私を作った漫画たち(三)西岸良平作「夕焼けの詩」

西岸良平さんの「夕焼けのうた」は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの原作漫画になります。


 この漫画と私の出会いは少し変わっていて、子供の頃から「お祖母ちゃんの家に置いてある漫画」という位置付けでした。


 正確には父が買って実家に置いていた訳ですが、西岸良平さんが1947年生まれ、父が1949年生まれでいわば同じ団塊世代として共感できる内容だったことから買い集めていたようです(ただ、ネットもなく交通手段も今より未発達だった時代に都内に生まれ育った西岸氏と福島のような地方に生まれ育った父とでは少年期の思い出だけでもかなり格差があったのではないかという気もします)。


 ちなみにこの「夕焼けの詩」も基本は一話完結の連作集で映画版には登場しないキャラクター、エピソードも多いです。


 映画で主人公の一平は漫画版でも主人公格です。


 しかし、一平の同級生の雄一郎は映画版にも顔出しはしているものの、漫画版で描かれた彼の出自に関わるエピソードは映画では出てきません。


 また、別の同級生の正ちゃんも漫画版ではレギュラーですが、映画には登場しません。


 ちなみに、漫画に描かれた雄一郎の出生に纏わるエピソードは以下です。


 両親というより祖父母にこそ相応しい年配の夫婦に育てられている雄一郎。ただし、本人はこの老夫婦を実の両親だと信じて疑っていない。


 ある日、白い服を着た背の高い見知らぬ女性が雄一郎の前に現れ、

「おばさんは坊やのことは何でも知ってるの」

と告げる。


 雄一郎が女性から貰ったおもちゃを

「これは背が高くて白い服を着た知らないおばちゃんに貰った」

と喜んで両親に見せると、老父は激昂しおもちゃを壊す。


「あの女だ、許さんぞ」


 理由も分からずただ怖がって泣く雄一郎。


 後日、「雪の降る晚に白い服を着た雪女が現れ子供を拐う」という怪談を町で耳にした雄一郎は「あのおばさんは雪女だ」と怯える。


 そして、雪の降る晚、雄一郎宅に女性が現れ、寝室の雄一郎は怖がって老母に抱き付く。


「大丈夫よ、悪いおばさんはお父さんが追い払ってくれるから」


 別室で言い争う女性と老父の声。


「お願いです、雄一郎を返して下さい!」


「今頃になって何だ! 育てられなくてほっぽり投げたくせに!」


 結局、雪の中、涙と共に去っていく女性。その姿をカーテンの影から見送る雄一郎。


「雪女が泣いている」


「あの雪女の顔、ずっと前に見た気がするな」


 翌朝、雪女のことなどすっかり忘れて一平たちといつも通り笑顔で雪の積もった外を駆けていく雄一郎の姿でこのエピソードは終わっています。


 何も知らない少年の目線で描かれていますが、大人の読者にはこの白い服の女性こそが雄一郎の実母であり、老夫婦は養父母だと分かる仕掛けになっています。


 実母と養父のやり取りからして実母は恐らく貧しく不遇な環境で私生児の雄一郎を産み、それを子供のいない老夫婦が引き取ったと推察されます。


 雄一郎や一平が生まれたのは終戦直後の時期であり、当時はパンパンと呼ばれる米兵相手の私娼が大勢いたことを考えると、あるいは雄一郎もそうした「進駐軍の落とし子」の一人なのかもしれません。


 次に、映画には登場しない正ちゃんの家庭のエピソードは以下のような内容です。


 正ちゃんは本来は両親と二人の弟、赤ちゃんの末妹の六人家族だった。


 しかし、父親は定職にも就かない飲んだくれで内職をして家計を支える母親とは喧嘩が絶えない。


 正ちゃんは年の近い弟二人と共に近所のお寺の賽銭泥棒や植え込みの無花果を盗み食いして何とか空腹をしのいでいる訳だが、近所からは当然のことながら「貧乏家庭の悪ガキ三兄弟」として鼻つまみ者になっている。


 ある日、三兄弟は街角のテレビでアメリカドラマ「うちのパパは世界一」を見る。そこに映し出された裕福な生活に憧れる三人。


「俺らもアメリカのうちの子に生まれれば良かったな」


 帰宅するといつになく上機嫌の父親が家族を外食に誘う。競輪で一発当てたのだ。


 レストランで初めてハンバーグに舌鼓を打つ家族。


「うちの父ちゃんは世界一なんだ」


 初めて父親を誇りに思う三兄弟。


 しかし、数日後、酔い潰れて路上で寝ていた父親は車に轢かれて死ぬ。


 葬儀で号泣する喪服の母親の姿に貰い泣きする三兄弟。


「喧嘩ばかりしていても母ちゃんは父ちゃんが本当に好きだったのだ」


 そして、三兄弟にも異変が訪れる。


 「女手一つで四人も育てられない」という事情でまず三弟が親戚に養子に出される。幼い弟の泣く姿を見送るしかない兄二人。


 次いで、正ちゃんとは年子の次弟も養子に出される。


 それまで自分に反抗して争うことの多かった年の近い弟の叫び。


「嫌だ! 兄ちゃん、助けてくれ!」


 正ちゃんは悔し涙を流して立ち尽くすしか為す術がない。


 そして、母親と赤子の妹と三人で暮らすようになった正ちゃんの侘しい姿でこのエピソードは終わっています。


 雄一郎と正ちゃんのエピソードに共通しているのは「貧しい独り身の母親が我が子を養子に出さざるを得なかった」時代の不幸です。


 雄一郎や正ちゃん兄弟の母親たちも今の社会ならば生活保護を受給するとかセーフティネットを利用して我が子を手元で育てることが出来たかもしれません。


 しかし、終戦直後から昭和三十年代の全体が貧しい社会においてはそれは難しい選択だったのでしょう。


 また、古い家制度の感覚が根強かったであろう社会においては、

「母子で貧しく餓えるよりは富裕な家の跡取りに出した方が子供の為だ」

「裕福な家は実子が無ければ養子を貰ってでも存続させるべきだ」

という圧力が働いていたのかもしれません。


 むろん、映画でも描かれた駄菓子屋兼作家の芥川さんと淳之介も、ある意味、養父と養子の関係ですが、この二人のエピソードは漫画でも映画でも貧しい中の温かな繋がりとして描かれています。漫画の雄一郎や正ちゃんのエピソードのような時代の残酷さを全面に出したものではありません。


 もちろん、赤ちゃんの頃に養子に出された雄一郎が養父母の下で快活な少年として暮らしているように、養子に出された正ちゃんの弟二人もいずれは養父母に慣れ、むしろ生家にいた時よりも裕福な環境の下で明るい表情を取り戻したかもしれません。


 しかし、小学二、三年生にもなってから生家を出された次弟の中では

「母親に捨てられた」

「長兄と比べて自分は要らない子供だった」

という傷が根深く残ったはずです。


 大人になってから三兄弟、末妹、実母が再会したとしても、実母や正ちゃんは弟二人に負い目を感じざるを得ないでしょう。


 赤ちゃんだった実妹も

「自分の預かり知らない所で犠牲になった兄弟たちがいた」

と罪悪感や自己否定を覚えるはずです。


 そうした後々まで尾を引く不幸を予期させる点でも映画には登場しない正ちゃんの境遇は残酷なのです。


 映画が「貧しさから飛躍する希望」を描いたとすると、漫画は「貧しさ故の悲しみ」を綴ったエピソードも内包しています。


 私としては高度成長期という時代をより多面的に捉える点でも、映画版より漫画版を推したいです。

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