曼珠沙華、彼岸花。
「暑さ寒さも彼岸まで」というが、秋雨で一旦は涼しくなったはずの気候が彼岸も明けた頃にまた暑くなった。
むろん、目に映る風景としては、街路樹の葉が黄色くなり、路地には落ち葉がちらほらと目に付くようになった。
外を歩けば金木犀の甘い香りがほんのりと漂ってくる。
近所の公園は八月の半ば頃から既にオレンジのキバナコスモスが咲き始めていたが、この時期になるとオレンジや黄色の花が入り乱れて正に花盛りといった感じになる。
話は変わって、九月最後の土日を利用して家族で熱海を旅行した。
といっても、妊娠八ヶ月のお腹を抱え、二歳九ヶ月の娘を連れ歩くのは限界があるので、実質は市内観光よりも温泉でゆっくりするのがメインの内容だ。
横浜から電車に乗って熱海に行き、そこからバスに乗って宿泊予定のホテルに向かったわけだが、車窓の風景でまず目に付いたのは真っ赤な彼岸花だった。
線路沿いや付近の空き地、山の斜面。
公園の植樹の根元。
鮮血のように赤い彼岸花はあらゆる場所に小さな鳥居じみた花を咲かせていた。
「曼珠沙華」といういかにも仏教用語的な別名に相応しく花の色彩や形(絹か和紙を裂いて作った細工物のように見える)はかなり装飾的な印象なのに、植物としてはむしろ雑草の強い生命力を備えている。
一つどころに何本も密集して花開くこともあれば、一輪だけぽつんと咲いていることもある。
そんな場所に応じた生え方・育ち方をする能力もあるようだ。
加えて、真っ赤な花が咲くまで多くの人はそこに彼岸花が生えていたと気付かない。
また、枯れてしまえばすぐに周りの景色に紛れてしまう。
神出鬼没の植物というか、彼岸花は正に彼岸の季節に集中して異彩を放つ花だ。
個人的には山の墓地へと続く階段の脇に緋色の花が列を成して咲いている様子を電車の車窓から目にすると、死へと誘う呪いの花じみた、どうにも不気味な感触も受けた。
話はずれるが、子供時代に放映されていたアニメ「まんが日本昔ばなし」には、時折どうにも暗鬱な感触が後を引くエピソードが混ざっていた。
また、そうしたエピソードにはしばしば日本固有の季節の風景が織り込まれていた。
「とおせん坊」の主人公は孤児である出自に加えて、恐らくは軽度の知的障害から社会生活に不適応であったために蔑まれ、神仏に願って怪力を得るものの、それ故に周囲からいっそう迫害されて無法者に身を落とす。
そして、桜の舞い散る季節に人々から罠にはめられる形で崖から荒海に投げ込まれる最期を迎える。
「吉作落とし」の主人公青年は山に入って生計を立てていたものの、ある時、作業をしていた崖の中腹で降りるに降りられない状況に陥る。
やがて、紅葉の照り映える山中で、心身共に疲労困憊した彼は崖下に自ら身を投じる。
孤独で不遇な青年の悲しい運命を描いたこの二つのエピソードはネットでも「恐ろしいトラウマ回」として紹介されているが、いずれも色鮮やかな季節の風景が主人公たちの運命の残酷さを際立たせている。
どちらのエピソードにも彼岸花は直接には出てこないが、古びた卒塔婆や墓石の並ぶ山の墓地を真っ赤な彼岸花が彩る景色には、そんな哀しく禍々しい伝承を生み出す土壌が確かに感じられるのだ。
実際、ネットで検索してみると、彼岸花には「曼珠沙華」の他にも「死人花(しびとばな)」「捨て子花」といった、不吉さや暗い宿命を感じさせる別名が複数存在しているとも分かった。
それはそれとして、彼岸花には白い花の種もあるが、これは赤と比べて格段に見かける機会は少ない。
熱海のホテルまでの道のりで見掛けたのはただ一度で、山の斜面に並んで咲いている中に一部だけあった。
面白いことに、赤の彼岸花と白の彼岸花は決して混ざり合っておらず、赤の花の列から少し間隔を置いた所に白の花が何本か纏まって咲いていた。
山の斜面に自生しているにも関わらず、例えばコスモスのように赤、白、ピンクの異なる色の花が入り乱れて咲くのではなく、まるで住み分けるように赤と白のテリトリーがきっちりと定まっていたのである。
素人の私には本来は同じ植物でたまたま花の色だけが違うだけに見えるが、赤の彼岸花と白の彼岸花の間には生育の過程で相容れない何かが存在しているのだろうか。
妖艶な赤の彼岸花に対して、白の彼岸花は百合を小さくしたような清純さが感じられる。
どこか、対照的な女性の美を連想させる差異だ。
明治から日本に来たコスモスは可憐な少女の風情だが、古くから根付いている紅白の彼岸花はしっとりした大人の日本女性の趣を備えているように思える。
日本の怪談に出てくる幽霊は若く美しい女性が定番だが、それは涼しくなる秋彼岸の一時に艶麗な姿を現す曼珠沙華のイメージが揺曳されてもいるのだろうか。
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