「キヨハラくん」の肖像(八)逮捕された清原氏と現在の球界

 清原氏は歴代五位のホームラン記録を持ち、現役生活を通して稼いだ収入は五十億を超えるという。


 日本の宝くじの最高額は十億円だそうで、清原氏の収入は実に宝くじの最高額に五回当選した計算になる。


 五十億という地球上の全人口に匹敵する数値を見ると、一個人の収入ではなく、企業の年商とか公共事業の投入額にこそ相応しく思える。


 生え抜きのジャイアンツ選手とはいえ、怪我に見舞われた桑田氏の生涯年棒は約二十九億円と推定されている。


 史上初の一億円プレイヤーとして話題を呼んだ先輩の落合氏も現役時代の生涯年棒では約三十四億円と推計されており、清原氏の五十億円には大きく及ばない。


 この事実からすれば、彼はプロ野球界において十分に活躍し、また厚遇された選手と言えるだろう。


 清原氏よりもっと成績も振るわず、注目もされず、金銭面でも不遇なまま現役人生を送り、引退を余儀なくされた選手の方が遥かに多いはずだ。


 むしろ、彼がプロ野球界で華々しく活躍し、知名度も収入も抜群に高かったからこそ、覚醒剤を売り付ける人間も寄ってきたというのが真相だろう。


 宝くじに当選した人がその後、却って不幸に見舞われる話はよく聞くが、清原氏も野球の才に傑出して恵まれるという宝くじにも等しい運に恵まれた結果、普通の人が遭わないような誘惑や裏切りに直面し、転落したと言える。


 そもそも、清原氏と桑田氏が非凡な人たちだったからこそ、ドラフト騒動のようなトラブルも起き、また、一線の選手として結果を出し続けるプレッシャーにも苦しんだのである。


 清原氏はこれから裁判を経て何らか処罰を受けることになるのだろう。


 初犯であり、また、他人を傷害した罪状ではないので、量刑としては軽く執行猶予の付く可能性も高いというのが、大方の見方だ。


 だが、覚醒剤常用者の再犯率の高さを含めて、彼を巡る状況は極めて厳しいと言わざるを得ない。


 加えて、このように前科が付いてしまった以上、指導者としての球界への復帰は不可能に近いだろう。


 率直に言って、清原氏に監督になってもう一度ユニフォームを着て欲しいと思っていた人は多かったはずだ。


 私もボロ負け続きで最下位になっても良いから清原監督を見たかったと思うし、彼本人の中でもそれがあるべき未来だったのではないかという気がする。


 さて、今期から、ジャイアンツの監督には高橋由伸氏が就任した。

 昨シーズンまで現役だった、まだ四十歳の若い監督だ。


 前任の原氏が五十七歳だから、「KKコンビ」世代のOBは素通りしてより若い世代に巨人軍の指導者たる地位が与えられた格好だ。


 プロ野球選手の年齢感覚からすれば、四十歳は、本人も周囲も引退後のキャリアを現実的に視野に入れて動く年齢であろう。


 ウィキペディアを参照しても、高橋氏は一昨年から一軍コーチを兼任しており、監督になる布石は既に打たれていたとも言える。


 しかし、十年前にチームを去ったとはいえ、れっきとした巨人OBでビッグネームの清原氏が逮捕され、しかも、現役選手たちによる賭博問題が新たに再燃した現状である。


 新任の監督にはあまりにも厳しい船出ではないだろうか。


 加えて、長らく一軍の投手コーチを務めた五十一歳の斎藤雅樹氏が今期から二軍監督、同い年でヘッドコーチの川相昌弘氏は三軍監督に就任して、昨シーズンまで現役選手だった四十歳の高橋氏が一軍監督という人事はいかにも不自然に映る。


 素人目にも「なぜ、それ以前からコーチを務めていた斎藤氏か川相氏が一軍監督に就任するのでなければ、OBから然るべき人を選出しないのか」という疑問が生じるし、このニュースを受けたネットのプロ野球ファンの反応を見ても同様の感想が数多く見られる。


 検索したところでは、以下のような見方が目立った。


 ・斎藤氏はそもそもコーチとしての評価が芳しくなかったので一軍監督にはなれない」(それなら二軍監督だってどうなのかと思いますが……。二軍にしても監督職には変わりない。今回の野球賭博問題も二軍で恐らくは不遇感を抱いていた選手が中心に起こした事件のようなので、なおさら指導力に疑問符の付く人をそこに振り当ててはまずい気がするけれど、一般ファンと巨人軍内部の評価はまた別なのでしょうか)


 ・川相氏はコーチとしての実績はあったものの、原前監督と衝突したために、前監督の意向の強い人事ではむしろ降格的な扱いにされた(前任者の意図がそんなに強く反映される時点で本当の意味での人事刷新なのか非常に疑わしいですね)


 ・OBでは江川卓氏や松井秀喜氏といった候補が出ていたが折り合わず、「監督は巨人生え抜きのエースが四番打者」というこれまでの慣例に照らし合わせると、現役選手の高橋氏しか残らなかった(球団自ら首を絞めるような条件を押し通した結果、一番立場の弱い候補者に皺寄せが行った印象です)


 実に消去法的な過程、消極的な理由で、十二球団最年少監督が選出された感触が拭えない。


 かつ、まだ選手として余力を十分に残していた高橋氏の意思が実質的にどれほど尊重された決定なのかも疑わしい印象を受ける。


 大体、現役選手をいきなり一軍監督に据え、曲がりなりにもコーチを数年も務めていた面子を格下の二軍・三軍監督にすれば、下位に置かれたベテランたちに反発が生じ、この時点で指導者層内部に亀裂が入る危険性が高い。


 斎藤氏や川相氏というと、私の中では小学校低学年から漫画で「いつも朗らかに笑っている巨人のエース投手」「老け顔の送りバント打者・名ショート」といったキャラクターでお馴染みの人たちだったが、高橋氏が慶大卒の大型ルーキーとして注目された頃には中高生になっていたせいもあって、この人事配置のニュース記事を読んだ瞬間、「え?」ととても違和感を覚えた。


 これは一般企業なら、幹部候補生だったとはいえ中堅社員がいきなり本社社長に抜擢され、それまでの古参の重役たちが子会社や地方支社の社長として転属するような話ではないのか。


 斎藤氏単独で見れば一軍の投手コーチから二軍監督になる人事は必ずしも左遷ではないかもしれない。


 だが、川相氏は本来一軍の監督に継ぐヘッドコーチから新設の三軍監督に回されたわけで、これは本社の専務が僻地の営業所の所長に任ぜられたような悲惨さが感じられる。


 二軍に野球賭博に入れ込む選手が相次いで現れるほど崩れた空気があるとすれば、三軍に回される選手はもっと荒んでいるのではないだろうか。


 川相氏本人の心境は不明だが、一時は次期一軍監督ともメディアで取り沙汰され、決定後も「どうしてヨシノブが監督になって川相が三軍に回されるんだ」といったファンの不満がネット上には散見する(ちなみに、球界で『川相』といえばほぼ漏れなく川相昌弘氏を指すので、ネット上でも『川相』『カワイ』と姓で呼ばれる。これに対し、『高橋』姓は球界でも重複が多いせいもあって、高橋由伸氏はネットでは『由伸』あるいは『ヨシノブ』と名前で書かれる場合がほとんどだ。長嶋一茂氏や野村克則氏も父親と区別するために『一茂』『カツノリ』と主として下の名前で表記されるが、こうした名前呼びには『若造』『未熟な坊や』と微妙に揶揄するニュアンスも込められているように思う)。


 こうした世間の反応は多かれ少なかれ当事者たちにも伝わっていると察せられるし、彼らの関係性に何らか影を落とさないとは思えない。


 一軍の内部で見ても、高橋氏がコーチ兼任だったとはいえ、この前までチームメイトだった人間がいきなり指揮官になり、自分を切り得る立場で接してきた時、現役の選手たちとの間に強い葛藤や摩擦が生じる可能性もメディアでは繰り返し指摘されている。


 シビアな契約で生活するプロ野球選手といえども、生身の人間である。


 というより、厳しい競争を勝ち抜いてプロ野球の世界に入った彼らだからこそ、強いプライドがあり、そこを傷付けられれば、本人ばかりでなく周囲にも害を与えかねない。


 ジャイアンツ入団以降の清原氏の例を見ても明らかだろう。


 ジャイアンツは他球団の強豪選手獲得に積極的な一方で「生え抜きの四番打者かエース投手でなければ一軍監督にはしない」という暗黙の了解が存在することからも明らかなように、生え抜きの選手と他チームからの移籍組、いわゆる外様の選手の間に露骨な差別を設ける球団である。


「後楽園球場時代は生え抜きの選手たちと移籍組の選手たちとでは使うロッカールームも別れていた」といった逸話は正に日本プロ野球界におけるアパルトヘイトといった印象を受ける。


 金田正一氏はこの後楽園球場時代に巨人に移籍した外様の代表格と言えるが、

「ジャイアンツ時代にホームランを打った長嶋氏をナインで出迎えた際、親しみの意味を込めて頭を叩いたところ、周囲の生え抜きの選手たちから一斉に白い目で見られ、自分は所詮に外様に過ぎないと思い知らされた」

 というエピソードを自ら語っている。


 もしかすると、金田氏だからこそ反感を持たれたのかもしれないと思わなくはないけれど、他球団でチームの牽引役だったプライドを持つ外様選手たちに対して生え抜きの選手たちが排他的・蔑視的に接する空気が強くあったのは事実だろう。


 清原氏がジャイアンツに移籍したのはジャイアンツの根拠地が東京ドームに移って十年目を迎える辺りだが、先述したように同じ外様の先輩格である落合氏が日本ハムに去った穴を埋める、ある意味、前任者の落合氏を追い出す形での入団であり、「結果を出せない外様は早きに去れ」という無言の圧力は明らかであった。


 むろん、それを了承しての入団ではあるが、「ジャイアンツは富士山と同じで遠目には綺麗だが、近くに寄ればゴミだらけ」という引退後の発言は、彼を迎えたチームの空気が想像以上に冷酷で排他的であった証左ではないだろうか。


 実際、ある選手の引退パーティに清原氏は声が掛けられず、「一緒に戦った仲間」というプライドや連帯感が一気に崩れ去った悲哀を語ってもいる。


 この選手が果たして誰なのか、チームメイトとしては清原氏にどのように接していたのか、他の移籍組の選手も同様に声を掛けられなかったのかが気になるところだが、恐らくは引退する本人もパーティに主立って呼ばれたのも巨人生え抜きの選手だったのだろう。


 悪名高い「清原軍団」にしても、外様の孤独から出身地の近い元木大介氏ら自分より年少のチームメイトに声を懸けて交流を図ろうとしたのが始まりだったようで、裏を返せば、桑田氏を含めた同世代以上の生え抜き選手たちからは入団当初から一線を引かれていたのではないだろうか。


 同世代以上の、近い未来の指導者候補生を多数含む選手たちからは排他的に扱われた怒りが、巨人軍における彼の反抗的で不良性の強い態度に繋がる一因になったのかもしれない。


 その結果、彼個人ばかりでなく、所属するジャイアンツそのものが暗黒時代と揶揄される低迷期に陥った。


 ひたすら「生え抜き」を優先して無茶な人事を強行するジャイアンツは、そうした過去の失敗から学んだと言えるのだろうか。


 清原氏の逮捕は単純なかつてのスター選手の転落というよりも、リアルタイムで続く日本プロ野球界の暗部を象徴しているように思える。

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