を差し出すかのようにかなみに料理を出す。

「うん、いただきます!」

 しかし、かなみはそんなことは気にしなかった。今は食事にありつけられたら何でも良かった。

「おいしい! おいしい!」

「す、凄い食いつきね、どんだけ飢えてたのよ……」

 みあはドン引きしているが、それでも料理の皿をとってくることをやめない。

「こんなにおいしいの初めて! っていうか、みあちゃんは食べなくていいの?」

「ご心配なく、ちゃんと自分の分は確保してあるから!」

「そう、じゃあ、遠慮はいらないね!」

 さらに加速させて、かなみは皿を平らげていく。

 全部食べ終わる頃にはもう空腹は満たされていた。

「ごちそうまでした!」

「随分食べたわね……いつもはオヤジと二人分だから、多かったはずなのに?」

「え、これお父さんの分だったの!? あわわ、私はなんてことを!?」

 みあは今更ながらにあわてふためくかなみを見るのは楽しくて仕方がなかった。

「そうね、社長の分を食べちゃったんだから処分されるんじゃない?」

「しょ、処分!?」

「大手メーカーの社長って結構裏の繋がりとか持ってるから、下手したら……」

「下手したら?」

「……消されるかも」

 全身から鳥肌が立つ。もしかして、今にも黒服の男がやってくるのではないかと恐怖で思いきり取り乱す。

「ひえぇぇぇぇッ!?」

 情けない悲鳴も上げた。とにかく、やれるべきことを考えるんだ。原因は社長の食事を食べてしまったことだ。食べ物の恨みは恐ろしい。今まで言われてきたことがまさかこんな形で現実になるなんて思わなかったが、まだ取り返しがつくはずだ。考えろ、考えるんだ……ッ!

「あはははははッ!」

 そこへ、みあの笑い声が聞こえ、腹を抱える彼女の姿があった。

「みあちゃん……? どうしたの?」

「ハハハハ、た、ただの冗談で、あんまり、面白い反応するもんだから、面白くて面白くて、あははははは、くるひ苦しい!」

「じょ、冗談……?」

 今本気で悩んだのはなんだったのかとかなみは呆然とする。

「い、一体何を考えてるのよ!?」

「え、かなみをからかうこと」

「からかうじゃないでしょ、本気でどうしようかと思ったんだから!」

「だ、だからおかしくておかしくて、アハハハハ!」

「思い出し笑いするなぁッ!!」

 まったくなんて娘なんだろう。人をおちょくって楽しむなんて悪趣味もいいところだ。

「オヤジは帰ってこないから、食べても問題なかったのよ」

「帰って、こない?」

 その一言がやたらと気にかかった。これまでのみあとは何か印象が変わるようなものだった。

「そう、オヤジが帰ってくることはあんまりない。社長だからね、社内にこもりっきりなのよ」

「まあ、社長だからね……でも、娘を一人にするなんて……」

「だから、あたしは魔法少女になったのよ。そうすれば退屈しなくてすむからね」

「そ、そんな理由で?」

 かなみは信じられなかった。自分がいきなり借金を背負わされて、それを返済するために入社した経緯、奇妙奇天烈な仕事内容を考えれば翠華やみあにも自分と同じような複雑な経緯があるのかと思っていたからだ。

「そうよ。おかげで一人で家にいなくてすんでるけど」

「そうなんだ……」

 だがしかし、今のみあからは寂しさを感じられる。それは9歳の少女が親がいない状況で一人家にいるなんて想像しただけでも寂しい。

 すっかり慣れたとはいえ、両親がほとんど海外出張で家を空けていたかなみも経験があった。一人で過ごし続けなければならない部屋は広く感じ、だんだんと心細くなっていく。

 この部屋は本当に広いため、その寂しさはより一層強くなっていくのだろう。自分をこの部屋に招き入れたのもその寂しさを紛らわすためだったのかもと考えてしまうほどだった。

 なんとかしなくては……と。かなみはふと窓を見る。外はもう真夜中で少女が一人歩いて帰るには少々危険な時間帯だ。

「ねえ、みあちゃん。今夜はここに泊まってっていい?」

「……え?」

 みあは思いもしなかった発言に、思わず驚き、同時に戸惑う。

「もう今夜は遅いし、今から帰るんじゃ、ねえ……」

「どうせ、盗まれるような金もないくせに」

「う……」

 確か財布に残っているお金は四十八円しかなかったはずで、みあの言っていることは耳に痛い事実だった。

「まあしょうがないわね、どうしてもって言うんなら泊めてあげてもいいわ。いくらでも広いんだから一人や二人いても問題ないんだし」

「うん、ありがとう!」

 かなみは笑顔で礼を言う。憤慨するとみあは思っていたので、その笑顔に面を食らった。

「おかしな人……」

「それじゃあ、まずはお風呂からね」

「お風呂なら向こうだけど」

「そうじゃないよ」

「そうじゃない?」

 そう答えられて、みあは何を考えているのかと訝しんだ。

「一緒に入るのよ!」

「ええッ!?」

 かなみはすぐさまみあに手をかけて、引っ張る。

「ちょ、ちょっと、あたしは一緒に入るなんて!」

「いいからいいから! せっかくなんだし、一緒に入らないとね!」

「わけわかんない!」

 しかしみあの力は弱く、強引に引っ張るかなみに結局押し切られてしまった。

「…………………………」

 湯船に入ってからずっとみあは仏頂面で無言だった。

「みあちゃん、せっかくだし何か話そうよ」

「話すって何を? その貧相な身体のこと?」

 思いもよらなかった意地の悪い一言に、かなみはムキになる。

「何よ、こっちは食うや食わずの生活を続けているだから仕方ないんだからね!」

「やっぱり貧乏人は身体も貧相なのね」

「ムキー、そっちだって似たようなものでしょ!」

「こ、これは成長期だからよ! これから大きくなるのよ!」

「私だって、まだまだ成長期なんだからね!」

「はあ? あんたはそこでストップに決まってるでしょ、今更どうあがいても手遅れよ!」

「手遅れかどうかはやってみないとわからないでしょ!」

 かなみは水面を叩いて諦めていないことを主張する。

「わかるわよ、借金で沈む身体に成長なんてあるわけないでしょ!」

 それが気にさわったみあはかなみに水をかける。

「ぶはぁ、沈んでたまるかぁってのよ!」

 負けじとかなみも応酬する。

 大理石でできた風呂場は二人が罵声と温水を浴びせ合う戦場となった。



 風呂場から出た二人はすっかり疲れきっており、いつもは仕事のせいで起きていても平気な時間帯だというのに眠気に襲われた。

「まったく、お風呂に入るだけでなんでこんなに疲れるのよ……」

「でも、楽しかったよ。二人で入るなんて久しぶりだったし」

 かなみにとって本当に最後に両親と入ったのはいつだったのか、思い出せないほど久しぶりだった。

「ふん、まあ貧乏暇なしっていうだけあるわね。のんびりお風呂の時間一つでも騒がしく過ごせるなんて初めてよ」

「それは褒め言葉と受け取っておくわ」

「どこをどう解釈すればそうなるのよ」

 みあはフンと鼻を鳴らしたあとにあくびをする。

「もう眠くなってきたわ……いつもよりちょっと早いわね」

「だったら、もう寝よう。早寝は三文の得って言うし」

「それを言うなら早起きでしょ」

「あ、そうだったか……まあ、どっちも似たようなものでしょ」

「まったくこれだから貧乏人はなんでも金銭換算するんだから」

 みあは呆れながらも自分の部屋へとかなみを案内する。

「こっちよ」

 かなみはどうしてみあが自分の部屋に案内してくれるのかわからなかった。これから寝るのだから、寝る場所だけでも指定してくれればいいのに、と思っていたのだ。

 みあの部屋は予想していた通り、いやそれ以上に煌びやかな装飾が施された宮殿のお姫様の私室をそのまま現実化させたような作りだった。勿論ベットもシックなベールと綺麗な花の刺繍のあるシーツと部屋と見事なまでに一体化している。

「凄い……みあちゃん、こんなベットでいつも寝てるの?」

「私のベットなんだから当たり前でしょ」

「いいなあ、私も一度でいいからこんなベットで寝てみたいなあ」

 それは今の生活を考えたら、夢のまた夢の話だ。

「なら、寝てみる?」

 だからこそ、みあの一言は本当に不意打ちだった。

「え、寝るって?」

「……一人じゃこのベットは広すぎるのよ」

 みあはそれ以上何も言わずにベットに行く。かなみは一歩ずつ確かめながらみあの部屋に入っていくが、みあは何も言ってこないし、嫌がっていないところを見ると歓迎されているようだ。

「いいの?」

「一度でいいから寝てみたいんでしょ、そんな夢ぐらい私が叶えてあげるわよ」

 かなみは断る理由は無かったし、何よりもみあを一人で寂しい想いを密かにしていると思っていたからこそ、それを少しでも紛らわせてあげようと泊まると決めたのだから、ものすごく望ましいことだ。

 一緒に寝るというのは心強い。かなみは自分の部屋が与えられるようになってから、しばらくは一人で眠れなく両親の寝室に忍び込んだものだ。と母と暖かい温もりにどれだけの安らぎを憶えていたことか。

 今、まさに自分があの時の両親のようになる時だとかなみは覚悟を決めた。

「じゃあ、遠慮なく夢を叶えるわ」

 かなみはみあに続いてベットに入り込む。

「わあ、気持ちいい!」

 思わず驚嘆の声を漏らすほどに、弾力が段違いに凄まじかった。

 普段使っている固くて感触の無い布団やまくらとは雲泥の差だ。これなら毎日安眠できる。今度模様替えして上質な寝具に買い換えようかと一瞬本気で考えたほどだ。

「ありがとう、みあちゃん」

「べ、別にお礼を言われることはしていないわ」

 みあは顔を反対に向けて答える。

「でも、このシーツ最高ね。私も買おうかな」

「貧乏なのに、そんな余裕あるわけ?」

「必要なものなら無理をしてでも買う。貧乏とケチは違うのよ」

「ふうん、よくわからないわ。そんな底辺は」

 嫌味を言われているようだが、気にならなかった。今はこのシーツの羽毛とベッドの弾力で夢見心地な気分で、腹を立てる気にもならなかった。

「それにしても大きいわねこのベッド。確かに一人じゃ持て余すよね」

「すぐに大きくなるから、問題ないわよ」

「ううん、大きさの問題じゃないよ」

「どういうこと?」

「大きすぎると自分なんて一人だって思い込まされるってことよ」

「意味わかんない」

「フフ、私にもわからない」

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