第225話 スターラの食料事情

 スターラ語しか分からない店員はカンナが何を云っているのか分からず、また、まだ不必要にニタニタしているカンナをこれも不気味に思って、逃げるように奥へひっこんで出てこなくなった。


 代わりの、ひきつった顔の宿の支配人が出てくるまで、カンナはしばらくニタニタしたままそこへ座っていた。



 翌日、それぞれ部屋で顔を洗い、準備を整えためいめいが朝食をとりに談話室へ行くと、既にバーケンが既に自らのサインをした契約書を用意して待っていた。アーリーがしっかり内容を確認し、うなずいた。


 「いいだろう。サラティスのカルマを代表し、私がサインをしよう」

 「では、それで……」


 アーリーのサインの入った契約書を受け取り、バーケンは満足げにそれを丸めて書類入れにしまった。そして、前金の四十トリアンを三人分用意し、それぞれ渡した。


 「宜しく頼む。私がカルマの代表、アーリーだ。こちらがマレッティ。こちらは、カンナ」

 「よろしくお願いします」


 バーケンが順に握手をする。先日カンナへ見せた嫌悪の表情など微塵も無い笑顔に、カンナは逆に感心した。


 さらに、バーケンは、豪華な朝食まで用意していた。


 豪華な、といっても晩餐のメニューと同じにはならない。が、ライ麦パンと魚のスープ、魚のフライなどのこの町特有の朝食ではなく、小麦の白パン、スターラ名物の各種のソーセージが茹でられ、または焼かれて並んでいた。さらには、スターラの裕福なものたちの習慣である、朝に呑む度数の低いビールまで用意してあった。思わず驚きと喜びの声を上げたのは、懐かしい味を目の前にしたマレッティだった。


 「こんな魚だらけの町で豪勢ねえ。どうやって仕入れたの?」


 「近くの村に、小さいですが、我が商会の所有する牧場がありまして、スターラや、この宿に卸しているのです。もちろんこの宿も我が商会の資本です。その牧場にも、ガリア遣いを含めて十四人もの衛兵を置いておりますから、少々値は張りますが、喜ばれておりますよ」


 「たいへんよねえ。ぜんぶの食べ物に、そんな人件費がいちいちかかってるんじゃ……竜を相手にするより盗賊を相手にする方が費用がかかるんじゃないの? カンナちゃんじゃあるまいし、あたしは食べ物なんかに釣られないんだからあ」


 と、云いつつ、マレッティ、遠慮なく勝手に席へ着くと、片端からそれらを口に入れた。最初は仏頂面で試すように頬張っていたが、うって変わって満面の笑みとなったので、うまいようだ。


 アーリーも席に着く。会話の意味が分からないカンナも、とにかく続いて珍しい食べ物を頬張った。


 「おいしい!」


 カンナはじめての味に驚き、主に豚肉の様々な部位の挽き肉を腸詰めにした食べ物へ舌鼓を打った。焼き物、茹でたもの、さらには燻製まであった。


 満足げに柔らかい茹でソーセージをほおばるマレッティを見て、バーケンもまずは胸をなでおろした。しかし、顔は笑っていても、その深く青い目の底の澱んだ光を見逃すバーケンではなかった。顔だけ繕う術を心得ている者は、彼もこれまでに何百人と観ている。しかも、バーケンはマレッティが市場や流通の基礎知識を持っていることも看破した。スターラの食料品の値段が高いのは、生産量や流通量が少ないだけではない。生産現場と運搬の護衛へ莫大な費用が別途かかるため、販売価格に転嫁されるのは、これはもう、どうしようもない。慈善でやっているのではないのである。そこを理解する庶民は、皆無だった。ただ商人と都市政府が暴利を貪っているだけだと思っている。教養のないガリア遣いにも、そう思いこんで彼ら高級商人を目の敵にし、義賊めいた勝手な云い分で強奪を正当化する反吐の出る輩も多い。そんな輩を追い払い、時には制裁し、排除するためにまたガリア遣いに金を払うことに、バーケンは忸怩じくじたる想いを抱いていた。その想いの裏返しが、昨日は直にアーリーへ通じたのだろう。

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