#5 ある無名インターネッツ物書きの停止
いつものように起床した後、小説投稿サイトを開いた穐山は、トップページの最も目立つ部分に見覚えのある作家名と作品名が載っているのに気付いた。
ユーザーが最も目につくトップページの上部には、大々的にバナーが張り付けられている。内容はサイトに投稿された作品が、出版社によって正式に書籍化されるというものだった。こういった告知自体は、昨今特に珍しいことではない。今やWEB小説が書籍化、アニメ化するのはありふれた話で、穐山が日頃使っているサイトでも、過去に何度か商業化した作品が現れている。
この手の告知を普段は読み流している穐山だが、今回に限ってはそうはいかなかった。バナーに書かれているのは彼の宿敵である白滝のペンネーム、時津蒼の名であり、その上に彼女の連載していた異世界転生系の小説のタイトルが大きく目立つように書かれていた。
見間違えか寝ぼけているのかと己を疑った彼は、何度かF5キーを押してページを更新するが、やはり書かれているのは白滝のペンネームと作品名である。
バナーをクリックしてリンクを開くと、小説のイラストと共に書籍化に関する詳細が書かれている特設ページが開いた。既に挿絵を担当するイラストレーターも決まっており、ビジュアル化までされていたため、登場人物の紹介ページではイラストまで載っている。また出版に関しては、ライトノベル業界における大手の出版社が行うと書かれていた。
穐山は目を疑いつつ、手を震わせながらも、無心でマウスを動かした。特設ページのリンクを次々と踏んでいたが、内容はろくに頭に入っておらず、ただ書籍化することだけは咀嚼出来た。
一通り特設ページを確認し終えると、手が自然にブラウザを閉じた。穐山はしばらくの間、呆然としていた。まずは、白滝から書籍化するという話を全く聞いていなかったこと。そして次に彼女がプロのライトノベル作家としてデビューし、もう自分とは同じ地点にはおらず、独り取り残されてしまったという感覚が、ぞくっと背中を襲ってきた。
彼は少なくとも、互いに投稿サイトに居座っているだけの段階であれば、対等な地位にあると思っていた。ただし地位と言っても名誉を気にしているわけでなく、同じ高みに立つ良きライバルとして、そして仲間として対等にいられると考えていたのである。同じ箱の中で戦い続ける限りは――。
だが彼女は、時津蒼は箱から抜け出し、更なる高みへと登った。同じ地点にいた者はかつての場におらず、プロとアマチュアという絶対的な立場の壁を築いたのだ。
穐山は己の愚かさに布団へと倒れ、ギョロギョロと天井を見回した。息も荒くなっている。
白滝が活躍出来る場所へ踏み込んだのは、喜ばしいことだ。賞賛すべきことだ。だがそれよりも、いつまでも進歩出来ず、踏みとどまっているだけの自分があまりに情けない。PVだのランキングだの、そんな次元ではない。誰にも読まれず、文字に変換されただけの塵のような二進数の羅列を書き、垂れ流しているだけで一向に変化のない自身に苛立つ。
白滝という人物の成功者によって穐山が行ったのは彼女への賞賛ではなく、自己否定と自己嫌悪の限りである。何も変えられず、高みに及べない檜枝マサムネという男を叱責した。
しばらく点々と散らばった天井のシミを見詰めて、ふと我に返った彼は授業の開始時間が近いことに気付き、急ぎ支度する。この間、彼は何かに憑かれたようにただ手だけを動かし、定まらない視点のままで家を出た。
講義はまるで頭に入っていなかった。板書はノートに記録していたが、理解するまでに至らない。同じ講義を受講している白滝とは、講義の開始前に顔を合わせたが、穐山は話題を切り出せず、軽く挨拶を交わしただけで、彼女もまた自ずから書籍化についての話を持ち出そうともしなかった。
白滝や彼の学友は、穐山の明らかな異変に気付かないわけがなかった。話しかけても「ああ」とか「そうだな」とか気の抜けた返事ばかりをする上に、目の焦点が合っていない。床の方を見つめながら、薄笑いに近い表情を浮かべたままの彼からは、堅実さも厳粛さも失われている。
当人はというと、一日の記憶のほとんどが曖昧になっている。何を学んだのかも、食べたのかも、話したのかも、あらゆる場面での記憶が半端にしか残っていない。そんなことよりも脳裏によぎってしまうのは、自分の愚かさへの後悔だけだった。自分のやってきたこと、自分が信じてやってきたこと、自分を変える力のない愚鈍さ故の後悔。
もしも柔軟な判断、行動の出来る人間であれば、今と違う結果になれたのではないか。白滝に――時津蒼に並ぶ物書きへと昇華していたのではないか。檜枝マサムネに足りなかったのは、本当にそれだけだったのだろうか。
疑問を上塗りする疑問がどこからともなく沸々と浮かび上がり、答えのない難題を繰り返しては問い続ける。
瓦礫に埋もれる停止したブリキのロボットのように、穐山は抜け殻と化していた。
白滝の書籍化を聞いてから一週間、穐山は文芸サークルには顔を出さなくなり、次第に授業もあまり出なくなった。
彼がサークルに出席しなくなり、サイトで白滝のWEB小説が書籍化が発表されて一週間経った頃、白滝は書籍化の決定を正式に部室で発表した。活動へ対する意欲が米粒程しかないサークルの面々も、幹事の輝かしい功績を知れば無関心ではいられない。ヘッドフォンから漏れた音楽や雑談の声しか行き交わない部室にも、今日ばかりは拍手喝采が鳴り響く。
メンバーたちを前にしてさすがの白滝も赤面するが、彼女の前には穐山だけがいない。活動には生真面目に参加している穐山の不在には、名藤や諸越も物珍しさに首を傾げていた。こういった場においては、彼が出席しない方が不自然なのだ。それどころか、最近はサークルに顔も出してない。常連メンバーの何人かの中には、突如姿を現さなくなった彼を心配する者もした。
白滝の口から発表されたのは、概ねサイトで告知されていたものと同じ内容だった。それ以上は守秘義務だのなんだので、口外を禁止するという契約にある。つまりは書籍化に伴って様々なプロジェクトが並行しているのだが、彼女は家族や親しい人物たちにも情報は伏せていた。
メンバーたちへの発表を終えてほとぼりが冷めてきた頃、名藤は機を見計らって白滝に近寄った。
「あの、先輩。少しいいですか」
「ん、いいよ。どしたの、なっちゃん」
「穐山先輩のことなんですけど、今日は出席してないんですね」
それとなく、名藤は穐山の話題を持ちかける。
「そうだねぇ。いつもなら律儀に顔出すんだけど」
「こういった大々的な発表がある時には、欠席しそうにないんですが。何か知りませんか?」
そうだねぇ、と再び同じ言葉を口にして、白滝はしばし濁した。講義が始まる前のやり取りを思い出す限り、体調が悪いようには見えなかった。どこか上の空だったが、会話は成立していたし、別段顔色が悪かったわけでもない。ただ最近はサボりがちになって、同じ講義であるのに彼を見ない機会が多くなっている印象を受けた。
「今日だけじゃなくて、最近も出席していないみたいですし」
「一応講義では見かけるよ。でも病気で体調が悪いってわけじゃないみたいだし、サークル倦怠期なのかもね」
「じゃあ何も知らないんですか?」
「わたしはね。気になるんだったら、アッキーの家に行ってみたら? ここから近いしさ」
あからさまに平静を装っていると、名藤はすぐに察した。穐山の話題を出した途端話し方に余裕がなくなり、目線がぎこちなく宙を彷徨っている。
むしろ彼の動向が気にならないわけがないだろうと。後輩である名藤は口には出さなかったが、白滝の心中をふとした仕草から考えた。
「……先輩も一緒に行きませんか? もしかしたら穐山先輩、具合が悪いのかもしれませんし」
「うーん、そうだねえ」
苦笑して誤魔化し、首を横に振った。
「やめとく。課題が立て込んでてね、レポート。手書きで提出って言われてて時間かかりそうだから、また今度の機会にしとくよ」
今日日手書きだなんて時代遅れだよね、などと取り留めのない話を続けるが、声にはさっきまでの活気はなかった。
「はあ……そうですか」
「何があったのかはわからないけどさ、アッキーに元気出すよう言っといてよ。暗い顔ばっかしてないで、背筋伸ばしてシャキっとしなって」
「……わかりました、伝えておきます。では私は先輩の家に行きますから、今日はお先に失礼します」
「うん、気を付けてね」
手荷物をまとめて部室を出る名藤の背中を見送り、手を振っていた白滝は、扉が閉まるなり枯れた花を見るような顔をした。
わからないわけがない。どうして穐山がサークルに出席しなくなったのかも、講義に参加しなくなったのかも、話しかけても虚ろになっているのかも――そしてここ数日、檜枝マサムネの作品が頻繁に更新されているのかも。
彼女は自身の書籍化が公式に発表された時から、穐山の様子がおかしくなっていたことに気付いていた。自意識過剰ではないかと疑ったが、白滝の頭に思い浮かぶきっかけと言えば書籍化の話くらいだ。
穐山のことだから、毎日サイトをチェックするだろうし、告知を見ていないわけがない。きっと特設ページだって見たはずだ。隅々と、丁寧に。
白滝は彼の行動を次々と思い浮かべた。そして最終的に至った疑問とは、これだった。
――わたしの書籍化を知ったアッキーは、どう思ったんだろう。
応援してくれるだろうか。
褒めてくれるだろうか。
笑顔で祝ってくれるだろうか。
だが期待した結果とは違っていた。躍進を遂げた彼女を見た穐山が出した答えは、自身の無力さへ憎しみだったのだから。
白滝は彼の答えなど知らない。だから、どうして彼が無気力な生活を送るようになり、小説の執筆だけには活力を注ぎ続けるのか。彼の行動原理を理解しかねた。
無論、なぜ穐山が短期間で小説の更新だけに注力し、白滝のいる高みへと手を伸ばして追いつこうとしているのかも。
互いに思うことも、考えることも、何一つ理解など出来るわけがなかった。
二人が対極に座するものだからこそ、求める
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