第一章・笑美3

二人とも早起きがたたってうとうとしてた頃、電車が終点に着く。ここまではデートとか、コスメや制服のブレザーの中に着るカーディガンなんかを買いに~とかでよく来るし、保の勤め先の最寄りでもあるし、るんに至ってはここから県を跨いで学校に行く。目が飛び出そうな額の定期を、毎月貰ってるはずだ。こっから私たちは、東京行きの特急に乗る。二時間半も乗ってれば、東京駅だ。そこから山手線に乗り換えて漉磯先輩の部屋の最寄りへ、って流れらしい。すぐ無くすからって理由で、ここでようやく東京の名前入りの特急の切符を渡された。どことなーく抜けた先輩だけど、物の管理はうっかり者の私よりはマシだから、お任せしてる。最初、顔だけ見て釣り合わないよな……と自信を無くしてたけど、今思えば私たちはどっかネジが緩い者同士、お似合いなのかも知んない。

「あ。先輩からだ」

 寛軌先輩が、ぶんぶん鳴ってる携帯を手に取る。これからお世話になる漉磯先輩に、私は会ったことがない。ちょっとの間でも同じ部屋に住むのだから、先に一度は会っておきたかったけど、仕事が忙しいらしくて、結局今日に至るまで実現しなかった。だから、はじめまして、と同時に生活が始まる。合わない人だったらやだな、と思うけど、まあその方がさっさと出て行きたくなるってことだからいいか、と楽観視しといた。

「ウス、大丈夫ッス。このままいけば、午前中には。……はい、楽しみにしといて下さい」

 体育の成績は大したこと無いくせに、体育会なノリで寛軌先輩が応えてる。グラウンドで体育の授業でサッカーしてる先輩を、一度教室から眺めたことがあるんだけど、見なきゃよかったって後悔した。勝手に美化してた私も悪いけど、先輩はぶっちゃけ戦力外だった。先輩のクラスはサッカー部も多いらしかったから仕方ないけど、ボールに触ることは殆ど無いし、ボールを追いはするけど、走り方もフォームがなってなかった。そこがちょっとだけ、運動音痴な愛すべき弟、るんとダブる。因(ちな)みにるんはマット運動さえ満足にできない。弟に関しては、可哀想だから勉強だけさせてあげてって思うことが何回かあった。まあ、先輩に至ってはそれも無い訳だけど。

ぶっちゃけた話、先輩は結構、顔だけだ。

電話を終えた先輩の目つきがちょっと変わる。

「お前いま、失礼なこと思ったろ」

 普段は激鈍(げきにぶ)いくせに、こういうところは見抜くんだなあって思うと、ちょっとおかしかった。自信たっぷりなのか、ヒクツなのか。男の人って分かんないなって思うけど、自由への切符をくれたこの人を、とりあえず信じたい。


特急に乗っちゃうと、もうすっかり気が大きくなっていた。こっから、保の行動範囲の外に私は行く。特急一本でつながってしまう線だけど、そっから先は、排水溝から取り上げて丸めた髪の毛みたいに、わしゃくしゃした路線の中に私は紛れてしまう。ゼッタイあいつなんかには見つかってやらない。

目を閉じると、忌まわしい記憶がぐるぐると蘇ってくる。学校で隣の席だったマキちゃんが、聞いてもいないのに次々と他人の噂話を繰り出してくるのに似た勢いだ。

保は古いタイプの親って言うレベルでは語れないくらい、変に厳しい父親だった。受験以外のことを頑張っただけで、あんなに激怒する保は小学校の時からモーイを奮っていて、勉強が苦手な私に、真横で飄々と百点を取りまくるるんと同じように、私も百点以外のテストは許してくんなかった。今時、テストがすべてな訳もないことは、小学生でも知ってる。弁論大会の一件以外にも、いくつかこれまで頑張ったことはある。毛筆で書いた俳句で金賞を貰ったり、運動会のリレーの選手(クラスの中で足の速い子数名だけが選ばれる)に選ばれたりとか。そういうのを保に報告してみると「その労力、勉強に還元してほしいもんだ」って始まって、ひとっ言も褒めてくんなかった。

そうだ、そう言えば保は、私を褒めたことがない。意味もなく、保が私を褒めた瞬間を探してみるけど、思い当たんない。褒めないスタンスなのは別にいいけど、一回もって言うのは流石に親としてどうなの? 褒めたら私がつけ上がるタイプだとでも思ってんだろうか。にしても限度ってものがある。勉強はるんに劣るけど、私だってそんな言うほどダメなコじゃなかったはず。運動はリレーの選手に選ばれたのもその一例だけど、そこそこできたし(て言うか、にも関わらず勉強できないって理由で塾に入れられ、部活に入らしてもらえなかった)、そうだ、実は勉強だってそんなにそんなにできなくない。面倒だし、保があの調子だから腹立ってハンコーしてあんまやんないでやったけど、中学までクラスではさほど飛び抜けて下ではなく、中の少し上くらいだった。保の求めるハードルが高すぎるのだ。よくるんと比較されてきたけど、本来、私を基準にするべきで、特別できるるんを基準にするのが間違ってる。そうだそうだ、結局、本当に言われるのが嫌でしょうがなくって、楽に上位とか百点を取れちゃうって理由で今の高校に入ったんだった(結局、百点とか取っても保は、こんな簡単なテストで得意になるなって鼻で笑いやがったんだけど)。バカ校っつっても就職に希望がない訳じゃ全然ないから(当然、将来はさっさと家を出てやるつもりだったから、進路は県外に就職希望にしてた)、別にいいやと思って。

クソオヤジが。心の中でツイートする。あの檻から出て、冷静に考えてみると、いかに自分がバカげた劣等感を持って生活していたかが分かって、うんざりする。

「お前は器量も良くないし、顔も大したことないんだから、勉強くらいどうにかしろ」

 確か、小学校低学年くらいの時に保から言われた、デリカシーの欠片もない言葉。ざまあみろ。器量もよくなくて、顔も大したことないお前の娘には、東京に連れてってくれるこんなにかっこいい男の子(あくまで顔だけだけど、そこにはタッチしないで!)がいるんだぞー、だ。走り出した特急の揺れと共に、高揚感が私を包む。だけどその高揚感もすぐに薄れた。馬鹿か私は。さっきから。もう二度と会うことのない父親のことで頭がいっぱいだなんて。もういい、保のことなんて二度と考えない。保にただただ従順なだけの篠美ちゃんについても以下同文。あんな女に、私はならない。ゼッタイに。私の家族は今のとこ、るんだけ。これから一緒に自立を目指す寛軌先輩は、予備軍ってことで。

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