<イベント・ラッシュ・デイズⅣ>~暴走特急~






 人生を道に例えるとして正義が道から外れない為の道標だとすれば、大義とはどの道を進むかの案内標識だろう。


 だが、この標識は、一握りを除けばたいていが‘下種脳’の作る偽者で、やつらが作った血塗られた道に続いている。


 人の道とは、大勢の人が歩くことで作られたものだが、‘下種脳’が作る道は、力により無理矢理切り開かれたものだ。


 騙されてその道を辿り死肉をあさりながら生きる破目になった人間が、戦争の歴史を作ってきた。

 

 では‘ 法 ’というやつはといえば、これは道路標識であり信号だ。


 道の通り方を定め、ときに歩みを止めさせ、利害を調整する。


 一部の人間にのみ有利に作られれば、道半ばで多くの人間が飢え、あるいは権力という暴走する車に轢かれ、死ぬことになる。


 ‘ 法 ’を掟としか考えず、それに従う生き方しか知らずに生きていく人間は多い。


 だが、民主主義とは全ての人間が‘ 法 ’を護る義務と同時に‘ 法 ’を作り、あるいは歪んだ‘ 法 ’を正すべき義務があると考える大義だ。


 群れを作る本能に従う獣の原理や、その‘ 動物としての人間の本能 ’を利用しようとする‘ 下種脳 ’が定めた、他者を従わせる‘ 掟 ’。


 それらとは一線を画した‘ 精神文明の発明 ’だ。


 それは護らなければ‘ 下種脳 ’どもに誤魔化しの理屈で汚され、単なる掟に堕してしまう概念だ。


 だからこそ、“ ‘ 掟 ’とは‘ 従う ’概念もの ”で、“ ‘ 法 ’は‘ 護る ’概念もの ”なのだ。


 つまり、‘ 掟 ’を護るのは‘ 下種脳 ’で、何も考えず盲目的に法に従うことしかできない‘ 下種脳 ’の奴隷も、民主主義にとっては敵であり、いずれは大義を滅ぼす。


 マスコミを名乗る‘下種脳’による、マインドコントロールで‘下種脳’に都合のいい考えを自分で考えていると思い込まされ。


 勝ち組を名乗る‘下種脳’に、望んでもいない欲望を煽られ。


 評論家やジャーナリストを騙る‘下種脳’に一握りの不安や怒りを恐怖や憎悪へと駆立てられて。


 心をすり減らしながらも、自らを見失わず考え続けられるものだけが大義を護れる。


 それは、ときにあえて流行や空気や時代などと呼ばれる‘下種脳’の生み出した価値観の流れを断ち切る決断を必要とする道だ。


 力でその流れを変えようとして‘下種脳’に成り下がる人間は多く、道半ばで立ち止まり、あるいは果てる者も多い。


 だが道を貫けずそれでも尚、でき得る限りの抵抗をし続け生きていく人間もまた多い。


 ‘下種脳’にさえ成らなければ人間はいくらでもやり直せる。


 だから、決してあきらめてはいけない。


 偽りの大義へ続く道に行く車に何も考えずに乗れば、必ず後悔することになる。


 そう、今のオレのように────。





「止まらないよ!」


 車内に緊迫した高めのアルトが響く。


「止まらない!これもダメ!どうしよう!」


 魔動車の緊急停止スイッチをいじっていたユミカの声は、しだいに不安げなものへと変わり、最後は微かに涙の浮かんだ琥珀色の瞳をこちらに向けた。


「……どうする?」


 オレの隣に座って倒れないようにしがみついていたシュリが、上目遣いに黒い瞳でオレを見る。


 近くで見るとその瞳は、ただの黒ではなく黒に近い紺碧。

 夜の色だった。


 そのまなざしは、相変わらず年に似合わぬ妖艶さだが、微かに不安の色が混じっていた。


「このままでは、長くは持ちませんね」


 シセリスがいつもと変わらぬ涼やかな声で、そう評した。


 その藍色の瞳には恐怖どころか不安の陰もない。


 それどころか冷静さの中に困難へ立ち向かうことへの高揚がある。


 死線をいくつも越えてきただろう彼女にはこれくらいの危機はお馴染みのものなのだろう。


 それが偽りの人格によるものでなければ、いただけない話だ。


「ちょっ──」


 シセリスに何か言おうとしたミスリアが、揺れで舌でも噛んだのか痛ましげというのがふさわしい表情になって黙る。


 直前の雰囲気から考えて何かに心を痛めているのではないだろうが、翠色の瞳に涙を浮かべている姿は、とても舌を噛んだだけには見えない。


 何も知らなければ、いや知っていたとしても同情を買いそうな光景だから、美人は得だというのはこういうところをいうのだろう。


 それは、必死に転倒防止用のバーに摑まってこちらを見ているユミカにしても同じ事で。


 男や並みの容姿の女がすれば醜態といっていいような姿も、均整のとれたスタイルの美少女がすれば絵になるのだから困ったものだ。


 普通なら時速三十キロがせいぜいの巡航速度で動くはずの魔動車は、今は八十キロは超えていそうな速度になって、舗装もされていない街道を突っ走っていた。


 当然、車体の揺れはひどいものになっていて、何かに摑まっていなければまともに座っていられないほどになっている。


 どうやら一連のイベントはあれで終わりではなかったらしい。


 盗賊達を片付けて終わりと油断させておいてこれとは、つくづく嫌ったらしい手口だ。


 オレ一人ならどうにでもなるとはいうものの、この速度で事故を起こした車内に一人無傷では怪しんでくれというようなものだし。


 この体の能力だよりにそこまで油断するわけにもいかないだろう。


「つぎの村まであとどれぐらいで着くか分かるかい?」


 オレは舌を噛まないよう、なるべく落ち着いて聞こえるように注意しながら、ゆっくりと聞いた。


「普通なら──」


 答えようとしたユミカの声をさえぎりシセリスの声が響く。


「もう、見えてきています」


 シセリスの言葉に前を見れば、地平線の彼方に村の物見塔らしい赤い屋根が見える。


 どうやら、この体になって視力も上がっているらしい。


 ブッシュマン並の視力だ。


「全員、一番後ろまで下がるんだ」


 オレは言いながら立ち上がると、皆を促がして一番後ろの座席へ向かった。


 ゆっくりと原因を探って対処している暇はもうない。

 ミスリアによればこの乗合魔動車は、あの村で一旦車庫か何かに入れられ、そこで明日の朝まで客を待ってから、出発するらしい。


 オレ達は、本来、そこでこの乗合魔動車に乗り込む予定だったのだ。


 それがこのイベントラッシュだ。


 どう考えても裏で糸を引いているやつがいそうな話だった。


 普通なら全自動で止まるのを待っていればいいらしいが、この状況で大人しく止まるとも思えない。


 となれば、車庫に正面衝突、下手すれば爆発炎上だ。


「ねえ、これからどうするつもり?」


 やっと痛みが引いたのかミスリアが、後ろへたどり着くと同時に、今度は舌を噛まないようにゆっくりとその涼やかな声で聞いた。


「あなたのことだから、何か考えがあるんでしょ?」


 確かにオレが一番後ろまで下がれと言ったのは、ここで正面衝突を待つためではない。


 しかし何故それにミスリアが気づいたのか。


 周りを見れば、シセリスは当然というように信頼を、ユミカとシュリは、期待と不安の混じった視線を向けてくる。


 どうやらオレは年上二人には、かなり買い被られているらしい。


 今回は手があったが普通この状況なら正面衝突の衝撃に備えるために後ろに下がったと思うのが普通だろう。


 だが、ここでその信頼の理由はなんだとわざわざ聞いている時間はない。


 オレは黙って最後尾の座席の後ろ─乗客が荷物を入れるためのスペースになっているのだろう座席と同じ高さの柵に隔てられた空間─へ向かって立つと、呪文を唱えた。


「イア・ヘルン・レン・クトゥーラ」


 詠唱の終了とともに巨大な氷塊が出現して乗合自動車の後部の壁を突き破る。


 途端に地面と氷の擦れる音が響き、揺れがひどくなると同時に少し速度が落ちた。


 しかし、それは直ぐに収まり一旦は落ちかけた速度もまた上がっていく。


 氷が地面との摩擦で溶けたためだ。


 一時は喜びの声を上げたユミカが今度は落ち込んだ声を上げる。


 振り向けばさぞ表情豊かな顔が見れたことだろう。

 だがオレはふり返らず次の呪文を唱える。


「レン・アグーニ」


 唱えた魔術が炎の槍を生み出し一直線に打ち出された槍は氷に大穴を穿つ。


「レン・アグーニ」


 次いで穴を広げるように生み出された氷の穴の上にもう一つの穴を繋げる。


 計算どおりそこには雪ダルマがたにくり貫かれた氷塊ができていた。


 数メートルはある氷塊はきれいにくり貫かれ、氷塊の穴の向こうでは、景色が後ろへと流れている。


「急いで中へ」


 オレはふり返って女達へその氷塊の中に入るように促がす。


「あ、はい」


 驚いたように穴を見ていたユミカがうなずき、シュリを先頭に穴の中へと入っていく。


 次にミスリアとシセリスが続き、オレは最後に少し頭を屈めて穴の中へと入っていった。


 もう少し大きめの穴を開ければ良かったのだが、大きすぎて氷自体を壊さないように気を使ったせいだ。


「シセリス」


 オレは中に入ると‘流浪の精霊騎士’にそう呼びかけた。


「セリスと御呼びください、御主人様」


 こんな状況だというのにシセリスは平然と笑ってそんな要求をしてくる。


「ああ、セリス」


 オレはとりあえずそう呼び直すと本題の頼みを口にした。


「オレが合図したら氷を魔動車から切り離してくれるか?」


「承知しました。剣でよろしいですか」


 うやうやしく首肯してシセリスは腰の剣を示す。


「ああ」

 オレは切れるのかと問わずにうなずいた。


 ここが現実ならバカにしただろうが、ここは魔法や神秘の技がありふれたリアルティメィトオンラインの世界だ。


 今更そんなことで常識を持ち出したりはしない。


「じゃあ、他のみんなは後ろへ下がって冷たいだろうが座っててくれ」

 オレは一歩下がって氷の上に膝をつきながら言った。

「セリスも終わったらオレの後ろに下がって座るんだ」


「うう、冷たい!」

「冷た~い!」

「……つめたい」


 口々に言いながらも壁に手を着き腰を下ろす女達を確認して、オレはシセリスにハンドサインで合図を送る。


「レン・スールトゥ」


 シセリスは剣を抜くと刀身を真横に剣の腹を正面に向けて構えると呪文を唱える。


 精霊系魔術スールトゥ。


 武器に長大な炎を纏わせて敵を焼ききる魔術だ。


 刀身から伸びた炎が氷塊を貫いて伸びそれが風車のように回転する。

 

 がくんと縦揺れがして氷塊が切り離され乗合魔動車から離れていく。


 ゆっくりとそして徐々に加速して乗合魔動車が離れていく。


 シセリスは素早く呪文を解除すると剣を納め、オレの後ろへと下がっていった。


 このまま待っていれば氷塊はすぐに止まるだろう。

 だが、本番はこれからだった。


 このまま放っておけば乗合魔動車は暴走したまま村に突っ込むことになる。


 それを防ぐ為にはここで車を止めねばならない。


 だが、問題はそれをすれば慣性の法則がオレ達を乗合魔動車にぶつけることになる。


 粉々に吹き飛ばしても爆発の中に飛び込むことになるだけだ。


 充分な距離をとれば問題はないが、魔術にも射程距離というやつがある。


 充分な距離をとれば魔術は届かない。


 人の命よりは自分のほうがだいじと見過ごすことはできる。


 しかたがないとあきらめることもできるが、それは全ての手をつくしたあとだ。


 もう、やるべきことは決めていた。

 後はタイミングだけだ。


「イア・レイ・ヘルン・クトゥーラ」


 オレは魔術の射程ぎりぎりまで魔動車の車体が離れるのを待って今度は氷の呪文を車体全体を範囲に唱えた。


 ほぼ瞬時に、半径数十メートルはある巨大な氷塊が車体全体を包み、魔動車ごと地面に屹立する。


 依然、慣性のまま地面を滑るオレ達を乗せた氷塊は、巨大な氷塊へとみるみる吸い込まれていった。


「きゃあああっ!!」

 ユミカの悲鳴が響き渡る中、オレはもう一つの呪文を唱え終える。


「イア・ヘルン・レン・クトゥーラ」


 詠唱が終ると同時にオレ達の乗る氷塊に連なるように巨大な氷塊が出現して後ろに見えていた景色が氷に塞がれた。


 新たに継ぎ足された氷によるブレーキで、がくんという大きな揺れとともに再び地面と氷の擦れる音が響き。


 速度が緩んだ反動で前へと放り出されそうになる体を壁に手をやって止める。

 

 やがて氷塊が止まったとき、乗合魔動車を包んだ巨大な氷塊は目の前だった。


 わずか1メートルほどの間を空けて二つの氷塊は止まっていた。


 女達の喜びの声を背に地面に降り立てば、わずか数十メートル先に村の入り口に立っているのだろう赤い屋根の物見塔とそれに連なる柵が見えている。


 オレはその景色を見ながら、これで厄介事が終ればいいがと、ささやかな願いを口にしていた。





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