第507話 第3章 エピローグ 人知れぬ旅立ち

 トロンバーよりガリアの力で脱出したライバは……そのままストゥーリアへ瞬間移動の連続で戻ろうとして力尽き、真冬の森で倒れていたところを運よく猟師に発見されて療養していた。そして……黒竜のダール・デリナからの指令を受け取ったのである。


 カンナを救い、護れという指令を。

 「カンナさん、危なかったですよ」


 血だまりにキリペの死体を蹴り転がして、寝息を立てるカンナへ近づく。その顔を愛おしそうに見つめ、そっと触れた。


 「よくやったぞ、ライバ。お手柄だ」

 転がるキリペの死体を跨いで、階段の下より一人の女性が現れる。

 「ウォラさん」


 キリペよりは背が低いが、体格の良い旅装のその人物も、ウガマール人だった。寒さに合わせ、サラティスでしつらえたこちらの旅装に身を包んでいる。ただウガマールにも様々な人種・部族がおり、その者は先祖が南部王国出身で、肌も赤茶褐色の、髪も自然に縮れている、ここいらではめったに見ない南方人種だ。厚い唇に、獣めいた黒々とした二重の眼が、落ち着き払ってしっかりと月明かりのカンナを見つめている。黄金と翡翠の大きな耳飾り、首飾りが目立つ。


 「キリペのやつ……まさかと思ったが、本当にムルンベの手先だったとは」


 それは、かつてトケトケを送りこんでカンナ暗殺を企んだ、反神官長派のことである。その経緯は、第二部で述べてある。


 それが、神官長の信頼ある密使にまでその手が及んでいるのだ……!


 ウォラは静かに階段を上り、カンナへ近づいた。そして、寝息を立てるカンナの前にしゃがみこむ。


 「起きなさい、カンナ。ウガマールへ帰るぞ」

 優し気に、しかし決然と云い放つと、カンナがすうっと目を覚ました。

 月光に、見るからに南部ウガマール人の女性が見え、あわてて身を起こす。

 「あ、あれ……キリペは?」


 「カンナ、私はウガマール奥院宮おくいんのいみや教導騎士のウォラ。キリペはクーレ神官長を裏切り、貴女を排除しようとしたので誅殺した」


 「えええ!?」

 カンナ、度肝を抜かれる。無理もない。


 ウォラは、懐より奥院宮教導騎士団の証である紋章の刻まれたブローチを出した。それは、カンナも見知っているもので、間違いのないものだ。実は、アートも肌身離さず、持っていた。カンナには、けして見せなかっただけで。


 「カンナ、クーレ神官長からの言葉を、じかに聞きなさい」


 そう云うや、ウォラは右手を優雅に振る。ガリアが現れた。武器ではなかった。大きな全身鏡だった。その鏡に、見まごうはずもない、神官長が映っている。そしてなんと、神官長は鏡の中より現実世界へ出てきた。


 これぞウォラのガリア「黒檀縁こくだんふち蔓草柄つるくさがら現身うつしみ銀大鏡ぎんおおかがみ」である。自身では戦いはしないが、誰でもこうして写しとってしまう。眼前の敵ですらも。映した相手と互角の分身が出現し、ガリアをも遣って戦うのである。しかも、たとえ倒されても、何度でも……分身が現れる。


 したがって、このクーレ神官長は、ほぼ実体であり、思考をも完全な分身であって、けしてウォラが勝手に作った虚像ではない。


 「カンナ」


 夢ではない。生々しい、神官長の肉声にカンナは弾けるように立ち上がって直立不動となった。


 「この一年近く、よくぞ戦い抜いた。ガリアの力は、極限にまで高まっておる。仕上げだ。ウガマールへ帰ってこい。それに……」


 カンナはどきりとし、覚悟をもってその言葉を待った。

 「アートが危篤だ」


 ついに。その言葉に、カンナは全身に電撃が走った。神官長の手紙には、容体悪化としか書いていなかった。それが、やはり、ついに。


 帰らなくては。やっぱり、今すぐ帰らなくては。頭が真っ白になる。

 クィーカのガリア「音の玉」を遣い、カンナへ最後の言葉を放ったものか。

 (死なせない……ぜったいに)

 「お前の力が必要だ」


 カンナは、しっかりと前を向き、大きな、まるでアーリーにも匹敵する背丈の神官長を見た。


 「はい!」

 いつも岩のように険しい神官長の顔が、ほころぶ。そして、かき消えた。

 ガリアを消したウォラが、頼もし気な笑顔を見せ、無言で歩き出した。

 カンナが、そしてライバが続く。

 キリペの死骸を見もせずに、その横を通り過ぎて、三人は深夜の街並みへ消えた。

 月が、雲に隠れる。



 第5部「死の再生者」 了

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