第635話 第3章 3-4 両夫人と一位姫

 皇太子妃は別格として序列第二位、事実上の第一位のカルンは、そうは云っても十六歳の少女だ。アトギリス=ハーンウルムという帝国を構成する四十四の藩王国でも屈指の王家の姫であり、気位も相当に高い。だが、陰湿ではなかった。快活で、小顔の大きな眼をくりくりさせてスティッキィを凝視した。彼女にとってもストゥーリア人など物語に聞くだけの存在だった。


 「こんな遠いところまで、よくきたものね!」

 「今後、どうかお引き立ていただきますよう、お願い申し上げます」

 スティッキィが笑顔で云う。娼館の出だ。上の女に取り繕う術は会得していた。

 「言葉も上手ね! どこで学んだのかしら!?」


 スティッキィが内心で汗をかく。どこと云われると、あのウガマールからここへ来るまでのあいだの次元の隙間で出会った「例のあの人」の秘術で脳を調整されたにすぎない。


 「我が家は商家で、交易商人に」

 「密貿易ね」


 カルンの眼が光る。ディスケル=スタルは、公式にはサティラウトウ側諸国諸都市と交易をしていないのだ。


 「それは、私めには」

 「心配無用、ウチの国でもこっそりやってるから!」


 表情豊かに囁き声で楽しそうに云うと、カルンは盃を飲み干した。これで、認められた。スティッキィは礼をして左足より三歩下がり、舞踊めいて優雅に左回りで転身して向かいの席へ行く。この下がり方や転身の仕方も作法だった。左列から下がる場合と右列から下がる場合とで、下がる足と転身の向きを左右逆にしなくてはいけない。


 (ガラネルの国の姫……最高級に要注意ねえ)


 それに比べると第三夫人はまだ安心できる。なにせ、アーリーと同じくカンチュルクの出身だ。美姫であるが小柄なカルンとは対照的に長身でがっしりとした体格をし、日焼けに近い薄褐色肌と黒髪が独特の雰囲気を持っている。衣装もカンチュルクの伝統模様が活かされた、周囲と少し雰囲気の異なるものを着ていた。


 スティッキィが同じように挨拶すると、

 「よろしくたのむ!」


 と、太くしっかりとした声が帰ってきた。そのまま背筋を伸ばし、男みたいにして右手をまっすぐに出し酌を受ける。うやうやしくスティッキィが酒を注いだ。


 「美しいな、殿下でなくとも見惚れるよ」

 「恐悦至極」

 スティッキィが黒真珠の髪飾りと耳飾りを揺らして礼をする。

 その黒真珠を認め、トァン=ルゥが腰を浮かした。


 「それは、もしや妃殿下よりの賜りものではないか? 私もねらっていたのだ。よく見せてくれ」


 「ご随意に」

 トァン=ルゥはしかし、耳飾りをよく見るふりをしてスティッキィの耳へ顔を近づけると、

 「……アーリー様より密命を受けております。折を見て、お話が」

 と、素早く云った。


 スティッキィは何事も無くすました顔で礼をすると、下がった。案の定、早めに接触したほうが良い。いや、しなくてはならない。


 (ま、それすら罠かもしれないけどねえ)


 そこまでになったら、疑心暗鬼で何もできなくなる。賭けるときは賭けなくてはならない。


 あとは、左右順番に残りの十七人へ挨拶した。残りの後宮姫の中では、やはりマオン=ランの云っていた四人が要注意だった。


 例えば次に挨拶をするカルンの隣に座っているグルジュワンのベウリーは、序列第四位なので夫人を除いた後宮姫での中では第一位となる。細身の長身で黒髪と白肌がカンナを思わせる美姫びきだったが、まぶし気にスティッキィを見つめる物憂げな雰囲気が披露の宴に似つかわしくない。声も細くて、歓談とがくの喧騒ではよく聞こえなかった。


 「…………」

 「は……」

 スティッキィが何と答えてよいか分からず、思わず顔を上げて耳を近づける。

 とたん、口が耳まで避けたような笑みを見せ、

 「聖地へは、私めも連れて行ってくださましな」


 とナメクジめいた声で囁いた。さすがのスティッキィも嫌悪と驚愕で頬の端がひきつったが、すぐさまそれを両手を合わせた袖で隠し、何も答えずに深く礼をした。


 (なによ、あいつ……何をどこまで知ってるのかしら……)


 あと、何人かは生まれの良いおっとりとしたどこぞの国の姫が続き、やがてカルンの配下でもある二人の美姫へたどりつく。これはいつも互いに真正面に相対して座れるよう、カルンの意向で序列を設定している。カルンからの位置も遠からず近すぎず絶妙だ。

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