第675話 第1章 3-4 呪符、天限儀

 「そなたの天限儀てんげんぎを使えば、少しはましな治療ができよう。そこへ連れて行くと云ったらどうする? ついてくるか? それともここままあの山師と心中するか? 何をどうしようと、あのような者が皇位につくほどホレイサンは落ちぶれておらぬわ」


 「な……!?」

 タカンのはかりごとなど、とっくのとうにこのように漏れているということか。それに、


 「天限儀を……? しかし、ここが聖地であれば、街全体に封印がかかっておろう。それを解くと?」


 「ちがう。特別に遣えるようになっておる場所があるのよ。特権でな」

 「……おぬしは……」

 切れ長の目をきゅうっと細め、ミナモが笑う。パオン=ミは決心した。

 「わかった。そなたを信じよう」


 「そうこなくては」

 うってかわったミナモの笑顔が、やさしく灯明の淡いオレンジの光へ浮かぶ。

 「しかし、どのように運ぶ? 二人は薬で起きまい」

 「私がスネア族を。貴女はそのストゥーリア人を背負るか?」

 「なんとか……」


 竜へ乗るためにパオン=ミも軽身を保っており、中背ながら豊満のマレッティを背負うにはやや力不足だが、そうも云っていられない。それぞれで眠ったままの二人を背負うと、スミナムチが眼鏡を光らせて灯明を持ち、素早く座敷牢を脱出した。


 不思議なことに衛兵もおらず、鍵は全て開いている。無人の野を行くがごとく、三人はスミナムチの持つ灯明を頼りに闇を進んだ。


 月も出ていない。



 マレッティが目を覚ますと、似たような天井だが座敷牢よりずっと高いのに気が付いた。痛みを恐れてゆっくりと身体を動かすと、足の痛みがかなり引いているので二度驚く。布団をはぐって見ると、見慣れた呪符が包帯めいてベタベタと貼りついている。パオン=ミの呪符、すなわちガリアだ。


 「!?」


 思わず右手にガリアを出すと、右手にしっくりと納まる白銀の細身剣が現れる。ガリア「円舞光輪剣えんぶこうりんけん」!


 すかさず跳び起きようとするが、

 「落ち受け。この屋敷を出ると消える」

 パオン=ミの声がし、マレッティは瞬時にその意味を悟り、動きを止めた。


 「どこよお、ここ!?」

 「ようわからぬが、少なくともタカンの屋敷ではない」


 「また誰だかわかんないやつにほいほい着いてったってえことお!?」

 パオン=ミが肩をすくめたので、マレッティもさすがに怒りを露わにした。


 「いい加減にしなさいよ、あんた!」

 「ガリアが遣えるだけましと思え」


 それは、確かに。マレッティは横で眠っているマラカを見た。眼や額のところに呪符が貼りついている。


 「……この子は?」

 「記憶を少し操作するしかあるまい。うまくゆくかどうかは、分からぬがな……」

 「そう……」


 パオン=ミは昨夜のミナモとその助手っぽいスミナムチのことを話して聞かせた。

 「じゃ、ここはそいつの屋敷ってことお?」


 改めてマレッティは部屋の中を見渡した。でかいうえに、やたらと豪奢だ。天井には格子状に花柄文様の画まである。


 「なにもんなの、そいつ」


 「この屋敷を見るに何かしらの要人ではあろうが、さっぱりわからぬ。だが時間を稼げる。アーリー様の計略では、うまくゆけばあと二十日ほどで聖地へカンナがやってくる。それまでに、少なくともそなたの足だけでも治しておかねばと思ったまでよ」


 「そう……ありがと」


 マレッティは息をつくと、再び横になった。そしてすぐ再び眠りへ落ちる。薬と、パオン=ミの治癒の呪符の効果だった。


 パオン=ミは改めて部屋の襖を開け、廊下から外を眺めた。やや高台にあって湖面が美しく光っており、対岸の山々が遠く霞んでいる。相当大きな湖だ。あの岩窟牢からの景色と同じであり、やはりここが聖地ピ=パなのだと判断できる。塀の向こうに高い塔や石垣、城郭が立ち並んでいるのも同じだった。ピ=パは巨大湖の中の大きな島にあるというが、地形を見るに島はどうやら細長くいくつかが連なっているようだった。


 「天限儀を飛ばせればわかるのだが……」


 空を見上げても初夏の高い青に白い雲しか見えない。試しに呪符の小鳥を飛ばしたが、空の途中で忽然と消失した。そこから先は、ガリアが封じられているのだ。

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