<ハーレム・ステップⅣ>~レディース・トーク・ラプソディ~
望むと望まざるとにかかわらず、やらなければならないことがあるという台詞をはく人間がいるが、たいていの場合、それはやりたくないのにやらされたという言い訳にすぎない。
本当にその意味を知って行う人間は、そんな台詞を口にしないものだ。
なぜならそれは、性欲が抑えられないから女を抱いたと、わざわざ口にするようなものだからだ。
死にたくない、見捨てるしかない、どうしようもなかった、どれも望まぬ場面でよく聞かされた台詞だが、本当に覚悟を持ってその場にいた人間の口からそんな台詞がでたことは一度もない。
それを口にするのは、いつでも覚悟を決められない半端者だけだった。
偶然居合わせたわけでなく、わざわざそういう場面に飛び込んでおいて、尚そういうやつは少なくない。
救急医療を行う人間の間で、死なせる人間を選ぶタグをつけることのできない人間は、災害現場では役にたたないといわれるように、甘えが許されない場面はいくらでもある。
そういう場で、それをできる人々は、あり得ない願望を捨て、現状を見る人々だろう。
だがそれをできる人々が、それをできない人間に妬み交じりに言われるように、救えなかった人間を救う為に努力できないわけではない。
そういう人々は、救えなかった人々を救う新たな技術を模索したり、そういう悲劇を防止するためのシステムを作ろうとする。
逆にそれをできない人間こそが、そんな事ができるなどと考えもしないものだ。
現状をどうしようもない現実としてしか考えないのは何故か?
それは、理想と現実は相容れないという‘下種脳’どもに植えつけられた価値観で飼いならされた人間が、口だけで理念の御題目を唱えているからだ。
何故、その理念が生まれたかも考えずに、理念の文面を解釈するなら、それは理想を貶める事になる。
表向きは対立するように見せかけながら、あえて歪んだ理念や、意味のない瑣末な部分だけしか口にせず。
‘下種脳’どもはそうやって理想を貶め、願望と同義に使うことで、理想を嘲笑い、偽善の代名詞として敬遠させる。
その価値観を受け入れた馬鹿どもは、欲望を叶えて理想を手にしたと勘違いし‘下種脳’に成り果てる。
しかし、本当に理想を追う人間は甘えの許されぬ現状を知るからこそ、それを追う。
理想を欲望と同じ意味でしか使えず夢物語としか考えない人間は、決して理想を追わない。
なぜなら理想とは自分の為にあるものではなく、その他大勢のためにあるからだ。
自分の為でも目の前にいる愛する人や仲間の為でもなく、自分の属する国や社会や組織の為でもなく、けれどそれら全ての為に理想はある。
だからこそ、それを求めることは、必ずしも己の幸福を意味するものとは限らない。
しかし、それを忘れてしまえば、人間は獣にすら劣る狂った動物に成り下がってしまう。
そうなった人間、理想を欲望と等しく見て、理想を嘲笑い、理想を貶める人間。
自分を甘やかし周りを甘やかすことで世の中を腐らすそんな人間だけが、あたりまえの現状をあえて語る。
だから、オレが彼女たちに言える台詞はない。
そう、‘どこにもいるはずのない今の彼女達’にとって何かを言う意味がないからだけではなく──。
「セリスはどうしてデューンの従者になろうと思ったの?」
食事を終えて後片付けを二人にまかせ、ミスリアの寝室兼書斎で今夜読む本を選んでいると、扉の向こうから涼やかな声が聞こえた。
「あなた、男嫌いじゃなかった? いつも男なんてって言ってたじゃない」
普通なら、ぶ厚い扉の向こうのセリフが聞き取れるわけがないのだが、無駄に性能のあがった聴力はハッキリとそれがミスリアのものだと聞き分けていた。
「従者じゃない、従騎士」
何が違うのかは判らないが、そうシセリスが訂正して言った。
「あなたはどうなの? 相手にされてないのに恋人気取りなんてあなたらしくもない」
「そんなことないわよ。 わたしは狙ったものはどんなことをしても手に入れる主義なの」
ふっと息を漏らすような笑みが聞こえ、ミスリアは続けた。
「今まではそんな相手がいなかっただけ。 わたしの全てを知ってわたしの為に嫌がりもせずにあんなことまで ──っ!!」
しばらく声が途絶え、シセリスの呆れたような気配とミスリアの身悶えるような気配だけが伝わってくる。
気配を察知する能力は、五感の知覚力が上昇したからといって必ずしもそれに比例して上るものではないのだが、どうやらそれなりには上っているらしい。
「わたしは、話したんだからあなたも教えなさい」
気を取り直したのかミスリアが小さく咳払いをして口を開く。
「そうですね 確かにわたしは男達の欲望にまみれた眼が嫌いです。富や権力を持つというだけでわたしを従える価値が自らにあると考える自惚れが嫌いですし、わたしの求めるものを知ろうともしない無神経さも嫌いです」
「そんなに男が嫌いならどうして──」
「でも御主人様は違うでしょう?」
いぶかしげに言うミスリアの声を遮って、シセリスが言う。
「──確かにそうね。 ひとをあんなにしておいてそのくせ手は出さないし、でもアレが役に立たないってわけでもなさそうなのよね。その手の男はあんな迸るような‘気’は使えないだろうし」
その台詞にオレは、どうやらミスリアも‘気’の知識を持っているらしいことに気づいた。
この書物の中にそれらしいものがないか探してみるとしよう。
「ええ、闘いのときに‘闘気’として使われていたら、わたしは生きていなかったでしょう」
闘気とはリアルティメィトオンラインでは、戦技系スキルの燃料となるものだ。
ゲームでは魔術が魔力量を表すMPを消費して発動するように戦技は闘気量を表すFPを消費して発動していた。
どうやら闘気はオレが使っていた‘気’を変質させたものらしい。
そう考えると、現実で使えなかった‘気’がここで使えるのは、身体能力の上昇のせいではなく、それが原因なのかもしれない。
とすれば、現実世界の気功は、やはりトリックの可能性が高いようだ。
「やっぱり、戦っててアレを受けたんだ」
アレを強調して言ったミスリアは、声にたちの悪い響きを含める。
「でもそれでよくデューンの奴隷になろうと思ったわね」
「奴隷じゃない、従騎士よ」
ミスリアの揶揄に律儀に返してシセリスは語り始める。
「闘いのなかで御主人様は御優しく立派でした。 わたしに怪我を負わせまいと常に気を配ってくださり、無駄な闘いを求めたわたしを御諌めになり、恥ずかしい姿をさらしたわたしを気遣ってその事に触れもせず、わたしを対等の敵手であったと認めてくださいました」
最初は静かだった口調がしだいに熱を帯び、最後はどこか妄愛を思わせるものに変化したのは気のせいだろう。
男に免疫のない少女でもなければ、女の話というやつは、どうも男がいない場では、内容が生々しくなるようだ。
まあ、この二人に限ってはオレがいてもそっちの方向に話が進みやすいが。
「そんなかたを主君に頂きたくなるのは当然でしょう!」
そう締めくくったシセリスに。
「変わらないわね あなたは」
ミスリアは呆れたように言う。
「あなたこそ、昔から練金術の能力を基準に殿方を評価してるでしょう」
シセリスも仕様がないと言わんばかりの声で言い返す。
そういえばミスリアにオレが知り合った冒険者のなかで最も好感を持てた人間だと暗示をかけたが、その時に確かににそんなことを聞いたおぼえがある。
ミスリアにとってそれが冒険者ではなく人間全体の評価基準なのだろう。
いくら作られた人格にしろ、二人そろってエキセントリックすぎはしないだろうか。
「それだけじゃないわよ。 さっきも言ったでしょ。 わたしはデューンのわたしを気遣うように見る眼も好きだし、ときどき意地悪だけどやさしく触れる大きな手も、耳元で囁かれると全身に響くような声も好きだし──」
普通なら背中がむず痒くなるようなミスリアの台詞を、虚しく聞きながら、本棚にあった‘気’に関する書物全てを、ようやく見つけ出し終える。
読まなければならない本を選び終えたオレは、まだ延々と続きそうな二人のやりとりから離れ、そっとその場を後に声が聞こえてこないだろう水晶の小屋へむけて歩きだした。
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