鬱と欝
今や、すっかり現代病の一つとして定着した「うつ病」。
「新型うつ病」「冬期うつ病」等、新たなバリエーションも次々出てきて、「心の風邪」としての認知度を高めつつあるようだ。
ところで、この「うつ」という言葉を漢字に変換しようとすると、該当する文字が二つ出てくる。
「鬱」と「欝」だ。
ネットで検索したところ、「欝」とは「鬱」の俗字であり、したがって本来は「鬱」を使うのが正しいのだという。
確かに「鬱」の方が、上の部分に「缶」、中間にワ冠を挟んでいるせいか、雑多な感情に蓋をして、その上に重しを載せて詰めた、抑圧的な心理状態に見える。
これに対して、「欝」は下の部分が「伯爵」や「公爵」の「爵」の字と共通しているせいか、白い鬘(かつら)を着けた昔風の高貴な中高年男性が何とはなしに落ち込んで頬杖をついている絵面が浮かんでしまう。
「鬱」が治療を要する病理だとすれば、「欝」は一時的な気分。字面からは、そんなイメージも連想される。
話は変わって、「マリッジ・ブルー」や「ブルー・マンデー」のように、英語では沈んだ気持ちを「青(blue)」で表現するらしい。
だが、個人的に、青は水色から藍色まで濃淡の差はあっても、空や海、あるいは梅雨時の紫陽花(あじさい)を連想する、むしろ爽やかで透き通った印象の色彩だ。
梅雨時の雨が本当の意味で人を凍えさせるには至らず、また、梅雨という季節自体もまぶしい夏の前身であるように、「青」という色で表現できる精神状態も、ひとときの倦怠には相応しくても、度し難い暗鬱にまでは達しない感触をいつも受ける。
かといって、完全な暗闇の「黒」でも、清も濁も際限なく飲み込んでいく気配があり、自分の中で受け止め切れない痛みを示すには、やはり適さないように思う。
息苦しさが堆積し、砂を噛むような感覚には、曇り空や鉛のグレーこと灰色の方が似つかわしい。
時たま濁りが薄れることはあっても、決してまっさらな白に戻ることはない。暗がりが色濃くなっても、まだどこかに灯りが点いている。
何らか病名の付く「鬱」か、それとも、かりそめの「欝」か。
近頃の私は、ずっと灰色の波の上にいる。
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