ツインズバインド

クダラレイタロウ

prologue:るん

かざされた手が頬に触れたその瞬間、そっか、行くんだって悟った。


完全な闇は作られない部屋の中。頬に触れた手の微かな指の動きが、名残惜しむような寂しさと、もうどうしようもないところまで追い込んだとみられる決心が、ない交ぜになった葛藤を伝える。

長らくすぐそばにいて、何度か触れたことのある手指だからこそ、僕はそれを確信する。

片割れだからなどという、迷信的なものとは思えないくらい、その手が醸す感情は、あまりにも正直だった。

少しだけ泣きそうな気持ちを抱えていることが、目を開かなくても分かってしまう。

僕にしかきっと、理解し得ない気持ちだと、自負できる。


そう、エンは事前に言葉で何かを僕に伝えた訳じゃない。だけど、分かった。

エンはこれから、ここを出ていくということも。

そうだよね。

僕は心の底から納得する。喉につかえることもなく、事実が胃の腑に落ちていく。

背を向けた気配に従い、目を薄く開けると、肩に大きな鞄を提げたエンの背中が見えた。

あの鞄には見覚えがある。中学の修学旅行の時に持っていったものだ。

旅行中、何度かエンに頼まれて、この手で運んだから覚えている。

そんな大きな鞄を持っている不自然ささえも、僕はもはや自然に受け止めていた。

その大きな鞄を抱える背中は、決して大きくない。簡単に壊せてしまいそうな、細い肩。そこから伸びる腕を見ても、力強さはまるで感じられない。

きっと誰が見ても心許ないと感じるであろう、れっきとした少女の背中だった。

それでも、エンの選択は正しい。その背中の頼りなさを見てなお、そう思う。この感覚が揺らぐことはきっとない。


断言する。止めることは、できた。

絶対に。

がばり起き上がって、驚いたようにこちらを振り返ったエンをあっという間に捕まえて、行っちゃだめだって耳打ちする。

聞く耳を持たないようなら音を立てるか、声をあげて、両親を叩き起こしてしまえば、エンの計画はあっという間に頓挫する。

さっさと行ってしまえばいいのに、こうやって僕のところに来てしまうのが、エンの甘さであり、弱さだ。

どんなことをするにも無慈悲にはなれない。感情を切り離すことが、できない。ずっと一緒だったから、知っている。

そんなエンが僕は大好きだったし、羨ましいと感じていた。それを欠点だと大っぴらに指摘されて、悔しげに泣いているエンに、そう告げたこともある。


きっとエンも、僕に気付かれてしまうかもしれないというリスクは、理解していたんだと思う。不安に思うのは当然だ。

僕に止められたなら、考え直す気すら、あるいはあるのかもしれない。あの指の葛藤を思えば、ない話ではない。


委ねられているのかもしれなかった。


姉が部屋に来て出ていくまでの短いストロークのあいだで、そこまで考えた。

自分がラストラインだっていう自覚が、微睡んでいた意識をはっきりさせていた。


だけど、僕は動くことすらしなかった。

起きていることを、悟らせてはいけない。

僕は寝返りすら、自分に許さなかった。


背中を押したい気持ちを存分に、去りゆく背中に念じながら、自分にそっくりな姉の背中を見送る。


さよなら、エン。


どうか元気で。



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