<テミス・セレナーデ>~流されて異世界~
人間が人間を裁くという行為は、それが公的機関によるものでも決して賞賛されるべき行為ではない。
だが、それは、裁きに真摯に携わる人間以外には、実感できないものでもある。
グルメを気取り食を楽しむ人間が、屠殺場の光景や有機肥料を作る工程を想像しながら食事をしないように。
正義や治安の名のもとに創られた厳正な裁きの本質は、社会や権力機構を害する人間を暴力により排除する行為だと実感する人間は少ない。
それは、人が生きていくうえで生き物を殺さなければならないように、社会を維持するために必要な罪であり。
汚物や死骸で食物を育むように、罪人を社会に有用な人間へと作り変えるための作業だ。
“ 罪を犯すことが罪なら、それを裁くことも罪 ”という言葉の意味とは、そういう
だからこそ近代では、私刑や復讐が罪とされ。
罪が無関係の家族や縁者に及ばないようにする善意を広めようと考える人々の努力で、罪は血族のものではなく個人のものになった。
だが、‘下種脳’どもが、‘ 権力や
司法の手を逃れ、個人を犠牲にして利権を守る手段を、作り出してきた為に。
公正さよりも強制力を求め、法に復讐性を持たせるべきと考える‘ 権力が恐怖で人を征服した過去への回帰 ’を求める人間が生まれた。
しかし、それは公権力により行使される罪を、罪と思わなくなるということだ。
その結果、‘下種脳’を憎み妬むことで、犯罪者の家族を貶め。
“ 家族が不公正な利権の一員であるのかどうか ”など考える事もなく、“ 犯罪者の家族もまたその仲間なのだ ”と決めつけ。
裁かれない者を攻撃することで自らを正義や治安の護り手だと恥知らずにも思い込む‘下種脳’が生まれる。
ある‘下種脳’は自らの権力を強固にするためにそんな‘下種脳’を利用しようとし。
ある‘下種脳’は、宗教や市民団体の皮を被って。
その状況においての‘ 罪を持って罪を裁くことの是非 ’は問わず。
絶対的な正義などどこにもないと
確かに、絶対唯一などという一神教が征服の為に作ったような正義は存在しない。
それは‘ 下種脳 ’どもが創り出した幻想だ。
なぜなら正義はどこにでもあり、誰にでもあり、何時だって存在するものだからだ。
それは、個人の欲望や社会の求める利で人を貶め不幸をばら撒かないことであり。
何も知らない子供に社会で人として生きていく為に真っ先に教えなければならないことだ。
それを知らない人間は法も正義も語る資格はない。
彼らは、それを知っている人間なのだろうか?
オレは目の前の男達を見ながら、そう考えていた。
オレ達の目の前にいるのは、この辺り一帯の行政官である領主と、彼女について来た冒険者らしい男と、そして村長を初めとする魔物襲来で不様をさらした面々だ。
領主率いる冒険者達の迅速な対応で村に立て篭もって数時間で魔物は撃破され、事態は一応の解決は見たものの暴動寸前だった村人がそれで治まるはずもなく。
領主への訴えで査問が開かれ、町役場の会議室らしいだだっ広い部屋に集めらたのだ。
領主と言ったが、正確にはティーレル語で言うジャーノンは、独自の育成機関を卒業した者が競い合って選ばれる封建制度の領主並の権限を持つ非世襲制の役職だ。
就任後十年の予算計画を公開し、選抜議会との公開討論を経て。
領民の八割を超える信任を得ることで就任できる卓越した行政能力を持つ実力者という設定だったはずだが、目の前の女はとてもそんな切れ者には見えない。
鳶色の髪を結い上げてにこにこと笑う、イギリスの片田舎にでもいそうな、おばさんというところだろうか。
正直、着込んでいる金糸で飾られた魔女風の白いローブも似合っていなかった。
「そうですか、では協会長は罷免の上、財産は差し押さえですね。村長も警察士長も同じくということで。協会役員と村役場の役員も財産は差し押さえますね。法に定められた通りその中から任期中の不正所得の三倍の額を払ってもらいましょう。足りない場合は協会と村役場の職員の給料から引かなければならないので、隠し財産は念入りに調べてね」
だが、その口からつらつらと流れる台詞はその肩書きに相応しい苛烈さだ。
これで夕飯の買い物についてしゃべっているような緊張感のなささえなければ完璧だろう。
何時の間に調べたのか不正の証拠が突きつけられ、村長も協会長も身柄を拘束された。
村人や協会員も馬鹿ではなく前から気づいているものはいたが、ここまでのことが起こるわけはないとたかをくくって見逃していたか、村長達を恐れて手をこまねいていたようだ。
しかし、こうなってみると証言や証拠はゾロゾロと出てくる。
これが損得が第一という利権塗れの国だったら、とてもこう簡単にはいかなかっただろう。
現実世界の政治と経済は、‘下種脳’どもの利権とそれに従うか従わされる者によって動いているからだ。
ブラック企業の本質とはその‘下種脳’の仕組みに忠実な組織だという事なのだが、マスコミの印象操作で、‘ 単に社員の待遇が悪い企業 ’と感じている者も多い。
このリアルティメィトオンラインは、そういった現実世界の現状を否定する‘ワールデェア’と呼ばれる活動家によってデザインされた部分が多い。
だから、この仮想世界の制度は公正さを重んじ、利権による利害調整を第一にする現実世界の政治の常識は通用しない。
その設定から考えれば、妥当な裁定なのだろう。
協会長は潔くあきらめたようだが村長のほうは最後まで罠だ誤解だとあがいていたが、ここにいて村人からリンチにあいたいのかと問われ、やっと大人しくなった。
「それじゃあなたたちだけど御礼しなきゃね」
村長たち一行が領主の部下に連れられて出て行くと、おばさんはにこにことした笑顔を崩さずにこちらを見る。
「おれたちも貰えるんでしょうね?」
なぜか冒険者の男が警戒するように領主を見て言う。
薄く茶色がかった黒髪に黒い瞳のこれも日本にならどこにでもいそうな若い男だ。
全身を赤と黒の甲殻鎧、リアルティメィトオンラインで十王の鎧と呼ばれるレア装備で包んでいる。
「もちろんよ。あ、でもあなたたちの報酬は村の入り口と魔働巡回車の氷を解除してからね」
領主は思い出したようにそこでわざとらしくポンと手を打つ。
「あ、そうそう村長さん達が捕まっちゃったから魔働巡回車の故障原因はわたしが調べることになってね。話にきたようじゃしかたなかったんだろうけど一応調べなきゃね。それで調べ終わるまでは巡回車も動かないことだからここに滞在してね。役員用の宿舎が空いちゃったし、使っていいから。もちろん全部終わったら必要経費も併せて報酬は払うわよ。あれだけの壁つくるんじゃ大変だったでしょ。わたしもこれから新しい村長さん選んだりで大変」
「ちょっちょっ!」
そこで自称冒険者があわてて割ってはいる。
「まさかおれまで待ってなきゃなんないのか?」
ユミカがそれを琥珀色の瞳をを丸くして見ている。
シュリも、どこか懐かしいものを見るように領主の雄弁な台詞を聞きながらそのユミカによりそっていた。
魔力回復薬やその材料を無理矢理かき集めてきた後始末に席を外している女達がいれば、少しは違ったのだろう。
だが、少女達では、このおばさんには太刀打ちできそうもない。
「セツナくんはもちろん待ってなくてもいいわよ。仕事は終わったんですもの。でも送っていってはあげられないわよ。あと、報酬から前回の損害分は引いておくからね。これにこりたら周りに被害をださないよう注意してね。あと──」
まだ続きそうだった冒険者へのお小言はそこで部下に呼ばれたことで、打ち切りになった。
「それじゃあ仕事が詰まってるから行くけど、他のひとに迷惑かけちゃダメよ」
最後にそれだけ言って忙しそうに部屋を出て行く領主に何か言いたげな様子だったが、あきらめたようにため息をつくと、セツナと呼ばれた男は顔にかかっているわけでもないのに前髪をかきあげ、オレ達のほうへふり返った。
このセツナと呼ばれた男は、それなりの腕と認識されているようだが明らかに能力に頼りきった戦いをする素人だった。
つまり、人格を刷り込まれた人間ではない。
一見どこにでもいる考えなしのガキに見えるが‘下種脳’にもそういうやつは多い。
‘下種脳’の価値観で‘下種脳’の親に育てられたクズだ。
遊びで女を姦したり、遊び半分で弱者とみた相手をイジメ殺すようなやつだ。
こいつがそうとは限らないが、このゲームの黒幕に絡んでいるとすればまず間違いなくその類の連中だろう。
多くの人間の人格を破壊しゲームのNPCの人格を刷り込むようなやつに与する者がまともであるはずがない。
「おれは、セツナ。 リュウハイン・セツナだ。君達は冒険者?渡り人だよね」
セツナと名乗った男は、ちらりとユミカ達の腕を見て言った。
オレはほとんど意識の外にあるらしく少女達のほうだけに歓心をよせている。
オレをNPCと認識しているような態度だった。
少女達の腕にあるのは‘思念伝達の腕輪’だ。
それは男の腕にもあった。
どうやら‘思念伝達の腕輪’が渡り人の目印になるというのは一般的知識のようだ。
そうだとすれば、腕輪を早めに捨てたのは正解だ。
腕輪に監視ツールが仕込まれている可能性は依然として高い。
ASVRは視覚情報や聴覚情報を神経経路から取り込む訳ではないので、オレ達が見ているものや聞いている音をデータとして直接取得はできない。
オレ達内部にいる人間をモニターするなら情報取得用のデバイスを仕込まなければならないのだ。
現実の盗撮盗聴デバイスほどかさばらないとはいえ、人体データに組み込むのは無理なので自ずと装備品ということになる。
その中で仕掛けるとすれば全ての非NPCが装備している腕輪が、一番怪しいということになる。
リアルティメィトオンラインでNPCだった人間の場合は、おそらくミスリアと同じように人格と過去の記憶を丸ごと刷り込まれているだろうから、個人をモニタする必要は少ない。
定住しているのだから、建物の中に仕込めばいいのだ。
例外はシセリスのような非定住型のNPCだが、それは固定装備に仕込んでいるのだろう。
そうすると、早めにシセリスの装備と腕輪を外させる必要があるか。
そんなことを考えている間にも男はいかにも女慣れしていない様子で少女達に色々な質問をしていた。
何時この世界に来たのか?
ゲームキャラの能力を持っているのを気づいて驚いただろう。
どんな技能を持っているのか?
そのほとんどはすでに知っていた情報だったがいくつか新しい収穫もあった。
少女達が異世界に来たと認識した日付が、オレが最後に仕事場で作業をしていた日付と一致するということだ。
男もそれは同じだったのだが、その後が違う。
少女達が目覚めたのが2ヶ月半ほど前なのに対して男は1ヶ月ほど前らしい。
この差異は多数の人間を同時にASVRに接続できなかった為だろうか?
オレはどこか釈然としないものを感じながら、会話をただ聞いていた。
その後の会話の中で少女達の新しい情報はたいして入ってこなかったが、この男の情報はたっぷりと入ってきた。
本人はさりげないつもりらしい自慢話を延々と語るせいだ。
そのほとんどのところはゲームキャラとしての能力がいかに優れているかということで、聞いていて情けなくなるようなもので、こいつ自身に誇れるものがないのだと感じさせるものでしかない。
初めは同じ異世界への漂流者という認識で親近感を感じていたらしい少女達も、男の勘違いぶりに次第にうんざりとしてきたようだった。
唯一つましだったのは、男が少女達を保護すべき仲間と思っているらしいことだが、それも少女から見れば嬉しいことではないようだ。
この態度だけを見るなら、こいつはどうしようもなくガキだが人を弄んで喜ぶ‘下種脳’ではないのだろう。
もっともそれが本当とは限らない。
そうは見えないが、色々とやらかしたこの勘違い男が狡猾な‘下種脳’ということも考えられる。
「それじゃ二人はいつ知り合ったの?」
そうしているうちに打ち解けあったと思ったのか、馴れ馴れしい態度に変わり男はまた少女達に質問を始めた。
「わたし達、姉妹なんです」
ユミカが少し硬い口調で男との間に線を引きながら、口にした。
「えっ!そうだったんだ。君達はキャラメイクに画像キャプチャ使ってないの?」
二人が似ていないことを言ってるのか、男は大げさに驚いてみせた。
リアルティメィトオンライン日本では、若いプレイヤーの間で自分の写真をデータに取り込んでキャラクターを自分そっくりにするという遊びが流行っていた。
それをしていて芸能人としてスカウトされたという話がマスコミに取り上げられたせいだ。
もちろんそれはリアルティメィトオンライン日本と芸能事務所のヤラセで、マスコミも嘘を承知でそれに乗るという宣伝の一種だ。
ジャーナリズムの精神から考えればろくでもない話だが、拝金主義が日常化して芸能界やスポンサーと癒着することに疑問すらおぼえなくなった‘下種脳’に服従したテレビ屋達にそれを言ってもはじまらない。
もちろん大人はそんなことは百も承知だがガキの中にはそれを信じるものもいて、作られた流行に乗って騒ぎたがるガキと一緒に、それを本当の流行にしていく。
子供に甘い親バカがそれに拍車をかけ、大量消費社会の繁栄を疑うことのない経済通を名乗る連中がそれを褒め称える。
そのせいで流行とは追わなければまずいものだと、多くの人間が思い込んでしまう。
どうやらこの男もそうやって本当に求めるものを見失った連中の一人だったようだ。
「始めるときに進められてやっちゃったけど、失敗だったわ」
急に暗い顔になったユミカがシュリを見て言った。
「ああ、妹さん、外見そのままだもんね。おれもこっちきてういちゃったからなあ」
「……姉」
軽薄に笑う男にシュリが意外な一言を放った。
「ええっ!うそ、ホント?」
「あたし達、ハーフなんです。わたしが日本で姉さんがカナダで育って」
今度こそ本当に驚いている男ではなく、オレのほうを真っ直ぐ見てユミカが言う。
「大学がこっちになって、一緒にゲーム始めたんだけど、姉さん子供の頃は今みたいに日本人の外見だったけど大きくなったら、あたしよりカナダ人っぽくなっちゃってて、それが嫌だったらしくて子供の頃の写真で……」
「それは災難だったというべきかな?」
オレは本人よりそれを気にしているように見えるユミカではなく、シュリを見て聞いた。
「……そうじゃない。ユミカは気にしすぎ」
シュリはあっさりとそう言って艶やかな笑みを浮かべる。
「若返ったんだから得した」
こうしてみればそれは確かに子供の態度ではなかった。
オレは初めて会ったときから感じていた歳に似合わぬシュリの妖艶さのわけがわかった。
「日本語はあんまり得意じゃないみたいだね」
たどたどしく感じるしゃべりかたもそう考えれば納得がいく。
シュリは黙ってそれにうなづき、ユミカへと目を向けた。
「……お姉ちゃん」
子供に戻ったような口調になったユミカを背伸びしてシュリが頭を撫ぜる。
「えっと、あれ?」
とり残された男がオレと少女達を交互に見ながら、何があったか判らないという顔をしていた。
どうやらこの男にとっては、ゲームでNPCだった存在は未だに置物同然らしい。
領主に対する態度もゲームイベントのような認識があったのかもしれない。
だとすれば、やはりこいつはこの腐ったゲームの運営者とは関係がないのだろう。
もちろん、全てが演技でなければの話しだが──。
オレは、この状況が仕組まれたものなのかを考えながら、黙って少女達の様子を見守るふりをしていた。
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